10

「そうだ。君はジャックと戦ったんだよね? 何か気付いた事とかないかな? 何でもいいよ」


 すると慧は思い出したようにユーシスへ尋ねた。


「風だ。風に乗せてるのか、刃自体が風なのかは分からないが目には見えない刃を飛ばしてくる」

「なるほど。それは、鎌鼬だね。ノワフィレイナ王国と共に絶滅したかと思ってたけど、生き残りはいたんだ」

「手を使って操ってると思ったが、それは精度を上げる為らしい。どれくらいかは分からないが、近ければ動きなしにも飛ばしてくる」

「つまり肩の傷は油断しちゃったって事ね」


 治療をしながら緋月は意地悪をするように言ったが、それに対するユーシスの言葉は無かった。


「そうか。ジャックの正体は鎌鼬か。文献を漁って多少なりとも対策を練った方が楽に捕らえられるかもしれないね」

「いいのか? 連れ戻さなくて」

「ん? あの子達?」

「人間じゃ気が付く前に切られるぞ」

「大丈夫。あの子達はちゃんと他種族との戦い方を心得てるからね。――それじゃあ僕は楽する為に今頑張って来るよ」


 そう言い残し慧は部屋を後にした。

 それから全ての傷を綺麗さっぱり治療して貰ったユーシスは、代わりの服を貰いテラと共にホテルへと戻った。明日の夜にまた集まる事を約束して。

 ホテルに戻り食事や入浴を済ませた二人はソファに座り穏やかな時間を過ごしていた。特に何かをする訳でもなくゆるりと流れる時間。

 するとユーシスは視線を感じ隣に座るテラへ顔を向けた。だが見上げるテラの視線と目は合わず、見ていたのは更に上。


「何だ?」

「ふと思ったんだけど、ユーシスのその耳って何の為にあるの?」

「耳?」

「ほらユーシスって、まず私達みたいに耳があるでしょ」


 テラはそう言って髪を掻き分け耳に手を伸ばした。


「そしてここにも」


 次にその手は上へと移動し頭上にある犬耳を撫でた。


「全部で四つも耳がある。これってどう違うの?」

「どう?」


 ユーシスにとっては生まれた時からの当たり前で自然な事。だから考えた事も無かったのだろう、ユーシスは少し顔を顰めた。


「――そうだな。聞こえる音が違う」

「音?」

「こっちで聞こえない音がここでは聞こえたりする」


 まず人間の耳を指差し、その後に頭上の耳を指差した。


「じゃあ普通の――私の声とかはこっちじゃ聞こえないの?」


 テラはそう言うと一度引いた手でもう一度、頭上の耳を指差した。


「聞こえないな。だから変に重なって聞こえることも無い。聞こえるのはもっと高い音か低い音だけだ。別に全部が聞こえる訳じゃないがな」

「へぇ~。凄いね。聞こえない音って想像できないなぁ。ちょっと羨ましいかも」


 テラはユーシスを真似るように頭上へ両手を乗せ耳を表現した。


「見えない色とか聞こえない音とか。私にはない感覚があるってどんな感じなのかなぁ。世界が違って見えたりするのかな? 私よりも空が綺麗に見えてたり、私よりも音楽が鮮やかに聞こえてたりするのかな?」

「さぁな」

「きっと私には感じ取れないものを感じたりするんだろうね。私もユーシスと同じ様に世界を感じてみたいなぁー」

「同じだろ。ずっと一緒だったんだ。変わらない。むしろ俺よりテラの方が色んな事を感じてるだろ? いっつも楽しそうだからな」

「ふふっ。そうかな?」

「それに羨んで誰かの世界を気にするより自分の世界を楽しんでる方がテラらしいけどな」

「そうかもね。たまには誰かの見えてる別の世界を想像するのもいいけどやっぱり、自分の見えてる世界を最大限に楽しまないとね」


 テラはそう言いながら大きく伸びをするとソファへ体を預け、そのままユーシスの肩へ滑らせた頭を乗せた。


「私達ってこれからもずっとこうして一緒にいられるのかな?」

「あぁ」

「ユーシスはどこも行ったりしない?」

「あぁ」

「――でも昔に比べると少しだけ寂しいよね」


 ユーシスは何も言わなかった。テラもこれ以上何かを言う事は無かった。

 暫くの間、二人を包み込んだ溶けるような沈黙。だがそれは気まずさのような居心地の悪いものではなく、温かな陽光の降り注ぐ青々とした草原に居るかのように心地好いものだった。

