第3話 春はほのぼの

 いよいよ今日は、千野さんと「お茶」をする日だ。


 緊張しすぎて歯磨きは314回した。


 デートコースのシミュレーションは完璧だ。あのケースで144通り、このケースで21通り、その他のケースで6通り。


 光の速さで筋トレもした。

 ……ん?光の速さで筋トレ?

 消費したエネルギーはいくつになるんだ?

 計算式はE=mc^2。ただしここでは簡単のためm=0.5×10^2kg, c=3×10^5km/sとし、筋トレ中のエネルギー消費による体重の変化は考えないものとする。


 って、いやいやいやいや、そんなことを考えている場合じゃない。集中だ、利休。


 そうこうするうちに待ち合わせの駅に着いた。

 まて、会った瞬間はどんな顔すればいいんだ? これは検討していなかった!!


 やはりここは後ろから涼しい顔して登場、

「よっ! 待った?」か?

・・・いや、平成のトレンディ・ドラマか。後ろからいきなり声掛けたら怖いだろ。待ち合わせに敢えて遅れてくるのもかっこ悪いぞ。もっと頑張れ〜百野利休〜。


 ここはひとつ韓国風イケメンで行くか?韓国風イケメンって何するんだ?やっぱり出会い頭にほほえみながら花束?花屋はどこだ。

・・・いやいや出会い頭に花束は置き場所に困る。


 千野さんは物静かで知的な感じがするし、なにか難しそうな本でも読んで知的な感じを演出するのもありだな。

「あれ?千野さん来てたの?気づかなかった!本に夢中で気づかなかった〜タハ〜」

とか言ってな。あ、俺、今日、紙の本持ってな

「百野さん、こんにちは!」

「来たーーーーーーーー!!!千野さん、正面から来たーーーー!!うわぁ〜気づかなかった〜!って声大きくてごめんなさい。うるさかったね。」

「いえいえ、今日も元気ですね。ふふ。」


 笑われてしまった。しかし千野さんは今日もかわいい。内定式ではまっすぐな髪の毛を一つにまとめていたけれど、今日は少しくるくるんとしておろしている。わぁ。キュン。もしかして、今日のために?!そしてなんだか目の上がキラキラしている。そういえば褒めるのが大事ってネットで誰かが書いてたっけ。


「千野さん、目の上がキラキラしてますね。」

「あ、ありがとうございます。キラキラ・・・させてみました。」


 小さくガッツポーズしつつもなんだか困っている。・・・沈黙が・・・辛い!

 こんなときなんて言ったらいいんだ。

「千野さんの瞳がキラキラしていて吸い込まれそうだよ。君がダイソンの掃除機なら僕はそれに吸い込まれるハウスダスト」・・・ってなんでやねん。


「そういえば百野さんは大学院では何を専攻していたんですか?」


あぁっ研究の話!研究の話きましたね!これは助かる!千野さん優しい!


「自分は経済の院にいました。数学と迷ったんだけど、社会にも興味があるから両方できる経済にしようと思って。」

「えっ経済でも数学使うんですね。」

「沢山使いますよ〜。院試の前には解析の本の自主セミナーをしていたし、修論では既存のマッチング理論で人間の数を無限にした場合を考えたりしていました。」

「人間を、無限に。」

「そう。無限に。現実には起こらない設定なんだけど、人間の集まりを無限にすると、微分とか積分みたいな解析的な手法を使えるのでとても便利なんです。」

「おぉ〜、それはまさに数学ですね。」


 なんだか盛り上がっている気がするのは!俺だけでしょうかッ?!


 そうこうするうちに、今回のお茶席の会場に着いた。


「千野さん、今日はぜひ、お茶の楽しみ方を教えて下さい!」

「はい、かしこまりました。まずはリラックスして、この場を楽しんでくださいね。梅の花も綺麗だし、景色も見つつ。」


 にっこりしている千野さん、優しい。

 そして白い紙に乗せられたお菓子が運ばれてきた。――あれ?


