47.屍を踏む ― 4

 ブガラッド・カラエ。



 この男は絵に描いたような郷土愛の強い正義漢で、三年前の密告の際、キラジャを侯爵領まで護衛してくれた人物でもあった。


 前伯爵である父のやり方に細かく口出しをして煙たがられ、騎士団をまとめ上げる役を降ろされた過去を持つブガラッドは、中立派・対立派から幹部登用を進めていたヴェラハーグの目に留まり、元の座へと返り咲いていた。



 ヴェラハーグがブガラッドを後ろ盾に指名したのは、関係者への聞き取り調査にて、彼が汚職から最も遠い人物として名が上がったからであろう。


 ブガラッド本人と面談したヴェラハーグも、噂に違わぬ潔癖さに『この男であれば』と確信して、後を託した。


 正義の下に家族を罰したキラジャのことを、邪心なしに評価していたブガラッドだ。

 真面目な人間同士……と、ヴェラハーグは考えていたのだ――。




 ヴェラハーグが伯爵領を発ってすぐ、ブガラッドはキラジャから呼び出しを受けるよりも先に、自ら伯爵邸へと足を運んで挨拶に訪れた。


 一挙一動に威圧感を纏わせたこの男は、一人になったキラジャが心配で飛んできたのだと言う。


 自信に満ちた面構え……ギラギラと輝く闘争に飢えた瞳……彼が腕力をもってして、他者をねじ伏せる人種だということは想像に難くなかった。


 だが護郷ごきょうの戦士として味方に付いている分には、頼もしい限りである。

 それにブガラッドが使える男だということは、キラジャがよく知っている。


 現にブガラッドは邸宅を訪れる前に各所を回り、若き伯爵を抱き込まんと策謀さくぼうする連中に釘を差していた。


 地位のある能動的な部下は、困難な状況下において重宝する。

 能力があり、経験もあり、統率力、忠誠心、訓練された配下の多さ……ブガラッドにはどこを取っても、そばに置いておきたいと思わせる魅力があった。



 ―― が、惜しむらくはその排他性である。



 『ブガラッドは郷土愛の強い正義漢』 ……というのがキラジャの見解であったが、この評の『正義漢』の部分には誤りがあった。


 ブガラッドは並外れた愛郷心の持ち主ではあるものの、彼が慈悲を向けるのはあくまで“土地”であり、そこに住まう人々ではなかった。


 降格の原因である前伯爵への口出し……あれも全て、故郷を案ずるが故の行動だったのだ。



 例の悪行が国の調査によって暴かれた場合、当然恩情は得られず、それどころか今よりも厳しい罰則を与えられていたことだろう。


 ブガラッドは領地経済の低迷を危惧していた。

 先人から受け継いできた偉大なる土地を、自分達の代で痩せ細らせるなどあってはならないことだからだ。


 だからキラジャから護衛を頼まれた時は、ようやく真に故郷を憂う主人が現れたと歓喜した。


 実力が物を言う世界で生き抜いてきた男が、何の実績もない少年に友好的であるのは、悪しき父親を自らの手で裁き、自領を発展させようという情熱に魅せられたからであった。



 ブガラッドの手助けもあり、独り立ちへの不安が幾分か払拭ふっしょくされたキラジャであったが、両者の関係はすぐにほころびが生じることとなる。



 一言で表すならば、ブガラッドはキラジャが“こうありたい”と願った、だった。



 ブガラッドは縦社会で生きてきた弊害なのか、とても支配的な人間で……主人であるキラジャに対しても、己が良しと思った道を歩かせようと、やること成すことに口を出してきた。


 同じく他者を制したい気質のキラジャが、言いなりになるはずもなく……二人はたびたび意見の衝突を起こしていた。



 特にこの日は、亡くなった侯爵の葬儀参列のために贈り物を手配していたさなか、ブガラッドがヴェラハーグのことを蔑称べっしょうで呼ぶので、彼を慕っていたキラジャが腹を立てて食って掛かったのだ―― ……。



『騎士のくせに義理を欠くとは何事だ? ヴェラハーグ様はお前を今の座に呼び戻してくださった恩人であるのだから、そのような無礼な発言は慎め』

『キラジャ様……あなたはアトラスカに気を許しすぎている。かの者は一時的に手を組むには都合の良い相手ですが、深い付き合いは避けるべきです。葬儀の参列を最後に距離を取りなさい。これからは私が良しと判断した者とだけ、親交を深めることを許可します』



