第ニ章【悲報】人気VTuberが配信中に刺殺されちゃったんだが【名探偵急募】

桜小路蒼介①

『みん、な、はぁ、いまま、で、あ、りがと、はぁはぁ、さよ、な……』



▼▼▼



 実況見分調書、捜査報告書、被害者調書、参考人調書、被疑者調書、捜索差押許可状請求書、鑑定嘱託書、送致書などなど、刑事というものは、とかく大量の書類を作成しなければならない。

 机に向かって勉強するのが昔から苦手な、そして大嫌いな蒼介にとっては悪夢のような現実であるが、稼がなければ生きていけないわけで、したがって今日も今日とて相棒パソコンとの共同作業に精を出していた。

「ふー」一段落つき、蒼介は椅子の背もたれに身体をもたせかけるようにしながら大きく息を吐いた。

 パソコン画面右下に視線をやると、十八時七分を表示していた。どうりで空腹なわけだ。

 今日はここまでにすっか──そう思い、片付けに取りかかろうとした時、

会田あいだの調書はできたか?」

 後ろから質問が飛んできた。

 安っぽい椅子をくるりと回転させて声の主に身体の正面を向け、「できてますよ」と答える。

「なら、よし」

 尊大な口調でそう言ったのは、蒼介の元指導係の先輩刑事、堂坂どうさか千尋ちひろ警部補だ。ノンキャリアながら三十歳という若さで警部補にまでなった彼女──現在は三十三歳だ──は紛れもなく非凡な人間で、聞けば、親族にはキャリア含め警察官が何人もいるそうだ。おそらく厳しく育てられたのだろう。良くも悪くものびのびと成長してきた蒼介とは能力差があるのもうなずける。ちなみに、八頭身の眼鏡美人である。

「堂坂さんはまだ残るんすか」定時は過ぎているが、捜査一課のオフィスには未だ働いている人間がそれなりにいる。

 しかし堂坂は、「いや」と否定し、「もう上がらせてもらう」腹も減ったしな、と女盛りの美女というよりそこら辺のがさつな男のような言葉遣い。

「……またコンビニですか?」

 一見、隙のない、仕事のできるパーフェクトビューティに見える堂坂だけれど、当然、ダメなところも存在する。彼女は炊事が大嫌いなのだ。やればできるのだろうが、やろうとしない。加えて、食に対するこだわりもほとんどなく、結果、食事は時間効率重視のコンビニ食になることが多いそうだ。

「悪いか?」堂坂は悪びれる様子もなく言う。「何を食おうとわたしの勝手だろう」

「身体壊しますよ」

 堂坂は心底鬱陶うっとうしそうに顔をしかめ、「お前はわたしの母親か。そういう正論は取調室の中にいる時だけにしてくれ」改心する気はないようだ。情状酌量の余地なしである。「桜小路は自炊してるんだったか」思い出したように聞いてきた。

