第5話 教育された

 当たり前の顔をしてナイフを握るその腕を、エルチェは乱暴に掴んで引いた。


「そんなものを軽々しくちらつかせるな! 他人を傷つけるものを使うということは、自分もそうなる覚悟をしなくちゃいけないんだぞ!」


 常々弟妹達に言い聞かせていることだった。子供同士では当然、力の差のある大人に対峙する時も、下手な武器は相手をより興奮させかねない。あちらがそういうことをちらつかせていたり、自分の命の危険を感じた時以外はご法度だと何度も。

 男は追いかけてはきたけれど、声掛けをするわけでもなく、武器も持っていなかった。二人の間に何か誤解が生じている可能性もまだある。

 エルチェの剣幕にレフィは一瞬目をみはって、それから笑った。


「そうそう。そういうことだよ」

「そう……?」

「エルチェ、大人は素手でも子供を殺せるんだよ」


 静かに笑むレフィに背筋が寒くなる。誰かの言葉を借りているのではなく、しっかりとした重さを感じたからだ。


「命を狙われてるって言うのか?!」

「最悪ね。向こうもどうしたいのかわかってないみたいだから、念のためだよ」

「なんでだ? 金持ちの子供だからか!?」

「エルチェはまだ僕の従者じゃないから知らなくてもいいことだよ。君はあいつの気をちょっと逸らしてくれればいい」


 すました顔に、当然のことを言われているのにカッとなり、エルチェはレフィの手からナイフをもぎ取った。呆れた顔でレフィが彼を見上げる。


「君、誰かに刃物向けたことある?」


 ない。

 けれどエルチェは黙っていた。ふっとレフィが小さく息を吐く。


「素人はナイフを振り回しちゃだめだ。両手でしっかり腹の前で固定して、そのまま身体ごと相手にぶつかる。刺そうと思うな。慈悲があるならそのままナイフから手を離せ。助かる確率が上がる」


 エルチェの手を取り、言葉通りその形を作りながら淡々と一講釈たれると、レフィはエルチェの手の中からナイフを取り返していく。


「攻撃は最大の防御だ。覚えておくといい。でも、今日みたいに状況の分からない場で、自分を不利にするかもしれないことはしなくていい。君は「正義感から友達を逃がす手助けをした」で、いいんだから」


 自分と同じくらい、見た目なら明らかに年下な少年に明確に一線を引かれている。弟妹達に頼られ、親にはすでに実践力として期待されているエルチェがされるのは久しぶりだった。

 胸の中に沸いた感情の名前はわからない。憤慨、羞恥、あるいは羨望。揺るがないアイスブルーの瞳に魅入られそうになる。

 ガタリと戸が鳴って、エルチェは我に返った。

 板戸の隙間から街の人間じゃないことを確かめて、ドアから一歩引いた場所で構える。


「……調子に乗んな。お前なんて友達じゃねーよ」

「えー? おかしいな。手に手を取って逃げるなんて青春小説そのものじゃないか」


 くすくすと笑うレフィにロープを切れと指先で合図する。ガタガタと揺れるドアの隙間は回を重ねるごとに広がっていて、結わえたロープは千切れかけていた。

 ドアが戻ったタイミングでレフィがロープを切る。次に開かれる呼吸を計って、エルチェはドアに体当たりした。

 突然勢いよく開いたドアに弾かれて、外の男がよろけた。倒れ込みながら、その横を駆け抜けようとしたエルチェの上着にとっさに手を伸ばす。上着を掴まれたエルチェもバランスを崩して地面に転がった。


「……!! うっ、あああ!」


 叫び声をあげたのは男だった。跳ね起きて、エルチェは振り返る。すでにレフィが男をうつ伏せにして、涼しい顔で腕を捻り上げていた。よく見れば、足で背を押さえつけられている男の腿にはナイフが刺さったままだ。


「レフィ、くん……」


 喘ぐような男の声を無視して、レフィはエルチェに視線を向けた。


「エルチェ、ロープ」


 エルチェは言われた通りに小屋からロープを持ってきた。男は観念したのか、おとなしくしていた。


「縛り方わかる?」

「縛り方なんてあんのか?」


 小さく肩をすくめたレフィは、捻り上げた腕をエルチェに預けて、男の手足を簡単にはほどけないように縛りあげていった。それからナイフを抜いて、転がしたままの男に突きつける。


「見張ってるからさ、君、家に帰って人呼んできてよ。お客来てるでしょ? 君が家にいないなら、まだいるはずだから彼らに伝えて」

「えっ……客……」


 無駄話はするなとばかりに、レフィは行けと手を振った。




 土と埃にまみれたエルチェが家に帰り、無作法にも接客中の両親の元へ駆け込むと、二人いたうちの一人が血相を変えて立ち上がった。案内するとエルチェも踵を返したのだが、父親に止められた。そのまま父が男と共に出て行く。

 残った男に上着のことを指摘されたので、着る時よりも苦労して脱ぎながら、エルチェは経緯を説明した。なんとなくナイフのことは言わなかったけれど、あの場に行けばわかることだし、レフィは言い訳などしないだろう。


 一通りの話を聞くと、残った男も腰を上げた。「とりあえずまた来ます」と言い残し、エルチェの肩をぽん、とひと叩きして出て行った。

 彼らが辺境伯であるシャノワール家の使いだとエルチェが知ったのは、夜になって弟妹達が寝た後だった。

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