参拾肆

 灰燼かいじん妖魔の右腕、右前足を切断した灰燼鬼かいじんきは攻め手をゆるめずに前に出続ける。

 元々、妖魔とは負の感情の集合体であり、完成した姿である事で最も能力を発揮はっきする。


 その為、討滅とうめつの際に最も危険なのは戦闘開始の状態で有り、時間を掛けて攻撃を加え続ければその分だけ行動を阻害そがいしていく事が出来る。

 獣の様に手負ておいで形振なりふかまわなくなった時が最も危険という事も無い。

 その為、本来の姿を欠損けっそんさせた灰燼鬼は確実に灰燼妖魔を追い詰めていると言って良い。


 右半身の攻撃手段は逆関節の脚のみとなった灰燼妖魔は灰燼鬼の拳を後退して避けながら何とか左半身を前にした。

 左腕1本で灰燼鬼の放つ拳を防ぎ、追い立てられるように闘技場のはしに移動させられる。


 このままでは背後の逃場が無くなると判断した灰燼妖魔は大きく後退した。身を低くしてせまる灰燼鬼の上を素通すどおりする様に前方に大きくんだ。


 通常の生物は頭上ずじょうからの攻撃に対して対抗手段が少ない。

 灰燼妖魔は眼下がんかの灰燼鬼に向けて左手の指を向けてワイヤーを射出しゃしゅつし、横薙よこなぎに振って斬撃を放つ。


 跳躍ちょうやくに気付いた灰燼鬼は急制動きゅうせいどうを掛けて5本のワイヤーの内、2本の攻撃範囲で済む位置にとどまる。左肘から刃を伸ばし回転する事で刃でワイヤーを受け、そのまま切り飛ばす。


