思へども

かがわ けん

思へども

 私、好きな人が出来たの。

 彼はね、私が男子にからかわれているのをそっと助けてくれたんだ。


 * * *


 それは体育の授業の時だった。

「あーあ。負けちゃったよ」

「まあまあ、ただの授業だしメンバーも先生が決めたんだから気にするなよ」

「いや、俺は負けるのは嫌いなんだよ。特にバスケは譲れないね」

 男子の話声が聞こえてきた。中でも同じチームの池田君が悔しそうにしている。

 運動が苦手で今日も足を引っ張ってばかり。今は池田君に近寄らないでおこう。

「せめて自分達でメンバー選べたらな。下手な女子なんて絶対に入れないぜ」

「確かに女子はやる気がある奴とない奴の差が激しいよな」

「だろ。さっきも木崎とか全然だったし」

 私の名前が出た。嫌な予感がする。

「おい、木崎。お前授業の試合だからって適当にやるなよ。こっちは真剣なんだぜ」

「わっ私は運動が苦手なだけで適当にやってる訳じゃ……」

「お前もハーフなんだから八村選手ぐらいやれるんじゃないのかよ。俺はお前がうらやましいぜ。絶対身体能力高いはずだもんな」

「確かに。サッカーでも陸上でも黒人選手の身体能力半端ないし。木崎も本気でスポーツに打ち込んだら大化けするんじゃないか?」


 池田君と山下君はにこやかに話している。

 彼らにしてみれば全く悪気はなく、むしろ誉め言葉だと思っているのだろう。けれどその言葉は私の胸に刺さり続けていた。

 ハーフ。黒人。結局みんな私をそれで判断する。女子は何かとダンスに誘って来るし、体育の先生までもが駅伝大会に向けて練習に参加してみないかと誘ってきた。

 私は小さい頃から引っ込み思案で家で遊んでばかりだった。特に好きなのは読書とイラスト。イラストは父のパソコンを借りてかなり本格的に描けるようになってきた。中学生になったらスマホかタブレットPCをおねだりしてみようと密かに思っている。

 けれどそんな話には誰も興味を持ってくれない。ハーフだから、黒人だからと枕詞のように言われてきた。スポーツなんて体育の授業なんてなくなればいいのに。


「木崎はさあ、体型はガチ黒人なわけじゃん。手足は長いしスリムだし。絶対運動向きだって。俺達放課後毎日3x3の練習してるんだ。お前も来いよ」

「えっと、運動は本当に苦手で」

「ちぇっ。面白くねえなあ。それじゃただ黒いだけ……」

 突然バチンと音が鳴り池田君の手の甲が光った。

「痛ってえ。何だよ、静電気か何かか?」

「おい大丈夫か?」

 山下君が心配そうに池田君に近寄る。

 するとまたバチンと音が鳴り、今度は山下君の手の甲が光った。

「痛たたたたっ。マジ痛ってえ。やっぱ静電気じゃね? 近寄ったら来たし」

「もうすぐ五月だぜ。こんな時期に静電気なんてあるか?」

 手をさすりながら二人は離れていく。

 これ以上黒人と聞かせれるのも運動に誘われるのも嫌だったので助かった。


 ふと後ろが気になって振り向いた。誰もいないはずなのに気配を感じたのだ。するとそこには透き通ったもやのような人影があった。

「きゃっ」

 思わず声がれる。

 この世のものざる者。見てはいけないものを見てしまった。恐怖のあまり体が動かない。大声で助けを呼ぼうにも声まで出なくなっていた。

「…………」

 その人影は何か語りかけてきた。だが声が聞き取れない。恐るおそる口元を見るとゆっくり大きく口を動かしていた。私は何と言っているのか読み取ろうと凝視ぎょうしした。

「だ・い・じ・よ・う・ぶ・か・い」

 だいじょうぶかい? 私を心配してくれている。なんで?

 その人影は更に語りかけてきた。

「い・じ・め」

 いじめ。まさか私がいじめられていると思って心配しているの?

 じゃあさっきバチンってなったのも……。

「あの、さっきのバチンって光ったのはあなたが私のためにしてくれたの?」

 彼は大きく首を縦に振る。

 私はきつねにつままれたような気分になった。

 この世のものざる者が私を助けてくれるなんて。これまで幽霊ゆうれいを見たことはないし、金縛かなしばりにすらあっていない。およそ霊的れいてきなものとはえんがなかった。それがなぜ突然助けられたのだろう。

「あの、助けてくれてありがとう」

 彼はまた大きく首を縦に振った。心なしか微笑ほほえんだように見える。さっきまでの恐怖は消え去り彼に対する好奇心がいてきた。

 ほとんど透明だが身長は高め。160㎝は超えているだろう。くりくりとした大きな目が印象的だ。よく目をらしてみると鼻筋も通っていてはっきりした顔立ち。カワイイ系のイケメンだった。

 彼は右手を軽く上げるときびすを返しスッと消えていった。


 * * *


 その日は体育の後もずっと彼のことを考えていた。私を助けたんだから悪い霊じゃないはずだ。天使か精霊せいれいなのかな? 

