ノークレーム・ノーリターンでお願いしますね、妹ちゃん?

真弓 直矢

ノークレーム・ノーリターンでお願いしますね、妹ちゃん?

「ケイナン伯爵令嬢セレス、本日をもって貴様との婚約を破棄する!」


 パーティ会場で、場違いにも大声で喚き散らす声の主。

 金髪センター分けで偉そうな彼は、私の婚約者マグヌス・イズリアル王太子殿下だ。


 一体何様のつもりなんだろうか。


 本日、我がイズリアル王国が誇る迎賓館げいひんかんでは、特命全権大使を始めとする各国の外交官、そして王族を集めた夜会が行われていた。

 日中の国際会議での疲れを癒やし、国同士の親睦を深めることが、この夜会の趣旨である。


 それを、他ならぬマグヌス殿下がぶち壊したのだ。

 参加者は案の定、「どうなっておるのだ、ここの王太子とやらは」と一様にささやきあっている。


 はあ……私の仕事、増やさないでほしいなあ。

 婚約破棄は想定済みだけど、もっとタイミングを考えてほしい。


「理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「貴様、王太子であるこの俺に捨てられるのだぞ!? もっと悲しそうにしたらどうなんだ!」

「それどころではなくなったので──それより早く理由を教えて下さい。婚約を破棄するだけの正当な理由がおありなんでしょう?」

「チッ……貴様よりも、妹のリディアのほうが可愛げがあるからだ!」


 マグヌス殿下のかたわらにいる、リディア・ケイナン18歳。

 彼女はスズランのような女で、地味な私と違ってとても可愛く女の子らしい。


 背は低く胸も慎ましやかだが、淑女しゅくじょらしからぬ表情の豊かさが多くの男を魅了する。

 プラチナブロンドの髪は肩のあたりで切りそろえられており、前髪はぱっつん。

 白いドレスも相まって、全体的に幼く庇護欲ひごよくをかきたてられる印象だ。花に毒があることさえ知らなければ。


 マグヌス殿下の右腕をひしと抱くリディア。

 薄い胸をギュッと押し付けており、かなりマグヌス殿下と密着している。


 実は貧乳派らしいマグヌス殿下は、一瞬だけ鼻の下を伸ばしたあと左腕を仰々しく広げた。


「そしてセレス! 貴様は俺──いや誰からも愛されるリディアに嫉妬して、陰でいじめたそうじゃないか! そんなヤツは王太子妃、いや人間失格だ!」

「いじめてませんけど? というより、リディアに嫉妬する理由もなければいじめる暇もないのですが」


 数年前に貴族学校を卒業した私は、「外務大臣を務めるマグヌス殿下の補佐」という形でいきなり外務副大臣に任命された。


 世界中の情報を分析し、外交政策を企画立案し、マグヌス殿下や国王陛下にプレゼンする。

 それらに加えて外国への訪問や、他国の代表との会食・交渉も任されてきた。

 ただし外遊などに関しては、マグヌス殿下に押し付けられたことなのだが。


 マグヌス殿下はかねてより「外遊は面倒だ。特に弱小国は、な」などと素晴らしいお考えを披露されていた。

 確かに鉄道が網羅されているとはいえ、何日もかけて出向くのは体力的にきつい。

 なのでマグヌス殿下の気持ちは分からなくもなかった、ある時までは。


 ──そう、マグヌス殿下は私を外国に押しやりつつ、我が妹リディアと逢瀬を重ねていたのである。

 私が国のため、婚約者のためにあくせく働いていた中で、だ。


