歴史実録! クリミア

愛LOVEルピア☆ミ

第1話

クリミア紛争2014

前書き


ノンフィクションですが、真実は闇の中なので、読みやすくするために軽く盛ります

真実と事実と現実は主観を含めて同一ではないかも知れませんね

なお、多くのソースはwiki、各新聞社の通信、各国ホームページの記載、国連の発表等、当時のリアルタイムでの執筆です



 黒海。ヨーロッパとアジアの間にあり、ウクライナ、ロシア、グルジア、トルコ、ブルガリア、ルーマニアといった国々に囲まれた海。



 海が囲まれているなど不思議と思うかも知れないが、確かに囲まれている。トルコ西部、ボスボラス海峡、ダーダルネス海峡に囲まれたマルマラ海を経由し地中海に繋がっているのだ。

 その海峡は一キロにも満たない河のような幅で、アンカラからイスタンブールへ向かう道は海の上を通っている。



 そんな黒海、ウクライナの南部に地峡があり、その先にひし形の半島が存在している。クリム半島。そこにはクリム人の国、クリミアがあった。クリミア自治共和国はウクライナを構成する自治国家の一つで、ロシア人、ウクライナ人、タタール人が住んでいる。



 そのクリミア南西には古くからの港街、セヴァストポリ市が特別区として区分けされていた。ロシア黒海艦隊の根拠地、軍港の要塞都市として知られている街。

 都市自体に様々な歴史があり、複雑な扱いもあるが、事実としてロシア軍がそこに駐留している。主権者が望もうが望むまいがだ。


 2014年2月27日。何のことは無いいつもの日、突如としてクリミア自治共和国内に軍服の集団が現れた。記章は着けておらず、ロシア語を話す短髪の男達。


 クリミア警察は当然彼らを誰何し、武装を咎め拘束しようとした。ところが軍服集団は兵器を武装していて、明らかに指揮官により統率されていた。

 軍の補助機関である警察部隊だが、相手が本職の軍隊では敵うはずもない。抵抗虚しく地方政府庁舎と議会会議場へ向かわせてしまう。



 同時にアルムヤンスク地峡――クリミアとウクライナを繋ぐ主たる地続きがある、クリミア北西部を不明の武装集団が封鎖。もう一つある北東部の橋、プレスモストノエ側も通行を遮断、一切の連絡を禁止してしまった。



 緊急事態を嗅ぎ付けた報道が、ロシアを疑うが行為を否定。国際社会はロシア系武装勢力と濁して放送を行った。



「大変な事態が起きています。クリミア自治共和国議会がロシア系武装勢力に占拠されました!」


 武装勢力はウクライナの介入を退ける為に要所を占拠し、翌28日にはシンフェロポリ空港まで支配下に収めてしまう。各国がロシアに事実確認を求めるが、無関係で遺憾とのコメントを発表するに留まった。


 騒乱が続く中でクリミア議会は、ウクライナの暫定政権を承認していたモギリョフ自治共和国首相を解任してしまう。だが会議は非公開、ロシア系武装勢力が議場を制圧している中で執り行われた。


 では法的効力があるのかというと怪しい。ウクライナ法では解任に大統領の承認が必要と規定されているからだ。そもそもの出席議員数が少数であったとの見方が強く、選出されたのが親露派のアクショーノフ新首相ということで状況証拠が色濃く出ていた。



 3月1日。新首相へ住民の声という形で様々な状況が伝えられた。その中でも多くを占めていたのが「ロシア系住民の保護」を求めるものである。

 クリミアに住む人口構成比率、五割強がロシア系なのだ。ウクライナ人は四人に一人でしかない、タタール人は更にその半分。


 国家として関与の否定を続けていたロシア。3月1日に上院である承認を行った、それはロシア軍がウクライナ並びにクリミアで、社会や政治が安定、正常化するまで軍事力を行使するといった内容だった。

 これまでは軍を使っておらず、これからは使うことを認めると言う宣言。もちろんウクライナの承認など受けてはいない、一方的な話である。



 ところが驚くことに、ロシア軍――ロシア陸軍、ロシア海軍、もっと詳しく言うならば、黒海艦隊と第22独立親衛特殊任務旅団の一部が即日半島の多くの施設を占拠。一気に実効支配を行ってしまった。



 そして翌2日になり、アクショーノフ新首相が国民の声だとしてロシアのプーチン大統領へ宛て援助を要請。すると直ぐに「クリミア自治共和国内の平和と安定のため、援助を差し伸べる」とロシア大統領声明が発せられた。

 ロシア上院との時系列が逆ならまだわかるが、これが正しい順番だ。なんと準備が良い議論を上院は行っていたのだろうか。



 快い返答に対して、アクショーノフ首相は治安部隊の派遣を求めた。プーチン大統領は即座に了承している。


 このような行いに異議を唱えるアメリカ、オバマ大統領がプーチン大統領へ電話で憂慮を伝えた。これは残念だ、不安だ程度の表現でありそこまで重大さがある響きではない。

 ウクライナ暫定政府のガッカリする姿が浮かぶ。



 取り残されたウクライナ海軍は頭を抱えた。ロシア系武装勢力だけならまだしも、ロシア軍が堂々と出張ってきたのだ、戦っても結果は明らかだ。

 ベレゾフスキー海軍少将は2日の朝、ウクライナ国防大臣テニュフによりセヴァストポリの死守を命じられていた。前日に大統領代行トゥルチノフから海軍総司令官に任命され、大事を乗り切って欲しいとの言葉なのは解る。