「してますよ。ガキのころから作ってきたんでなかなかのもんす」

「へー、そりゃあ大変結構なことで」嫌みっぽい語調だ。

 そんなんだから結婚どころか彼氏すらできないんだよ、と内心で毒を吐く蒼介だったが、ふと思いついて、

「よかったら今日うちに来ませんか? ご馳走ちそうしますよ」

「……は?」予想外だったのか、堂坂はスクエアフレームの奥の瞳を丸くした。「どういう風の吹き回しだ?」

「深い意味はないですよ。いつもフォローしてもらってるんで、そのお礼みたいな感じです」

「……お前、そういうことするやつだったんだな」堂坂は意外そうに言った。

「ごく稀に、ですけどね」速攻で断られるだろうな、とダメ元で誘ったのだが、案外、感触は悪くないように思える。「で、どうします?」

「そうだな」と間を取るように言ってから堂坂は、「お邪魔させてもらってもいいか?」

「もちろんいいっすよ──」しかし、懸念材料を発見して、「あ」と洩らした。

「何だ?」

「堂坂さんって、子供は大丈夫でしたっけ?」

「は? 子供?」と堂坂はその顔に疑問符を浮かべたものの、すぐに、「ああ、年の離れた妹がいるんだったな」と答えにたどり着いた。

「そうっす、今、小三なんですけど」

「わたしは問題ないぞ──」ただ、と置き、「妹さんのほうが嫌がるかもしれん。なぜかわからんが、子供に好かれたことがないんだよ」

 表情が硬いせいでビビらせてんだよ、それ、と蒼介は思ったが、「でも、たぶんうちの雫由は大丈夫ですよ。ちょっと変わってはいますけど、大人っぽい子なんで」

「そうか? それならいいんだが」

「それじゃあ──」来てくれるってことでいいですか、と確認しようとしたところで再び不安要素に気づき、「あ」と発した。

「今度は何だ?」心なしか若干のあきれを含んだ声色だ。

「帰りに食材買ってかなきゃいけないんで買い物に付き合ってもらってもいいですか?」

「何だ、そんなことか」堂坂は拍子抜けしたように語気を弱めた。「何なら荷物持ちぐらいはするぞ?」

「あ、じゃあお願いします」といっても、荷物持ちが必要になるほど大量に買うつもりはないのだけれど。「何かリクエストとかってあります?」

 堂坂は数瞬、考える素振りを見せてから、「──魚かな。白身魚が食いたい」

「了解っす」

 というわけで、蒼介と堂坂はさくさくと帰り支度を済ませ、そろってオフィスを後にした。

 のだが、一部始終に聞き耳を立てていたらしい課長の白田から意味深長な笑みを向けられたことは、誠に遺憾であった。



 一年ほど前に亡くなった父から相続した蒼介の自宅は、いわゆる閑静な住宅街にある、二階建てのごく一般的な一戸建てだ。立地を考慮すると、築年数がかさんでいるとはいえ未だそれなりの資産価値はあるだろう。

 十九時ぴったりに蒼介たちはその、まぁまぁ悪くない家に到着した。

「いい所に住んでるじゃないか」堂坂の口ぶりからは言葉以上のものは窺えない。素直に褒めているようだった。

 一方、蒼介は、

「古いですけどね」

 とネガティブな言葉を返しつつ、玄関扉を開けた。「どうぞ」

 お邪魔します、とそこだけ妙に丁寧な口調で言って堂坂は、黒いローヒールパンプスを脱ぎ、淑女然とした所作で出船でふね状態にそろえた。

「……堂坂さんって、育ち良さそうですよね」それなのにどうして自炊をしようとしないのか、いや、だからか、と自問自答する蒼介に、

「厳しくはあったかもな」さらりと答えた。「まぁ、そう珍しくもないさ」

 千尋お嬢様とお呼びしたほうがよろしいでしょうか? とふざけると、

「お嬢様はやめろ、そんな年齢じゃない」と跳ね返ってきた。

「お嬢様呼びの基準って、未婚か既婚かじゃないっすか?」

 などとやりつつ買い物袋片手に廊下を進み、リビングダイニングのドアを開けた。「ただいまー」

 しかし、「おかえり」という返事はなかった──理由はすぐに判明した。雫由はソファですやすやと眠っていたのだ。普段の大人びた雰囲気は鳴りを潜め、年相応のかわいらしさが前面に出ている。

「この子が妹さんか?」状況的に明らかなのだから、この質問は儀礼的なものだろう。

「そうです、義妹いもうとの雫由です」

「へぇー」と堂坂は含みのある調子で相づち。

「何か気になることでもありましたか?」

「全然似てないな、と思ってな」

「あー、なるほど」そりゃあそうでしょ、と思う。似てたら怖いわ、とも。「親父の再婚相手の連れ子なんですよ、この子」

 今度は堂坂が納得の表情を見せた。「だからこんなに年が離れているのか」

「お相手の女性が若かったんです」生前の父の様子を思い浮かべると懐かしい気持ちが湧いてきた。思い出が自然と口から零れる。「親父と雫由は祖父と孫ぐらいの年齢差があったんですけど、そのせいか、親父のやつ、まるで初孫にするみたいに猫かわいがりしてたんですよね」彼らのやり取りを見た蒼介は、何とも形容しがたい、強いて言えばぬるい羞恥心のような感情を覚えたものだ。

「ふふ」と柔らかい微笑を洩らした堂坂は、再び雫由に視線をやり、「かわいらしい容姿をしているしな、お前と違って」

「へいへい──」どうせ俺の見てくれはたいしたことないですよ、と言おうとしたところで、

「ぅぅん……」ソファの上の小さな身体が動いた。やがてむくりと身を起こした雫由は、蒼介の横に立つ堂坂を見つけると、「……あなたが堂坂千尋さん?」といつもの淡々とした語調で尋ねた──庁舎を出る前に雫由のスマートフォンに来客を伝えるメッセージを送っておいたのだ。

