第14話 落球

「こ、こうこうせええええええ!!」


 宙を舞うボール。

 そのボールを眺めながら、俺はゆっくりと倒れそうになっていた。

 横では炎上少年が叫んでいる。申し訳ない。

 きっと、彼らは嘆くだろう。己の無力を、そして悲しみの涙を流すかもしれない。


 そん時、不意に視界の隅に銀色の光が見えた。

 その光は俺に問いかけていた。それでいいの――と。


 よくない……! 俺が勝手に割り込んで、負けましたでいいはずがない!

 この状況を涼風さんが見たら、どうする? あの人は必ず炎上少年たちの涙を見て、心を痛めるだろう。

 そんなの、認めてたまるか!


 気合で踏ん張り、身体を起こす。

 見上げればまだボールは宙を浮いていた。だが、もう地面に落ちそうだ。


「まだ、終わっちゃいねえええええ!!」


 地面を蹴りだし、ダイブする。

 土煙が舞い上がり、何も見えなくなる。だが、俺の手には確かにボールがあった。


「と、取った……!」

「バ、バカな……俺の球を受けて倒れないだと……?」


 土で汚れた柔道着を気にすることなく、俺は立ち上がる。

 黒城が驚いている今がチャンス!


「行くぞおおおお!!」

「ま、まさかまたあの正拳突き!?」

「なわけあるか! 冷静に考えたら、絶対に普通に投げた方がいい球いくだろ!!」

「確かに!!」


 ボールが俺の手から放たれる。その球は、油断しきっていた黒城の腕にあたり、地面に落ちた。


「あ……」


 黒城が小学生らしい間抜けな声を上げる。

 次の瞬間、俺の背後では炎上少年と桃城少女が手を取り合って喜んだ。


「や、やった! あの黒城を倒したぞ!」

「凄いよ! あの、全国大会出場チームのエースの黒城君を倒すなんて!」

「俺が……負けた……」


 膝をつく黒城。

 残すは眼鏡とあと一人。


「く、くそっ! まだ終わってない!」


 眼鏡じゃない方が俺にボールを投げるが、緊張のせいでひっかかったのか、その球は真下に行き、俺の方に点々と転がって来た。


「えいっ」

「ぐあああああ!!」


 眼鏡じゃない方は俺が投げたボールを捕ることが出来ず、本当に呆気なく終わった。

 更に、幸運なことにその少年に当たったボールは跳ね返り、俺の手元に転がって来た。


 残すは眼鏡だけ。そして、ボールを持っているのは俺。

 勝負はクライマックスへと突入していた。


「な、なんなんでやんすか! 突然現れて、そんな泥だらけになってまで、なんであいつらを助けるでやんす!」

「助けたいと思ったからだ」

「ふ、ふざけるなでやんす! こんな小学生をいじめて楽しいでやんすか!?」

「楽しくねーよ。だけど、お前らの横暴な行為がまかり通るのを黙って見てるのは胸糞悪い」


 その言葉と共にボールを投げる。

 眼鏡は碌に捕球しようともせず、情けない悲鳴を上げる。そんな眼鏡の足にボールは当たった。


 転々と転がるボールを拾い、そのボールを後ろにいる炎上少年たちの方に放り投げる。

 それから、眼鏡たちの下へ向かう。


「約束通り、ボールは返して貰うからな。場所はお前らとあっちの少年の間の約束だから、俺は干渉しない。力があるからって何でもやってもいいと思うのはやめとけよ」


 そう言って、俺は彼らに背を向け自動販売機に向かう。

 元々俺は部外者だ。ここらでクールに去るとしよう。


「こ、高校生さん! あ、ありがとう!」

「ありがとうございます!」


 背中から炎上少年と桃城少女の感謝の声が聞こえた。


 感謝されたくてやったわけじゃないけど、それでも感謝されるとやはり気分がいいもんだな。

 じゃあな。少年少女。


 そんな思いを込めて、手を軽く振った。



***



「飲み物、飲み物~っと」


 鼻歌交じりに自販機の傍に近づいた俺は、飲み物を買おうとしてとある事実に気付く。


「さ、財布忘れた……!!」


