◎第30話(最終)・勇者の戦い
◎第30話(最終)・勇者の戦い
ある日、一通の手紙が来た。
ハウエルに直通で。
「こちらがそのお手紙です」
「ありがとう」
領主と雑役。お互いに詳細は話さないが、それには理由があった。
封筒が、先日、王太子が使うと言っていたものなのだ。
あの王太子からの手紙。単なる親睦の手紙の可能性もあるが、王都で何か、ハウエルがらみで起きているような予感もする。
悩んでいても仕方がないので、彼は自分で封を切って手紙を読む。
「これは……! 誰かあるか!」
「こちらに」
「ローザとトンプソンを呼んでほしい」
命じると、雑役は「どうしたんだろう」とでも言いたげな表情で、足早にではあるが何やら分からずに呼びに行った。
二人が来たあと、ハウエルは手紙を見せた。
「なるほど。委細把握いたしました」
「またですか……懲りない男ですねえ」
王太子いわく。
勇者カーティスが王都で、重臣たち相手に裏工作をしている。内容はおおよそ、荒天伯ハウエルの討伐に関してだという。
もっとも、重臣たちのほとんどは相手にもしていないようだ。
ハウエルに非がないのだ。強いて挙げるとすれば、彼は領主として銃を生産し、近隣に売りさばいてはいるが、敵国、どころか同盟国と国内の地方政府にしか売っていない。これをもって背反の意図ありとは到底言えない。
実際に、王太子も対抗のための裏工作で、重臣たちにそう言い聞かせている。
「王太子はまともな方で本当によかったですな」
「でも権力はそんなにないと自分で言っていたけどね。実際、謙遜ではなく本当にそうらしいし……」
「それでも王太子が擁護してくださるのは、少なからず追い風になりましょうぞ」
「そうだね。……いや、このことの本質は、多分そこじゃないな」
ハウエルは渋い表情。
「勇者がそんなに強引な手段に出るほど、私たちを敵視している。これは由々しき問題だよ。節度、あるいは思慮を失った勇者が、次に何をしてくるか分かったものではない」
「確かに。少しばかり大胆過ぎて、危惧されるところではありますな」
「重臣とか国王陛下とかは止めないんですか」
もっともなローザの疑問。しかし。
「カーティスはなにせ『勇者』の称号持ちで、その権威はすごく大きい。おまけに横柄で強引な手段にも出るようだから、お偉方もなかなか遮ることができないんじゃないかな」
「めんどくさい人ですね。カーティスはきっと女性に慕われませんよ」
「まあ、それはどうでもいいけどね。間者を少し、勇者の周辺に回すか」
「私が行きますか?」
「いや、ローザは立派な戦力だからね。他の人たちを回すよ」
「フヘヘ、立派な戦力なんですね、エッヘッヘ」
「気持ち悪い従者だね」
ローザは、ハウエルの辛らつな言葉すら素通りして、「ウヘヘ」などと喜んでいた。
トンプソンはもはや呆れることさえあきらめたようだった。
一方、滝の砦で、勇者カーティスは荒れていた。
なぜこうも上手くいかないのか。
なぜ天運はハウエルにばかり味方するのか!
「くそっ!」
彼は机を蹴る。ガンと音が鳴り、机が悲鳴を上げる。
実際、ハウエルはこの砦から追放された件を除いては、幸運であることは確かである。百人に聞けば、九十人ぐらいは「あの伯爵は幸運に恵まれている」と答えるに違いない。
一方、カーティスは不運である。特にハウエルの後任、ゼーベックの起用は、あまり良い判断ではなかったといわざるをえない。
というより、そもそもカーティスの専門家主義自体、本当に正しいのかは怪しいところだ。
この点、王都の中央政府では、三年ほどで部署を次々異動する人事方針が採用されているらしい。しかし滝の砦でそれをすると、部署固有の知識が身につかないまま配転に翻弄されることが目に見えている。カーティスがこれを採用しなかったのはおそらく正しい。
しかし、彼の集めた人材では、専門家があまりに特化しすぎているのだ。
合戦の要素は、それぞれが複雑に絡み合い、横断的な知見、とまではいかずとも、他の機能や部署のことにある程度理解がないと、効率的な軍事行動は起こせない。
そのことはいままで、カーティスの軍事的な敏腕さにより目立たなかったが、時間が経つにつれて浮き彫りになってきている。
いま考えるなら、専門家を採用しつつ、各部署の責任者はある程度他のことに理解がある人間を置いたほうが良かったのだろう。
しかしいまから人事編制を変えることは、諸々の事情で不可能だった。
ましてやハウエルを呼び戻すなど、カーティスは絶対に拒否する自信があった。たとえ国王や権力が許したとしても、勇者自身がそれを是としない。
――だから、ハウエルを討ち果たす必要がある。
なにが「だから」でつながるのかは全く分からない。しかし彼の感覚においては、諸悪の根源はハウエルであり、謎の幸運に恵まれて分不相応な栄達をしている彼を、必ずもって討ち果たさなければならない、という確信があった。
荒天伯ハウエルを討つ。ほかならぬ自分が必ず討ち果たす。
それが使命というものだ!
