30人のマイバラード

さくらみお

前 編


 静寂に包まれた体育館に、一つの足音が響いた。


 ――それは履き古した上履きのゴムの擦れる僕の足音。

 向かうは緞帳どんちょう脇から歩き出して九歩先にある、小さな指揮者台しきしゃだいへ。

 僕は深呼吸をして、それに乗った。


 観客席にお辞儀をして回れ右をすれば、真っ先に目に入るのは、センターに立つ小柄な小杉こすぎ歩美あゆみ

 小杉は緊張している僕に、ガッツポーズを見せた。答える様に僕は大きく頷く。


 それから全員を見渡す。

 3年1組の28人が僕を見つめている。

 クラスメイトは僕を入れて29人。


 ――でも、本当は違うんだ。


 僕ら3年1組の歌は、本当は「30人」で歌うはずだったんだ。

 一つ、音が足りない僕らの歌声。


 ……海藤かいとう麻衣まい


 君の歌声だけが、足りない……。



 *



 それまでの3年1組は、とても雰囲気が悪いクラスだった。


 原因は5月に行われた体育祭だ。

 その数日前、クラスのリーダー格の小杉こすぎ歩実あゆみが放課後にある提案したのだ。


「ねえ、みんな! 体育祭でお揃いの物を作って盛り上げない?」


 女子は既にその話を知っていたのだろう。小杉は男子達に焦点を合わせて言った。乗り気の女子と反して、男子の反応は悪い。


「……一体、何をする気なんだよ?」


 知りたくない提案を、後藤が小杉に尋ねた。


「お揃いのミサンガはどうかな?」

「……それ、自分で作るの?」

「当たり前じゃん」


 うちのクラスは運動部のヤツが多かった。

 もうすぐ中体連も近いから、部活に力を入れたい者はその話に凄く嫌そうな態度を出した。正直みんな、口から「めんどくせえ」って言葉が出かかっていた。

 僕も剣道部だったし、苦手な手芸で時間を割かれるのは、授業だけでこりごりだった。


 そして、いつまでも提案に賛同しない気配を感じた小杉は、あからさまにムッとする。


「何よ、ミサンガ作るくらい簡単でしょう!?」

「じゃあ、小杉が男子の分を作ればいいじゃないか!」


 野球部のつつみが小杉に反論する。

 すると小杉はそれは違うよ! と首を振り、


「自分で作るから意味があるのよ!」

「そーよ。ミサンガなんて、すぐに作れるわよ!」

「作り方は教えるから」


 小杉のとりまき女子達も口々に言う。

 しかし、男子達も負けじと提案を却下させようと反論していると、クラスで一番大人しい女子が、おずおずと集団に歩み寄って来て、か細い声で言ったのだ。


「あ、あの、私、作ろうか……?」


 みんなが口論にヒートアップしていて、その声を聞き逃したが、僕だけは彼女の声をしっかりと聞き取って振り向いた。


 海藤かいとう麻衣まい


 透き通るような白い肌をした、小杉よりも更に小柄な女の子。

 薄い色素のショートカットに、くりっとした大きな目をしていた。手足も細く、私服だったら小学生に間違えられそうな容姿。

 いつもオドオドしていて、クラスに馴染めないせいか、時々学校を休んでいる。


 僕は海藤さんと目を合わせた。

 すると、恥ずかしそうに目を逸らした。その足は小刻みに震えている。


 ……この調子だと、さっきの発言をもう一度する勇気は無さそうだ。

 だから、僕が代わりに言った。


「ちょっとお前ら! 海藤さんが作ってくれるって言っているぞ!」


 僕の声に、喧嘩寸前けんかすんぜんの口論が止まった。

 そして、みんなが海藤さんを見つめる。


「え……?」


 みんなの驚きも無理は無い。

 自分から意見を言うタイプじゃないから。

 今も注目されて肩を震わせている彼女。

 僕はピンと来た。


「……もしかして海藤さん、手芸得意なの?」


 僕の問いに海藤さんはものすごい勢いで首を横に振った。思惑おもわくが外れて、思い切り肩透かたすかしを喰らう僕。


「わ、私は、部活やっていないから、作る時間もあるし……」


 その時の僕は、これを言葉通りに受け取り、彼女なりのみんなへの気遣いなのだと解釈した。だから僕は意見した。……正直、この厄介な案件を早く終わらせたかったのもある。


「じゃあさ、海藤さんに男子の分を作って貰おうよ。どうかな?」


 僕の意見に、海藤さんは明るい顔をしてコクコクと何度も頷いた。

 小杉は最後まで嫌そうだったが、僕が説得すると渋々ながらも妥協し、女子は赤いミサンガを各自で、男子の青いミサンガは全部海藤さんが作る事になった。



 ――その日から、海藤さんは休み時間になるとミサンガを作っていた。


 元々、仲の良い友達は居なかった彼女。

 読書をしているか、ぼんやりと外を見ている子だった。そんな彼女は虚ろな目をしていたが、今は生き生きとミサンガを作っている。


 うちのクラスは男子が16人。そして海藤さん自分の分を入れて合計17本のミサンガを作らなければならない。

 僕はちょっと心配だった。

 彼女の華奢な見た目のせいかもしれないが、とても無理しているんじゃないかと思った。

 気になって僕はミサンガを作る海藤さんから目が離せなかった。

 体育祭は土曜日に行われる。

 今日は木曜日で、相変わらず授業以外はミサンガを作り続ける海藤さん。その目は本当に輝いていて、僕はなんでこんなにやる気なんだろうと不思議に思っていた……。



 そしてついに土曜日。

 体育祭の日がやって来た。




 ――海藤さんは、体育祭を休んだのだった。


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