 いや、そんなのは何だっていい。彼は私の心の痛みに気づいてくれた。それが何よりもうれししかった。


 母と兄の三人で夕飯を食べている時、何気なさをよそおって二人に質問してみた。

「ねえ、今までに幽霊を見たり心霊体験をしたことってある?」

「ママはないわねえ。金縛りっぽいのはあったけど、周りに話したら疲れていたんだよって笑われちゃったし」

「俺は全然ないね。てかナンセンスだよ」

「お兄ちゃんって夢がないね。学校には怪談がつきものじゃない」

「なんだ怪談話かよ。そんなの信じるなんてお子ちゃまだな」

「別に怪談を信じてるんじゃないけど。そう言えばお兄ちゃんが小学生の頃はどんな怪談話があったの?」

「お前も好きだな。俺の時はお約束の音楽室のピアノとが理科準備室の人形とか。そうそう。いじめをこらしめる幽霊がいるってのが流行ったっけ」

「えっ」

 思いもよらぬ答えが返ってきた。あの霊は兄が小学生の頃から現れていたのか。

「詳しい内容とか後日談って覚えてる?」

「ん~。確か俺が三年生の時に六年生がいじめを苦に自殺したんだよ。それから幽霊が出始めたらしい。二度と自殺者が出ないようにって」

 いじめを苦に自殺。あの時の彼にそんな悲壮感ひそうかんや強いうらみは感じなかった。そんな悲しい出来事があったなんて。

「怪談話はママには分からないけど、いじめを苦に自殺した事件ははっきり覚えているわ。すごく悲しかったもの」

 母ははしを置きうつむいた。もし自分の子がと想像したんだろう。

「ねえ、あなた達は学校でいじめにあってたりしない?」

「俺は全然大丈夫。まあ、黒いって茶化ちゃかされるくらいはあるけどみんないい奴だよ」

「私は……」

 どうしよう。いや、このタイミングでは言っちゃいけない気がする。

「私もお兄ちゃんと同じかな。大丈夫」

「そう、安心したわ。もし何かあったら絶対に教えてね。必ず力になるから」

 母はそう言うと再び食事を始めた。

 これ以上この話題に触れられない。重要な話が聞けたし、後は自分で考えよう。


 * * *


 季節は過ぎ、夏休みに入った。

 彼はあれからも私を助けてくれた。例の静電気だけでなく小石が飛んできたり、つまずいて転んだりといくつかのバリエーションがあった。

 その度に私の心は救われ、彼の存在が大きくなっていった。

 彼は全てに反応するのではなく、本当に困った時だけ助けてくれた。

 私の気持ちを理解してくれている。その感覚が傷ついた心をいやしてゆく。気づけば一日中彼のことを考えている日さえあった。


 ふとある考えが頭にぎる。

 この気持ちは共感してくれる相手への親愛の念だけなのだろうか。そんなちっぽけな範囲には収まらない気がしてならない。

 恋心。共感し信頼し尊敬できる存在への愛情。こちらの方がしっくりくる。

 だがそうなると違う問題が発生する。

 相手はもうこの世にはいないのだ。いくら恋焦こいこがれようと決して結ばれることはない。このはかなむなしい気持ちをどこに向ければ良いのだろう。

 そう思いつつせめて気持ちだけは伝えたい衝動しょうどうられる。

 そして願わくばこの世の未練を断ち切り成仏じょうぶつして欲しい。会えなくなるよりも彼が現世げんせをさまよい続けることの方がつらかった。

 