「堂坂千尋だ。よろしくな」堂坂は男くさく言った。

 雫由はこくりとうなずき、「桜小路雫由、小三」と端的に自己紹介──したかと思うと、はっとしたように壁の時計に目をやった。時刻は午後の七時を数分過ぎたところだった。

「どうしたんだ?」

 蒼介が問うと、

響華きょうかちゃんの配信」

 やはり雫由は短く答え、とてとてとリビングの隅にあるデスクトップパソコンの所に移動した。

「響華ちゃん?」堂坂が質問を寄越す。「友人か何かか?」

 そういう反応になるよな、と苦笑い──堂坂がむっとした顔をしたので、すかさず、「堂坂さんはVTuberってわかります?」と説明に入る。

 しかし堂坂は、「バカにしてるのか? それくらい知ってるに決まってるだろ」と更に膨れてしまった。

「念のためですよ。そう怒らないでください」

 VTuberとは、簡単に言えば、アニメキャラクターっぽいアバターを使って動画の配信などを行う者のことだ。響華ちゃん──天雲てんくも響華もそのVTuberの一人で、アイドル系の大手VTuber事務所〈さいば~きゃんどるず〉に所属している。動画共有サイトのチャンネル登録者数は驚異の百五十万人超え。ちなみに、雫由曰く、彼女の中の人は埼玉県埼玉市在住らしい。別世界の住民のようでいて、案外、身近にいるのかもしれない。

 蒼介は続ける。「最近、VTuberって流行ってるじゃないですか。雫由もハマっちゃったみたいで、ライブ配信とかをよく観るんですよ」

「すると響華ちゃんというのは、その、ぶいちゅーばーなのか」堂坂は、横文字アレルギーの重症患者であるかのようにぎこちなく言った。

「そうです」と答えつつ、本当にVTuberのこと知ってたのかよ、と疑いの眼差しを送る。

「何だ?」

「いえ、たいしたことじゃないです──」それより、と強引に話を終わらせ、「そろそろ料理に取りかかるんで、そうですね、堂坂さんはそこら辺で適当にくつろいでてください──あ、飲み物は先に出しますね」

「ああ、頼む」

 蒼介は買い物袋を持ってキッチン──この家のキッチンは、リビングダイニングと別々の、いわゆるクローズドキッチンだ──へと向かった。サクッとお茶を入れてリビングダイニングに持っていくと、堂坂は雫由に話しかけていた。

 どうやら暇を持て余してVTuberに手を出そうとしているようだった。

「お茶、置いときますんで」と声を掛け、「ありがとう」という返事を聞きながら蒼介はキッチンに戻った。

 よっしゃ、やりますか!


 

 十九時四十三分、たらのムニエルが完成し、すべての料理がそろった。食欲をそそる香気こうきがキッチンを満たしている。我ながらうまそうだ、と自画自賛。

 よし、と満足げに一つうなずき、リビングダイニングに持っていく。

「お待たせしましたー」とリビングダイニングに入った蒼介はしかし、困惑顔の雫由と難しい顔をした堂坂を認めて首をかしげた。少し古い型のデスクトップパソコンの前にいる彼女たちに、「どうしました? 何かありましたか?」と尋ねる。

「──ん?」とたった今蒼介の存在に気づいたように声を発して堂坂は、「ああ、すまん、考え込んでいた」

 考え込んでいたって、何をだよ、と怪訝に思い、先を促すように黙すると堂坂は期待に応え、

「この、天雲響華というVTuber、何者かに殺されてしまったかもしれん」

「!?」まさかこのタイミングでそんな物騒な言葉を耳にするとは思っていなかった。蒼介は驚愕し、「どういうことですか? ライブ配信中に襲われたってことですか?」

「ああ、その可能性もあるとわたしは見ている」と歯切れの悪い返事。「ただ、このVTuberというものは本人の映像が見れるわけではないから、音声からの推測にすぎないのだがな」

 パソコン画面に目をやると、ゲームの一時停止ポーズ画面らしきものと微動だにしないえ絵調の3Dモデルの茶髪美女が映されていた。

「具体的には何があったんですか?」

 蒼介の問いに、ああ、と相づちを打ってから堂坂は説明を始めた。

 ──VTuber・天雲響華の今夜のライブ配信は、有名サバイバルホラーゲームの実況縛りプレイであった。当初は順調にこなしていて、初期装備縛りのノーダメージプレイに視聴者たちの反応も上々。いい雰囲気のままライブ配信は進んでいたが、十九時三十分ごろ、響華は突然後ろを振り返り、『え、あれ、どうして……』と困惑したような声を発した。ゲームに対してではない。彼女のプレイにミスはなく、また、彼女はこのゲームを熟知しているらしく、これらのことからも、まるで未知の敵や仕掛けギミックに遭遇したかのようなこの反応がゲームへのものとは考えにくい。