 着地した灰燼妖魔は2本が残る左足で制動せいどうを掛けながら床をすべる。滑りながらも左手で床を叩きながら灰燼鬼へ突撃する。

 左てのひらで自身の右肩をつかんで左肘を突き出し、肘刃ちゅうじんさきを灰燼鬼に向けた純粋じゅんすいな速度勝負の突きを放つ。


 灰燼鬼は左肘刃を振った直後で背後からの攻撃への対応は限られる。

 かろうじて首と視線で灰燼妖魔の動きを追っていた。突進してくる灰燼妖魔を見て、左肘のスラスターをかし振り切った姿勢から強引に回転する。

 肘刃ちゅうじんを伸ばして回転しながらアッパーの姿勢を取る。ひざかがめて姿勢を低くし床を左肘刃で思い切り切って灰を灰燼妖魔に向けて放つ。

 局所的きょくしょてきな灰によって灰燼鬼を見失った灰燼妖魔は直前まで灰燼鬼が居た場所にそのまま突撃する。


「やっぱ、灰燼鬼の悪鬼あっきじゃねえな」


 静かな声と共に上から灰の煙幕えんまくを刃が切り裂く。

 刃の軌跡きせきは灰燼妖魔の左のうでを通過する。妖魔も煙幕を走り抜けながら自分の左腕が切断された事に気付いた。


 あと半歩深く踏み込んでいれば首を切られていたかもしれない。

 しかし、上から首を切断する為には左胴体から切り始める必要が有る。狙って腕だけを切られた可能性も有る。


 煙幕えんまくを抜けて振り返った背後では、灰燼妖魔に身体を向けて着地する灰燼鬼が静かに立ち上がるところだった。

 床に左腕の鎧が落ちるのを音だけ聞いて、灰燼妖魔は黒い肉をあふれさせてかぶとを内側から破壊し、牙をやして灰燼鬼に襲い掛かる。


 両腕は失った。4脚有った足も1本が切り飛ばされた。蹴りはリーチも戦術も通用しない。

 残された見せていない攻撃手段はみ付きのみだが、それは灰燼鬼に取ってもっとぎょやすい攻撃方法だ。


 灰燼鬼は左拳を思い切りしぼり、ひじのスラスターを吹かしながらも踏み止まって推力すいりょくめる。


 灰燼妖魔も牙を生やす。

 刃と同じ要領ようりょうで灰を積み上げたするどい牙。妖魔は最も確実なみ付きの先として首を狙い全身の力を脚にそそいで跳躍ちょうやくする。

 全力で方向転換のかない攻撃。


 灰燼鬼かいじんきとどまる足から軽く力を抜いてスラスターの推力すいりょくを爆発させ左肘刃ひだりちゅうじんを振るう。

 いきおいのまま灰燼妖魔と左半身をこする様に擦れ違い、肘刃を大きく開かれた口を上下に両断する向きで小細工抜きに牙との勝負に持ち込んだ。

 薄く鋭く積まれた灰は細かく振動して小型のチェーンソーとす。灰で作られた牙をなんなく両断し、そのまま灰燼妖魔の頭部に刃を食い込ませる。


 内部から黒い肉によって破壊された兜に妖魔の肉体を守る機能は無い。牙以外の満足な抵抗が無い灰燼妖魔の頭部は容易たやすく切り飛ばされた。


 床をすべりながら着地する灰燼鬼が止まった瞬間、妖魔の頭部が床に落ちて転がり、振り返った灰燼鬼と目が合った。


……体積としては5割も削ってねえ。頭に弱点でも有ったか?


 さくは灰燼鬼の兜の下で眉間みけんしわせた。

 灰燼妖魔の鎧から支えが失われた様に力が抜け、脚や鎧の隙間すきまから見えていた黒い肉がもやとなって消滅していく。


 その消滅に合わせる様に闘技場の風景ふうけいうすくなり、現実の池袋駅地下迷宮の通路が見え始める。

 闘技場の入口の魔法陣が消滅し、斧前ふぜんが試しに闘技場に踏み出せば入る事が出来た。


 そこまで確認して灰燼鬼は拳を打合せ、魔装を解除した。

 灰が崩れる様に魔装が解除され、その中から裂が姿を現す。

 何とはなしに麻琴まことと視線が合い、互いに肩をすくめて溜息を吐く内に現実世界に帰還を果たした。


▽▽▽


 最後のステルス妖魔の討滅とうめつが確認され現実世界に帰還した5人。

 じゅんが取り込まれたらしき最初にステルス妖魔の反応が得られた地点から少しだけ離れた位置に居た。さくから少し離れた位置に4人が固まっており、裂の前には灰燼鬼かいじんきによく似た魔装まそうがバラバラに成った状態で落ちている。

 それを見て全員が灰山桐香はいやま・きりか悪鬼あっきに成ったのではなく、妖魔に成った後に魔装を得てまとっていただけだと予想した。


 中央に居た斧前ふぜんが全員の顔色を確認してから竜泉りゅうせんに視線を合わせ、首を振ってまとめろと指示を出した。

 その指示に従って竜泉が1度手を叩いて注目を集める。


「さて、最後のステルス妖魔討滅、お疲れ様。ただ、ここに長居ながいすると面倒な人達も居るのは事実だ。悪いが灰山君はこれから会議室に行こうか。地下迷宮に迷い込んだおじょうさんがた、関係者以外立ち入り禁止のエリアに入るのはいけないよ。初犯しょはんだし、もうしないってちかえるなら見逃すけど、どうだい?」


 名目上めいもくじょう、ここは四鬼しき巡回じゅんかいする警察関係者用の施設の一部だ。

 そこに影鬼かげおにでなくても警察関係者以外の人間が居るのは具合ぐあいが悪い。本来なら警察に引き渡すところだが影鬼関係者を四鬼が警察に引き渡す等という面倒はしたくない。


 これが本当に何の意図いとも無く不意に遭遇そうぐうしたら拘束こうそくするところだが麻琴まことじゅんさくの司法取引に関わる人物だ。四鬼としては警察の介入かいにゅうは避け穏便おんびんに処理したい。

 そんな竜泉の意図を読み取って麻琴も潤も顔を見合わせて竜泉に向き直った。


「すみません、トイレを探していたら迷い込んでしまって」

「あの、申し訳無いのですが出口を教えて貰えませんか?」

「ああ、この通路を行くと一本道で出口だよ。そこまでは案内するから一緒に行こうか」


 そう言って出口に向けて歩く竜泉に素直に麻琴と潤が続き、斧前は裂に顔を向けて逆の通路をあごで示して見せた。

 裂も素直に来た道を戻り始める。


「ああ、悪いが少し待て」


 歩き始めて直ぐに斧前に止められて意味が分からずに裂が振り返ってみれば斧前はスマートフォンを取り出して何処どこかに通話を掛け始めた。


「ああ、青山か。ああ、戻って来れた。そうだ。犠牲者は居ない。今は竜泉が通路の外に案内している。後で会議室で灰山から調書ちょうしょを取る。そうだ。ああ、後で合流だ」


