桜小路蒼介③

 最近は多くの人々がSNSを利用している。その目的は、共通の趣味を持つ人と繋がるためだったり、情報収集のためだったり、承認欲求を満たすためだったりとさまざまだ。

 早野のスマートフォンから合鍵を持つ恋人──都丸とまる駿平しゅんぺいを見つけた後、蒼介は、とりあえずSNSで調べてみっか、と自身のスマートフォンを取り出し、有名どころのSNSを確認しはじめた。といっても、〈都丸〉〈駿平〉〈埼玉〉といったキーワードで検索するだけだ。望みは薄いかな、と思ってあまりやる気は感じなかった。

 のだが、予想に反して都丸のアカウントはすぐに見つかった。正々堂々と本名で、しかも顔出しして活動していたのだ。彼はシンガーソングライターだった。年齢は二十七歳らしい。柔らかな目元とセクシーな唇が目をく、甘いマスクという言葉のよく似合う男だ。

「堂坂さん」と早野の部屋を調べている堂坂に声を掛け、「被疑者ホシはかなりのイケメンっすよ」と都丸の画像を見せる。

「もう見つけたのか」と感心するように言ってから堂坂は、「たしかに男前だな。しかし、わたしの好みではない」とやや不機嫌そうにケチを付けた。

 そっすか、すみません、と応じ、「都丸の契約してるインディーズレーベルに聞けば、住所とかもすぐに判明すると思いますけど、どうします? 今、電話とかしてみますか?」

「ふむ……わたしは明日、捜査本部が設置されてからのほうがいいと思うが──長妻管理官に指示を仰ぐべきだろうな」

 そして、二人仲良く長妻の下に向かった。

「そうだねぇ……」と長妻が悩んでいた時間はニ、三秒といったところであった。「うん、明日にしよう」

 まるで夏休みの宿題を前にした小学生の台詞のようだ、と蒼介は思った。

 長妻は、「時間も時間だし、会社に関係者が残ってるかもわからないしね」と言い訳じみた言葉をプラスした。

 小学生のころの長妻を想像して、くすりと笑みを零しそうになった。きっと今と同じ間延びした話し方のノッポだったに違いない。そんな彼は言うのだ、宿題は明日やろう、と。



 翌朝、大弥矢警察署の三階にある第二会議室に特別捜査本部が設置された。捜査本部長は、蒼介の勤める埼玉県警察本部の末廣すえひろ利道としみち刑事部長が、捜査副部長は白田隆二捜査一課長及び双木なみき良昭よしあき大弥矢警察署長が務める。長妻はというと、事件主任官という役割を担う。これは、捜査本部長の指示を受けつつ蒼介たち平捜査員を指揮する、いわゆる中間管理職である。

 第二会議室で開かれた最初の捜査会議にて、蒼介と堂坂には鑑取かんどりの任務が与えられた。鑑取りとは、被害者などの身近な人間を捜査することだ。長妻が言うことには、「まずは都丸に話を聞いてきてほしい」そうだ。

 会議が終了し、捜査員たちが動き出した。蒼介たちもそれに続こうとしたところで、長妻に声を掛けられた。

 何だろう? と蒼介が顔を向けると長妻は、

「何かあったら遠慮なく連絡してくれて構わないから。報連相だね、報連相」と言った。

 わざわざこんなことを言ってくるということは、一筋縄ではいかないと感じているのかもしれない。

「わかりました」「承知しました」蒼介と堂坂は神妙に答えた。

 長妻は満足そうにうなずき、「じゃあ頼んだよ」

 今一度、首肯を伝え、行動を開始した。



 都丸の契約しているレコード会社〈TOY BINトイ ビン〉は、インディーズながら多数の人気アーティストを傘下レーベルに所属させており、J-POPファンから高い評価を受けている──というような、大手インディーズレコード会社などという撞着語法感溢れる存在ではなく、ある意味インディーズらしいインディーズ、要するに小規模な企業だった。

 その〈TOY BIN〉に電話を掛け──特別捜査本部を設置した大弥矢警察署に折り返してもらうことで本物の警察であることを証明し──都丸の情報を取得した蒼介たちは、埼玉県埼玉市にある彼のマンションに来ていた。

