第4話 滝に打たれる師匠

「ふぅ……。無事に目覚めてくれてよかった……」


 クロムの部屋から出た私は、扉を背にそうつぶやいた。大した怪我ではないとわかっていても、好きな人が目覚めないというのは不安なものだ。とはいえ、目を覚ますまでずーっと顔を覗き込んでいたのは、少々おかしな行動ではあるかな……。


 でも、クロムの寝顔があんまりかわいいもので、一度見るとなかなか目を離せなくなってしまう。寝室は別だし、寝顔を見る機会なんてそうそうない。かわいくって貴重なもの……。ならば目を離せないのも自然なことだろう。


 それに寝顔を見る以外に変なことはしていない。寝ている間に口づけをしようなんて……まったく考えていなかった! 本当だ! 私にそんな勇気はない!


「胸の動悸どうきが収まらない……」


 さっき、傷ついたクロムを隠れ家に運んで傷を治し、服を着せ変えてベッドに寝かせた。その最中は夢中だったからあまり気にならなかったけど、今を思えば私は彼の裸を見たことになる!


 思い出そうとすれば、その体の隅々まで思い出せ……。


「ここにいてはマズイ……! 滝に打たれなければ!」


 クロムのことを想うと魔力のコントロールが難しくなる。感情の昂りに合わせて体温が上がり、周囲の温度もどんどん上がっていくことになる。


 急いで隠れ家の外に出て、近くを流れている滝に向かう!


 私たちの住んでいる隠れ家は、深い山の中にある古くて小さな砦だ。中も外も基本石造りで、季節を問わずひんやりとした空気で満たされている。普通の人間なら肌寒いくらいだが、炎属性の魔術師には涼しくてとっても住みやすい場所だ。


 この山は湧き水が豊富で、そこかしこから綺麗な水があふれ出している。私たちの生活には、この湧き水を大いに活用させてもらっている。


 隠れ家と呼んでいるが、他に家を持っているわけじゃないし、罪を犯して何かから逃げているわけでもない。ただ、隠れ家がある山はほぼほぼ未開の山で、山道なんて当然整備されてない。それに霧が出ることが多く、魔獣も棲み着いている。


 隠れ家と呼んでいる理由は、以上の理由によってまったく人が近寄らないからだ。静かに流れる時間と自然の音、そして私とクロムだけの場所。2人だけの世界と言ってもいい。


 まあ、そうは言っても私が住んでいることを知っているごく一部の人間が尋ねてくることはある。みな険しい山の環境をものともしない豪傑だ。


 そして、そんな人間がわざわざ来る時というのは、どうしても解決できない厄介事を抱えている場合が多い。私もまだ人の心を持っているから、見知った人間の頼み事とあれば引き受けることもある。


 その時は一時的に山を下り、わずかな時間だけ表舞台に姿を現す。もちろん、修行の一環としてクロムも連れていく。実戦経験は新たな気づきを得られることが多い。


 しかしながら、ここ最近は来訪者もいない。おかげで魔術の基礎をより固めることができて、クロムはすごく強くなったというわけだ。


 でも、私はもっと強くなっていた。人に教えることで自分も学べるという話はよく聞くが、それをここまでわかりやすく体験したのは初めてだ。おかげでとても気分が良い。久しぶりに新しい術でも生み出してみようかと思えるほどに……!


 だが、まずはこの火照ほてった体を冷ます。さっきの手合わせでごっそり魔力を持っていかれたから、一旦体を落ち着けて魔力の回復に努める必要がある。


 そんな時に便利なのが隠れ家の近くを流れている滝だ。修行と聞けば滝をイメージする人が多いと思うが、炎の魔術師にとっての滝行は精神修行だけではない。体の無駄な熱を取るためにも使えるし、低温環境で体温を維持するための訓練にも使える。非常に合理的な修行場なのだ。


 私は服を着たまま滝壺に入り、滝の真下に置かれた巨石の上に座る。ここにいれば、後は大自然の力が私の心と体を落ち着かせてくれる。多少よこしまなことを考えていても水が押し流してくれる……。そんな油断から私は本当に余計なことを考えてしまった。


「クロムの体……立派になってたなぁ」


 服の上からでも筋肉がついていることはわかっていたけど、実際に見るとその均整のとれた体つきは美しいと言わざるを得ない。まるで古代の彫刻のように見事なものだ。出会った頃はかなりひょろっとしてて線が細い印象だったけど、3年で変わるものだなぁ……男の子って。


 師匠として弟子の成長を喜ぶ心と、女性としてその肉体に見惚みとれる心が入り混じって、胸の動悸と体温の上昇が激しさを増す。


 でも、大丈夫。

 滝に打たれていれば自然と……。


「……ん? 水が流れて来てない?」


 我に帰ると、自分の体に一滴の水も触れていないことに気づいた。まさか、滝の水が枯れてしまっている……?


 いや、そんなことはない。この山は水が豊富で、ここ数日も山頂付近では雨が降っていた。それに私が滝壺に入る前まではちゃんと水が流れていた。となると、原因は……。


「私か……!」


 上を見ると、私の頭上1メートルあたりで落ちてきた水が蒸発していることに気づいた。私の周囲が高温になりすぎて、水が水でいられなくなっていたんだ……!


 驚くと同時に自分の成長に感心する。炎を出していないのにこれほどの熱量……。つまり、魔術ではなく純粋に魔力を放出するだけで、周囲にこれほどの影響を与えているということだ。


 それに安定している。水が蒸発するたびに熱が奪われているはずなのに、この空間は揺らがない。依然として半径1メートル以内の水を蒸発させている。今、この空間は私の魔力の支配下にあると言ってもいい。これは新しい魔術の開発に使えそうだ……!


「いやいや、今そんなことをされても困る……!」


 今はなにより心と体を冷ましたい気分なんだ。この魔力の放出を抑え込み、冷たーい水を全身に浴びてスッキリしたい!


「平常心……平常心……!」


 落ち着け……。邪念を捨てて、心を無にするんだ。というか、いつの間にか滝行の本質である精神修行に原点回帰してしまったな……。


「そうだ。服を脱いで少しでも熱を……」


 でも、クロムがここに来たらどうする?

 もちろん、彼もこの滝のことを知ってるぞ?

 それとも……裸を見たお詫びに、自分の裸も見せたいと思ってたり……?


「むむむ……あっ! 水がさらに遠くに……!」


 変なこと考えたから灼熱の空間が半径2メートルまで広がってしまった!

 しかも上から流れてくる水だけでなく、滝壺にたまっている水まで蒸発させている……!


「私もまだまだ未熟……! これも修行だと思って平常心……平常心……!」


 なんとか夕食までには帰れますように!

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