「これ、思ってたのと違うな。おまんじゅうみたいなのが来るのかと思ってました。」

「これはお干菓子って言うんですよ。梅の時期だから、合わせて紅白の梅の花にしたのかも。」

「なるほど。でもこれじゃ小さくて食べた気しないなぁ。」


お菓子が食べられる!と思っていたのに。しょぼん。


「今はここは梅まつりの最中だから、他にも屋台で色んなものを食べられるように軽いのにしたのかも。」

「気遣いだ。」

「そうですね。言葉で説明されるわけじゃないけれど、よく見て亭主のおもてなしの心遣いを感じるのが楽しみ方のひとつですね。」

「ふむふむ。ところでこのお菓子はポリポリ噛んで食べてもいいんですか?」

「えっ……ポリポリ……?ふふ。まぁそれでもいいと思うんですけど、溶け方を楽しむのもいいと思いますよ。」


梅のお花のお干菓子は、口の中でふわっと溶けた。


いよいよ本日のメイン。お抹茶が届いた。

「ここ、これはどうやって飲んだら良いのでしょう?」

「まずは、器を眺めて、どんな想いが込められているのかな〜って考えたりして。そのあとに、二回半、器を回して正面を避けて、飲むんです。こんな風に。」


指先を丁寧に揃え、器にそっと手を添えて、くる、くる、くるっと器を回す。千野さんの真似をしながら恐る恐る飲む。苦いけど、さっきのお菓子によく合っている。


のんびりお抹茶を楽しんだあと、席を立って、聞いてみたかったことを尋ねてみた。


「千野さん、さっき、器を二回半回す、って言ってましたよね。正確には何度ずつ回したらいいのかな。ちゃんと出来たかどうか、細かいことが気になっちゃって。」

「あぁ、数学好きですもんね!このお作法の意味は、正面のきれいな柄を避けて口をつけるということなので、それができるなら角度は厳密でなくてもいいんですよ。そうは言っても気になると思うので・・・器が反対向きになるように、えっと、最終的に180度回ればいいので、180割る2.5かな。一回あたり。」

「えっと…360割る5だから、72度、72度、36度ってことか。」


黄金三角形だ!と思ったことは内緒だ。


「お作法の意味を教えてもらったから正確な角度を覚えなくても次からできそうな気がします!これって数学の証明と似てますね。」

「証明と?」

「示したいことの意味が分かれば、細かい公式は覚えていなくても何をしたらいいかわかるし、たとえば、サイン・コサイン・タンジェントの具体的な値も覚えなくていい。」

「あっ、何かと話題のサイン・コサイン・タンジェント。確かに、茶道も作法に囚われすぎて本来の目的のおもてなしの心を忘れてしまうこともありますし、暗記ばかりだと楽しくないのと似ているのかもしれないですね。」

「千野さん!ありがとう!!!こんな話を真剣に聞いてくれて。千野さんは女神なんですか?」

「いやそんな。口がうますぎですよ。」


 しまった、話を聞いてくれて嬉しすぎて、軽い男になってしまった。真面目な話をせねば。真面目な話……真面目な話……そうだ、千野さんの話を聞こう。


「それにしても千野さんは茶道がとっても好きなんですね。教え方も俺みたいななんにもわからない人にも優しいし、ちょっとホッとしました。結構作法が厳しいのかなと思って。できなければビシッと叱られる、みたいなイメージが。」


「そういう人もいるとは思いますけど、私は色んな人に茶道を気軽に楽しんでほしいので、そう言ってもらえると嬉しいですね。でもそれ以上に……実は、私、千利休が好きで。とっても好きで……」


 いやここで他の男の話きたよ。


 千利休が好きで?

 とっても好きで?

 だからゴメンなさいなの?これは振られる流れ?

 

 泣くぞ。俺は泣く。

 いや、千利休はもう死んでいる。

 推しが死んでいても勝てるのか?

 一体何がダメだったんだ!お菓子ポリポリするなんてサイテー!ウッ。ありえる。

 

 いやまだ試合は終わっちゃいない!

 最後まで! 諦めない! 最後まで! やりきる! 

 前向きに考えよう、大切なことはすべて筋トレが教えてくれた。

 そうだ、百野さんの下の名前、利休だから素敵……っていう流れがくる?

 それ嬉しいか?それでいいのか?利休よ。


 もうこの気持ちの上がり下がりを微分したら変化が激しすぎてやばい。不連続。俺の心は微分可能だがC^1級でないッ!


「そ、それで、その……千利休?っていう人のどういうところが好きなんですか?」


努めて冷静に振る舞う。動揺を見せるわけにはいかない。余裕だ。余裕を見せるのだ。


「千利休って、すごくロックだと思うんです。」


 千野さんに、面白い人疑惑が浮上した。


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