かくして彼の心は報復、もとい正義の天罰執行の色に染まった。
そうなれば行動は早い。
彼は翌日の朝、主要な将校を砦の大会議室に集めた。
開口一番。
「諸君、我々は荒天伯ハウエルを討つべく、全軍で出陣する」
全員が一瞬目を丸くし、その後に首をかしげる。
「勇者様、それはいかなる理由で?」
「やつめは銃器の輸出で、金を集めつつ反乱の準備をしている。取引先を味方につけつつ取り込もうとしている。このような謀反人を未然に討つのは正義の戦いであり、なんら恥じることのない戦だ」
事情を知っているであろうゼーベックは、ただ押し黙っている。
「しかし、この砦を留守にするのでは、色々まずいのでは」
「うるさい。それはどうにかなる」
彼は実際、そのことについては無計画だった。
しかし、今の彼にとってハウエルを討つことは至上命題。そのような些事に左右されることは、彼自身が許さなかった。
「これはもはや決定事項だ。出陣の準備をせよ!」
彼は強引に押し通すと、出陣の具体的な指示を出し始めた。
一方、その動きをハウエル側もつかんだ。
「勇者が侵攻してくる?」
「然り。滝の砦の軍勢を率いて、謀反人の伯爵を討とうと進軍中です」
「私が謀反人……というのもおかしいけど、滝の砦はどうしているの?」
「留守です。わずかな雑役を残して、全戦力が出ているため、ほぼ空白ということになります」
「えぇ……!」
ハウエルは絶句した。
「いや、まあ、勇者が私をよく思っていないのは分かっていたけど、前線を放棄して、勝手に軍を起こすなんて」
「しかも自国の友軍に、一方的に謀反の容疑をかけてですからね……」
さすがにローザも閉口。
「中央政府は何をやってるんだ……止められなかったのか、いや、先日私も言ったな、万事、勇者のやることを止めるのは難しいって」
「ともあれ、戦うしかありませぬ」
トンプソンが進言する。
「そうだね。そして籠城より野戦だ」
つむじ風の城は、あまり堅い造りではなく、籠城にはそれほど向いていない。
勇者軍に、伯爵討伐を断念させるほどの打撃を与えなければならないとすれば、とるべき方法は野戦一択だ。
「久々の本格的な野戦ですね、腕が鳴ります!」
「見込まれる戦力は、相手が千五百ぐらいか。こちらは一千と少し。守勢の有利さと銃の装備率を考えれば、互角といったところかな」
「銃の装備率は、うちは三割ぐらいでしたっけ」
「うん。高いほうだと思うよ」
そのほか、有利な点がいくつかある。
敵軍の士気は、間者からの報告の限りでは、低い。カーティスの判断があまりにもおかしいため、兵たちが私的な恨みやなんらかの勝手な野心などを疑い、積極的に戦う意欲を有していないとのこと。そもそもハウエルが元同僚であることも大きいだろう。
そして、最近の天候が悪いこと。カーティスは一般的な銃が使えない雨天を狙って戦闘を仕掛けてくるはず。しかしハウエル側の銃は雨天対応。おそらく勇者はそのことを知らないか、新しすぎて充分には理解していないだろう。ここに認識の食い違いがある。雨の日、銃が使えないだろうとうかつにのこのこ出てきた相手は、銃の一斉射撃を浴びる。
さらに、いまの機動半旗は火急普請ができる練度にある。簡易な陣城を築き、守勢の側という地位を維持すれば、野戦で兵数差があってもなお、優位に戦いを繰り広げられる。銃の真価も、籠城に近い戦いであれば、野戦よりもさらに大きく発揮できる。
援軍も期待できる。晩学領をはじめとした、銃やその原料の取引相手とは日頃から親しくしており、頼み込めば荒天領の窮地に駆け付けてくれるはず。
この戦い、余計な戦術をしなくとも勝てる。