 リアルのほうで何かがあったのだろう、とよくしつけられた視聴者たちも察したようで、『どうした』『誰か来たのか』『しっかり攻撃を回避してからポーズしてんの流石すぎww』などとコメントしていた。

 しかし、響華は何も言わずにミュート状態にしてしまった。アバターの美女も固まってしまったことからトラッキングも解除されたようだった。

 今度は視聴者たちが当惑する番だった。『おいおい珍しいな』『まさか “弟” か』『草』『彼氏炎上芸は先輩の持ちネタなんだがなぁ』『切り抜き確定じゃんw』『炎上期待』『とりあえず炎上祝いな(投げ銭スーパーチャット・50000円)』などと不安感(?)が漂っていた。雫由も、「おかしい。響華ちゃんらしくない」と言い、眉間のしわを深くした。

 事態が動いたのは、それから十分ほどが経過して十九時三十九分になった時だった。やはり唐突にミュートを解除した響華が、盛り上がる視聴者たちに向かって息も絶え絶えに言ったのだ。

『みん、な、はぁ、いまま、で、あ、りがと、はぁはぁ、さよ、な……』

 ただならぬ様子に歴戦の視聴者たちも宇宙の彼方かなたに意図的に忘れてきていたまじめさを取り戻し、『おい、ヤバいんじゃねぇか』『何かのドッキリだよな?』『返事してくれ』『救急車呼んだほうがいいんじゃ』『今電話してる』など、機敏な対応を見せた。

 その後は響華が言葉を発することもゲームの一時停止が解除されることもなく現在に至る。

 嘘だろそんなのありかよ、というのが蒼介の率直な感想だった。

「ドッキリではないんですか?──」そうだ、と蒼介は尋ねた直後に思いついた。「SNSはどうなってます? ネタばらしみたいなものは上げられてないですか?」

 堂坂に聞いたのだが、これには雫由が答えた。

「響華ちゃんのアカウントはどれも更新されてない」雫由は自分のスマートフォンをいじりながら、「事務所の公式アカウントからも、『現在、事実関係を確認中です』としか発表されていない」

 ドッキリにしてはネタばらしが遅い。何かにつけて炎上しがちなVTuber業界でこういう対応をするのは、そうせざるを得ない状況にあるから──蒼介はその可能性を否定しきれない。嫌な予感が鼓動を加速させる。眉間に力が入る。

「お前はどう思う?」堂坂に問われた。「やはりタチの悪いドッキリだと思うか?──」それとも……、と彼女はその後の言葉は皆まで言わなかった。

 わかりません、と言いたいところだが、「何者かに襲われた──そう考えるのが自然……かもしれません」

 そうか、と静かに応じて堂坂は、パソコン画面の中で彫像のように佇む美女を見ながら、「この子」と、まるで小学生の子供を指すかのように言い、「埼玉市に住んでるんだよな?」

「みたいです」蒼介が肯首し、

「うん、たぶんこの家からもそんなに遠くない」雫由が付け足した。

「教えてくれてありがとう」堂坂は律儀に雫由に礼を述べ、それから表情を引き締めて蒼介の目を見て、

「いつ呼び出されてもいいように準備しておけ」

 だよなぁ、と心の中で嘆息。夜中に仕事をしたくはないが、比較的若くて独身で下っ端巡査部長の蒼介が呼ばれる蓋然性がいぜんせいは極めて高いように思われた。残念ながら。

「はぁ」と今度は実際に太い息を吐き、「とりあえず晩ごはん食べませんか」腹が減っては何とやら。腹ごしらえはしておきたい。

「すまんな」堂坂に謝るべき落ち度はないのだが、彼女の顔には罪悪感のようなものが浮かんでいた。

「結構上手くいったんで期待していいですよ」

 そう言って蒼介はテーブルの料理へ視線を送った。柚子ゆず果汁を入れたムニエルソースは自信作だ。きっと堂坂も気に入ってくれるだろう。

 これを期に自炊に目覚めてくれればいいのだが──そんなことを考えた。無論、現実逃避だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る