魔装ー悪鬼断罪ー

弐拾

　学習塾の調査の後、四鬼（しき）側は現場の調査は培養液（ばいようえき）の解析や研究員への確認が進まない限りは進展しないと考えたらしい。

　裂（さく）には1週間後の土曜までは調査協力を依頼する事は無いと連絡が入った。

　影鬼（かげおに）と接触する訳にもいかないので暇を持（も）て余（あま）す事に成る。灰燼鬼（かいじんき）に成ってから両親に勘当（かんどう）されているので経済的には自分の稼（かせ）ぎが全てだ。

　魔装（まそう）の維持（いじ）には影鬼お抱（かか）えの魔装技師を雇（やと）っているが、それを差し引いても最近のステルス妖魔の討伐（とうばつ）報酬で経済的な不安が無いのはタイミングが良かった。

　そんな訳で司法取引以来（いらい）、人との関わりを可能な限り断っている裂は暇を持て余している。

　興味半分に午前中に単発のバイトを斡旋（あっせん）するスマートフォンアプリで本屋の店員に応募してみれば午後の4時から2時間程働く事に成った。

　こんなに簡単に進むものなのかと『警戒して損した』程度に考えていたが、実際にバイト先に向かい後悔した。

　本屋では影鬼図書館で何度か見た女性職員が先に働いており、店長からは同じ様に今日、急に決まったバイトだと紹介される。

……スマホが監視されてるのは知ってたが、ここで先回りしてくるって事は何か有るのか？

　首を傾（かし）げながら20代中盤の女性職員と共に仕事の内容を聞く。単発のバイトなので規則性を知る必要の有る本出しはせずにレジ打ちと在庫室の本を持ってくる事に限定された。

　30分もせずに説明が終わり女性職員と共に在庫室での作業を頼まれる。

「こんにちは」

「どうも。仕込みですか？」

「はい。さっきの店長は影鬼の協力者です」

「マジで？」

「まあ色々と有るのですよ。ああ、影鬼と遠縁（とおえん）だとか分かり易（やす）い繋がりは無いのでご安心を」

「事情を知りたい訳じゃねえし良いさ。それより何の用だ？」

「メッセージだけだとニュアンスが分かり辛（づら）い事も多いので、定期的に直（じか）にお嬢様以外のメンバーで貴方（あなた）に接触する事に成りました。今回はそのご挨拶（あいさつ）です」

「了解。四鬼側に怪しまれない程度の調整はそっち任せで良いんだよな？」

「はい。灰山（はいやま）君は四鬼上層部の事までは関われないでしょうし、調整は影鬼家側でします」

「把握（はあく）してくれてるみたいで有難（ありがた）いね」

　本の入った段ボールを指定された場所に運びながら裂は名前も知らない女性職員からの質問に応えていった。

「へぇ、黒子（くろこ）とは言え女性相手に随分（ずいぶん）と辛辣（しんらつ）な言葉を掛けたんですね」

「向こうは雑談のつもりだろうが俺にとっては迷惑だしな」

「麻琴（まこと）お嬢様と貴方のやり取りも遠慮（えんりょ）が有りませんし、灰山君はかなり性格が悪い？」

「麻琴も卒業まで3ヶ月、ステルス妖魔の捜査がそんなにポンポン進むとも思えないし、もう関わる事も無いだろ」

「勿体無（もったいな）い。麻琴お嬢様と懇意（こんい）にしていれば影鬼の中でも良（よ）い待遇（たいぐう）を受けられると思いますよ？」

「……麻琴は分家だし鬼に成れない。俺みたいな雇（やと）われの扱（あつか）いに口は出せないだろ？」

「そう言えば聞いていないんでしたね。麻琴お嬢様は影鬼の幹部（かんぶ）候補に成りました」

「……本人、嫌がってたんじゃないか？」

「ええ。影山（かげやま）と話しているのを聞きましたが、不本意そうでしたよ」

「受験生に酷（こく）な事するねえ、御当主（ごとうしゅ）殿」

「店主（てんしゅ）には聞かれない様に気を付けて下さい。真打（しんうち）様に心酔（しんすい）していますので」

「利害関係じゃないのか。事情は聞かない方向で」

「余計な情報は身（み）を滅（ほろ）ぼす。そんな事を正面から言うから司法取引に巻き込まれるんですよ」

「婆さんが関わってたみたいだし遅かれ早かれだ。血縁（けつえん）は無いけど、書類上は義理の祖母（そぼ）って事に成るしな」

「四鬼からしたら丁度良い人材なのは確かでしょうね。ご愁傷様（しゅうしょうさま）です」

「はいはい。今日の情報交換はこれで充分なのか？」

「はい。四鬼側を突き放しているだろうとは麻琴お嬢様から聞いていましたが、想像していたより強く拒絶（きょぜつ）していたみたいで驚きました」

　犯罪者の自覚が有る裂が警察を相手に懇意（こんい）にするなら理由が必要だ。

　裂が思い付く限りでは四鬼に何かしらの物品（ぶっぴん）を横流（よこなが）しして貰う、情報屋として売り込む等（など）の方法が有る。しかし影鬼家幹部候補の元専属鬼（せんぞくき）という立場は四鬼に売り込む際に邪魔にしか成らないだろう。