 それからのんびりとした時間を過ごした二人は、寝室に向かいベッドへ。雲のような感覚に包み込まれるとあっという間に夢の世界へと手を引かれて行った。


          * * * * *


 至る所に置かれたテーブルとそれを囲う人々。その手には例外なく木製のジョッキが握られており、騒ぎ声が店内にはごった返していた。お世辞にも上品とは言い難く、お客を見てもあまり柄が良いとは思えない人ばかり。


「おい! ユーシス!」


 すると店内の喧騒を飛び越えるような大声に呼ばれ小さな人影はカウンターへと駆け寄った。カウンターに木製のジョッキを二つ置きながらそう叫んだのは、大柄でショートボックス髭を蓄えた豪快そうな男。真顔だと強面にも見える顔をしていた。


「こいつをあの席に運んでくれ」


「はぁ? 何でだよ」

「グチグチ言ってないでさっさと運べ!」


 舌打ちに不貞腐れた顔を浮かべたものの少年のユーシスはカウンターからジョッキを二つ手に取ると言われたテーブルへと運んだ。


「ほらよ」


 吐き捨てるようにそう言い中身が多少零れるのなどお構いなしに雑に置いた。


「おいユーシス! お前はまだ呑んじゃ駄目だぞ。ガキにゃ勿体ねーからな」


 席に座っていた歯抜けのひょろっとした男は、更に中身を零しながらジョッキを手に取ると豪快に笑った。


「いらねーよ。そんなクソマズいのなんてよ」

「だからお前はガキなんだよ。この美味さが分かんねーなんてよぉ。スクートのとこに戻ってご褒美にジュースでも貰うんだな」


 煽る口調でそう言ったもう一人の男はジョッキを大きく傾けると、この世で一番の幸せと言うように声を漏らした。

 そんな男達を横目にユーシスはカウンターに戻り椅子へと腰掛ける。


「腹減った。なんかくれよ」

「今作るからテラ呼んで来い」


 そう言われ無言のままユーシスは椅子を下りると奥へと足を進めた。ドアを開き少し伸びた通路を行けば喧騒は後方で蓋をしたように遠のき、最奥にある別のドアをユーシスは開いた。

 そこでは小さなベッドに座り膝に乗せた本へ視線を落とす少女が一人。


「テラ。飯だぞ」


 ユーシスの言葉にテラは顔を上げた。


「うん。でも、もう少しだけ読んでからね」


 テラはそう返すと再度、視線を本へ。


 一方ユーシスはそんな彼女を他所に何も無い部屋を見回した。


「アイツは?」

「んー。分かんない。いつもみたいにどこか行ってるんじゃない? 一緒に行きたかった?」

「別に」


 素っ気なささを装ってはいたが、微かに何かしらの感情がそこにはあった。

 そしてその後は何も言わずユーシスはテラの隣へと腰を下ろした。


「すぐ行った方がいい?」

「いや。どうせまだ出来てねーし」


 愚痴るように言葉を口にするとそのまま体を倒し寝転がるユーシス。天井を眺めただボーっと。そうしていると、ユーシスはいつの間にか眠ってしまっていた。気が付いた時には、夢見心地と頭を触られる感覚が先行し遅れて瞼を上げればぼやけた視界に映る人影。


「おはよう」


 ユーシスは頭を撫でる手を払い除けながら鮮明になってきた視界と共に体を起こした。そしてそのまま眠気に顔を落とすと膝上に置かれた一冊の本に目が留まった。


「良くこんなの読んでられるな」

「こんなのって言い方」


 ユーシスが手に取った本を横から取りながらテラはわざとらしく注意するような口調で返した。


「面白いよ。昔、王様が悪い魔女を倒すんだけどその呪いでお姫様の心に魔女の一部が埋め込まれちゃうの。それを悪い魔女の復活を願う人達が狙っててお姫様が攫われちゃうんだ。でも王子様が助けに来てくれて最後はハッピーエンド」


 するとテラの視線は本からユーシスへ。品定めするようにじっと顔を見つめていた。


「何だよ」

「でもユーシスは王子様にしてはちょーっと頼りないかなぁ」

「は? 別にそんなの興味ねーよ」

「だけど大きくなったら今よりもずーっと頼り甲斐ある王子様みたいな人になってね。大丈夫、ユーシスはちゃーんと強くなるよ。私、信じてるから」

「だから興味ねーって。それより、腹減った」


 素っ気なく返したユーシスは先に立ち上がるとドアへと向かい、どこか嬉々とした表情のテラはその後に続いた。

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