16

 エイラから手を離したユーシスは立ち上がり預かったペンダントをポケットに仕舞った。そしてテラの元へ戻ろうとドアを振り返る。

 だが足を踏み出す暇もなく、ユーシスはドアとの間へいつの間にか立っていたその姿に目を瞠った。つい先ほどまで心に抱えていた感情を全て零してしまったかのように、その表情には驚愕以外は見当たらない。しかしそれは直ぐに別の感情に塗り潰された。


「何でこんなとこにいやがる?」


 顔を顰め、双眸は初めに見たエイラの如く睨みつけている。

 そんなユーシスの視線先にいたのは、フードを深く被ったローブ姿の誰か。


「それが助けてやった事に対してのお礼か?」


 その言葉に感情を掻き分けエイラの最期の閃光が脳裏に過る。


「勝手に押し付けてんじゃねーよ」

「どういたしまして」


 するとユーシスは床を一蹴、一気に間合いを詰めた。そしてローブの陰に隠れた顔を目掛け壊れんばかりに握った拳が突き進む。

 しかしそれは完璧なタイミングと圧倒的な力で蚊を叩くように容易く受け止められた。ローブから顔を見せる色白だがタトゥーで彩られた腕。


「こんなとこで何してやがる?」


 拳とそれを受け止めた手の力比べが静かに行われる傍で、ユーシスは殴り掛かるような声を出した。


「ただ人間へ酷く憎しみを抱いた奴がいるって聞いたからな。でも仲間にするには正気を失い過ぎてたみたいだな」

「すっかり奴らの犬ってか?」

「どっちかと言えば犬はお前だろ?」

「その余裕こいたとこがイラつくんだよっ!」


 ユーシスは溢れ出す感情に身を任せもう片方の拳を振り下ろすが、それは一歩後ろに身を引いて軽く躱されてしまった。

 だがその際に最初の拳は解放され、ユーシスは飢えた獅子の如く怒涛に攻め始める。とは言え勢いこそはあったが、どれも防がれ躱されどれ一つとして当たるどころか掠りもしなかった。フードの中の焦りのない顔が容易に想像できる程に悠々と捌いていく姿とそれでも攻めの手を緩めないユーシス。その光景は、さながら燃え盛る炎と落ち着き払った水とのぶつかり合いのよう。

 すると止まる事の無い攻撃の最中、忍び寄るようにユーシスの足元を相手の足が掬い上げた。動きも最小限、不意を突き、ユーシスも感情的。気が付けば体は後方へ倒れ始めていた。

 しかしユーシスは体が倒れる前に床へ手を着けると、フード目掛け蹴りを打つ。が、一蹴したのは誰もいない空気。

 空振りした直後、ユーシスは顔を鷲掴みにされたかと思うとそのまま床へ体を叩きつけられた。その瞬間、背と後頭部から伝わる全身へ木霊するような打撃。同時に脳震盪のような感覚が視界と意識を揺らした。上手く体に力が入らない中、顔から手が離れたかと思うと今度は胸へ息が止まる程の衝撃が。それにより朦朧としていた意識が強制的に戻されたのか、ユーシスの視界は状況を確認出来るぐらいには徐々に晴れていった。

 腹部へ跨ぐように立ち、胸に乗せられた片足は体を押さえ付けている。息苦しさと抵抗するだけの力が入らない体。そんなユーシスの視線を浴びながら顔へと伸びた手は悠然とフードを脱ぎ始めた。

 光を浴び露わになるツーブロックのショートヘアと猛禽類のような紅蓮色の双眸。彼女は踏み付けている方の脚に腕を乗せ少し前屈みになると、獲物を見るような鋭さでユーシスを見下ろした。


「アンタは弱い。――どうせあのスノティーにでさえ勝てなかったさ。分かるか? アンタは弱い。誰かを守る力なんて無いんだよ。なぁ、ユーシス」

「……ソル」


 息苦しさに押しつぶされそうな声でユーシスは力を振り絞りその名を口にした。


「今のアンタはただの――ガキだ。口ばかりで何も出来ない。何かを成し遂げる事も、誰かを守る事も、運命を変える事も。何も出来ない――力の無いガキ。所詮は流れに身を任せるしかない。どーしようもねー奴だ」


