15

 それは怒涛の攻めが一瞬ではあるが止まった時の事。背後に現れたエイラは上を向けた掌を口元へ運ぶと、ふっーっと息を吐いた。その息は掌を通り過ぎる頃には吹雪と化しユーシスへと襲い掛かる。

 すると、吹雪が体を通り抜け足元から段々と体が凍り付き始めた。足が凍ったのに気が付くとそこから全身が氷に包み込まれるまではほんの一瞬。その場を去る時間も無く、足先から頭先まですっかり氷に覆い尽くされてしまった。

 振り向きざまの状態で氷像と化したユーシス。エイラはそんなユーシスへ余裕の表れかゆったりとした足取りで近づいた。時間の沈黙したユーシスへ視線を向けたまま一歩一歩と。手の届く距離まで近づこうが無防備なままピクリとも動かない。依然と表情に変化は無かったが心には勝利の揺るがない確信でもあったのか、エイラは立ち止まり数秒だけ何もせずじっと冷気を放つその姿を見つめた。

 そしてゆっくりと上がった手がそっと氷越しのユーシスへ伸びていく。指先が冷気に触れ、潤いすらない完璧に凍結した表面へ。そっと近づいてゆく。

 だがユーシスを覆っていた氷は全身へ罅を身に纏うと、脱ぎ捨てるように砕け散った。そして地面へと降り注ぐ氷片の中を突き抜けユーシスの手がエイラへと伸びる。氷が砕けるのとほぼ同時に手を引き体を退かせ始めていたのだろう、ユーシスの手はエイラの残像に掴み掛った。


「チッ。しくったか」


 舌打ちの後、小さく一人呟きながらもユーシスはそのまま退くエイラを追った。仕留めたと思っていたユーシスが状況を逆手に取っていたという事に動揺でもしていたのか、エイラは追っては一撃を喰らわせようとするのを二度三度と退き躱すだけ。

 そんなエイラは足を僅かにでも止めようとユーシスの少し前へ氷剣を数本飛ばした。真っすぐ進めばそのまま剣先の餌食。しかしユーシスは進む足を止めはせず一歩大きく横へ避け、更にエイラを追った。その際、氷剣の一本を地面から抜き取り手元でクルリと回し握り締め、残りの距離を詰めていく。

 だがその氷剣をエイラ目掛け振り下ろすが、彼女の手が剣身に触れるとトランプタワーを崩すようにあっさりと氷剣は氷片と化し粉砕。手元から消えてなくなった。

 その後、エイラが流れるように両腕を羽搏かせると突風の吹雪がユーシスへ正面から吹き荒れる。しかしこれまでのどれとも違い、氷剣だった氷片を含んだそれは刃の嵐のようでユーシスの全身へ無数の傷を撫でるように付けた。それに加え突風により体は大きく後ろへと吹き飛ばされる。

 空中で後方へ体を回転させ態勢を整え着地したユーシスはしゃがんだ状態でエイラを見た。佇むその姿は一見これまでと変わらなかったが、微かに冷気を纏いどこか雰囲気が違っていた。それがずっと攻め続けていたユーシスが慎重になり足を止めた理由。一時の様子見。

 すると段々とエイラの身に纏っていた冷気が霧のように濃くなり始め次の瞬間、ほのかに青を帯びた氷で埋め尽くされ世界は一変した。それはエイラの足元を中心に広がったのだが辛うじて目で捉えられるかという速度で、一瞬にして周囲が凍結してしまったのだ。床に柱に天井――全てが凍り付き、辺りは冷気で薄く霞掛かっている。エイラ自身も所々、凍り付きその変化が強力なものであることを物語っていた。

 だが次の瞬間、まだこれが舞台を整えたに過ぎないと叫ぶように轟音を立てそれは登場した。

 エイラの背後から氷を蹴散らし姿を現したそれは、一見すると全身が氷で出来た竜のようだったが背には背鰭の様にずらり角が並び、口を縦に大きく開けば獰猛な牙が光る。また王者の証と言わんばかりの鬣が生えていたがその一本一本は触れてしまうだけで傷を負ってしまいそうな尖鋭さを有していた。

