あいつの呪いはまだ消えない

@MeiBen

あいつの呪いはまだ消えない


最近CMでよくLGBTという言葉を耳にするようになった。ニュースでもよくこの単語を聞く。ダイバーシティ、多様性の尊重。

良いことなんだろう。おそらく。

一つだけ話しておきたいことがある。オレが出会った”あいつ”の話。


大学に入った俺はあいつと出会った。中性的な顔立ちのイケメンだった。声は少し高いような気もしたが、個性の範囲内だと思った。あいつは女からモテた。片やオレは全然。オレの顔面はよく言えば塩顔で、悪く言えば不細工だ。今でもそこまで進歩はしていないが、当時は理系のオタクの典型といった見た目だっただろう。基本的には類は友を呼ぶ。モテる奴らはそいつらでグループをつくり、モテない奴らはそいつらでグループを作る。2極化だな。でもなぜかオレとあいつは知り合い、話すようになった。なぜか一緒に行動する時間も増えていった。俺たちはいつの間にか友達になっていた。きっかけは講義で組を作るように言われて、その時に隣の席に座っていたことだった。

あいつは文系だった。俺は理系。2回生になってからは同じ講義をとることもなくなった。でもよくあいつと食堂で会ってご飯を食べた。趣味も好きなものも全然違った。ただ一つ。二人とも本が好きだった。それぐらいだ。あれ?そう言えば、好きなバンドも一緒だったか?


あいつがLGBTのTであることを知ったのは出会ってから数か月後だった。一緒にトイレに行くときに、あいつが女子トイレに入ろうとするのをオレは止めた。するとあいつは何気なく言った。

「オレ、身体は女だから」

「は?」

「オレ、女なんだよ。体は」

「・・・・ん?」

間抜け面をしていたであろう。

あいつは笑いながら言った。

「後で話そう。もう漏れそうなんだわ」

あいつは女子トイレに入っていった。

俺は茫然としていたが、尿意を思い出して男子トイレに入った。

用を済ませた俺はあいつを待った。少ししてからあいつが出てきた。

「歩きながら話そうぜ」

あいつはオレを促した。

少し間があったおかげでオレはだいたいの整理がついていた。つまり、身体は女で、心は男ということなんだろう。そういう人間がいるということを聞いたことがある。

「トランスジェンダーってやつさ」

あいつは言った。

「そうか」

オレは答える。

「驚いた?」

オレに笑いかけながらあいつは言った。

「そりゃ少しは驚いた」

「そりゃそうやろな」

少し寂しそうな顔をしてあいつは言った。

「みんなそうや」

それからしばらく黙って歩いた。

目的の講義棟についた。ここでオレたちは別れる。オレは一つだけ質問した。

「オレはお前のことどっちやと思ったらええんや?女やと思ったらええんか?男やと思ったらええんか?」

あいつは驚いたという表情で俺を見つめる。女であると聞いたからなのか、あいつの顔がいつもと少し違って見えた。

あいつはオレの目を見ていった。

「オレは男だ。体は女だけどオレは男だ」

あいつは口元を上げて笑っているようにみせようとしていたが、その眼の奥にある悲しみを隠せていなかった。いつも軽口しか言わないオレだがこの時はちゃんと向きあわないといけないと思った。

「わかった」

俺はなるべく軽い調子で言った。

「じゃあ今まで通りやな」

あいつの眼が少し明るくなった気がした。

「ああ、それで頼む」

あいつは少し微笑んだ。たぶん、それは本当の笑みだったと思う。



3年後、あいつは就職した。オレは大学院に進んだ。あいつの就職先は県を一つ跨いでいたが、オレたちは定期的に会っていた。

卒業するまでの3年間も相変わらずだった。共通の友人もできて、みんなでいろんなことをした。あいつはグループの中心でオレはグループのわきにいるのも相変わらずだった。何かすごい事件があったとか、すごいことをしたとかそんなことはない。多くの大学生と同じように俺たちは平凡な毎日を送った。それで楽しかった。

トランスジェンダーであることを告げられてから少しの間はギクシャクしたが忘れっぽいオレはすぐにそんなことは意識しなくなった。

忘れるというのが俺の一番の才能だと思う。そのおかげでオレはあいつと友達のままでいられた。

あいつが就職してからも2,3か月おきぐらいに会って酒を飲んだ。会社の愚痴を聞かされるのだがオレからすると面白かった。大学の外の世界を知る機会が少なかったから。あいつは何だかんだ元気そうだと思った。つらいと口では言っているが、あいつの表情を見るに、十分楽しんでいるのだと思った。






大学院2年目の最初の春。あいつと酒を飲んだ。あいつと会ったのはこれが最後だ。






秋になって、あいつが死んだと聞かされた。自殺だそうだ。葬式の日程を教えてもらった。オレは黒いスーツを着て葬式会場に向かった。香典、お焼香、ネットで調べた通りにした。話声が聞こえる。首を吊ったうんぬん。

一通り終えてオレが帰ろうとして外に出た後で女性に呼び止められた。あいつのお母さんだった。

彼女はオレに封筒を手渡した。

「純からです」

純というのはあいつの名だ。

「オレにですか?」

彼女はうなずく。

俺は彼女から封筒を受け取った。

小さな文字で、でもすごくキレイな文字で“松谷へ”と書かれていた。オレはその場で封筒をあけた。オレは期待した。何で急に自殺なんかしたのか、その理由が書かれていると思った。オレ達は友達だと思っていたから。でも友達だと思っていたのはオレだけだったらしい。

そこに書かれていたのは憎しみの言葉だった。






“オレが死ぬのはお前のせいだ”

“オレはお前のせいで死ぬ”

“お前のせいで自分が分からなくなった”

“オレは男だ”

“オレは男だ”

“身体は女だけどオレは男だ”

“でもオレはお前といるとおかしくなる”

“お前が欲しくなる”

“気持ち悪い”

“気持ち悪い”

“オレはお前に触れてほしくなった”

“お前に全身を触れてほしい”

“お前に触れたい”

“お前の匂いを嗅いでいたい”

“お前に見つめられたい”

“オレは男だ”

“お前も男だ”

“オレはおかしくなったんだ”

“オレは自分が分からなくなった”

“オレは何なのか分からない”

“オレは男か?女か?”