以上のことをハウエルは、会議の面々に説明した。
「ということで、みんな頑張ってほしい。何か言いたいことはあるかい?」
「我ら異議ありませぬ」
「よろしい。出陣の準備だ!」
ハウエルは高らかに号令をかけた。
やがて、勇者軍と荒天軍は戦場に到着し、陣を敷いた。戦場は平野部であり、特に伏兵や迂回戦法、火計や水計を仕掛ける余地もない。
また、荒天軍は晩学軍ほか、いくつかの地方領からの援軍も合流し、兵数では勇者軍をしのぐほどとなった。
そして陣城。
「野戦なのに籠城戦をするのですか、驚きましたな」
まだこの世界では、陣城の普請は一般的ではない。最新の軍事理論に分類される。
簡易な設営はもちろん普及しているが、防御設備として強力な普請をするという発想はなかった。その諸々の資源を戦闘そのものに回すべきという考えがまだ通説だったのだ。
「銃を活かせるのは籠城戦ですからね。援軍の皆様も銃の装備率が高いことですし」
もちろんその武装は、荒天領謹製のものが中心である。
「しかし……勇者カーティスは無謀な勝負を挑みましたな」
「おそらく彼らは、銃の雨天装備や援軍を想定していなかったのでしょう。……いや……」
いまの勇者は、きっとハウエルへの敵意にとらわれ、冷静な考え方ができないのだろう。
言いかけて、彼は黙った。
「どうされました?」
「いえ、なんでもありません。お互い協力して、敵を打ち負かしましょう。今回の援軍に感謝します」
「礼は勝った後におっしゃることですな。まだ早い」
ハハハと晩学伯は笑った。
そして雨の日、遠くの雷鳴を聞きながら戦いは始まった。
勇者軍は、戦いたくない気配が濃厚ではあるものの、機動半旗をも超える訓練を受けている。上官の命令を忠実に遂行すべく、前進し陣城に取り付かんとする。
しかしそう甘いものではない。
強固な防御設備から、おびただしい数の銃が、雨をものともせず、一斉に火を噴く。
勇者軍はカーティスの衝動的な命令で出陣したため、火縄銃対策をほとんどしていない。まっすぐに突撃してくる兵士たちは、槍兵、騎兵、短兵、どれもたどり着くことなく鉄砲の餌食となる。
息をつかせまいと次の軍勢が波状攻撃を仕掛けるも、早合による急速装填のため、また戦列を並べた銃兵の射撃で力尽きる。
全滅するまで終わることのない地獄が、そこにはあった。
カーティスは事ここに至り、決意した。
せめて自分だけでもハウエルのもとにたどり着いて、その首級を挙げる。
どうせ負けて逃げ帰っても処罰は免れないのだから、せめて伯爵を討ち果たし、本懐を遂げなければならない。
彼は馬に乗る。
「勇者様、どちらへ」
「敵を倒しに行ってくる」
「勇者様、お待ちください、本陣を留守にして、誰が指揮を執るのですか」
「副将のリーンにでもさせておけ。俺はやつに一矢報いないと気が済まない」
言うと、反応も待たずに騎馬で駆けだした。
本陣に突然の侵入。騎馬武者。
「どけどけ、ハウエルはどこだ!」
突然のカーティスの襲撃に、しかしハウエルは冷静に反応した。
「ここです、勇者カーティス」
カーティスはにらむと、馬を止め、下りて勇者の大剣を構える。
「ハウエル、ハウエルめが!」
伯爵も剣を構える。
「俺と一騎討ちをしろ、ハウエル、貴様だけはこの俺が倒さないと気が済まない!」
「一騎討ちで決着? 連れてきた軍勢が意味を失いますね」
「軍勢に元から意味などない、貴様を八つ裂きにすることにのみ全ての意義がある!」
ハウエルの嫌味に、カーティスは怒気を発しながら無茶苦茶な受け答えをする。
「さあ一騎討ちだハウエル、行くぞ!」
「ちょっと待て」
その声を上げたのは、意外にもローザ。