「妹と遊んで差し上げる時間が皆無なのは、あなたが一番良くお分かりでしょう、外務大臣マグヌス・イズリアル王太子殿下」

「ひ、ひどいっ!」


 リディア、あなたが反応してどうするの。


 今にも泣き出しそうな表情を見せ、さっとマグヌス殿下の背中に隠れるリディア。

 それに気を良くしたのか、鼻息を荒くするマグヌス殿下。


「セレス、『忙しいから』とか言ってごまかしても無駄だぞ。貴様の所業は幼少期までさかのぼるのだからな!」

「幼少期? それこそいじめられたのは私の方で──」

「お姉さま、ひどいです!」


 大声で叫んだリディアに、「大丈夫、俺が守ってやるから」と頭を撫でるマグヌス殿下。

 リディアは「えへへ、大好き……」とニッコリ笑った。


「いいかセレス、今からお前の罪状を明らかにしてやる。お得意の『企画立案』とやらで、他国からの信頼を取り戻す方法でも考えるんだな」

「こういうのはリディア本人の口から語らせるべきです。マグヌス殿下が出しゃばるのは違うと思いますが?」

「貴様、リディアのトラウマをほじくり返す気か!」

「マグヌス殿下が罪状を述べても同じです。そもそもマグヌス殿下はリディア本人から告げ口されたのでしょう?」

「く、くそっ!」


 顔を真っ赤にしながら「俺を馬鹿にしてるんだろう!」とがなり立てるマグヌス殿下。

 速攻で論破されたのがよっぽど恥ずかしかったのだろう。


 とりあえずマグヌス殿下は放っておいて、リディアに笑顔を向ける。


「リディア、事情を説明してください」

「い、嫌ですっ! マグヌス殿下、助けて!」

「よしよし、俺が代わりにセレスを断罪してやるからな」


 マグヌス殿下はリディアの髪を手でく。

 そして意気揚々と私の罪状を述べる。


 第一に「幼少期から現在にかけて、リディアの持ち物を奪い続けた」とのことだが、もちろんそんな覚えはない。

 むしろ「お姉さま、それわたしにちょうだい?」からの「妹には優しくしなさい」という妹・母コンボで、私の持ち物をいくつも盗られたくらいだ。

 誕生日にお祖父様じいさまから頂いたサファイアのネックレスを奪われた挙げ句、「新しいのを買ってもらったから」と返された時はさすがに絶句した。


 第二に、各国の王侯貴族や外交官に「リディア・ケイナンは男好きの悪女」という噂を流し、不当に貶めた──

 これは幼少期ではなく最近の話らしいが、仕事漬けの私にそんな暇はない。

 むしろ不当に貶められたのは、いつだって私の方だった。


 リディアに何かを注意するたびに「お姉さまにいじわるされた!」と告げ口された。

 そのせいで両親からは「どうして姉妹仲良くできないの」と睨まれ、使用人からも蔑まれてきた。

 10歳の私が「嘘をつき続けるといつかしっぺ返しが来ますよ?」とリディアに注意したそばから「嘘つき呼ばわりされた!」と両親に泣きつかれた時は、こっちが泣きたくなった。


 その他にもマグヌス殿下は、私がいかに悪女かをアピールし続けた。

 そのアピールにリディアは、うんうんとうなずいていた。


「あなたたち大丈夫なの?」と、被害者であるこちらが逆に心配してしまうくらいに。


「そしてセレス。ここからは外務大臣として言わせてもらうが、貴様は副大臣としての職権を乱用し、何人もの王子や外交官と密会を重ねた。そしてハニートラップに引っかかり、王国騎士団から入手した軍事機密を他国に漏らした!」