 しかしながらそれのどれもをもおまけ的存在にしてしまったのは、その巨大さと長さだった。目を瞠る程に巨大な体を引き連れた頭は、空中へ飛び出すとエイラの上空をそのまま弧を描きながら越え再び氷を蹴散らし地面の中へ。だがそれでも未だ体はエイラの背後から空中へ出続け、頭上で弧を描き続け、地面へと潜り続けていた。終わりの無い永久機関のようにずっと。とは言え、別の場所から顔が飛び出す頃には尾鰭が最後尾を務める尻尾がやっと冷気に触れた。


「こんな切札を残してやがったのか」


 エイラを仕留めるどころか状況は更に悪化し、ユーシスは思わず舌打ちを零した。

 しかしながらこれはエイラ自身が追い詰められているという証でもあり、ユーシスは面倒臭さを感じながらも兜の緒を締めた。そして立ち上がると最後の決戦へと歩を進め始める。

 だがユーシスの踏み出した足が漣のような小柄の氷筍を折ったその時――視界外から流星を思わせる閃光が走った。

 すると次の瞬間。視線の先に居たエイラの胸からは(周囲の色も相俟ってか)やけに強調されたような色の鮮血が噴き出した。氷世界で周囲を泳ぐ氷像の竜、降り注ぐ氷片と辺りに漂う冷気。その中で天を仰ぐような美しきスノティーの女王から宙に舞う鮮血。それは幻想と神秘さそして狂気が混じり合い調和し、思わず息を呑んでしまう絵画の一枚のような光景だった。

 だがこれは実際に目の前で起き今も尚、時間の経過と共に変化を続けている。美術館で一瞬を時間をかけ見続けるのとは違い現実でそれは気付けば過ぎ去る一瞬でしかなく、エイラの体は血液に押されるように床へと倒れて行った。

 そして糸に引かれるような彼女の体が床に小さく跳ねると、美しき世界は崩壊を迎える。まるで皓々たる星々が夜空から零れ落ちるように氷片の雨が降り注ぎ、それは散り際まで美しい終焉。

 一方、ユーシスは閃光の主を探し周囲を見回していた。あの閃光を警戒しながらも忙しなく視線を動かし第三者を探す。

 しかしどこにも人影は見当たらない。その間にいつしか部屋を覆っていた氷は全て消え去り、閊えたような静寂が冷気の代わりに広がっていた。そしてユーシスは最後にもう一度、周囲を見回しやはり誰もいない事を確認すると依然と不意への警戒も怠らずエイラの元へ足を進め始める。

 静かな足音に紛れか細く乱れた息遣いは段々とハッキリ聞こえてくるが、傍まで近づいてもその音は足音に掻き消されてしまう程に小さかった。そして足が止まりその息遣いでさえ鮮明に聞こえる静けさが戻る中、ユーシスはエイラを見下ろした。

 歪な円を描く血溜まり。その中心に中に横たわるエイラの胸からは、依然と弱々しい呼吸に合わせるように少しドロリとした血液が溢れ出していた。

 だが今の彼女には鬼神の如き狂気とどす黒さは無く、そこにあったのは雪月夜とが絵になる上品な美しさ。エイラ本来の姿だった。

 そんな彼女の微かに虚ろな双眸がユーシスを見上げると、力を振り絞るようにゆっくりと華奢な手が上がり始める。合わせて呼吸に紛れ小さく口も開き、ユーシスはしゃがむと彼女に耳を傾けた。


「……ありがとうございます」


 吹けば飛びそうな小さく弱々しい声は真っ先に感謝を伝えた。

 すると、エイラは手を緩やかな動きで胸元へ伸ばし、何かを握り締めるとそれをユーシスへと差し出した。


「これを……。私の娘。……ルミナへ」


 血塗れの手から受け取ったそれは樹枝六花のペンダント。


「あぁ。分かった」

「……よろしくお願い……いたし――」


 その言葉を言い終える事すら叶わず、エイラの双眸へ微かに燈っていた命の燈火はそっと静まり返った。

 ユーシスは黙祷を捧げるようにそんな彼女を少し見つめると、開いたままの双眸を撫で安らかな眠りへを祈った。

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