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 頭上で寸分の狂い無く整列し夜の闇を拒むように辺りを照らすシャンデリアと優雅に流れる音楽。煌びやかなその空間に負けず劣らずなドレスを身に纏う女性、それを立てるような落ち着いた黒スーツの男性。そこでは様々な衣装や体格の者達が各々行動をし、この空間を彩っていた。

 ――舞踏会。その豪華絢爛な光景を目にし状況を一言で説明するならそれ以外の言葉は見つからないだろう。

 だがしかし、全てに問わず全員が着けていたベネチアンマスクがその光景へより濃く不気味さを塗り付けていた。

 そんな中、姿を闇に潜ませた人々を掻き分け進む人影が一つ。身に纏った婉麗なドレスとは裏腹に乱雑に息を切らしながら駆けるその人影は、テラスを挟むように湾曲した二つの階段の前で足を止めた。立ち止まると同時にこの場では異質な存在であるかのように仮面を付けていない――奇麗なドレスを単なる際立て役へとしてしまう顔がテラスを見上げる。

 その視線先にいたのは、一人の男性と一人の少年そして一人の女性。片方が微かに目を隠した紺青色の七三髪に柔和な顔とスリーピーススーツの青年は中央で欄干に両手を着け、短パンにサスペンダーを着けた不敵な笑みの少年は左側で欄干に片足を上げ座り、攻撃的な双眸と撫子色ボブパーマそれに合わせたドレスの女性は右側で欄干に座るように凭れかかっていた。

 他同様に三人の目元を覆ったマスクの隙間から女性を見下ろす双眸はどれも宝石のように赤く、そんな美しくも不気味な目を彼女もまた見上げていた。


「お楽しみいただけてるでしょうか? ミセス、リージェス」


 中央の男性はその容姿同様の物腰柔らかな声で視線先の女性――テラ・リージェスへそう尋ねた。

 だがテラはまだ整わぬ息のまま微かに眉を顰めながら返事はせず見上げたまま。


「今宵は貴方の為の宴。主役がそうではいけませんね」


 言葉の後に男性が指をパチンと鳴らすとその音に合わせ辺りは一瞬にして暗闇へと包み込まれた。つい先程までのシャンデリアの豪華な明りが嘘のように静まり返ったその中で、テラはただ立ち尽くすしかなかったがそれは彼女が思っていたほど長くは続かなかった。

 すると突然、暗闇の中で注目を強調する丸いスポットライトに照らされたテラ。その目の前にはテラス上にいたはずの男性の姿があった。男性はテラと目が合うとそっと手を差し出す。


「一曲、踊ってくれますか?」


 だがテラの手は動かず下がったまま。

 そんな彼女の周りで一つまた一つとスポットライトは点り、向かい合い曲が始まるのを今か今かと待つ仮面を着けた男女が部分的に照らし出された。


「さぁ」


 柔和な微笑みを浮かべ男性はもう片方の手をテラの拒み動かぬ手へと伸ばし始める。少しずつ近づいてゆく手。そして男性の手を避ける為テラが一歩足を後方へ下げたその時――。

 ガラスの割れる音が二人の間を駆け抜け、同時に辺りへは音により暗闇が吹き飛ばされたかのように明るさが戻った。あまりにも突然の出来事にテラは音に反応し顔を左側へ。彼女の視界がとらえたそれは、光を浴び煌めくガラス片と共に宙を進む人影。真っ黒なマントで顔を覆っている所為でその容姿は定かではないが、間違いなく真っすぐ二人の方へと近づいて来ていた。

 その様子を(突然過ぎて追いつかず)微かな吃驚に顔を染めながらも見つめていたテラに対し、男性はまるでそれが予定されていた事であるかのように悠々とした口元へ動揺も緊張も走らせず一歩、大きく退いた。視線も目の合わぬテラに向けたまま。

 そして男性がテラより離れた場所へ着地するのとほぼ同時に、人影はテラの傍へ着地し体を床で一回転させながら滑らかに彼女の前で立ち上がった。

 タキシードにマント、無地の仮面が目元を隠し頭上には小山のような犬耳が二つ。テラに背を向け、男性と向かい合ったその表情に感情は無い。


「どうやらお相手は遅刻してきたようですね」


 依然と悠々さを欠かさない男性の言葉が消えると、微かにマントを揺らしながら無表情の顔は後ろを振り返った。自分より少し大きなその人物を見上げ顔を合わせたテラは音を立てて息を呑んだ。