“オレは何だ?”

“オレはオレが何なのか分からなくなった”

“オレはバラバラになった”

“今まで積み上げたものが全部バラバラに砕けた”

“お前のせいだ”

“オレはお前のせいで死ぬ”

“だからせめてお前に呪いをかけることにした”

“忘れっぽいお前でも絶対に忘れられない呪い”

“この手紙を捨てるなよ”

“お前は一生、オレに恨まれて生きろ”




読み終えたオレは手紙を彼女に渡した。

「原因は僕だったみたいですよ」

オレは笑いながら言った。

彼女は少し戸惑いながら手紙を受け取り読み始めた。

オレは彼女の表情が怒りに染まるのを待った。当然だろう。目の前に子供を追い詰めた奴がいるんだ。でもなぜか彼女の表情はどんどん微笑みに変わっていった。

「やっぱり女の子だったんだ」

読み終えた彼女は涙をハンカチで拭ってから呟くように言った。

「ずっとオレは男だって言うから、そう思って育ててきたけど、受け入れなきゃと思って育ててきたけど」

彼女はオレに笑いかけながら言った。

「やっぱり女の子だったんだ」

オレは言った。

「オレのことどうとでもしてもらっていいですよ。純君が死んだのはオレが原因みたいですから」

オレは歯を食いしばる。

彼女はまた笑った。彼女の頬を涙が次々と伝う。

「あなたのせいじゃない。それくらい分かります。そう、たぶん私のせいね。私の育て方が悪かった」

彼女はゆっくりと続ける。

「やっぱり女の子として育てるべきだったのよ、無理にでも。そうすればよかった。そうすれば、あなたみたいな人に出会った時に本当に女の子になれたかもしれないんだから」

彼女はオレの目を見つめて言う。

「あなたのせいじゃない」






最後にあいつと会った時の話だ。

オレたちは居酒屋で飲んでから、オレの部屋に移動して飲みなおしていた。その日のあいつは少し様子がおかしかった。あいつが酔いつぶれるほど酒を飲むのを見たことがなかったが、その日はやくにハイペースで酒を飲んでいた。仕事が大変なんだろうとなんとなく思っていた。

そろそろ終電がなくなりそうという時間になったのでオレは言った。

「おい、そろそろ終電やばいんじゃねーの?」

あいつは答える。

「今日、泊めてくれへん?」

初めてのことだった。あいつが泊まると言ったのは。長い付き合いだったが、あいつはオレの部屋に泊まったことはない。あいつは酔いつぶれもしないし、多忙な奴だったから特に何も思うところはなかった。

オレは少し驚いたがすぐに返答した。

「別にええけど、珍しいな?」

「ええやん。たまにはさ」

「ええよ、別に」

なぜかは分からなかったが急に二人の間に沈黙が訪れた。オレはテレビに集中しているふりをした。長い沈黙。

「なあ?」

あいつが沈黙を破る。

「もしさ」

あいつは何かを言い淀んでいた。

「もしオレが」

オレはあいつの方に顔を向ける。眼と眼が合った。

あいつは微笑みながら言った。

「もしオレが、やっぱり女として見てほしいって言ったらどうする?」

前にも見た表情。口元だけ上げて、笑っているように見せようとしている表情。

長い付き合いのせいだ。

冗談めかして言ったあいつから、オレは必要以上の情報を取り出してしまう。

たぶんそれが分かったのだろう。あいつはオレの頭を思いっきり叩いた。

「いって?何すんねん?」

「冗談だよ、冗談」

あいつは声を出して笑う。

「冗談を本気にするからだ」

あいつは顔をそむける。

「何やねんそれ」

オレの文句を聞きながら、あいつは立ち上がった。

「やっぱりタクシー拾って帰るわ。よく考えたら明日、朝から用事あるし」

「はあ?」

「デートだよ、女の子とデート」

歯を見せてあいつは笑う。

あいつは出口に向かう。オレは立ち上がって後を追う。

このまま行かせてはいけない気がした。元のオレ達に戻れなくなる気がした。

オレはあいつの腕をつかんで止めた。その腕はびっくりするぐらい細かった。

あいつはオレを見ずに言う。

「ごめん。しょうもないこと言って。酒飲みすぎたな」

オレは言葉を探した。でも何も見つからなかった。

あいつはオレの手を外して、オレに笑いかけながら言った。


“またな”


結局、その“また”は来なかった。






どうすればよかったのかは今でも分からない。

あの時、手を離さなければよかったのか?

あの後、オレから会いに行けばよかったのか?

分からない。

今でも分からない。

結局、オレはあいつの呪い通りあいつを忘れないでいる。

もしオレがあいつと出会ったあの時に戻れるなら、もうあいつとは関わらないだろう。

それがいま考えうるオレの最善だ。


結局、オレは何も分かっていないんだ



終わり



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