第37話 私の気持ち

「旦那様。ニコラです。少々よろしいでしょうか?」


 それからしばらくして、私とニコラはカーティス様の執務室を訪れていた。


 緊張からなのか、手に汗が伝う。


 でも、決めたの。私は――自分の気持ちをカーティス様にお伝えする。


「あ、あぁ、大丈夫、だぞ」


 しばらくしてカーティス様のお返事が聞こえた。


 なので、私とニコラは顔を見合わせて頷き合い、執務室の扉を開く。


「旦那様」


 まずはニコラが執務室に入る。そして、しばらくして私が入るという算段だった。


「なんだ。急用か?」

「えぇ、そんなところでございます」


 ニコラの心底楽しそうな声が聞こえてきた。それを聞いていると、余計に緊張してしまいそうになる。


 ぎゅっと手のひらを握っていれば、ニコラがこちらに顔を見せて「どうぞ」と言ってくれた。


「おい、誰か連れてきたの――」

「……カーティス様」


 私の顔を見て、カーティス様が固まってしまわれる。


 その表情に少しだけ傷つくけれど、私は意を決して執務室に足を踏み入れた。


「カーティス様。少し、お話がありまして……」


 俯きがちにそう言うと、カーティス様は「……お、れは」としどろもどろになりながら言葉を返してこられる。


「……悪い」


 しかし、すぐに謝罪された。それは一体何に対する謝罪なのだろうか? 私に失礼な態度を取ってしまったことに対する、謝罪なのだろうか? それとも、歯切れの悪い言葉を呟かれたことに対する謝罪なのだろうか?


「……エレノア。帰ってくれ」


 カーティス様がそう告げてこられる。


 その言葉にも傷ついたけれど、今はそんなことを気にしている場合ではない。


「今の俺は、お前に向き合うことが……その、出来ないんだ。だから――」

「——向き合わなくても、いいです」


 彼のお言葉に、私の口は自然とそんな言葉を返した。


「向き合わなくても、いいです。ただ、私の気持ちだけ、聞いていただきたいのです」


 その目をまっすぐに見つめて、私はそう言う。すると、カーティス様が露骨に息を呑まれたのがわかった。


「私は……自分が、カーティス様に相応しくないと思っていました」


 ゆっくりと自分の気持ちを口にする。


 自分の気持ちを口にするのは、こんなにも難しいことだっただろうか?


 昔は自然と出来ていたはずなのに、今じゃあ何よりも難しいこととなってしまった。


「……エレノア」

「私は出戻り娘です。そんな私がカーティス様と一緒になってしまったら、カーティス様が辛い思いをされる。経歴に傷をつけてしまわれる。そう、思っていました」


 そっとそんな言葉を紡ぎ出し、息を呑む。


 そうすれば、カーティス様は「……違う」と小さく呟かれていた。


 でも、私はその呟きを聞こえなかったように振る舞う。


「私は貴方様の性格が好きです。純粋なところも、傲慢なくせに人を思いやるところも。仕事熱心なところも。何よりも―ー初心で照れ屋なところも」


 私の言葉は震えていた。もしかしたら……と嫌な想像が胸中を駆け巡って、消えてくれない。だけど、言わなくちゃ。


「私は、自分の気持ちに正直に向き合います。もう、自分の気持ちを偽ったりしない」


 辛くない。辛くない。痛くなんてない。


 そう思い続けた一度目の結婚生活だった。


 けれど、それは所詮自分の心を誤魔化しているだけだった。本当は辛くて、痛くて、誰かに助けてほしいと思っていたのだ。


「私、エレノアは――」


 ――カーティス・クラルヴァイン様に恋をしています。


 静かに、凛とした声で。自分なりに言葉を紡いだつもりだった。


 なんと言われるだろうか?


 やっぱりお前じゃ嫌だと言われるだろうか。もう、気持ちは冷めたと言われるのだろうか。


 そんな嫌な想像ばかりが頭の中を駆け巡って、辛くなる。……カーティス様のお顔は、見ることが出来なかった。視線はどんどん下がっていく。


「……それだけ、です。聞いてくださり、ありがとうございました」


 あまりにもカーティス様が何もおっしゃってくださらないので、私はぺこりと頭を下げて執務室を出て行こうとする。


 迷惑だったんだ。やっぱり、私がカーティス様のお側に居ることは――できないんだ。


(……さようなら、私の初恋)


 もう、ここを出て行くしかない。このままカーティス様のお側に居たら、気持ちが爆発してしまいそうだから。


 そういうことを考えていれば、不意に「エレノア!」と後ろから声をかけられる。そして、私の手首を誰かがつかむ。


「……カーティス、さま?」


 その声は聞き間違えるわけがない。カーティス様のお声だ。


 だから私がそう声を上げれば、彼は「……その」としどろもどろになりながらもう片方の手でご自身の口元を押さえていらっしゃった。……もしかして、吐きそうになるほど気持ち悪かった?


「あ、あの……ご気分が優れないのならば……」


 一応そう声をかければ、彼は「違う!」と半ば叫ばれるようにおっしゃった。


「これは……その。こうしていないと、にやけてしまいそうだったんだ」


 そして、カーティス様は今にも消え入りそうなほど小さな声でそうおっしゃった。


 ……それは一体、どういう意味なのだろうか?

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