「婚約者の妹と不倫したあなたと一緒にしないでください。いくら王太子とはいえ、ありもしない誹謗ひぼう中傷ちゅうしょうをされるのは──」

「貴様のような売国奴ばいこくどは、王太子妃としても副大臣としても不要だ。よって貴様を国外追放とする!」


 人の話を聞きなさいよ、マグヌス殿下。

 まあ別にいいけど。


「ふ、ふん! ずいぶんと余裕だな!」


 私に近づき、すごむマグヌス殿下。


「分かっているのかセレス、これから国外追放されるのだぞ!」

「意味は分かります。納得はできませんが」

「チッ、減らず口を! ──俺にひざまずき許しをえ。奴隷として一生隷属れいぞくしろ。そうすれば国外追放は取り消し──」

「マグヌス殿下、いくら伯爵令嬢が相手とはいえ、ここは法治国家なのですよ?」

「貴様!」

「ですので絶対に許しは請いませんし隷属もしません。ですが──」


 リディアの肩をポンと叩く。


粗品そしなですがどうぞ、元婚約者マグヌス・イズリアル王太子殿下です」

「え、それってどういう……」


「俺は粗品じゃない、上等品だ! というより俺をモノ扱いするだなんて、はりつけにも値するぞ!」というマグヌス殿下のお声は無視する。

 不敬罪が廃止されている今、王族を多少皮肉ったところで十字架刑はありえない。


「ノークレーム・ノーリターンでお願いしますね?」

「だ、だからっ! お姉さま、どういうことなのっ!?」

「──ようやく僕の出番かな」


 妹リディアとの会話に、突如として割り込んできた声。

 その正体は、第二王子にして王国騎士団屈指の実力者・クラウディウス殿下だ。

 合図──婚約破棄への承諾──があるまで、発言を控えていただいていた。


「無実のセレスに対するその振る舞いは、たとえ王太子であっても許せないな。兄上」


 金髪マッシュが似合うクラウディウス殿下は、穏やかな声でマグヌス殿下を糾弾きゅうだんする。

 そしてマグヌス殿下から私をかばうように、間に割って入った。


 中性的な顔立ちのクラウディウス殿下は、いつも柔和な雰囲気を漂わせている。

 しかしその背中は意外と大きく、男らしくて素敵だ。


「黙れクラウディウス! ヤツは自分の妹をいじめた挙げ句、軍事機密を漏らした犯罪者──」

「セレスは犯罪者じゃない」


 マグヌス殿下の声を、クラウディウス殿下はさえぎった。


「僕はこれまで、セレスの護衛として一緒に行動してきた」


 マグヌス殿下に初めて外遊を押し付けられたとき。

 護衛を申し出てくださったのは、マグヌス殿下の弟君であるクラウディウス殿下だった。


 当時から王国騎士として頭角を現していたクラウディウス殿下からのお申し出は、頼もしくはあったが恐れ多かった。

 なので何度もお断りしたのだが、国王陛下に根回しされた上で「『義姉上あねうえ』を守りたいんだ」と押し切られてしまった。


 そのクラウディウス殿下は、マグヌス殿下に向かって静かに言った。


「セレスは今まで一度も男性に色目を使ったり、物欲しそうな顔をしたりしなかった。そんなセレスが、ハニートラップに引っかかって軍事機密を漏洩ろうえいさせるなんてありえない」

「でまかせを言うな!」

「そもそも騎士ですらないセレスが、どうやって騎士団から軍事機密を入手したんだろうね?」

「貴様が漏らしたんだろう!」

「もう少しマシな嘘をつきなよ。王国を頻繁に留守にする『王国騎士』に、実権なんてあるわけないでしょ。それに僕は公私をわきまえているんだ」


 プラス、私には可愛げがない。

 だからクラウディウス殿下をたぶらかしてどうこう……などとできるはずがない。


「じゃあ今ここで証明しろクラウディス! セレスに軍事機密を漏らさなかったということを!」

「『していないこと』を証明させるのはアンフェアです。まずはマグヌス殿下が、クラウディウス殿下の『罪』を証明してください。まあ無理でしょうけど」

「黙れセレス! 今クラウディウスと話をしているんだ──と言いたいところだ、がァ……」


 マグヌス殿下は下卑げびた笑みを浮かべた。


「すでに証拠は掴んでいる! 証言者、出てきてくれ!」


 パーティ参加者に向けて呼びかけるマグヌス殿下。

 しかしその声に応じる者は誰もいない。


「おい、出番だぞ! さっさと出てこい!」

「無駄だよ。兄上に味方する俗物はどこにもいない。セレスがギリギリまで交渉していたからね──しかし、兄上の息がかかった小者をパッと見抜くなんて、僕には真似できないよセレス」


 私がしたことといえば、「マグヌス殿下と親しい」かつ「私を疎ましく思っている」人をリストアップし、弱みを握った上でお話させて頂いたくらいだ。

 そんな簡単なことでも、クラウディウス殿下に褒められると顔が熱くなってしまう。


「く、くそっ!」

「ということで兄上。前提条件が間違っているし、『証言者』もいないから、少なくとも『セレスが他国に軍事機密を漏らした』という証明は不可能だ。問題は妹さんの件だけど……」