 都丸のマンションは早野のものに比べるとだいぶ見劣りする、こぢんまりとしたものだったが、駐車場はあるようで、セダンや軽自動車などが駐められている。

 オートロックのない正面玄関口──というより入り口と言ったほうがしっくり来る趣だ──を通過し、エレベーターのボタンを押す。すぐに扉が開いた。都丸の部屋がある三階に向かう。エレベーターの扉が閉まると、

「黒だと思うか?」堂坂がにわかに聞いてきた。

「どうっすかね……」今のところ合鍵を持つ恋人という点以外の疑う理由はない。だから、いわゆる刑事の勘ではどうか、と尋ねているのだろうけど、「何とも言えないですね」としか言えない。実際、まったく見当がついていないし。

「そうか」

 と堂坂が応じたところでエレベーターの扉が開いた。降りつつ、

「そう言う堂坂さんは、どっちだと思ってるんですか?」

「そうだな、わたしは、黒ではないのではないか、と予想している」

 へぇー、と思い、その理由を尋ねようとして言いさした。被疑者である都丸の部屋の前に到着したからだ。今は彼から話を聞くのが先だ。

 蒼介はボイスレコーダーのスイッチを入れた。続いて呼び鈴を押すと、ややあってから男のハスキーボイスが答えた。『……はい、用件は何ですか』眠たげな、そしてやや不機嫌そうな口調だった。

 寝てたんかね?

 そうだとしたら悪いことをしたなぁ、と思いつつ警察手帳をインターフォンのカメラレンズに向け、「埼玉県警の者です」

『……警察が何の用ですか』声色から動揺は窺えない。すでにSNSや電子掲示板、あるいはテレビニュースで早野の死を知っているのだろう、恋人があんな殺され方をしたのだから警察が訪ねてくるのは当然と思っていても不思議はない。

「早野舞さんの件です」威圧するでもなく事務的な口調に努める。「詳しくお話を聞きたいので開けていただけますか」とはいえ、要求すべきことは要求する。

『……』インターフォンは沈黙してしまったが、替わりに金属のこすれる音。そして、玄関扉が開けられた。

 出てきたのはスウェット姿の男だった。寝起きらしき風采にもかかわらずイケメンオーラをまとっていて、あくびを噛み殺す姿すら様になっている。

 おおう、これがイケメン歌手の力か。

 などと伝説の勇者と相対した魔王軍の四天王(最弱)のように驚嘆しながら、もう一度警察手帳を呈示して名乗った──堂坂も同じく身分を告げた。

「都丸駿平さんでお間違いないですか」蒼介が確認すると、

「ああ」都丸は無愛想にうなずいた。

 じゃあ早速本題に入るとすっか、と口を開こうとしたところで、

「舞が殺されたってのは本当なのか」都丸に先んじられた。

 これには堂坂が答える。「事実だ」こちらも負けず劣らずの愛想のなさだ。「事実だからわたしたちがここにいる」

 言い方もうちょっとどうにかならんのか、と思わなくもないが、もちろん口には出さない。なので、話は進む。

「そう、だよな……」と消沈するように答えた都丸に対し、

「早野さんのスマートフォンに都丸さんとの交際を窺わせるやり取りが残っていた。彼女との関係は恋人同士ということでいいか」と堂坂は冷たく言う。

「……ああ、そうだよ、俺たちは付き合ってる・・・・・・

 テイル形を用いたことが都丸の心情を表しているように蒼介には感じられた。

 堂坂が問う。「合鍵は持っているのか」

「持ってるよ」隠そうとするでもなくすんなりと認めた。そのうえ、「持ってこようか」と殊勝なことまで自ら口にした。

「ああ、頼む」鉄仮面のまま堂坂は答えた──ほんとこの人、愛想とか愛嬌とかないんかな、などと考えている間に、都丸は、「ちょっと待っててくれ」と残し、部屋に入っていった。

 少しして戻ってきた彼の手には幾つかの鍵が付いたキーホルダーがあった。「これがそうだ」と言って、そのうちの一つ、赤い革製のキーカバーが付けられた鍵をつまんで差し出すようにして見せてくれた──キーカバーとは鍵の持ち手を覆うカバーのことで、お洒落や傷防止のため、あるいは合鍵を作るための鍵番号を隠すために使われる。