 ロシア軍海軍歩兵隊、そして多数の艦艇がセヴァストポリに籠るウクライナ海軍を包囲する。要塞都市だ、徹底抗戦するならばそう簡単には陥落しない。また市民もそのような精神に富んでいる、そういう歴史があるのだ。



 固唾を飲んで見守る多くの住民、そして軍兵。ベレゾフスキー少将は決断した。


「私はクリミアおよびセヴァストポリへの忠誠を宣言する。駐留軍はクリミア議会、そして議長たる首相、政府へ降伏を申し入れる」


 3日。宣言を受けてベレゾフスキー少将を解任、ウクライナへの国家反逆罪を適用するとした。また降伏に反対する提督からハイドゥク少将を新たに海軍総司令官に任命した。

 ベレゾフスキー少将の家族がこの時点で行方不明との報道もある。人質にされていたのだろうことは容易に想像可能だ。憶測でしかないが、一番納得いく答えでもあると言えそうだ。


 ロシア政府も手を緩めない。ソチで予定されているG8サミット、これをボイコットすると発表した。度重なる諸外国の干渉への答えというわけだ。


 テニュフ国防大臣は「1日時点でロシア軍はクリミアに六千人以上の兵を送り込んできている」と大まかではあるが実数を示唆してきた。言うからにはそれなりの根拠があるだろうし、六万でも六百でもなく六千に近いのが信じられる。


 インタファクス通信もまた、アクショーノフ首相が「ロシア軍が共和国内の主要施設を守ってくれている」などと伝えた。


 そもそもがクリミアは自治共和国だった。ところが小政党のロシアの統一・党首アクショーノフが首相に就いてから。クリミア共和国に名を変えていた。


 一連の騒動でロシアは株式暴落、通貨下落、経済に大打撃を被る。ウクライナの株式も情勢不安で投げ売りが続き、ついには二桁安をつけてしまった。4日の時点でウクライナの大使が「ロシア軍は一万六千人を投入してきている」等と発言した。


 EUが両国の調停に乗り出そうと言い始める、ところがロシアに配慮する国が混ざっているので意見がまとまらない。ロシアは資源大国だ。ウクライナへのガス輸出、この価格を膨大な数字に変更、経済で締め上げる手段も混ぜてきた。

 当然国際社会は猛反発するが実効能力を持たない意見を容れる程、ロシアも甘くは無かった。


 イギリスのキャメロン首相が驚く声明を発表した。

 「ロシアはクリミアでの方針を変更しない限り、大きな代償を支払うことになるだろう」「ロシア政府の主要な人物へのビザ発給禁止を検討している」「ロシアへの貿易制裁には反対」

 なんとEUとの歩調を乱し、金融面で今まで通り付き合うと言ったのだ。抜け駆けに対して各国の反応もまたバラバラで、損しても誰も補填してくれないとの考えが意外と多かった。


 ロシア黒海艦隊司令官ヴィトコ中将は4日夕方に ウクライナ海軍司令部を訪れ、ウクライナ海軍司令官ハイドゥク少将と会談を行っている。そう報道がなされた、ところが相反する声明もまた出された。

 ロシアは軍を撤退させるというものだ。これによりウクライナ危機が後退したと世界が安堵を漏らす。言葉の通りするわけがないが、一応の収束を見せ始める。


 だが各所でロシア軍が見られ、撤退の意志が伺えない。それを指摘するとプーチン大統領は「それらは地元の自警団だろう」とにべもなく言い放つ。


 オバマ大統領も自由陣営を代表し「ロシアには騙されない」と明言する。ロシア外務大臣もまた「自衛団でありロシア軍ではない」重ねて宣言した。


 6日。米ロなど五カ国外相、ウクライナ問題で会合を行う。そこでは明確な進展は見られなかった。国連のクリミア視察団が入国するが、謎の武装集団が視察を妨害した。


 そして重大な転機が訪れることとなる。

 「クリミア、ロシア編入の是非問う住民投票を16日に実施」との報道が流れ、国際社会に新たな火種が投げ込まれるのであった。



 それは何の前触れもなく行われた。2014年3月11日。クリミア共和国政府が重大声明を発表したのだ。アクショーノフ首相が映像に現れ「クリミア共和国は一つの国として独立を宣言する」民族のアイデンティティーを主張し、国家であることを殊更強調して。


 当然ウクライナ暫定政府はそれを認めないと声明を出す。

「クリミア自治共和国はウクライナという国と同一の存在であり、不可分である。独立を認めないし、クリミア共和国などと言うのも認められるものではない」


 反対声明に対して特に反応を見せないクリミア、不気味な感じがする。毎日のように小競り合いが起こるが、小規模のまま沈静化するというのが繰り返された。


 ロシア軍がウクライナとの国境付近に進軍、すぐにウクライナから後退するように要求が突きつけられた。目標がクリミアからウクライナ本土になっているかのような行動に、世界中が不安を抱く。


