第5話 生黄泉の甲斐(^^)ノ

帰りしな、甲府盆地周辺にやって来た、渡来人の墓を見て行こうと言う事になった。


御室山周辺には、石積みを積み上げて築かれた、積石塚(つみいしづか)と呼ばれる古墳が、かなりの数があるらしい。


この墓は、高句麗の墓制と共通している事から、渡来人の墓であると考えられている。


大蔵経寺トンネルから抜けて、横根町から桜井町の山麓にかけて少し山道に入った場所に、群集墳と呼ばれる形で、その古墳は姿を現した。


丁度、梅畑の梅の花が満開で、のどかで気持ちが良い。


夫は、万葉集の甲斐の枕言葉は、生黄泉(なまよみ)で、甲斐の国は、半分が黄泉の国だと言う事を教えてくれた。


私が、何で半分黄泉なの?と尋ねると、夫は、それは、大和政権にとって、この甲斐の国が、先住民である蝦夷(えみし)を討伐する為の前線基地だった。


つまり、甲斐の国が、大和政権の手が及ばない蝦夷の国に繋がっていると考えられていたからだ、と言う事を簡単に説明してくれた。


要するに、蝦夷(えみし)の国は穢れた黄泉の国と言う事なのだろう。


更に、夫は古事記や日本書記にある日本武尊(やまとたける)が、東征の帰路に立ち寄った、酒折(さかおり)のエピソードを語った。


夫は、酒折(さかおり)のさかは、黄泉の国と繋がっている黄泉比良坂(よもつひらさか)の事だと思うよ。


古代の坂ってのはさ、つまりは峠の事なんだよね。


峠を抜ければ、そこはもう別世界だから、昔は、峠は異界と通じていたって信じられていたんだよ。


甲府盆地って、見れば分かると思うけど、その形状から、周囲の山の水の大部分が盆地の底に流れ込むようになってるんだ。


だから、昔は、しょっちゅう河川は氾濫するわ、盆地の底には水が溜まるわで、とても人が住めるような状態じゃなかったんだよ。


そう言えば、前に夫から甲府盆地は、その昔、湖だったと言う話しを聞いた事がある。


古墳時代になると、御室山から曽根丘陵にかけて、甲府盆地を取り囲むように、夥(おびただ)しい数の古墳が築かれた。


だから、恐らく大昔は、死に直結している甲府盆地周辺の事を酒折(さかおり)って呼んだんだと思うんだ。


夫は、せっかくだから、記紀にも登場した、酒折宮へ行こうかと、私を誘い、助手席のドアを開けてくれた。


車中で、東征の折にこの地を訪れた日本武尊(やまとたける)の事を、夫は語った。


日本武尊は、度重なって起こる水害に苦しむ、甲府盆地周辺に暮らす人々を哀れに思い、御室山の山中に、国玉を埋め、水害の防止を祈念したと言う。


御室山に埋めた、国玉って言うのは、恐らく、倭大國魂神(やまとおおくにたまのかみ)が宿った勾玉の事だと思うさ。


倭大國玉神(やまとおおくにたまのかみ)って?


私がそう尋ねると、夫は、倭大國玉神(やまとおおくにたまのかみ)は、祟り神として日本書記に登場する神だね。


倭大國魂神(やまとおおくにたまのかみ)ってのは、大和政権が東国に勢力を広げようとする過程で、滅ぼして行った出雲系の豪族達を合祀(ごうし)したものだと思うよ。


甲斐の国は、蝦夷征伐の拠点の一つだから、東征を阻む災いなんかは、当時の迷信深い人達は、国を奪われた出雲の神々の祟りだと考えて、熱心に祀ったんだと思うよ。


まあ、せ苦労して築いた国を奪われた人達の気持ちを考えたら、それは力を入れて拝まないとって、普通なら考えるんじゃないかな。


だから、日本武尊(やまとたける)は、御室山に、倭大國魂神(やまとおおくにたまのかみ)の宿る国玉を御室山に埋めて、鎮魂の祭祀を行わせたんじゃないかな。


甲斐の国が生黄泉(なまよみ)って呼ばれるのは、その時の、日本武尊の御室山にまつわる古事が、多分に関わっているんじゃないかと、僕的には、そう思うんだ。


夫の言葉を、ぼんやりと遠くに聞きながら、なんだ、やっぱり御室山って“いわくつき“なんだ。


そう私は思った。

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