13. 七日目 ~🐜8匹

 七日目。約束の一週間。

 ポリポット世界の命の消費期限は、今日までだ。


 仲間の、人間の魂を宿らせている幻影虫たちが次々と倒れる。


 だが、片貝かたかい寧夢ねむ折小野おりおのじょうは死ななかった。

 おそらく蟲の死から捕れるあの蜜を摂取したせいだ。


 夜には仲間の幻影虫は死に絶えた。

 そこら中に死骸から溢れた黄金の蜜が染みついていた。

 それに蟲蟷螂むしかまきり蟲喰むしくあぶが群がる。


 寧夢たちと天敵と地上の翅しかいない世界になった。






 翌朝。

 このポリポット世界に来て八日目の朝だった。


 地面に広がる死から生成された美しい雫を吸い、生きる事もあるいはできたかもしれない。


 だが、寧夢はそれより光の粒を運ぶ事をまたしても優先していた。

 丈も何も異を唱える事なく、そうした。


 寧夢が地表に顔を出し、羽化したばかり蝉のように乳白色が透ける翅に光を受け渡そうとした時。


 蟲地獄むしじごくと鉢合わせた。


 きびすを返し逃げようとする寧夢を「待って」と引き留めた。


「翅をあげます。大抵の天敵は幻影虫より翅を好むの。翅の欠片があればあなたは天敵から逃げられるわよ」


 蟲地獄――彼女の背後に咲く蝶の翅を見上げた。


 美しかったはずの翅の一枚は、解れて穴開きになっていた。


 寧夢は警戒を解かぬまま尋ねた。


「――条件は、何でしょう?」


「別にないの」


「え……?」


「だからないわよ。ただの翅を無駄に腐らせるのが忍びないだけ」


 彼女は意地っ張りの少女のように口を尖らせた。






 寧夢は蟲地獄から翅を受け取らず、丈の元に帰った。


 夜が来ていた。

 何処もかしこも死骸から零れた黄金の蜜で輝いていた。星空をひっくり返したような眩さだった。


 通路の行き止まりに寝床を作った。

 行き止まりになっている穴倉の出入口に、光の粒と金色の雫を散らした。天敵たちがそっちに気を取られてくれるように。


 寝床の奥に丈と寄り添って横になった。

 久しぶりに穏やかな心地で二人で語らう。


「丈君は、シーリングスタンプって知ってらっしゃる?」 


「……スタンプ……?」


蝋封ろうふうと言うのだったかしら? 手紙に封をする時に蝋を垂らしてスタンプを押すでしょう? 以前お姉さまがそれにかなりハマっていらしたの」


 この夜、珍しく寧夢はお喋りだった。


「そう、なんだ。俺、実物見た事ないよ」


「ふふ、わたしもあまり詳しくはないの。お姉様は完全に趣味でしたから。何百種類もシーリングワックスとスタンプを壁に飾って」


 くふふ、と丈が笑った。

 心から零れた彼の笑い声が、寧夢は好きだった。


 寧夢は通路の先を物憂げに見やった。


 ――あの蜜を、金色の綺麗な光の蜜を見ていると透明に溶ける蝋を思い出す。

 今ではもう人間だった頃の思い出のほうが現実味がない気すらするのだ……。


 丈が寧夢の手を握った。


「きっと、寧夢ちゃんのほっぺの桃色と同じくらい、可愛くて綺麗なんだろうな。

 だから阿夢あむさんも熱心にコレクションしたんだよ」


 彼はおどけてわざと気障な物言いをしたらしく、照れ隠しにすぐに変顔して肩を竦めた。


 寧夢は嬉しくなって、くすくす肩を揺らして、彼の手をぎゅっと握り続けた。


 二人とも示し合わせたように、互いの決定的な過去には触れなかった。






 九日目の朝。


 寧夢のからだは遂に寿命を迎え、はらりと花弁が落ちるように、静かに溶けた。





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