 断頭台に送った父のように……いや、それ以上に抑圧的なブガラッドの命令口調に、キラジャはカッとなって反論に出た。



『お前はいつもそうだな……私に命令するな! 子供だからと侮っているのか!? 誰とどう付き合おうが私の勝手だ! いちいち口出しをするなっ!』

『ああ、まったく嘆かわしい……純真さは愚かさの象徴です。あなたも人を統べるからには、もっと疑り深くなりませんと。所詮アトラスカは“中央”の人間……あなたの孤独な心に付け入った悪魔です。良い機会ですから、真実をお教えいたしましょう。今こそ、敵と味方を見極める時です』



 宗教家のような諭す語り口は、キラジャを一段と苛つかせた。


 ブガラッドとの口論は何の特にもならない。

 彼の気分を損ねると最悪後ろ盾を失うことにもなりかねないので、キラジャは努めて冷静に振る舞うべきなのだが……排除したはずの“父性”を向けられると、どうしようもなく心がざわついた。



『まず前提として、王はこの伯爵領に配下を送り込み、外部の人間にとって都合の良い場所に作り変えてしまおうという魂胆の持ち主だということを、知っておいてください。先祖代々守り抜いてきたこの土地を、よそ者に好き勝手に荒らされる屈辱はあなたも十二分に感じることでしょう……要は“乗っ取り”なのです。現在伯爵領は、この地で生を受けた純血を滅ぼさんとする他領民の外圧に苦しめられています。ヴェラハーグ・アトラスカは征服せいふくの手引きをした悪の手先……善人の皮を被った、憎っくき仇敵きゅうてきなのです』



 ブガラッドの恨みがましそうな台詞に、キラジャはしばし思考を停止させた。



 外圧? 純血? 乗っ取り?

 この男は何を言っているんだ……そもそも同じ国に属しているのだから、別の土地から人が移ってきたからと言って、乗っ取りも何もないだろうに……被害妄想にでも囚われているのではないか……?


 よく分からない……よく分からないのだが……ブガラッドの言い分ではまるで……ヴェラハーグが王の指示で、自分の面倒を見ていたみたいではないか……?



 心ここにあらずといった様子のキラジャに、ブガラッドは続けて言った。



『野山を切り開いて居住地とするのも、資源を掘り尽くすのも、この地に生まれた者だけの特権です。全ての事業に国の介入を受けてごらんなさい……特に港の権限を奪われた場合は悲惨ですぞ。莫大ばくだいな利益の大半を吸い上げられ、我らが領地の懐に入るは未来永劫えいごう、微々たるものとなります。故郷の痩せゆく姿など、誰が歓迎できましょうか? あなたが正義の告発に踏み切ったからこそ、恩情により最悪の処分は回避できたものを……もし国の調査によって密輸の件が暴かれていれば、今頃はもっと酷い罰則を与えられていたでしょうね。御父上は愚かしい方でした。私があれほど忠言申し上げたのに、聞く耳を持たなかった。たかだか密輸で断首というのは、いささか行き過ぎた罰かと思われますが……最近は貴族の間で、法の網をかいくぐった脱税が横行しているという噂もありましたし、王としては見せしめのつもりで処刑の判断を下したのかもしれませんね。様々な条件が噛み合った上で、告発に適した良い時期だったと思われます。あなたは領地に降り掛かる被害を最小限に留めました。ご立派です、ご自身を誇りに思ってください』



 ブガラッドは放心するキラジャを見下ろして、淡々と言葉を放ち続けた。



 ―― いい関係だと思っていた。


 あちらを格上だと認め、気を許した。

 それがいけなかったのか?


 ヴェラハーグは純粋に自分を気に入って、可愛がってくれたわけではなかったのだ。

 楽しかった日々も全て、打算によって生み出された偽物だった。


 王も断頭場で期待しているとおっしゃったのは、嘘だったのか?