「リディアへのいじめは『濡れ衣』だなんて言わせないぞ! リディアは今も傷ついているんだ!」

「そ、そうです!」


 リディアは私の方を見ながら言った。


「わたし、大好きなお姉さまにいじめられて辛かったんですよ!?」

道化ピエロとして大好き、の間違いでは?」

「お姉さま!」


 私を睨みつけるリディア。

 クラウディウス殿下は溜息をついた。


「じゃあリディア・ケイナン伯爵令嬢、セレスにいじめられた証拠を出してくれないか? 言っておくけど『いじめてない証明をしろ』とか無茶なことは言わないでね? まあセレスはいつも忙しいし、ここ数年のアリバイなら護衛を務めていた僕がすべて証明するけど?」

「うっ……こ、子供の頃のいじめなら、伯爵家にいる全員が証人です!」

「ダメだね。ケイナン伯爵家の人々はセレスを嫌いすぎている。変なバイアスがかかっているから証人としては使えない。プラス、現場を直接目撃した人物もいないだろう。セレスは何もしてないからね」

「で、でもっ!」

「それに、君がついた数々の嘘のせいでセレスが嫌われていることも、次期当主殿が証言してくれた」

「お、お兄さまがっ……!」


 クラウディウス殿下に論破され、うつむくリディア。


「兄上、セレスに濡れ衣を着せてまで妹さんと結婚したかったんだね。哀れだよ。もっと早く僕に言ってくれれば──」

「王太子である俺を侮辱するなんて不敬だぞ!」

「不敬罪なんて何十年も前に廃止されてるけどね。それに君はもうすぐ王太子じゃなくなる」


 クラウディウス殿下の冷徹な一言に、一瞬無表情になって固まったマグヌス殿下。

 そして一気に顔を青くするリディア。


 マグヌス殿下はすぐさま、近くに座っていた国王陛下のもとに駆け寄った。


「ち、父上! 俺が王太子じゃなくなるって、でまかせだよな!?」

「いや、真実だ。クラウディウスが新たな王太子となる。もちろん外務大臣も解任し、後任をセレスとする」

「な、なぜだ!」

「国王たる私が必死に頭を下げて頼み込んだ縁談を、私に断りなく一方的に破棄したからだ」


 国王陛下との出会いは、貴族学校の初等部を卒業するころまでさかのぼる。


 アクセサリーから親の愛情にいたるまでリディアに奪われ続けた私は、なんとか両親に認めてもらおうと外国語を先取り学習していた。

 年上の留学生や観光客と異文化交流をしていくうちに、「初等部では習わない外国語を、いくつも独学でマスターしている」と噂されるようになった。

 その噂を知った国王陛下が、ある日伯爵邸にお見えになり「王太子妃にならないか?」と打診してくださったのだ。


 まあ両親には「なんでお前なんだ」と相変わらず嫌われていたが。

 国王陛下が頭を下げるはめになったのも、伯爵たる父上が「王太子殿下のお相手はぜひともリディアに!」と渋ったせいである。


「貴様は、私の意図を理解できぬ無能だ」


 マグヌス殿下に対して冷たい眼差しを向ける国王陛下。


「無能なだけならまだ使いようもあったが、セレスとの婚約を破棄した貴様は無価値だ」

「む、無価値って!」

「私はずっと前から貴様を無能だと思っていた。だからこそ責任ある仕事を通じて経験を積ませようとしたのだ。万が一の際はセレスが対応してくれると信じていたし、億が一失敗したとしても私が全責任を取るつもりだった。しかし貴様はやりたくない仕事をすべてセレスに押し付け、リディア・ケイナン伯爵令嬢と遊んでいたそうだな? 成長しようという意志すら見せぬ貴様は、『暗君』にすらなれぬ」

