死体探偵

ハルカ

右手の薬指

※【閲覧注意】死体の描写があります。


   ***


 犬森は悪態をついた。

 女の身体が、予想に反してひどく重かったのだ。

 きっと何度運んでも、この死体特有の重さには慣れることがない。


 床からソファへ持ち上げた拍子に、女の口がぱかりと開いた。

 幽霊でも見てしまったかのような気分になり、犬森は顔をしかめる。


 ――死んでも笑っていやがる。傲慢な女だ。


 最初に見たときから気に食わなかった。

 上等なダークグレーのスーツに身を包み、いかにも自分は特別な人間なのだといわんばかりだった。犬森を一瞥し、興味なさげに視線をそらした。あの態度は今でも忘れない。


 犬森は女の口元に手をかざし、息をしていないことを慎重に確認した。

 その腹には果物ナイフが深々と刺さり、血が薔薇のようににじみはじめている。

 顔は生気を失い青ざめているくせに、べったりと塗られたルージュがやけに鮮やかで、今にも罵倒の言葉を吐き出しそうだ。派手な化粧で飾り立てた目も、今にも開いてこちらを睨みつけるのではないか。


「俺を恨むなよ。探偵気取りで嗅ぎ回るお前が悪い」


 彼女は無関係だった。殺すつもりなんてなかった。

 ただ、彼女の異様な記憶力、そして普通の者なら気にも留めないような些細な違和感に気付く観察力が恐ろしかった。

 復讐をやり遂げるためにはどうしても彼女が邪魔だった。


 凶器ナイフをそっと抜き、折り重ねたバスタオルで腹部を覆う。

 上からブランケットを被せておけば、誰もが彼女は寝ていると思い込むだろう。そうすればまた時間を稼げる。

 部屋の中の物をすべて元の位置に戻し、最後にもう一度死体を確認する。抵抗したときに剥がれたのか、一か所だけネイルがボロボロになっていた。

 それに、艶やかな黒髪が一筋、ソファからこぼれている。


「いい女だったのに、もったいなかったな」


 侮蔑の言葉を投げ捨て、犬森は静かに部屋を出る。

 夜が明ければ警察が乗り込んでくるだろう。それまでにの関係者を全員殺さなくては。

 この復讐劇は、絶対に最後までやり遂げねばならない。

 そうしなくては、十五年前に死んだ婚約者が浮かばれない。


   ***


 犬森が出て行った部屋で、女は笑っていた。

 たいていの殺人鬼はどこかで必ずミスを犯す。

 だが、犬森はまれに見る慎重な殺人鬼だった。彼は過去の復讐に燃える一方、冷静沈着に殺人をこなしていた。おそらくアリバイも捏造されているだろう。


 山奥の別荘。外部に通じる唯一の道は落石で塞がれた。

 別荘は陸の孤島となり、その中で一人、また一人と殺されてゆく。

 犯人に結び付く手がかりを得られないまま犠牲者の数ばかりが増えていった。


 だから、こうするしかなかった。

 女は自分を囮に犯人を呼び寄せ、命と引き換えにダイイングメッセージを遺した。

 もうじき顔見知りの刑事がここへやって来る。そのメッセージは他の者が見てもわからないが、十五年来の腐れ縁の彼ならきっと気付いてくれる。

 そうすればこちらの勝ちだ。決して犯人を逃がしはしない。


 絶命してもなお、女は笑う。

 勝利を確信して。

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死体探偵 ハルカ @haruka_s

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