 そう言ってスマートフォンの通話を切って手振りで軽い謝罪をする斧前の律義りちぎさに感心しつつ、裂は斧前に道をゆずって先に行く様にうながした。

 さっきは指示に従って歩き始めてみたが考えてみれば道が分からないのだ。

 斧前も直ぐに場所が分からないのを察して前に出た。

 このまま無言で会議室に案内されるのかと思っていた裂の不意を打つ様に斧前が話し始める。


「妖魔との戦闘を押し付けて悪かったな」

「……アレは俺を見ていた。妥当だとうだろ」

「そう言って貰えると助かる。しかし、これで司法取引は終了か」

「それはアンタ達次第だろ。俺としては早く開放されたい」

「正直だな」

腹芸はらげいは苦手だ」

「同意だ」


「それに司法取引が終わったとして俺たちへの監視かんしは外れないだろ?」

「それは俺にも分からん。だが、まあ上層部が監視を完全に外すとは思えんな」

「さって、今後のめしのタネをどうしたもんかな」

「それこそ四鬼に来てはどうだ? 高校2年なら今から四鬼訓練校を目指しても間に合うだろう」

「俺に組織的な行動が可能に見えるか?」

「安心しろ。俺に可能に見えるか?」


「……成程なるほど。だけどやっぱお断りだ」

「そうか。無理強むりじいはしない」

「どーも」


 本当に勧誘かんゆうされた事に少し驚いたが、最も驚いたのは斧前が自分の事を組織的行動に向いていないと言い切った部分だ。

 鬼は基本的に感情の何かしらの方法で抑制よくせいしており、業炎鬼ごうえんき系の訓練を積んだ斧前は間違いなく機械的な考え方をし過ぎる為に組織的行動に向いていない。それでも成立するのだから四鬼とはそういう組織なのだろう。


 だがやはり裂には巡回のシフトを決められるような生活は窮屈きゅうくつに感じる。黒子くろことの連携れんけいや指示出しをしているのを見ても魅力は感じなかった。


 裂の本音にまで興味は無い斧前は取り敢えず仕事を完遂かんすいする為に会議室を目指す。

 数分で会議室に着き、斧前は竜泉と合流したりかすみに調書の準備をさせる必要が有るとの事で裂を残してまた通路に出て行った。


 適当に席に着いた裂はスマートフォンを取り出して影鬼へ5体目のステルス妖魔を討滅とうめつした事を連絡した。その際に四鬼2人と共闘、麻琴と潤が迷宮に先に取り込まれていた事も記載し後の判断は任せる事にする。


 この連絡先を麻琴や潤がどの様に確認しているのかは知らないが、今回は2人も巻き込まれているし裂が影鬼に報告するのに苦労する事は無いだろう。そんな気楽な気持ちで背凭せもたれに思い切り寄り掛かって天井てんじょうあおいだ。


……灰燼鬼かいじんきの魔装は、今は俺のしか無いと思ってたが、万丈ばんじょうにでも聞いてみるか?


 裂が使う灰燼鬼の魔装は万丈の実家である片影かたかげ家が用意した物だ。親子仲の悪い裂が書物を参考に灰燼鬼の訓練をしていた頃に影鬼家に声を掛けられ与えられた。

 当時も相当に怪しんだモノだが親から離れたい中学生にとって無茶をしてでも1人暮らしが出来るというのは魅力的だった。

 その代わりに麻琴とのペアを組まされた時には驚いたが、お陰で得られた物は多い。


 こんな事なら魔装の写真を取っておけば良かったと思うが、後悔先に立たずを実感しつつ後で万丈に聞く事にして大きな溜息を天井に向けて吐く。

 何はともあれ、当面の目標であったステルス妖魔の殲滅せんめつかなった。


 そろそろ学期末試験が近く、麻琴の卒業式も近いが裂にとってはどちらも適当に済ませれば良い事だ。

 それでも時間を取られる事を面倒に感じつつ、裂はそのまま目を閉じて調書が始まるまで寝てしまおうと決めた。


▽▽▽


 竜泉りゅうせんの案内で池袋駅地下迷宮から出た麻琴まことじゅん一息吐ひといきつく為に構内の喫茶店きっさてんに入った。潤が車を呼んで合流までは珈琲コーヒーくつろぐ為だ。