「ローザ?」
「主様、私はいま怒っています。このカーティスとかいう野郎は、いつもいつも主様に妨害をして、人の足を引っ張ることしか考えていない。主様の代わりにとか、そうじゃなくて、私自身がこの男を討ちたい」
ローザの様子は明らかにいつもと異なる。
きっと彼女は彼女なりの思いがあるのだろう。
だからハウエルは素直に応じた。
「そうか……そうか。じゃあ任せたよ、ローザ」
「承知しました。……行くぞ勇者、すぐに挽肉にしてやる」
言って、長さも重さも、なんなら切れ味まで平均的な、普通の剣を、尋常ではない闘志を帯びながら抜く。
勇者は「邪魔者め、貴様こそすぐにズタズタにしてやる」と言った。
だが、明らかに勇者が気圧されている。
力量差。ローザは明らかに、真の腕前を発揮しようとしている。そしてそれは、勇者さえ上回るものであることが、ハウエルからも容易に見て取れた。
カーティスは「ゴミが!」と怒鳴りながら猛然と斬りかかる。
ローザはその渾身の一撃を、あっさり受け流す。
カーティスが体勢を崩しかけるが、そこはさすがの勇者、踏ん張って立て直す。
「どうした勇者、その程度で主様を討つなどと、寝言をほざいたのか」
「……黙れ小娘、すぐにその生意気な口をきけなくしてやる!」
勇者はその後も全力で打ちかかる。
しかし、傍目にも勇者が、一合ごとに着実に追い詰められてゆくのが分かる。
受け流され、止められ、はじき返される。そのたびに勇者は、鍛えられた体幹にすら力を受け、足元をふらつかせる。
彼女の静かな怒りが、そして本来の実力が、勇者をも超えるものであることが、どんどん証明されていく。
そしてカーティスの手が震えてきたころ、彼女の普通の剣が、なんと勇者の業物である大剣を打ち折った。
「な、んだと……!」
「さあ、もはや得物は壊れた。最期の時を運命に祈れ。その罪深い人生から解放してやる」
剣を突き付けるローザ。
しかし。
「待ってくれローザ、勇者は生け捕りにしてほしい。勇者も投降しろ、もはや勝負はついた」
一騎討ちにせよ、合戦全体にせよ、もう続ける意味はない。
その意味を理解したのだろう、意外にも勇者は。
「……分かった。好きにしろ」
剣を放り投げて、その場にドカッと座った。
「よし、勇者を捕縛しろ!」
兵士たちが、カーティスを縄で縛った。
戦いはあっけなくも幕切れとなった。
その後、戦後処理に入ったハウエルは、領内の最低限の仕事を片付けると、ローザを連れて報告のため王都へ向かった。なおトンプソンが先行しており、王都で待っている。
そして捕縛したカーティスは、すでに王都へ送って身柄を預けた。
馬車の中。
「ふう、こうも忙しいと、戦はするものじゃないって分かるね」
「主様、疲れているみたいですね。一寝入りしますか、いまなら私のひざ枕を貸しますよ」
「隙あればそういうからかいをする……」
ハウエルは毎度のごとく呆れた。
「フヘ、冗談です。でも、ちょっと寝るなら、肩ぐらいは貸しますよ。もたれかかっても構いません」
ローザの提案に、ハウエルはいつになく素直に甘える。
「じゃあ、そうさせてもらうよ。ちょっと疲れた」
「ふふ、お休みなさい、主様」
彼女がふわりとほほ笑むのを見ると、彼は体温を感じながら目を閉じた。
★★★★
これにてこの物語は終わりです。
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七十点貴族は見捨てられた領地で運命に立ち向かう 牛盛空蔵 @ngenzou
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