 普段俺はズボンのポケットに財布を入れる。そうすれば存在を忘れないからだ。

 しかし、俺が今着用しているものは柔道着。

 そう、柔道着にはポケットがない。


 取れると思い込んでいた水分が取れない。

 その事実に目眩がする。


 既に晴天の下、何時間も俺は運動している。おまけに先ほどドッヂボールという激しい運動をした。

 汗となり体外へ放出された水分に塩分、ミネラルの量はもう計り知れない。


 かくなる上は……。


 その場でしゃがみこみ、自販機の下を覗き込む。

 自動販売機の下は宝の山だって亡くなったじっちゃんが言っていたからな。

 頼む、百円でいいからあってくれ!


 じりじりと照り付ける日差しの下、血眼で硬貨を探す。自販機の下は流石に暗くて見えにくいが、その中で金属のようなものが目に入った。


 あ、あれは……! くっ、届け……!


 必死に腕を伸ばすが、指先に触れるだけで掴めない。

 ちょっと頑張れば取れそうだからこそ、諦めきれない。


「と、届けぇ……」

「何しているのよ」


 頭上から降り注ぐ声に振り返ると、そこには呆れた表情の涼風さんがいた。


「す、涼風さん!?」


 そういえば、ドッヂボールをしていた時に銀色の光が見えた気がした。

 ここに涼風さんがいるということはやはりあの光は涼風さんだったのか。

 か、勝てて良かった……。


「何を飲むつもりだったの?」

「へ?」

「だから、何を飲むつもりだったのよ?」

「スポーツドリンク……ですかね?」

「どうして疑問形なのよ」


 そう言うと、涼風さんは小銭を自販機に入れスポーツドリンクを購入する。


 なっ……! まさか、スポーツドリンクが欲しいと言った俺の目の前でこれ見よがしにスポーツドリンクを購入するなんて……。

 ひ、酷い! いや、これは涼風さんを脅迫した俺への罰……!

 甘んじて受け入れるしかない。


 そう思っていると、意外にも涼風さんは俺に購入したスポーツドリンクを俺に差し出した。


「はい。人の目もあるのだから、そんなことしないの」

「い、いいんですか?」

「熱中症で倒れる方が大事でしょ。飲み物一本くらい上げるわよ」


 女神かな?

 なにはともあれこれはありがたい。正しく神からの恵みと言っていいだろう。


「ありがとうございます!」


 アスファルトに額をつけ、感謝を告げる。

 それからスポーツドリンクを喉に流し込む。


 う、美味い……! 絶妙な甘みと塩味。さっぱりした後味が運動後にはたまらなくいい。

 全身の細胞が喜びに打ち震えている。


 改めて涼風さんにお礼をと思い、顔を上げる。

 その瞬間、俺の目に飛び込んできたのは、機動性を重視したタイトなスポーツウェアに身を包まれた涼風さんの姿だった。

 思わず咄嗟に視線を逸らしてしまう。


「どうしたの?」


 どうしたもこうしたもない。

 身体のラインがくっきり見えてしまっているのだ。これを気にする俺が変態なのかもしれないが、どうしても腰のくびれとか、控えめながらもちゃんと主張している一部とかに目がいきかける。


「いや、空が綺麗だなーと思ってので」

「ああ、そうね。今日はいい天気よね」

「ですよねー」


 会話終了である。

 今更ながら気付いたけど、俺と涼風さんの接点って殆ど無かった。

 本当に脅迫した時と亀田の件で話はしたが、それ意外だとクラスも違うし、放課後だって生徒会長として忙しい涼風さんと話す機会はない。

 どうしよう。


 頭脳をフル回転し、話題を探していると涼風さんがおもむろに口を開いた。


「冴無君、この後時間はある?」

「あ、はい」

「それじゃ、少しだけ話さない?」


 そう言いながら涼風さんは木陰になっているベンチを指差した。

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