クランクハイト 4

 俺が恐れていたことは、思ったよりも早く現実のものとなった。

「痛いっ!」

 エリスがいつもどおり午後の授業をしている間、ミアがいきなり声を上げた。自分の右手を胸に抱え、椅子から転げ落ちる。

「どうしたの!」

 エリスが持っていた教科書を教卓に置き、ミアのところへと駆け寄っていく。

 ――やっぱりだ。

「みんなは座ったままでいろ」

 俺もまた、床に倒れたミアに駆け寄った。

 彼女の右手、手首から五指の先までが赤くなっていた。

「火傷している」

 エリスがつぶやく。

ほんの数秒前まではいつもの白色の肌で、異常もなかったのに。

「どうして、なんで……?」

 ミアは豹変した自分の右手を見つめている。普段は明るく、怖気づいたところを見せない彼女が、体を震わせていた。

「水を持ってきてくれ。バケツいっぱいに」

 俺が指示を飛ばすと、子供達の三人が急いで教室を出ていく。

「私、包帯とガーゼを持ってくる」

 ムーテルもまた、教室を飛び出した。

「何なの……これ?」

 ミアが痛みと恐怖で震えながら、俺に尋ねてきた。

「クランクハイトの副作用だ」

 火や氷を操ったりした後、たまに人体にこのような現象が起きる。四年前のレヴォルツィオンでもそうだ。力を使いすぎた構成員達の多くが、戦場で突如として火傷や凍傷に苦しみ、悶えている間に鎮圧部隊によって殺された。中には、火の手のない通りの真ん中で焼死体が発見されたという例もある。レヴォルツィオンが失敗に終わった原因は、構成員たちの統率の欠如だけではない。

 これが、クランクハイトの能力の使用が避けられる最大の理由だ。

「私、どうなるの? このまま死ぬの?」

 火傷で痛む自分の右手をかばいながら、ミアは怯えた目を俺に向けた。

 クランクハイトを使用すれば寿命を大きく縮めてしまう、と教えたのは俺だ。

「ただの火傷だ。ちゃんと手当てすれば元通りになるし死にもしない」

 できるだけ優しい言葉をかける。

 そのうち水道に水を汲みにいった子供達が戻ってきた。バケツにたっぷりと水が満たされている。

「ミア、しみるが我慢してくれ」

 俺はミアの右手を取ると、ゆっくりと水の中に浸す。冷たい水が火傷にしみて、ミアは顔を歪めるが、弱音は吐かなかった。

「エリス、救急箱、持ってきたよ」

 やがてムーテルも教室に戻ってくる。

「ありがとう。ちょうだい」

「いいよ、私がやる。エリス先生は授業を続けて。三人もごめんね、私なんかのために」

 ミアが立ち上がる。

「そんなわけにはいかないよ。大人しくしてて」

 エリスはミアを止める。

「でも自分で」

 できる、と言いかけて、ミアは痛みに言葉を途切らせた。エリスはムーテルから救急箱を受け取る。

「じっとして」

 エリスはそっと、ミアの濡れた右手を拭った。火傷したところにそっと軟膏を塗ると、ガーゼで覆っていく。

「痛みは?」

「……ちょっと楽になった」

 それを聞くと、エリスは笑みを浮かべた。

「よく我慢できたね」

「子供扱いしないで。こうなったのは私のせいなのに、どうして手間を取るようなことするの?」

「私がこうしたいから。教え子の傷の手当てくらい、迷惑だなんて思ってないよ」

 ミアは、意地を張ってエリスと目を合わせようとしない。だが、ほっとしたように、口元を緩ませていた。

エリスはミアの右手に包帯を巻いていき、とりあえずの応急処置を終えた。

「とりあえず、ミアは部屋に戻って、休んでいて」

 エリスは、右手を見つめたままのミアに告げた。

「いいよ、私このまま」

「今は休まないとだめ」

 きつく言い聞かせたのが功を奏したらしい。「……そうする」とミアはぼそぼそとつぶやいた。

「俺が一緒に行くから。ムーテルも来るか?」

「それがいいかもね。ミア、行こう」

 ムーテルが、ミアの左手を取った。ミアはすぐには歩き出さなかったが、ムーテルが手を二、三度引くと、やっと歩き出した。

 廊下に出てから、ミアは黙り込んでいた。 不満そうにしているし、 かといって動揺は隠しきれないらしく、ムーテルに引かれる左手が震えている。

 三人は学校の校舎を抜けて、隣の少し大きめの建物に入った。クランクハイトが蔓延する前までは教会として使われていた。 かつて礼拝堂だった食堂兼談話室を抜けて、ミア達の寝室に入る。

「とりあえず今日は寝ていて。後の心配はしなくていいから」

 ムーテルは言い聞かせるが、ミアは普段自分が使っているベッドの前に突っ立っていた。

「こんなことになるなんて思わなかった」

 そう、自分の右手を見つめている。俺はじれったくなって、彼女を抱え上げた。ベッドの上に横にする。

「ナオト、らんぼー」

 ミアは口を尖らせるが、ベッドから出ようとはしなかった。

「壁のこちら側では、クランクハイトの能力を使う人なんてほとんどいないからな。忘れていたとしても無理はない」

「火傷、これ以上ひどくなったりはしないよね」

「しない」

「よかった。こんな時間に寝るなんて、今は授業中だから、後ろめたいな」

「みんなのことは気にせずに寝ていたらいい。エリスもそう言っていただろう」

 俺がそう言うと、ミアは口元を緩ませた。

「おやすみ」

 ミアは毛布にくるまって、目を閉じた。すぐに寝息を立て始める。

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