『みんな……私個人を評価してくれたわけじゃなかったのか……?』

『考えてもごらんなさい……アトラスカは多くの施設を建ててゆきました。街道を整備しました。いち領民として、その恩恵は無視できません。その点は私も評価しましょう。ただ、うまい話には必ず裏があります。これらの建設費用は奴が“つて”と話をつけ、ほとんど寄付のような形で提供されたと聞いています。こちらが支払うのは今後の維持費くらいだと……しかし、いくら裕福な侯爵家とはいえ、よその領地に無償で資産を与える真似をするでしょうか? キラジャ様、よく覚えておきなさい。詐欺師というのは常に善人を偽るのです。あなたは建設費用の肩代わりをしてくれたアトラスカを、善き隣人だと思ってしまったはずだ。だが長い目で見ると、維持費というのもかなりの金食い虫です。あなたはこれから国の補助金が減らされゆく中で、どうにかこうにか維持費を捻出ねんしゅつしていかねばなりません。そうして資金繰りに苦しんでいる時に、アトラスカは甘い言葉を並べて、再度手を差し伸べてくるでしょう。誘惑に負けて協力を仰げば、借りができたあなたは一層アトラスカに頭が上がらなくなってしまいます。このように、どんどんと負債を抱えていったルーゼンバナスは、ついにアトラスカの小間使いとしての立ち位置を覆せぬまま、史書ししょの端に名を残すこともできずに縮小してゆくのです。これはとても恥ずかしいことではありませんか、キラジャ様?』



 ブガラッドは攻撃的な勢いで自論を並べて、キラジャを追い詰めた。



 己を絶対視しているキラジャにとって、他者から弱者扱いされることは耐え難い屈辱だ。

 なのでブガラッドのこの無遠慮な言い草は、到底許せるものではなかったが……この時にキラジャが最も心乱された相手は、己の信頼を裏切ったヴェラハーグと王だった。



『王だってあなたのことを真に想っているのであれば、補助金は減らさなかったはずです。もしかするとアトラスカが頼りにした“つて”というのは、国庫だったのかもしれませんね。上と話をつけ、いずれ削減する分の伯爵領の補助金を建設費用に当てただけだとすると、奴もとんだ食わせ者だ……人から奪った資金で対外的評価を得るなど、盗人ぬすっと猛々たけだけしいとはこのことです。それを許容した国も国だ……―― と、これだけ説明すれば、キラジャ様も誰を信じるべきかお分かりになられましたね? よそ者と手を組んで、良いことなどありません。目を向けるべきは、“内側”の人間なのです』



 そう締めくくると、ブガラッドは自身の胸に手を添えて、ニッコリと柔らかく微笑んだ。



 ……乗っ取りがどうとか、処刑が見せしめであった可能性とか、建設費用が国庫から出ていたとか……仮説の真偽については、正直どうでもいい。

 いくら議論したところで、それらを確かめるすべはないし、そもそも興味がないからだ。


 少年の心を埋め尽くしたのは、ヴェラハーグと王への不信感であった。



 キラジャは他者を平気であざむくくせに、同じことをやり返されるのに弱かった。

 自分が損得勘定で動いたり裏切ったりするのは良いが、信頼を寄せた相手には常に嘘偽りなく、清白せいはくでいてほしかったのだ。



 親愛の分だけ憎悪は膨らみ、キラジャはこのやり取りを機に、ヴェラハーグと王に苦しみを与えてやりたいと願うようになった。



 “最低だよ、ヴェラハーグ……やはりセルヴェンの親なんだな。

 王も酷い御人だ。敬虔けいけんなる私の気持ちをもてあそぶなんて。



 家族を罰して正義の行いを成したというのに、こんな誠意のない対応を取られるとは思いもしなかった。



 もう誰かを信じるのはやめだ。

 もう誰も信じないぞ。



 全員、地獄に堕ちてしまえ”――。 






 侯爵領から戻ったきり、凡愚ぼんぐと化していた若き主人の目に、三年前と同じ燦然さんぜんと輝く闘志が宿ると、ブガラッドは感極まったように顔をくしゃりと歪めて笑った。



『ご安心を、キラジャ様……このブガラッド・カラエがあなたの足元を照らす明かりとなりましょう。“滅私奉公めっしほうこう”……私が若い時分より胸に刻み込んでいる言葉です。我々は同志だ……三年前、故郷のために鞭に打たれたあなたを見て私は確信したっ……!! あなたこそ私と並ぶっ、“真の愛郷者”なのですっ!! 近頃の領民ときたら犠牲心を失いっ、己の利益ばかり優先するようになった!! まっこと不甲斐ないことですっ!! しかしっ、どうでしょう!? そんな折にあなたが私の前に現れたっ!! 若くしてそれほどの献身を持ち合わせた御方は他におりませんっ!! 現世を憂いた地神ちじんが私とあなたを結び付けたのですっ!! 我々は出会うべくして出会った……まさに天命ですっ!! 我々は愛する故郷を悪しき侵略者共から守るためにっ、団結して進まねばならぬのですっ―― !!』