「お、おい……」

「よって貴様との縁を切る。そして我が国発行のパスポートを取り消し、他国にも入国査証ビザの取り消しを要請する」


 参加国のすべてが要請に従い、マグヌス殿下の入国査証取消および入国拒否を表明した。

 つまり今後、マグヌス殿下は我がイズリアル王国から出られなくなる。


 マグヌス殿下は外国のご友人を頼ることなく、自力での生活を強いられる。

 さらに王国民からの嘲笑から逃げることもできず、針のむしろとなることだろう。


 国王陛下はそれほど、息子の所業に怒りを覚えているのだと私は思う。


「平民として慎ましやかに生きるなり、リディア・ケイナン伯爵令嬢と結婚するなり好きにするがいい。できるものならな」


 国王陛下の言葉に固まるマグヌス殿下──いやマグヌスさん。

 しかし数瞬すうしゅんののち、ニヤリと笑った。


「リディア、ついに父上から正式に結婚の許可が出た。さあ、一緒に帰ろう」


 ああ、マグヌスさんが壊れた。

 もう帰る場所なんてないのに。


 それに──


「ごめんなさいマグヌス殿下。わたし、あなたとは結婚できませんっ」


 パーティ会場全体に聞こえるように言って、頭を下げるリディア。


「お、おい! それはどういう意味だ! まさか俺を──」

「マグヌス殿下は王太子の器です。でも王家から追放されちゃったから、どれだけ努力して結果を出しても王太子になることはできない。だからお姉さまと婚約を結び直して、国王陛下に許してもらうしかないのですっ……」


 マグヌスさんの両手を取り、上目遣いで見つめるリディア。

 興奮しているせいか、マグヌスさんの頭から重要なことが抜け落ちた様子だ。


「マグヌス殿下は平民としてではなく、王族として幸せに暮らしてください。それがわたしの願いです」

「……分かったよリディア。ヤツとの結婚はかんさわるが、お前が俺のためを思ってそう言うのなら」

「ありがとうございますっ」

「私、ノークレーム・ノーリターンでって言いましたよね?」


「貴様、この俺が結婚してやると言ってるんだぞ! 泣いて喜べ!」と喚き散らすマグヌス殿下。

 一方のリディアは、私の言葉に首を傾げた。


「え、わたしクレームはつけてませんよね?」

「でもリターンしようとしたでしょう?」

「わたしリターンしてないですよ? マグヌス殿下が自分の意志で、わたしと別れてお姉さまと婚約を結び直そうとされているだけです。わたしは背中を押しただけ」


 リディアの屁理屈はまるで、内面の黒さをそのまま表しているようだ。


「実質的にクレームをつけてリターンしようとしているから、こうして警告しているのです。今からそれを証明しますね? ──昔……私と王太子との婚約が決まったとき、あなたは『お姉さまだけズルいズルい!』とおっしゃっていましたね?」

「え、言ったかなあ?」

「とぼけても無駄です──『ズルい』という言葉はつまり、私の地位をうらやましく思っていたことの何よりの証拠ではないでしょうか」

「ち、違うよおっ! 確かにわたしは『ズルい』って言ったかもしれない。今思い出した。でもそれはマグヌス殿下がイケメンだったからで、深い意味はありませんっ!」

「確かにマグヌスさんはイケメンでした」


「顔だけの男」だけど。


「しかし上には上がいますし、伯爵令嬢でも手が届く範囲のイケメンなら何人かいたでしょう」

「うっ……」


 リディアは返す言葉もないようだ。


「そしてリディア、あなたは先ほどマグヌスさんに『結婚できない』と言いました。王家から勘当されたタイミングで。これは、王太子妃の地位簒奪さんだつを目的とした結婚詐欺が失敗したからではないですか?」

「ち、違うもん! わたしは殿下の幸せを願って、身を引いてあげようと──」

「ずいぶんとご立派になられましたね」

「う、嘘だって言いたいの!?」

「当たり前でしょう、あなたはいつも自分が一番だったのですから──で、話を戻すと、『イケメンと結婚できるお姉さまが羨ましい』という話が本当なら、平民となったマグヌスさんとも結婚できるはずです。違いますか?」