 ソルは言葉を口にしながら段々と足へ力を入れ始めた。それに呼応し肋骨は軋み、息苦しさがより一層強まる。ユーシスは悶えながらも彼女の足に手を伸ばすが、そこに退けるだけの力はなかった。


「まぁんな事はいい」


 するとソルの上体が上がり、抜けるように重みが消えるとユーシスは息苦しさから解放された。同時に朦朧としていた意識が鮮明になり始める。それを密かに握っては開き力の入り具合で確認した。


「どーせ今からじゃ何も変えられねーしな」


 全力とはいかないが十分に力の籠められる手。自分から外れたソルの視線。

 その瞬間、ユーシスは胸を踏み付ける足へ両手を伸ばした。

 だが僅かに遅れ飛んで来た何かがその途中で手を攫い、そのまま床へと引き戻す。ユーシスの両手首には蝙蝠の形をしたものが又釘状に覆い被さり床へと固定していた。

 そしてまるで何事も無かったかのようにソルの双眸がユーシスを見下ろす。


「アンフィスと会ったんだろ?」


 しかしユーシスはビクともしない両手を動かし返事は無い。


「アイツらは出来の良い模造品だ。力はアタシとそう大差ない。やりあったら……どうだろうな。が、アンタは足元にも及ばない。それは十分思い知ったろ? しかもあの男はそれすらも凌駕する可能性を秘めてる」


 ソルは再び前屈みになりながら顔を近づけた。


「分かってるか?」

「んな事、どーだっていい」


 ふっ、とそれをソルは鼻で一笑した。


「分かってねーな。アンタがその良く吠える口で何を言おうが結局は、それを実現出来る力がなけりゃ意味が無い。頑張ったで賞は無いんだよ。出来るか出来ないか。それだけだ。そして今のアンタじゃ到底無理だな。アンタは弱い。だからもう少し頑張ってくれ。――じゃなきゃ面白味もない」


 そう言うとソルは体を上げ、胸から足を退けた。


「その時は遠からず来る。こっちは着実に進んでるぞ、ユーシス。アンタは追いつけるかどーかだ。あんまりガッカリさせてくれるなよ」


 すると言葉の途中、ソルの全身を蝙蝠の群れが渦を巻きながら包み込んだ。そして言い終えるのと同時にその姿が完全に埋もれると蝙蝠の群れは四方へ散り、もうそこにソルの姿はなかった。


「チッ。クソッ!」


 ソルが消え両手も解放されたユーシスは溢れた感情を弾丸のように言葉として吐き出し、握った拳を地面に叩きつけた。

 それから少しの間だけその場で(顔に腕を乗せ)体を倒していたユーシスだったが、立ち上がるとブゥアージュの大門へ。そこから氷洞を通れば向こうではセツがユーシスの帰りを今か今かと待っていた。

 壁に凭れかかっていたセツは足音に顔を向けユーシスの姿を確認すると、嬉々としながらも安堵に満ちた笑みを浮かべた。


「良かったぁ。――という事はエイラ様は?」

「あぁ」


 少し複雑な気分になりながらもそう返した一言は、特に手柄を自分の物にしようという魂胆から零れたものではなかった。

 だがその返事にユーシスの心情と似て複雑な表情を浮かべたセツ。


「そうですか。エイラ様は……」


 顔を落とした彼の中では別れの哀悼と解放の安堵が絡み合っていたのだろう。本人でさえも自分の感情が良く分かっていないような表情だった。

 だがそれらを押さえ付けるように顔を上げる。


「帰りましょう。そしてルミナ様にもこの事をお伝えしなければ」


 そして二人はここまで来た道を通りルミナとテラの元へと戻って行った。


          * * * * *

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