第40話 二人の怒り

 だからこそ、私はネイサン様に視線を向けて「お久しぶりです」とだけ声をかける。


 あくまでも他人行儀を貫く。だって、私と彼は所詮他人なのだから。


 そういう意味を込めて言ったのに、彼には伝わらなかったらしい。


「エレノア。そんな、他人行儀な言葉をかけないでくれ……!」


 白々しく、彼はそんなことをおっしゃった。それに、私は軽い殺意を抱いてしまう。勝手に追い出しておいて、何と身勝手なのだろうか。


 一瞬そう思ったけれど、彼が追い出してくださらなければ私はカーティス様と出逢えなかった。その点では彼に感謝しないといけないのだろう。……感謝なんて、したくもないけれど。


 ネイサン様が立ち上がって私の方に近づいてこられる。私はそれを軽く無視し、カーティス様のお隣に腰を下ろした。


 そうすれば、カーティス様が「大丈夫か?」と私に声をかけてくださる。なので、またこくんと首を縦に振る。


「エレノアは……その」

「どうなさいましたか?」


 何処となく歯切れの悪い彼の態度に私はにっこりと笑って言葉を返す。


 彼にとって、それは屈辱的なことだったのだろう。眉間がぴくぴくと動いている。それが、何処となく面白い。


「エレノアは、俺の妻だろ!」


 ネイサン様が私の手首を力いっぱいつかんで、ぐっとお顔を近づけてそうおっしゃった。


 唇と唇が触れあいそうなほど近い位置にある彼の顔が、ひどく不快だった。


「だから、そんな男と親しくする権利はない! 今すぐクローヴ家に帰るぞ……!」


 私の手首を引っ張り、ネイサン様はそんな言葉を投げつけてこられた。そのため――私は、彼の手を思いきりはたいた。


 その瞬間、彼の目が大きく見開かれる。どうやら、私が反抗するとは思わなかったらしい。


「どうして、私が帰る必要があるのですか?」


 目を閉じてそう問いかける。すると、ネイサン様は息を呑まれた。が、すぐに現実に戻ってこられたらしく、私の肩を力いっぱいつかんでこられる。……痛い。


「エレノアの居場所はクローヴ家だろ? 出戻り娘として、実家で辛い思いをしているはずだ。それに、こんな家にいても利用されるだけだ。……帰ろう、な?」


 まるで幼子に言い聞かせるようにそう言われた。でも、不思議と何の感情も湧き上がってこない。


 ただ一つ、湧き上がるのは確かな怒りだけ。


「……お言葉、取り消していただけますか?」


 そっと彼にそう声をかける。


「……は?」

「カーティス様のこと、悪くおっしゃったことを取り消してください」


 静まり返った室内に、私の声だけが響き渡る。私が力強くネイサン様を睨みつけていれば、彼が軽く怯んだのがわかった。


 それに畳みかけるように、私は彼の顔を見てしっかりと言葉を紡いでいく。


「私のことはなんとでもおっしゃってください。ですが、カーティス様のことを悪くおっしゃることだけは、許しません」

「……エレノアっ!」

「カーティス様は、こんな私でも好きだとおっしゃってくれました。……私も、カーティス様のことを好いております。なので、貴方の元には戻りません」


 力いっぱいそういう。その唇は震えていた。


 そんな私の強がりに一番に気が付いてくださったのは、やはりというべきかカーティス様。彼は立ち上がられるとネイサン様の手首を掴まれていた。その手が、何故か震えている。


「俺からも言おう。……エレノアには、もう近づいてくるな」

「だ、だがっ!」

「一度捨てた人間が、恋しくなったのか?」

「……そ、れは」

「残念だが、エレノアはもう俺の婚約者だ。……さっさとお引き取り願おうか」


 いつもよりも数段低いカーティス様の声に……場違いにもドキドキとする。


 心臓がどきどきと大きな音を鳴らして、彼のかっこよさを再認識する。……私って、こんなにも乙女思考だったっけ? そう思ってしまうほどだった。


「……エレノアは、俺の妻だ」

「まだ言うか」


 しかし、ネイサン様はまだ引かない。もしかしたら、彼には彼で引けないわけがあるのかも――と思ったものの、そこを考慮してあげるほど私は優しくはない。彼にされた手酷い扱いは、私の心にまだ深い傷を残しているのだ。


「エレノア、戻ってきてくれ! 何だったら、宝石でもドレスでも、何でも買い与える。どれだけの散財も許す。だから、だからっ……!」


 今までのネイサン様らしくない態度だった。私がそれを怪訝に思っていれば、カーティス様が執事に「つまみだせ」と声をかけていた。……そんな彼の手をぎゅっと握る。


 そうすれば、カーティス様が躊躇いがちに私の方を見つめてこられる。


「……エレノア?」

「……少しだけ、彼とお話をしてもよろしいでしょうか?」


 言っていることが支離滅裂だということは、理解していた。


 だけど、何となく彼の様子がおかしいことに気が付いてしまった以上、彼の話を聞くのが元妻としての役目だと思った。


「ネイサン様」

「……あぁ」

「私からは、もう何も言いません。なので、突然心変わりした原因を教えてくださいませ」


 凛とした、冷たい声で。私は彼にそう声をかけた。

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