「で、でもっ、それとこれとは話が別じゃ……!」

「それに、許嫁いいなずけのいるマグヌスさんにアプローチをかけるだけのバイタリティがあるのなら、クラウディウス殿下を落とすべきでしたね」


 クラウディウス殿下は、ルックス・性格ともにマグヌスさんよりも上だ。

 しかも国王陛下の意向で、婚約者は未だにいない。


 ぶっちゃけていえば、クラウディウス殿下は優良物件かつ狙い目だったというわけだ。

 事実、王都でも外国でも、貴族令嬢や他国の王女に言い寄られていた。


 はあ……こんなことを考えているとなんだか虚しくなるなあ。

 それにクラウディウス殿下も「僕も甘く見られたものだね」と言って、ジト目でこちらを見ているし。


「わざわざマグヌス殿下に近づいたのは、王太子妃の座が欲しかったか、あるいは私への当てつけとしか考えられません」

「あうっ……!」

「たまには自分で幸せを見つけてはいかがですか。私から奪うのではなく、ね?」

「う、ううううっ! そ、そこまで言わなくてもいいじゃん!」


 顔を真っ赤にして地団駄じだんだを踏むリディア。


「ああもうわかったよ認めるよ! わたしはお姉さまが羨ましかった。お姉さまよりも幸せになりたかった。だからマグヌス殿下に近づいた!」

「やはりね」

「でもマグヌス殿下は実際には、お姉さまと国王陛下に支えられているだけの不良品だった。そしていま王家から追放されて平民になった。不良品を通り越してゴミだよ。お姉さまの婚約者だからいいところがあるはずって信じてたわたしの気持ちを踏みにじられて、嫌な気持ちになった。だから、わたしにクズを押し付けてきたお姉さまに返品しようとした。これでいいんでしょ!」

「で?」

「お姉さま。わたし、もうマグヌスのアホのことはどうでも良くなりましたので、熨斗のしつけてお返しします! どうぞお二人で幸せに!」

「私、ノークレーム・ノーリターンでと言いましたよね?」


 同じことを何度も言わせないでもらいたい。


 純白のドレスが汚れるのを構わず、ガックリと膝を折って「うわあああああああんっ!」と泣き叫ぶリディア。

 私の言葉が死刑宣告にでも聞こえたのだろうか、心外だ。


「お、おいリディア! 今の言葉はどういう意味だ!?」

「あなたまだいたのですか」


 私の言葉に「はあ?」とすごんでみせるマグヌスさん。


 それにしても「どういう意味だ」とはどういう意味なんだろう。

 現実を受け入れられないほどぶっ壊れたのだろうか、かわいそうに。


「マグヌスさんは王太子兼外務大臣として迎賓館への立ち入りを許可されていました。ですが今はもう違う。今回は不法侵入扱いにはしませんので、このままお帰りになって大丈夫ですよ?」