 キラジャの肩を掴み取り、感涙にむせびながら詰め寄ってくるブガラッドの姿は、実に狂気的であった。



 異常な男だと思った。

 愛郷の精神は本来素晴らしいものであるが、ブガラッドの場合は行き過ぎて形が歪んでしまっていた。


 キラジャの郷土愛など、演説のために適当に聞こえの良い言葉を並べた程度だというのに……まぁ、あれだけの痛みと恥を我慢して、騎士団を丸ごと抱き込めたと思えば安いものか。



 異常者ではあるが、こういったねじ曲がった人間の方が御しやすいのかもしれない。


 やはり自分は、人の上に立つ器なのだと身に染みて感じた。

 誰かをあがめて付き従うというのは性に合わない。このキラジャ・ルーゼンバナスが真価を発揮できるのは、目の前の男のように熱しやすく騙されやすい、阿呆を使役する時なのだ――。




 キラジャは冷ややかな視線を返しながらも、家族を売る計画を練っていたあの頃と同じ高揚感を湧き上がらせていた。



 そうだ、家長にだってなれたんだ。

 もっと“上”だって目指せるはずさ。



『ブガラッド……お前の忌憚きたんのない意見は頼りになるな。私はこれから非道を歩むかもしれないが、お前なら理解してくれるよな?』

『ハッ!! 勿論にございますっ!! ようやく我が忠言に耳を傾けてくださる主君と巡り会えましたことをっ……このブガラッド・カラエ、幸甚こうじんの極みと存じますっ……!!』



 大きな体を丸めて頭を下げたブガラッドは、ぬるま湯に浸かっていたキラジャを目覚めさせてくれた。


 ブガラッドはヴェラハーグとは違った意味で、キラジャと相性が良かった。

 彼は主人に対してですら支配的ではあったものの、立場をひっくり返そうという大それた野心までは持ち合わせていなかった。


 あくまで騎士として、忠誠心を捧げた主人から与えられる名誉をありがたがった……。






 こうしてブガラッドの独演会は幕を下ろした。


 少年期のキラジャは、ヴェラハーグから“忍耐”と“堅実”を……ブガラッドから“支配”を学んだ。






 数え切れない衝突はあったものの、侯爵領に到着する頃には、キラジャの身にはすっかりブガラッドの教えが染み込んでいた。


 喪主もしゅを務めるヴェラハーグの虚脱した姿を見た時、キラジャは“ざまあみろ”とさえ思った。

 そんな悪い方向に磨きのかかった自身の人間性に、成長すら感じていた。



 悲しげな面持ちで挨拶に向かうと、ヴェラハーグは心労を隠せていない作り笑顔を浮かべて、白々しくもキラジャと伯爵領への憂慮ゆうりょを口にした。


 やれ『最後まで面倒を見てやれなくてすまなかった』だの……『お前なら一人でもやっていけると信じている』だの……親を失くしてつらい中、それらしい台詞を並べて参列者に素晴らしい己を見せつけようというヴェラハーグの嫌らしい腹積もりに、キラジャは顔面に唾を吐き掛けてやりたい気分になった。



 他の参列者と同様に、侯爵が眠る棺桶かんおけを取り囲んで涙を流し……悲しみを共有するようにヴェラハーグを慰め続けたキラジャは、後日共に襲爵の儀に臨んで、正式に伯爵位を授かった。



 自領では本格的に責任を伴う統治に取り組み、弟妹や仲間達の面倒を見ながら、ブガラッドの協力を経て、未熟な新任領主にしては及第点きゅうだいてんの働きを見せた。



 そして十八歳の成人の年を迎えると、キラジャは親を裏切った仲間の一人……今や潰れてしまった商家の娘・ハリリィと結婚し、長子のイリファスカを授かった――。

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彼女の方が魅力的ですものね ヰ島シマ @shima-ishima

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