第4話 勧誘された

 不安定な足元にエルチェの体重を支えきれなくて、レフィの足が土を抉る。戻りかけたエルチェの身体を、レフィは自分の身体を捻ることで無理やり引き上げた。

 小柄なレフィに押し倒されるようにしてエルチェは土手に倒れ込む。

 こいつ、思ったより場慣れしてやがる、と自分の判断に丸を付けたところで、またもや先に身を起こしたレフィに引っ張られた。悠長に寝ていられる場面ではなかった。

 大人でもそう簡単に登れるつくりではないが、身体能力次第ではわからない。飛び起きるようにしてレフィと二人、今度はまた川の方へ向かって走り始めた。


 エルチェがちらと振り返ると、かけた手元の土が崩れて、登るのに手間取っている男の姿が見えた。

 丘側に二股に分かれた道をいくつか過ぎて、エルチェはこんもりと木々の茂る方を指差す。弟妹達と違って、無駄口を叩かなくてもレフィは意味を汲んでくれた。念のため後ろを振り返ってみたが、追跡者の姿はまだ見えない。道を逸れるところを見られていなければ、時間は稼げるはずだった。

 並んだ防風林の傍に農具小屋がある。狭いけれど、ドアもついているのでしばらくはゆっくりできる。鋤やシャベルや乱雑に突っ込まれたものをざっと寄せてスペースを作ると、エルチェはロープを手に取ってドアの取っ手に括りつけ、それを梁に引っ掛けて固定した。外開きのドアには鍵は無い。


「悪ガキ」


 肩で息をしながら、積んである石灰や肥料の袋に腰掛けたレフィが笑った。


「お前もガキだろ」

「違いない」

「気休めだからな。大人の力で引かれれば、このくらい千切れちまう。見つからないと諦めてくれればいいが」

「……どうかな」


 アイスブルーの瞳が床に向いて陰ったので、エルチェは梁に寄り掛かりながら腕を組んだ。


「で? 何したんだよ」

「何もしてないって。ちょっと確認したことが気に障ったみたいで」

「はぁ?」


 それだけじゃないだろ、と暗に促せば、レフィは肩をすくめてしばし言葉を探していた。


「えーとね。まだ、たぶん準備が整ってないんだけど……君は人を殴ったことがあるよね?」

「……それが?」


 少しだけ、エルチェは身構えた。


「大人は?」

「ある、が」


 酔っ払いに絡まれてる子供を助けたこともある。わざわざ正面から喧嘩を売りに行くことはないが、子供だから許される範囲は逸脱していない、はずだった。


「勝てた?」

「酔っ払いには。あとは、さっさと逃げるに限る」


 うん、と薄暗がりの中でレフィが頷く。


「勝てるようになってほしいんだよね。前に言っただろ? 僕が雇うって。本気だよ」

「無茶言うなよ。お坊ちゃんなら、ちゃんとした大人を雇う方が早いだろ」

「僕の味方は少ないし人脈がないんだ。損得で動く大人なんて信用ならない」

「俺も損得で動く人間だぜ」

「そうかな。銀貨に見向きもしなかった。ヤニックは寒空の下、水の中をだいぶ長い間さらってたよ?」

「……おまえ……」


 風邪の原因かよ。

 呆れながらエルチェは頭に手をやった。


「君の損得はお金にないだろう? 名誉にも執着がなさそうだ」

「だとしても、金を粗末にするような輩は好きじゃないね」

「……あぁ」


 レフィは銅貨を一枚取り出すと、屈んで足元に転がる小石を拾い上げた。


「これのこと?」


 指に挟まれた銅貨がエルチェの足元に飛んできて、コツンと音を立てた。

 転がる行き先を目で追って、おや、と拾い上げる。

 転がっていたのは小石で、屈みこんでよく見ても銅貨は見当たらない。レフィがひらひらと振った指先には、まだ銅貨が残っていた。


「ちょっとした手品だね。ボタンとか同じくらいの大きさだとみんな騙されてくれる。もったいないもんねぇ。そりゃあ」

「……どっちが悪ガキだよ……!」

「やだなぁ。処世術と言ってくれよ。まあね。僕がだからね、真面目なお堅いお目付け役もごめんなんだよね。ということでどうかな? 交渉成立しない?」


 頷くだろう、という思いが透けて見えて癪に障るけれど、エルチェにとって悪い話でもなさそうなところがたちが悪い。


「まだ条件を聞いてない。いくらもらえて、俺は何をするんだ?」

「君には僕の従者になってもらう。常に行動を共にして盾になってくれよ。僕と一緒に騎士職に習って、騎士の道へ進んでもらうだろう。もちろん勉学も保障しよう。学校で、というわけにはいかないから、こちらも僕と一緒に家庭教師についてもらうけど。給料はもろもろ引くから、微々たるものくらいしかないかもだけど、衣食住は保障するよ。その代わり、家は出てもらうことになるね」


 騎士になるには装備一式の準備がいる。まだ先のこととはいえ、それだけをうちが、あるいは自分が用意できるだろうか。

 エルチェの落としたわずかな沈黙で、レフィはそんなところもわかってるというように笑んだ。


「了承してくれるなら、支度金の心配はいらないよ」

「俺が使い物にならなかったら? あるいは、裏切ったら」

「使えるようにはするから大丈夫。裏切りはどのレベル? 刃物を向けられたら容赦は出来ないな」


 顎に手を添えて、アイスブルーの瞳が眇められる。淡々と答えるところを見ると、そのくらいは想定内のようだ。エルチェが小さく息を吐き出した時、誰かの近付いてくる足音が聞こえてきた。

 二人、ぴたりと口を閉じて息も殺す。

 そっと屈んだエルチェは、気持ちレフィに顔を寄せて囁いた。


「上着貸せよ。飛びつけば、一瞬くらい勘違いすんだろ」

「着れる?」

「うるせーな」


 笑いながら、レフィは上着を脱いだ。エルチェがどうにかそれに腕を通したのを見届けると、レフィはどこに持っていたのか、小さなナイフを取り出した。

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