「い、嫌だ! 俺はリディアを慰めてやらないといけないんだ! そして一緒に王宮に帰るんだ!」

「まあいいでしょう。気の済むまでやってみなさい」


 マグヌス殿下は中腰になり、床でうなだれるリディアに手を伸ばす。


「ひどいっ! ひどすぎるよおっ! なんでわたしだけこんな目にいいいいいっ!」

「リディア、セレスのヤツに脅されてあんなこと言ったんだよな……いつ脅されたかは分からないけど。最初は驚いたが、俺はお前を信じ──」

「触らないで、このハゲ!」

「ハ、ハゲェェェェッ!?」


 金髪センター分けのマグヌスさんは、リディアに抱きつこうと腕を広げていたところに腹パンされ泡を吹いた。

 衛兵によって担架に乗せられ、あっけなく退場。


 そして正当防衛をキメたリディアはその後「うええええええんっ!」と泣き続けた。

 だが「王太子の介添人かいぞえにん」という口実がなくなったリディアを迎賓館に放置するのは具合が悪いので、衛兵に頼んで穏便にお帰りいただいた。


 結局、マグヌスさんもリディアも会場からいなくなり、騒動は一応の結末を見せた。


「お集まりのみなさま、お目汚し失礼いたしました」


 頭を下げる私に、参加者たちは「何の問題もない。優秀な殿のおかげだ」「ヤツらの入国拒否措置だけで手打ちにしよう」と一様に笑っていた。


 事前にお話していなければどうなっていたか、想像もしたくない。

 だからマグヌスさんには、この場で婚約破棄をしてほしくなかったのだ。


「セレス、愚息ぐそくが誠に申し訳ないことをした」


 御自おんみずから頭を下げる国王陛下。

 私は最敬礼で応じた。


「いえ。こちらこそマグヌスさんの心を繋ぎ止められず、このような事態を起こしてしまい、誠に申し訳ありませんでした」

「構わぬ。それがヤツの意志なのだから」

「そして、小妹しょうまいの管理不行き届きに関しまして、深くお詫び申し上げます」


「それこそセレスが謝ることではない。親の教育が間違っていただけだ」と、国王陛下はうなずく。


「しかし、すべてセレスの予想通りだったな」


 実は国王陛下とは、仕事配分やマグヌスさんの浮気について頻繁に相談していた。


 マグヌスさんは普段から「俺が出る幕もない」と言って、ほとんどの外遊を私に押し付けてきた。

 そしてある日、私が訪問を終えて外務省に戻った直後、職員たちから「マグヌス殿下と妹さんが逢引していましたが、大丈夫なんでしょうか?」と耳打ちされた。

 私はこのときから婚約破棄を想定して、悩んだすえに国王陛下に相談していたのだ。


 しばらくして、お隣の皇帝陛下から「マグヌスがセレスを手紙でこき下ろしていた」と報告を受けた。

 そこでマグヌス殿下が、他国の王族や外交官に根回しをしていることを知った。


 あとは簡単だ。


 マグヌス殿下は派手でロマンチックな演出を好む。

 今日──国際会議のあとの夜会で、権力者たちの眼前で婚約破棄宣言をし、リディアにプロポーズすることは、火を見るよりも明らかだった。


「セレスの根回しがなかったら今ごろ、他国の不興を買って国際問題に発展していた。感謝の言葉もない」

「臣下として、当然のことをしたまでです」


 思わず肩の力が抜けそうになったが、グッと堪える。


「ところでセレス。結婚についてなのだが」


 改まった表情をなさる国王陛下。


「前にも言ったが、地位・人間性ともに優れた男を紹介させてくれないか?」


 実は国王陛下に「婚約破棄されるかも」と相談した際、真っ先に婚約者の鞍替くらがえおよびマグヌス殿下の廃太子はいたいしを提案してくださっていた。

 しかし私は「正式に婚約破棄されたわけではないのに、次の縁談を考える気にはなれない」「私がマグヌス殿下を更生させてみせる」という趣旨のことを言って断ったのだ。


 そして、色々と状況が変わった今でも──


「お気持ちだけで十分です。伯爵令嬢たる私には身に余る光栄です」

「いや……セレスの身分については、マグヌスと婚約させた時点で今更だ。私の息子たちならすぐにでも婚約準備に移れるし、どうしても王族が嫌だというのであれば公爵令息を何人か紹介しよう。優秀なセレスには今後とも王国のために尽くしてほしい」

「い、いえ、私は……」


 あまりにも国王陛下がまくし立ててくるものだから、らしくもない態度を取ってしまった。

 まごまごしていると、クラウディウス殿下が私にひざまずいてきた。


「セレス、好きだ。結婚してほしい」


 クラウディウス殿下による唐突なお言葉に、稲妻を背筋に走らせる私。


「今までは義弟や護衛としてセレスを守れてさえいればそれでいいと思っていた。けど今は違う」


 顔を赤くしながらも、私をまっすぐと見つめるクラウディウス殿下。

 普段から優しくて穏やかなクラウディウス殿下だが、今だけはらしくないほど甘い眼差しをしている。


 クラウディウス殿下の熱気に当てられ、考えがまとまらなくなっていく。


「僕はセレスの、物静かで賢いところが好きだ。でもたまに見せてくれる笑顔も好きだし、今みたいに顔を真っ赤にしているところなんてもっと好きだ──最初は義姉として好きなだけだったんだけど、仕事にひたむきなところを見て、一人の女性として好きになったんだ」