 麻琴との雑談ざつだん合間あいまに潤は関係者に事の顛末てんまつを連絡していたが、途中で困り顔をしたのを麻琴は見逃さなかった。


「何か有ったの?」

「あ~、その、あの3人以外に私の知り合いも追って来ていた様で、心配とも怒っているともつかない連絡が来ています」

「あら、良いお友達じゃない」

「あんな仕事をしていてスレていないのは凄いと思いますけどね」

「前に言っていた人ね。そんな素直で大変な人なのね」

「ええ。あ、車がそろそろ着きますね」

「じゃ行きましょう」


 喫茶店を出て池袋駅前のロータリーで車に合流し、前に護衛を担当したしゃべらない異端鬼いたんきの女が運転手な事に麻琴が驚くが潤は特別な反応を示さずに麻琴を車内にうながした。

 静かに発車する車内でやっと大きく溜息を吐いた2人だが麻琴が直ぐにきびしい視線を潤に向ける。


「お腹、大丈夫? 妖魔の打撃を生身で受けたんでしょう?」

「ええ。踏み込みの無いジャブの様な攻撃でしたから。受身も取れましたし大丈夫ですよ」

「妖魔のジャブはヘビィ級ポロボクサーのストレートより重いでしょうに」

「まあ図書館に着いたら医務室に行きますよ」

「そうしなさい。さて、迷宮の話はどうしましょうか?」

「ちょっと厄介やっかいですよね。私達が巻き込まれる事は想定していませんでした」

「そうかしら? そもそもステルス妖魔を探索する現場の近くに私達を派遣はけんする意味は無いでしょう」

「誰かの意図いとが有ったと?」

「思い付くのは、龍牙りゅうが君のリークに便乗びんじょうして幹部候補かんぶこうほに成った私を排除出来ればラッキー、くらいかしらね」


「……有りそうですね」

「何か心当たりでも有るの?」

「考えてみれば可笑おかしいのですが、龍牙の父親は麻琴お嬢様に敵意をいだいています」

「そういえば居たわね」

「はい。私も実は名前が思い出せません」

影鬼鋼牙かげおに・こうがさんね。私を排除はいじょしても龍牙君が幹部候補に成る事は無いでしょうに」

「他に候補者が居なければ自動的に候補者に成るのでは?」

「ま、他に居なければそうかもね。でも中学生じゃどれだけ頑張っても幹部候補にしないって分る筈だし予想でしかないわ」


 適当に車に備え付けの小型冷蔵庫からオレンジジュースを取り出した麻琴は視線で潤に何か要るかう。


「ミネラルウォーターをお願いします」

「はい。痛むなら開けて上げましょうか?」

「ここぞとばかりに楽しそうですね」

「普段は世話を焼いてもらう側だもの、たまにはね」

「ありがとうございます。もう痛みも引きましたから大丈夫ですよ」


 ペットボトルのキャップを開けて2人はそれぞれの飲み物で喉を潤し少し息を吐いた。

 そのタイミングで潤のスマートフォンに着信が有り、発信者を見れば影鬼本家だった。


 恐る恐る潤がメッセージを開くと迷宮に取り込まれた事、妖魔討滅に尽力じんりょくした事に対してのねぎらいが短文たんぶんで記されている。その後に本題が続いており、影鬼図書館にて当主が待っており怪我が無ければ麻琴と潤から直接報告を聞きたいとの事だった。


「お嬢様、ご当主様が図書館におしに成っているようです」

「あら、お爺様もいい歳なのにお元気ね」

「もっと緊張感とか有りません?」

「ほら、仮にも祖父だから」

「凄い説得力が無いですよ」

「まあお爺様が動いているって事は、もうこの件は終わりでしょうね」


「……そうなりますか」

「ええ。恐らく、龍牙君の行動とか私が裂の近くに配置された辺りについて当主としての対応を決めて終わらせるんでしょう。私が当事者に成ってしまったから義理で呼んだ、なんてところじゃなかしら」

「身内のじょうとか言い始めたら龍牙君も含まれますか」

「そうそう。それと鋼牙さんもそうかしらね」

「あの方は見放みはなされているでしょう」

「あら辛辣しんらつ

「事実です」


 2人でして飲物を口にし、影鬼図書館まではゆっくりと仮眠を取る事にした。

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