　四鬼側が事情を知らなければ影鬼側からどんな干渉（かんしょう）を受けるか分からない。魔装の整備や維持を影鬼の技師に依存（いぞん）している現状では裂には四鬼に取り入るという選択肢は無い。

「俺の魔装は影鬼の技師に見て貰ってるんだ、四鬼に下手に取り入ったらどんな目に遭（あ）うか分かったものじゃない」

「ああ、影鬼に弱味（よわみ）を握（にぎ）られているのだから四鬼とは可能な限り距離を取り、影鬼に敵じゃありませんよアピールをしているのですか」

「そんなところだ」

「高校生なのに暗躍（あんやく）が得意な様で」

「どう考えても麻琴の影響だ。アイツのせいで何回も影鬼内のパワーゲームに巻き込まれた」

「麻琴お嬢様、こんなにも人材教育に成果を上げられて」

「感激（かんげき）するな」

　自分は苦労しているのにその原因人物が褒（ほ）められるのは流石に納得がいかない。

　だが影鬼図書館の職員たちが麻琴に入れ込んでいるのは知っているので裂は特に何も言わず段ボールを運び終えた。

「言われた仕事は終わったな。どうするんだ？」

「バイトはあと30分程ですか。少し待っていて下さい」

　そう言って女性職員は在庫室を出てレジに居る店員に次の仕事の話を聞きに行った。

　残された裂はスマートフォンを取り出してメッセージの履歴（りれき）を開く。今までの報告内容や四鬼側からの連絡で何か怪しまれていたり探られていたりしないか確認してみたが情報戦の素人（しろうと）に分かる様な文章は無い。

　直ぐに戻って来た女性職員から自分はレジを担当するので裂は在庫室で本が不足したら指示に従って段ボールを開封（かいふう）するまで待機と言われた。

　漫画や小説は電子書籍（しょせき）が主流（しゅりゅう）になりつつ有るが、参考書等の勉学に関わる物は本の方が使（つか）い勝手（がって）が良い。

　30分の間、声を掛けられたのは1回、高校受験用の参考書だけだった。

　バイトの時間が終わり残業の依頼も無かったので裂は女性職員とは別のタイミングで本屋を出る。

　帰（かえ）り際（ぎわ）に夕飯としてハンバーガーチェーン店に入りバイトアプリを開けば仕事完了で支払い予定日が明日と成っていた。銀行残高（ざんだか）と比較すると支払予定金額は非常に低いが、時間潰しには成ったと満足してハンバーガーにかぶり付く。

　特に意識もせずに窓の外に目を向ければ自然な動作で裂から視線を外した者達が居た。

　ベンチで缶コーヒーを飲んで休憩するスーツ姿の男、壁際でスマートフォンを操作し人を待っている様に見える私服の女。

　裂に認識出来たのはその2人だが、他にも監視者は居るのだろう。

　流石に霞は顔見知りなので見える範囲には居ないが体格を隠す様に着込（きこ）まれれば判別は難しい。

……さて、あれだけ言ったんだし次は変に雑談を振られないと良いんだがな。

　仮にも打（う）ち解（と）けようとする相手に考える内容としては酷い部類だが、裂としては霞が前に喫茶店で言っていた事を思い出すと雑談を振られるんじゃないかという疑念（ぎねん）を拭（ぬぐ）い切（き）れない。

　麻琴との関係を勝手にラブコメとして楽しむ等（など）と言われれば警戒するのは当然だ。

　その結果、影鬼側にとって不都合（ふつごう）な関わり方をしては本格的に裂にとって霞は排除したい相手に成る。

　黒子とはいえ四鬼所属の人員に手を出すのはリスクが高い。

　その為、裂にとって最も良い状況は霞が完全に裂を仕事上関わるしかない犯罪者と認識しコミュニケーションは最低限に留（とど）める事だ。

……頼むから次からは事務的な会話のみにしてくれよ。なんならこの間の獄炎鬼（ごくえんき）くらい無口（むくち）だと有難（ありがた）い。

　そんな事を考えてポテトを摘（つ）まんでいると四鬼から調査資料が送られてきて、5分後にほぼ同じ内容を要約（ようやく）した文章が影鬼から送られてきた。

　培養液の成分はやはり直接確認する事は出来なかったようだ。研究員に質問したところ30年前の代物なので完璧な成分は不明だった。また、当時のヤクザが購入できる程度の薬品では品質が保証出来ないので研究員が想定している成分で実験が出来たという保証も無いらしい。