 綿製の白い手袋を着けた堂坂が、キーホルダーごと合鍵を受け取る。車の鍵などとまとめて管理しているようだった。鍵束が揺れ、カチャカチャと鳴った。

 蒼介の目には何の変哲もない普通の鍵に見える。それを見ながら堂坂が尋ねる。「早野さんが亡くなった昨夜七時三十分ごろに、これはどこにあった?」

 遠回しに都丸のアリバイを尋ねている。それは聞かれた彼自身もわかっているようで、眉間の、手入れに力を入れているであろうきれいな肌を歪めた。「俺を疑ってんのか?」先ほどよりも不機嫌さをあからさまにしている。

「まぁな」堂坂は何でもないことのように肯定した。「恋人が犯人というケースは少なくない。加えて、都丸さんは合鍵を持っている。悪いが、警察としては疑わなければならないんだよ」

「そうかよ」こもごもの感情を吐き捨てるように言って都丸は、けれどすべてを吐き出すことはできなかったのか、「アリバイならある、完璧なやつがな」と苛立ったような声で答えた。

「完璧なアリバイ?」蒼介は、思わずオウム返しに疑問の声を発していた。アリバイがあるという事実もさることながら、その言い方が、まるでミステリードラマに登場する被疑者のようで興味を惹かれたのだ。

 二枚目の都丸ならば、しれっとドラマに出演していてもおかしくはないことが、余計に演劇じみた雰囲気を濃くしている。

 そんな、被疑者役の似合いそうな都丸は蒼介に、「ああ」とうなずいてみせてから、言う。「昨日の夜は、六時から八時まで大弥矢駅前の広場で歌ってたんだ──路上ライブってやつだな。で、その時間、鍵はずっとボトムスのポケットに入れていた」な、完璧だろ? と台詞を締めくくった。

 たしかに無敵のアリバイだな、と蒼介も思う。ついでに、この人歌手じゃなくて役者やったほうがいいんじゃね、とも思う。たぶん女性から人気になるんじゃないかな。

「ふむ」とまじめ腐った顔で応じて堂坂は、質問を重ねる。「ライブは一人でやっていたのか?」

「ああ、そうだよ。グループで活動してるわけじゃねぇからな」

「それでは、あなたがその時間に駅前でライブをしていた、と証言できる人はいるか?」

「はぁ? 証言?」都丸は声を裏返すようにして語尾を上げた。小馬鹿にするように、「そんなもん、通行人でも捜せばいいじゃねぇか」

「まぁそうだな」と堂坂は軽く受け流し、「合鍵についてだが、ポケットに入れていたというのは確かなのか──思い違いをしている可能性はないのか?」

「いや、あのな」都丸はあきれ顔を浮かべた。「それ言い出したら切りがないだろ。少なくとも俺の認識ではポケットに入っていたし、実際、このマンションを出た時にポケットに仕舞った記憶もあるし、車を運転する時に右のポケットからキーホルダーを取り出した記憶もある。流石にまだボケてねぇし、勘違いではないと思うけどな」

 刑事相手、しかも堅苦しい表情の、性格のキツそうな美人に疑われているというのに随分と堂々としたものだ、と蒼介は感心した。きっと、顔のいいシンガーソングライターというモテ要素の塊だから女慣れしてるんだな、と得心もする──何か違う気がしないでもない。

「ライブのことなんですが」蒼介も質問を挟む。「歌を聴いていた方がその時の動画をSNSに上げたりはしていませんか?」それがあればアリバイの証言者捜しのために足を棒にしなくてすむかもしれない。

「あー」どうだろうな、と視線を左上に向けるも、「スマホを向けられていたから動画なり写真なりは撮られていたとは思うけどよ、そいつがそれをどうしたかまではわからねぇよ。昨日今日はエゴサもしてねぇしな」

「そうですか」SNSへの露出具合を見るに承認欲求が強そう──マメにエゴサしてそう、と思って聞いてみたのだが、空振ってしまった。

「ライブの時は一人だったと言ったが、それはライブに向かうためにこのマンションを出てから帰ってくるまでずっと一人だったということか?」堂坂の質問の仕方には、わずかな取り零しさえ認めないという意思が表れていた。

「──ん、あー、厳密に言やぁちょっと違うな」

 おや? と思った。都丸は今、答える前にほんの一瞬、本当に刹那と表現しうる時間だけ逡巡しゅんじゅんの色をにじませた──ように見えたのだ。気のせいか?