 住民投票の準備が進められる中、欧米は投票自体が違法行為だと断じる。そんなものどこ吹く風でついに前日になってしまう。


 16日。クリミア共和国中央選挙管理委員会がクリミア・セヴァストポリの国民投票結果を発表した。それぞれが別個に投票し、その結果に従うといったものだ。


「クリミア共和国は住民投票の結果、九十パーセント以上の独立、ロシアへの編入に賛成するという意志が示された。よって可決を宣言する」


 セヴァストポリでも同様の宣言がなされた。が、国際社会はそんな嘘っぱちな結果を受け入れることは出来ないと抗議を明らかにする。


 あるNGO団体、そしてウクライナ暫定政府、国連等が指摘をした。

 「選挙名簿の改変が容易であり信頼に値しない」「出口調査の結果とあまりにも乖離しすぎている」「そもそもが違法行為であり無効だ」「セヴァストポリでは有権者数より九十九万票も過剰に投票されている」あまりにも雑な部分が明るみに出てきていた。


 選挙に詳しい人物の見立てでは半数も賛成を得られていなかったのではないか、そう読んでいた。それがただの想像でないことがすぐに証明される。


 結果を受けてウクライナ暫定政府は予備役兵数万の招集命令を出した、これにより再度緊張が高まる。


 17日。ロシアはクリミア共和国の独立を承認。プーチン大統領は上下両院議員、社会団体代表、地域指導者らを前にして演説を行った。


「ロシアはクリミア共和国の住民投票の結果を尊重し、国家として独立を承認する。元々フルシチョフがウクライナへ割譲したのには法的根拠が無かった、クリミアはロシアの領土であり、一つの国家だった。その国民が自由と独立を勝ち取ったことを嬉しく思う。ロシアは争いを望んではいない、領土的な野心もまた持ち合わせてはいない。ロシアへの制裁決議は効果など無く、今後もロシアはロシア人、ロシア語を話す人々の利益を守り続ける」


 長々と演説を行ったプーチン大統領は次々と既成事実を固めて行く。クリミアとセヴァストポリを新しい連邦構成主体としてロシア連邦に編入する関連法案の可決をロシア議会に求めた。


 18日。プーチン大統領とアクショーノフ首相、クリミア国家評議会――元の最高評議会――コンスタンチノフ議長、セヴァストポリ特別市評議会のチャリ議長が集まると、二国間条約を締結する。

 セヴァストポリ市はクリミアの一部であるとし、市域を特別区という形で包括的な扱いに定めることにした。


 クリミア共和国に残っていた副首相テルミガリエフが「ウクライナ・フリヴニャを流通終了し、ロシア・ルーブルへ変更する」貨幣の切り替えを宣言。


 インタファクス通信によると「EU大統領、ロシア大統領と会談」「ロシアはウクライナの分断を求めない」「ロシアへの制裁で欧州足並みそろわず」これらの報道でロシアが持ち直してきたと判断、経済が落ち着きを取り戻してくる。


 19日。ロシア・シルアノフ財務大臣「クリミア・セヴァストポリの債務五百五十億ルーブルをロシア連邦政府が引き受ける」ことを発表する。


 クリミアのウクライナ海軍司令部へ親ロシア派が侵入、司令長官を連行したと報道がなされる。クリミア政府、半島内の港湾を全て掌握したと発表。


 20日。ロシア下院がクリミア・セヴァストポリ編入法案を四百四十三対一で可決。上院も百五十五の全会一致で可決、批准を承認した。


 ロシア外務省はクリミア住民へ向けて旅券の発給を開始。編入手続きを七日以内に完了すると発表。アメリカがロシアへ経済制裁発動。ウクライナ国防省がクリミアで軍艦が武装勢力に占拠されたと発表した。


 クリミア・タタール人の代表機関メジュリス、ロシア人権発展評議会、その他複数の調査機関の選挙調査が明らかにされた。すると投票率は五十パーセント程度、ロシアへの編入を望んでいるのは三十から四十パーセントでしかなった。ウクライナへの残留希望はこれまた四十パーセントで、残りは白票とのことだ。


 ウクライナ暫定政府は「クリミアは過去も、現在も、未来もウクライナの一部である」明確に反対を表明し、ロシア人への入国ビザを発行拒否、可能な限りの対抗措置を取る。


 アメリカ、イギリス、ドイツ、トルコなどがロシアを名指しで非難し、その編入を認めないと宣言している。

 中国やインドなどは対立の激化を誘うような制裁は控えるべきだとの態度を取っていた。

 いつしかクリミアという国のことは国際社会の記憶から薄れていく。年月が流れても未だに紛争は解決していない、それでもそこで暮らす人は今を生きている。

 激動の2014年はクリミアという国で決して忘れられない年になっただろう。それが団結への一歩だったのか、諦めへの始まりだったのかはまだ決まっていない。


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