　影鬼が要約する上で省（はぶ）いた部分としては品質が保証できない事で想定される副作用だ。本来は異世界に取り込む等という能力は想定しておらず、息を潜（ひそ）めたり背景（はいけい）に擬態（ぎたい）する能力を組み込もうとしていた。

　また、研究員は培養槽が破壊された時にはその場に居なかったので詳細は不明とされている。

……つまり、進展無しと。

　本格的に人海（じんかい）戦術でステルス妖魔を探す以外の手段が見えなくなった裂は背凭（せもた）れに思い切り寄り掛かった。

　司法取引で四鬼に協力する期間はステルス妖魔への対策が確立するまでだ。人海戦術で探すというのは対策としては確実かもしれないが裂のように早く関わりを断ちたい者からすると最悪の対応となる。

　溜息（ためいき）を吐（つ）きながらポテトを数本まとめて掴み口に放り込む。

　裂の予想では窓の外に見えている以外にも客に紛（まぎ）れて四鬼も影鬼も監視者を付けている。

　漫画やドラマで見るような背後の席に座った相手と小声で会話等（とう）の情報交換は難しい。四鬼側は勿論（もちろん）だが影鬼もスマートフォンのメッセージアプリや通話も監視しているだろう。

　プライベートな人付（ひとづ）き合（あ）いが殆（ほとん）ど無くて幸（さいわ）いだったと溜息を吐いて裂は最後のポテトを飲み込み、炭酸オレンジジュースを飲み干して席を立った。

　監視者が個人的に飽きても組織として裂を監視しないという選択肢は四鬼にも影鬼にも無い。

　裂もそれは分かっているが、監視されていると思う事はそれだけで圧迫感が有る。

面倒だと思いつつ灰山桐香と浮気男の妖魔について考えてみる。

　そもそも研究員が捜査にどの程度の熱量で協力しているかは不明だ。研究者のプライドや顕示欲（けんじよく）で自分の研究成果が現行の鬼を翻弄（ほんろう）している事に優越感（ゆうえつかん）を覚（おぼ）え嘘を言っている可能性も有る。

　疑い出したら現実的な物から自分でも陰謀論（いんぼうろん）と思える物までいくらでも思い付く。

　店を出て目的地も定（さだ）めずに冬らしい夜道の散歩を始める。まだ高校生が警官に補導（ほどう）される時間では無いので無意味な事に付き合わされる四鬼側の監視者に同情しながら適当にネオン街を歩く。

……これで補導されたら同じ様に歩いてる制服姿の奴も巻き込もう。

　飽（あ）きた監視者に束縛（そくばく）されるくらいなら騒ぎを大きくして面倒を増やしてやると考え小さく悪い笑みを浮かべる。

　もしかしたら望遠（ぼうえん）で監視されているかもしれない。それはそれで四鬼側が勘違（かんちが）いして疑心暗鬼（ぎしんあんき）を解消する為に奔走（ほんそう）する事に成るので良い気味だ。

　本当に望遠で監視されていたのかは不明だが視界に入る荒事（あらごと）慣れした動きの者達が数人、慌（あわ）ただしくスマートフォンを操作し始めた。

　新たに妖魔が出た可能性も有るが裂の影鬼製アプリには通知が無い。

　もしかしたら影鬼から通知が来ないように設定されている可能性は有る。

　しかし、これも可能性だ。

　どうでも良いかと思い直した裂は40分程の散歩の後に満足して家に向けて歩き出す。

……監視者さん方、お疲れさん。

　裂の家の方角は知っているのだろう、裂の視界の範囲内で数人の監視者達は明らかに気が抜けた様子だ。

　尾行（びこう）の知識が無い裂が分かる程度の監視は意図的な配置なのかもしれないと思いつつ、裂は思い付きで進路を変える。

　視界の隅（すみ）でビルの隙間（すきま）に向けてスマートフォンを慌ただしく操作した監視者が走り込んで行ったのが見えた。

　特に後先は考えずにその監視者を追い掛ける為に走り出す。

　司法取引の中には監視者が居る事も、監視者を追いかけ回す事を禁止する内容も記述されていなかった。

　つまり現状では裂のプライベートについて互（たが）いに好き勝手に言い合える。

　監視者は裂に見つかったから走り出した訳ではない。走る速度も全力ではなく1キロ程の中距離を最短で行く走り方だ。

　裂は鬼として一般人の様な鍛（きた）え方（かた）はしていないが監視者も黒子で鬼に近い鍛錬（たんれん）は日々（ひび）積（つ）んでいる。更に監視者は裂と比較して体格で勝（まさ）る為に歩幅（ほはば）が違う。