 そしてほんの一瞬、固まった後テラはその細くも逞しい体へと抱き付いた。


「ユーシス」


 それは安堵に包み込まれた温かな声。


「――テラ。悪い」


 ユーシスは一言謝りながら彼女の体を抱き締め返した。

 すると、そんな二人へ贈られた祝福にしては嫌味にゆっくりとした拍手。ユーシスはテラに寄り添われながらその拍手を送っている男性へと視線を戻した。

 二人の視線を受けながら徐々に鳴り止んでいく拍手。


「ではそろそろ――」


 男性は顔を俯かせながらマスクへと手を伸ばした。そして言葉に合わせるようにマスクを外した顔を上げていくが双眸へは蓋をしたまま。


「一曲。いかがですか?」


 言葉の後ゆっくりと瞼は上がり、やはり美しくも不気味な――蛇のような双眸が二人を絞めるように見た。

 そして獲物へ近づく蛇のように最初は静かに流れ始めたオーケストラの演奏。段々とその存在感を顕著にしていく演奏に伴い、二人の周りでは男女のペアが互いの体に手を回し踊り始める。いつの間にかベネチアンマスクの女性を相手に男性も他同様にステップを踏み踊り出すが、テラとユーシスだけは依然と警戒の眼差しを辺りへと向け続けていた。

 だが二人の警戒とは裏腹に周りはただ踊っているだけ。ではあったが、その警戒を形にするように辺りは一変した。

 演奏の盛り上がりに合わせ連続して鳴り響き始める不可解な破裂音。テラとユーシスはその音に反応し顔をそれぞれ反対側へ。二人の周りでは踊っていた者達が次々と人の皮を脱ぎ捨て、醜怪な姿を晒していたのだ。異様な程に細く小柄な体は曲線を描き、溢れ出す涎など気にしない口元では不揃いな牙が不気味に光る。そして零れ落ちそうなギョロ目はそれぞれを気味悪く睨みつけていた。今にも襲い掛かりそうだったが一歩も動かず威嚇の様に睨みつけるだけ。

 デュプォス――二人はそれが何かを知っていた。

 だからかユーシスはテラを守るように手を伸ばしながら警戒心を強める。

 だがその警戒とは裏腹に依然とデュプォスは粗く呼吸を繰り返すだけで動きはない。


「踊るのは苦手ですか? 大丈夫ですよ。流れに身を任せれば」


 すると男性の言葉の直後、彼の隣にいた(元々女性だった)デュプォスが二人へ目掛け走り出し、そして飛び掛かった。尖鋭な爪がずらり揃った両手を構え、唾をまき散らし、牙を剥き出しにしながら襲い掛かるデュプォス。

 しかし、真正面からしかもたった一匹のデュプォス。それは大した脅威ではなくユーシスはタイミングを見計らい頭を鷲掴みにするとそのまま割る勢いで床へと叩きつけた。

 だがそれはほんの先陣。ユーシスが鮮血の飛び散る頭から手を離す頃には、既に周りで睨みを利かせていたデュプォスは次から次へと動き出しあっという間に彼を囲うように襲い掛かって来ていた。その数の差と包囲された状況を考えれば戦況はユーシスにとって圧倒的不利だろうが、デュプォスはその圧倒的な数こそ最大の武器。一体一体の戦闘力は微々たるもので、彼にとって現状は大して苦戦を要する状況ではなかった。故にテラを守りながら一体また一体とデュプォスを沈めていく。一体に対しての戦闘自体はほんの数秒で終わるようなものだったが、絶えず襲い掛かるデュプォスに対しユーシスはズレもミスも許されぬ確実性を求められていた。

 依然と流れ続けるオーケストラの演奏の中、絶え間なくデュプォスを倒していくユーシス。それはまるでこの宴を盛り上げるショーの一種のようだった。

 だがそれをいつまでも続ける訳にはいかない。ユーシスはタイミングを見計らいテラを抱き上げるとその場を離れ飛び込んできた窓へと走り出した。それは期せずしてオーケストラに合わせるようになり、テラを抱えたユーシスは演奏の終わりと共に窓から飛び出した。

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