 私は図書館に足を運んだ。以前母から図書館に行けば古い新聞がデータとして保存されていて、閲覧えつらんできると聞いたからだ。

 彼が亡くなったのは七年前のゴールデンウイーク明けらしい。その辺りの新聞を調べれば、何か手掛てがかりがつかめるかもしれない。

 一時間ほど調べて該当する記事を発見した。だが父親の名前は記載きさいされているものの住所は大まかにしか書かれていない。

 その後の新聞も調べたが事件の詳細について書かれた記事は発見できなかった。彼の想いやいじめの真相については分からず仕舞じまいのようだ。

 肩透かたすかしを食らって少し落ち込む。これでは手掛かりなしも同然だ。

 やはり母に全てを打ち明けて詳細しょうさいを聞いてみるべきだろうか。兄が在籍ざいせきしていたのだから何らかの説明はあっただろう。

 だが、少し話題になっただけで暗い表情を見せた母を思うと踏ん切りがつかない。結局母に打ち明けられないまま何日かが過ぎていった。


 8月13日。お盆は祖父母と共に先祖の墓参りに行くのが恒例こうれいになっている。

 祖父母も同じ市内に住んでおり、霊園れいえんの場所も比較的近い。お盆は駐車場が混雑こんざつするので電車とバスでの移動だった。

 例年のようにお墓の掃除をして花を手向たむける。祖父から順番にお参りし今年もお盆のご挨拶あいさつとどこおりなく終わった。


 帰り際、どこからか呼ばれているような気がして辺りを見渡す。すると少し先の立派な木の根元辺りが揺らいで見えた。彼だ。私はとっさにけ出していた。

 やはり揺らぎの正体は彼だった。

「学校以外出会うのは初めてだね」

 私の言葉にうなずき笑みを見せる彼。容赦ようしゃなく照り付ける太陽の下いつもより分かりづらいが笑顔は認識にんしきできた。

 彼は私と目を合わせた後ゆっくりと顔を左に向けある方向を指差す。そこには真新しい墓が建っていた。

「あそこがあなたのお墓なの?」

 彼は大きく頷いた。小走りで彼が指差したお墓に向かう。〇〇家。苗字は新聞で見つけたのと同じだ。

 私は側面と裏面も確認した。裏面には父親の名前が赤い字で彫られている。そして彼の名もあった。

 優也。優しい彼にぴったりの名前だ。

「なおみ~。何してるの。帰るわよ」

 肝心かんじんな場面なのに。

 だが彼の存在に気づかれても面倒めんどうだ。

「ごめん。改めて来るからその時に」

 私は後ろ髪を引かれる思いで家族のもとに戻った。


 * * *


 8月15日。この日は朝からサンドイッチを作った。彼のお墓に行くためだ。

 これも初デートになるのかなと考えるといやおうでも気分が高まる。

 家族には新しいイラスト用のスケッチをしに公園へ行くと言っている。結局彼のことを打ち明ける勇気が出なかった。

 電車とバスを乗り継ぎ、10時ごろに霊園に到着する。既に気温は上昇していて汗がにじむ。せっかく選んだ洋服が汗まみれにならないかと心配になるほどの暑さだ。

 入口の売店で墓参りセットを購入する。分かりやすくて便利だった。

 私は一路彼の墓に向け歩みを進める。洋服は似合っているかな。帽子は変じゃないかな。頭に浮かぶのはそんなことばかり。

 高まる想いに胸を膨らませつつ墓に到着する。だが彼の姿が見えない。もしかしてあの木の所にいるのかと目を凝らしたが気配はなかった。

 まずはお参りを済ませてしまおう。

 墓はきれいに掃除してある。私は花を活けろうそくと線香を供えた。

 よし、ここからがメインだ。バッグからサンドイッチを取り出す。お供えしやすいようアルミホイルで包んである。そして和歌をしたためた短冊と一緒に供えた。

「優也君。いつも助けてくれてありがとう。私本当に救われたの。そしてこれだけは伝えさせてください。私はあなたが大好きです。だからどうか成仏して下さい」

 手を合わせ、目をつむったままつぶやく。天高くどこまでも届くよう想いを込めて祈りをささげた。

 私は期待を込めてまぶたを開く。私の右側に揺らぐ人影が姿を現していた。

「優也君」

 彼は優しい微笑ほほえみをたたえている。

「私、あなたが大好きです」

 伝えたいことはたくさんあった。しかし口から出たのはこれだけだった。

「…………」

 彼が何かを伝えようとしている。

「あ・り・が・と・う」

 ありがとう。じゃあ、彼も……。

 でも、それだけじゃだめなの。

「ねえ、優也君。あなたの未練は何? 私はあなたに成仏して欲しいの」

 彼は再び口を大きく動かし始めた。

「い・き・て・く・だ・さ・い」

 私は静かにうなづいた。

「ぼ・く・の・ぶ・ん・も・い・き・て・く・だ・さ・い」

「分かったわ。どんなに苦しくても絶対に生きる。だって私の命はあなたと二人分だもの。だから安心して」

 彼は満面の笑みを浮かべ両手を大きく広げる。私は夢中で彼の胸に飛び込んだ。彼に抱きつき背中に腕を回す。何の感触もないが確かに彼は存在していた。

 彼の思念しねんが流れ込んでくる。まだ声変わりする前の可愛らしい声で彼は言った。

「ありがとう。君に出逢えて良かった」


 * * *

 

 電車の駅へ向かうバスの中、私はぼんやりと景色をながめていた。様々な思いが去来きょらいする中、サンドイッチと一緒に供えた和歌が浮かんできた。



 思へども しるしもなしと知るものを 何かここだく 我が恋ひわたる



 真夏の太陽が照り付ける中をバスは進む。

 夏休みが明けたらクラスのみんなにイラストを見せよう。これが私の大好きなものだって胸を張ろう。

 もう周りの声に惑わされたりしない。

 だって私は一人じゃないもの。

 



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思へども かがわ けん @kagawaken0804

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