　監視対象である裂に自分が追われている事を察知した監視者だが、元々の距離も有って直ぐに2人での追走劇（ついそうげき）に変化した。

　土地勘（とちかん）が有る訳では無い様で監視者は狭（せま）い路地（ろじ）を使用しての逃走は選ばなかった。ネオン街（がい）の人混（ひとご）みを利用して裂の視線から外れたら何処（どこ）かの建物に入り完全に裂からの追跡を振り切るつもりだ。

　だが監視者も覚悟していた通り、高校が近く土地勘の有る裂を人混みを利用した程度で撒（ま）く事は出来なかった。

　スーツ姿の男が男子高校生にネオン街で追われているという珍しい状況だ。

　監視者は人混みを掻（か）き分（わ）けるが裂はその掻き分けられた人の隙間（すきま）を走れる。

　追走劇は数分で終わり、裂はネオン街と住宅街の境目（さかいめ）とも言える微妙な位置で監視者の男の肩を手で掴（つか）んだ。

「驚かせてすみません。落としましたよ」

　裂は軽く息を切らせてポケットからポケットティッシュを取り出し監視者に渡し、周囲に怪しまれない様に芝居（しばい）を始めた。

「あ、ああ。ありがとう。オヤジ狩りかと思って済まない、走ってしまった」

「いえ。この辺の道は知らないのでしょう、駅まで案内しますよ」

「い、いや、大丈夫だ。ほらスマホも有」

「案内、しますよ」

　そう言って裂はポケットティッシュを受け取った監視者の手首を掴み、いつでも捻（ひね）り上（あ）げられると示す様に力を込めてみせる。

　裂の意図（いと）は伝わった様で監視者は静かに頷（うなず）く。

　背後では同じ様にバタバタと足音がして裂は他の監視者が追い付いて来た事を把握（はあく）した。

　仕方が無いと溜息を吐いた裂は小声で監視者に話し掛ける。

「しゃーない。別に目的が有って追い掛けたんじゃない。アンタ以外にも数人が慌ててただろ？　だから興味本位で追い掛けたんだよ」

「……私の身分（みぶん）は明（あ）かせないぞ」

「良いよ別に。四鬼だろうが影鬼だろうが、俺が監視に気付いて気紛（きまぐ）れに何するか分からないと思って貰えればそれで」

「考（かんが）え無（な）しがっ」

「監視対象に見つかる場所で慌てて視線外す方が悪い」

「くっ」

「何が有った？　妖魔でも出たか？」

「自分のスマホで見、痛っ」

　監視者が言い終わる前に力を込めて黙らせた裂は視線で先を促（うなが）した。

「そうだ。近場で妖魔が出たから、確認の指示が出た。他にも数人向かっている」

「やっぱりか。さて、お開（ひら）きだ」

　そう言って手を離した裂は芝居を再開する。

「いやぁ、お節介（せっかい）でしたね。じゃ、落とし物、気を付けて下さい」

　初対面の霞にすら見せなかった周囲の人混みから疑われない笑（え）みで普通の高校生の演技（えんぎ）をして裂は監視者から離れた。

　追い付いて来た監視者達も四鬼側と影鬼側でバッティングしない様に距離は取っている。

　その様子を面白（おもしろ）がりながら裂は遅い歩調（ほちょう）で帰路（きろ）に着（つ）く。

……やっぱ妖魔探知アプリの通知を操作されてるか。さて、どうするか。

　司法取引から数日経っているが妖魔探知アプリの通知は有った。しかし裂から距離の有る物ばかりで妖魔に近付く事を操作されているとは想像出来なかった。

　不用意に妖魔に近付かない様に影鬼に操作されているのか、別の思惑（おもわく）が有るのか。

　裂では仮説（かせつ）も立てられない情報ばかりが集まっていく。

・追っている相手は灰山桐香（はいやま・きりか）の妖魔。

・四鬼（しき）と影鬼（かげおに）は繋がっている。

・妖魔探知は操作されている。

・所属不明（しょぞくふめい）の監視者が居る。

・影鬼の思惑（おもわく）は分からない。

　思い付くだけ頭に浮かべてみて、裂は大きく息を吐いて思考を放棄（ほうき）した。

　自分が頭脳派（ずのうは）でない事は自覚しているし、仮に頭脳派ならば後先（あとさき）考えずに監視者を問（と）い詰（つ）めるような真似（まね）はリスクを考えて控（ひか）えた筈（はず）だ。

　身（み）の丈（たけ）を外（はず）れた現状に再度の溜息を吐いて裂は家を目指した。