第4話 その道に入らんと思う心こそ

 お茶しに行こうって誘われたけど、

 今日って、デート……なんだよね。


 千野与四子せんのよしこは悩んでいた。


 デート……

 ……

 ……とは。


 こういうのって、お茶会より難しい。


 お茶会は、お作法が決まっている。

 春のお茶席に、夏のお着物で行く人はいない。

 一定のお作法を初めに教えてもらえるのってとても親切。


 だからこそ、千利休の凄さもよく分かる。


 師匠の武野紹鴎たけのじょうおうが考案した「わび茶」を更に洗練させ

茶の湯の真髄を作法にし、芸術としても高めてまとめあげた。


 でも。

 デートってよくわからない。


「これはデートだぞ」、という雰囲気をなんとなく感じ取り、

 なんとなくにくからず思っていたら、それを承諾し、

 友達や周りの人に相談したり雑誌を見たりして、乗り越えていく。


 でも逆に、敢えて型が決まりすぎていないところが良いのかもしれない。

 人を好きな気持ちは好きか嫌いかの単純な2つだけではない。


 もし、もし、デートの型が茶道のようにきっちりと決まっていたら?




「帰り際の、この襟を正す作法……


『あなたのことをいい人だと思っていますが、それと同時に決め手にも欠けます。

だから次回もとりあえず様子をみたいです』……か……」



 つらーーーーーーーーーい!

 直球で伝わったら辛い。実るはずの恋も実らない。

 それに気持ちを偽ることも簡単だ。



 なにより、流派の違いは真っ先に確認しなければならない。


「あの時……君のことを80%好きだよっていうお作法、

『両手をピッタリ合わせてから少し上に掲げ次の約束を提案する』したじゃない!」


「それは裏千家の話だろう。表千家は両手をピッタリ合わせるのは10%好きってことなんだよ!」


「まさか表千家だったなんて……!」


 ……悲しいすれ違いだ。


 やはり恋は、曖昧さがあるからこそ楽しいよね。

 せっかくだから楽しもう。


 今日は梅まつり。何を着ていこうかな?


 こんなときあの人……千利休なら、きっと。


 梅の花を主役にして、それが生きるように自分は控えめな色の服を選ぶだろうな。

 

 ――って、いけない!私ったら。

 こんなときにも千利休のこと、考えてる……。

 前に好きだった人とは千利休を巡って悲しい思い出がある。今日は忘れなくては。


 デートなんだから、お花はあくまで口実で、自分たちの事を考えなくては。

 華やかにしてみてもいいよね。


 梅まつりに合わせて、紅梅色のミディ丈スカートに、生成り色のハイネックのセーターを合わせよう。

 アイメイクは深めのブラウンに細かいラメを重ねて、かすかに目尻に梅重色のぱっと明るい差し色を入れる。ブラウンのアイラインで占めて、マスカラを丁寧に塗る。


 髪も少し巻いてハーフアップに。


 よし!


 電車では、最近出版された千利休の論文を読む。

 大学に在籍している間にできる限り読みたい。


 千利休は茶人というだけではないのだ。

 ときの権力者、織田信長や豊臣秀吉にも寵愛され、ときに相談役にもなった。

 千利休のことをもっと知りたい……。



 そして待ち合わせの場所についた。

 声を掛けたら百野利休もものとしやすさんはとても驚いていた。


 百野さんは思慮深い人のように見える。朗らかな人だけど、なにかいつも考え事をしているようで、時間をかけて丁寧に考え込んでから話を始める。


 なのに、専門の話になると急にスッとして滔々と話し始める。


「千野さん!ありがとう!!!こんな話を真剣に聞いてくれて。千野さんは女神なんですか?」


 自分の好きなことの話につい熱中してしまうこと、私も、ある。聞いてくれる人がいるととっても嬉しくて、女神様かなにかのような気がしてしまうのもよくわかる。


「いやそんな。口がうますぎですよ。」と言いながらも、心は踊る。


 真面目なんだな。そういう人は、私は好きだ。

 茶道の話も真剣に聞いてくれて、自分の分野と絡めて理解しようとしてくれた。


 亭主・客、双方のおもてなしの心こそが大切で、作法はそのあとにある。とても大切なことをお話できた。数学の証明と似ている、なんて思ったこともなくて、新鮮だった。


「その道に入らんと思ふ心こそ 我身ながらの師匠なりけれ」


 利休百首の第一首だ。


 その道に入ろうと決心すれば人は自ら学んでゆく。初心の志こそが、自身の立派な師匠なのだと教えてくれる。百野さんと話していると、私の方こそ教えられてしまう。


 この人となら……以前の悲しい思い出も乗り越えられるかもしれない。

 不安で震える心を抑えながら、意を決して話し始める。


「……実は、私、千利休が好きで。とっても好きで……」


 ……沈黙。

 百野さんはまた何か真剣に考え込んでしまった。考えている顔、ちょっとクールでかっこいい……かもしれない。


 以前好きだった人には、千利休のことが好きすぎて振られてしまった。


「千利休と俺、どっちが大事なんだよ!」

「俺を見ているようで、見ていない。いつも俺を通して千利休を見ているんだ!」


 こんな定番なセリフ、本当に言われることがあるんだ……。


 どこか冷静だった。

 だってそれは間違っていない。相手のことも確かに好きだったけれど、頭の中に常にちらつく利休の影。相手と話していても、どうしたって、千利休が忘れられない。どうしたって、考えてしまう。


 千利休以上に夢中になることなんて、なかった。



 ……百野さんはまだ考えている。やっぱり、ここまで千利休に打ち込んでいる私、変かな。


「それで、その……千利休っていう人のどういうところが好きなんですか?」


!!!


「へぇ、変わってるね!」じゃない!!!

「えっ、突然何?」でもない!!!


 大体いつも、千利休がとっても好きだと言うと変な目で見られてしまう。

 だからこそ、ここまで打ち込んでいることは隠して生きてきた。


 それなのに、千利休のどこが好きなのか、聞いてくれた!!!


 百野さん! いい人! 好き!


 千野さんは、千利休についてぽつぽつと話し始めた。

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