「あ、あまり好き好き言わないでくださいっ!」

語彙力ごいりょくが低くてごめんね? でもセレスを前にすると、どうやらバカになってしまうらしいんだ」

「そういう問題ではなく!」


 私はガラにもなく大声を出して、クラウディウス殿下の言葉を遮る。


「本当に、結婚相手が私でもよろしいのでしょうか……?」

「そうだと言っている」


 私の指先にキスをするクラウディウス殿下。

 柔らかく温かい唇の感触に、私は天に昇るような気分だった。


 パーティ参加者たちは「おおっ」と歓声を上げる。

 そのせいで焦ったのか、私の口は言わなくてもいいことをつむぎ始める。


「じ、実は私も、『クラウディウス殿下が婚約者だったらよかったのに』と思ったことは、一度や二度ではありません」


 クラウディウス殿下は護衛として、何度も私を助けてくださった。

 しかし護衛の仕事だけして「ハイ終わり」ということは決してなかった。


 当時の大臣・マグヌスさんに数々の外遊を押し付けられた私は、誰にも相談できずに悩んでいた。

 しかしクラウディウス殿下は私の顔色からそれを察し、話を聞いてくださったり、黙ってそばにいてくださったりと、気を遣ってくださったのだ。


 実は国王陛下に相談できたのも、クラウディウス殿下のおかげだ。


「ですがマグヌスさんと婚約中だった手前、クラウディウス殿下への思いをずっと押し殺してきました。私もクラウディウス殿下のことを、その、お慕い申しておりました」

「そうだったんだね……セレスの口から聞けてとても嬉しいよ」


 クラウディウス殿下に抱かれた私は、力強く抱き返す。

 石鹸のようなさっぱりした香りがした。


「妹さんに婚約者を盗られたことは残念に思う。そして兄上が婚約破棄をしたことを申し訳なく思っている。だからこそ僕は今セレスと一緒にいられるんだし、とても幸せだ。不謹慎ふきんしんかもしれないけれどね」

「私も同じ気持ちです。不謹慎などではありませんよ」

「これからは僕がセレスを幸せにするよ」


 家族にすら言われたことのない言葉に、頭の中はすでに幸せでいっぱいだ。

 それでも私は深呼吸をして落ち着かせ、意を決して言った。


「ありがとうございます。私も誠心誠意、クラウディウス殿下に尽くします。一緒に幸せになりましょう」


 今まで妹に愛情を奪われた私だが、ようやく素の自分を愛してくれる人が現れた。

 今日は人生の中で一番幸せな日だ。



◇ ◇ ◇



 その後、妹のリディアは両親によって、俗世ぞくせから離れた女子修道院に送られた。

 日も昇らぬうちから聖書を精読せいどくし、日中はずっと畑を世話し、様々な事情を抱えた女性たちと相部屋している。

 ……と、この前もらったお手紙に書かれていた。


 リディアには甘い両親がなぜ「修道院送り」という決断を下したか。

 それはケイナン伯爵家の評判がガタ落ちし危機感を覚えた兄上が、改革を推進したためである。


 一方の私は、新たに任ぜられた外務大臣の仕事に励みつつ、新たに婚約したクラウディウス・イズリアル王太子殿下と甘い日常を過ごしていた。

 仕事漬けだった日々に、ようやく彩りがついた。


 そしてあれから1年後の今日、王都の歴史ある大聖堂に各国の代表を招き、結婚式を開いた。

 大司教の眼前でクラウディウス殿下と誓いのキスを交わした私は、自分自身に誓う。


 リディアには親の愛情も婚約者も盗られたけれど、愛する夫との幸せな日常だけは絶対に守り通してみせる……と。



────────────────────


 最後まで読んでくださりありがとうございました。

 もしよろしければフォローと、下の「☆☆☆」でレビューしていただけるとうれしいです!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

ノークレーム・ノーリターンでお願いしますね、妹ちゃん? 真弓 直矢 @Archer_Euonymus

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