 悩む蒼介をよそに都丸の舌は動く。「ライブが終わって車のとこまで戻る時、聴いてくれてた女の子と途中まで話しながら歩いたんだよ。何回も聴きに来てくれてる子だったからファンサのつもりでな」厳密には違うっつってもそんくらいだよ、と言い足した。

「車を駐めていたのは、近くのコインパーキングか?」堂坂の問いは、防犯カメラのチェックを想定してのものに違いなかった。

「いや、違う」都丸が言うには、「アパートの空き駐車場に駐めさせてもらっていた」ということらしい。防犯カメラは期待できないかもしれない。

「アパートの駐車場というと、知人のですか?」契約者以外の利用という、契約違反になるケースの多い行為は措いて尋ねると、

「そうじゃなくて、そういう駐車場を借りられるサイトがあるんだよ」と言う。「別に違法とかじゃねぇからな」

「すみません、知らなかったもので」と応じ、「では、そのサイトと借りた駐車場のあるアパートを教えていただけますか」

「ああ、サイト名は──」

 その後も事情聴取は続き、蒼介たちが都丸のマンションを後にしたのは、空腹感高まる午前十一時半前であった。

 預かった合鍵を捜査車両の後部座席に置かれたバッグに仕舞い、運転席に乗り込むと蒼介は、助手席に座った堂坂に尋ねた。「都丸はどうですかね。俺の所感では少し怪しいと思うんすけど」

「そうだな、何かを隠しているふうにも見えたのは、たしかだ」

「ですよね」と相づちを打ちつつ車を発進させる。目的地は決まっていないが、ひとまず都丸のマンションから離れようという意図だ。

「しかし、あのアリバイは相当に堅い。仮に都丸が事件に関与していたとしても実行犯ではないだろうな」

 そういえば、とつぶやいて蒼介は、「最初、黒っぽくはないって言ってたのは何だったんですか?」

「ああ、あれか」堂坂は、一見すると仏頂面に見える、通常時の表情のまま答える。「施錠されていたと考えられる部屋で殺人事件があった場合、まっさきに合鍵を持つ人間が疑われるというのは子供でもわかることだ。それなら都丸としては、殺人を計画するに際してそういった状況での殺人は避けようとするはず。この人情に反して彼がその不利な状況での殺人を実行したのだとすると、最低限、自分が合鍵を持っていることを隠すために早野のスマートフォンを処分するぐらいのことはしていないとおかしいんだ。しかし、実際にはスマートフォンは現場に残されていた。単にそこまで考えが及ばなかっただけという可能性もあるにはあるが、それよりも、都丸は犯人ではないと考えたほうが自然かもな、と思ったんだ」

 なるほどー、考えてんなぁー、と思う。合鍵を持つ人間だけが行える犯行だからこそ合鍵を持っているとすぐに判明する人間は犯人ではない、と考えたわけだ。たしかに犯人視点で考えると納得できる話だ。

 ただ、実際に会って話をした感じとしては、若干の引っかかりを覚えたのも事実──ってことは、都丸には共犯者がいるということか? すなわち、

「『鍵はずっとボトムスのポケットに入れていた』というのは嘘ですかね」

「……どうだろうな」堂坂は、道の先にある、イタリア料理のようなものを安価で提供するファミリーレストランの看板に視線をやりつつ、「動機にしろ方法にしろわからないことだらけだから、現時点ではどちらとも言えんな」

 ファミリーレストランを通り過ぎる瞬間、堂坂が眼鏡の位置を直す気配がした。

 食べたかったのか?

 というか、蒼介が食べたい。呼び出されてから今までちゃんとした物は胃に入れていないので、肉体的な空腹感以上に精神的な食欲がある。

「……昼には少し早いですけど、何か食べませんか?」

「そうだな、そうするか」堂坂の返事は早かった。食い込みぎみでさえあったかもしれない。

「……」蒼介が答えずにいると、

「どうした?」堂坂は訝った。

「いえ、堂坂さんって、結構かわいいとこもあるんすね」

「……からかうな」

「すみません」

 蒼介は車をUターンさせた。

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