1,蛇姫の伝説

  I’m your truth, telling lies

  I’m your reasoned alibis

  I'm inside open your eyes

  I'm you

  sad but true

   

  ━━Metallica “sad but true”




 雨の日は、嫌いじゃない。空を一面の黒雲が覆い、真昼でも奇妙に薄暗いあの独特の雰囲気が心を穏やかにしてくれる――というのはあくまで外出する必要のない時の話で、こうして徒歩・バス・徒歩と重ねて登校するとなると、冷たい雨と熱を帯びた湿度が奏でる不協和音を感じずにはいられない。

 梅雨前線が最後に落としていった雨だった。予報では昼までには上がるという。

 ――今夜は久しぶりに星空が見られるでしょう。

 五代ごだいれいは気象予報士の嬉しそうな声を脳髄で反芻した。



「ねーねー、照夜姫てるやひめの伝説、知ってる?」都留つる瑠衣るいはそう言ってだぶだぶの制服の袖をばたつかせた。その制服がなければ、いや、実際に着て目の前に立っている姿を見ても小学校低学年にしか見えない。礼が座席から少し視線を上に動かすだけですぐに目が合う。

「えーと、知らないです。どんなお話なんですか?」昼休み、弁当を取り出した途端に彼女が駆け寄ってきた為に礼は食べるタイミングを見失っていた。「お弁当食べながら話しませんか?」

「お、なんか楽しい話してるー?」凍堂とうどうそらが弁当の包み片手にやって来た。特別親しくはないが、彼女はその特性――誰に話しかける時も臆する事がない――故に誰とでもすぐに顔見知りになれた。


 瑠衣の話を要約すると、おおむね以下のような話だった。

 遥か昔、沼の側に居を構える裕福な家の一人娘は照夜姫と呼ばれていた。彼女はある時、訪れた旅人に恋をしてしまう。だが結ばれるはずもない縁、旅人はまもなく彼女のもとを去る。悲しみにくれる姫はある夜突然産気づき、白い蛇を産む。蛇はするすると這って沼に入って行き、姫も後を追って沼に飛び込んだ。以来、七月七日になるとその沼から姫がはたを織る音が聞こえるとか、言い伝えによっては姫本人が沼から現れる、という。


「ところで今日は何月何日でしょうか? はいゴダイちゃん」

「……あっ、七月七日ですね」

「はいせいかーい。というわけでさ、『姫沼』、今夜行かない?」

 やけにカラフルな弁当を食べていた空がそっと箸を置いた。「でも、それ危なくない?」

「大丈夫だよー、何にも危ない事なんかないし。ね、ゴダイちゃんも来るよね?」

「えーっと、お爺さんとお婆さんに聞いてみないと……」

「小学生じゃあるまいし、そんなのいいじゃん」外見は小学生そのものの瑠衣は鷹揚に笑う。「変な事しようってんじゃないし。ちょっと見たらすぐ帰るよ」

「ねえ、それ私も行っていいかな?」箸を握り直した空が言った。





 学友と姫沼に行くと言い出しても、おじいさんとおばあさんは反対しなかった。

「まあ、他の子もいるなら安全だろう」

「月が綺麗な夜だもの。楽しんでらっしゃい」

 シンプルな私服にスニーカーを合わせ、礼は夜道に踏み出した。



 月が綺麗な夜――お婆さんの言葉通りだ。円かな月は冬のそれのように明るい。

 礼は瑠衣、空と合流し姫沼を目指す。それ程遠い場所ではないが、普段は特に用もないので近寄らない場所だ。

「なんかさ、小学校の時の遠足みたいだねっ」

「おやつ持ってくればよかったかなあ」二人が言葉を交わす。

 背の高い雑草に囲まれて、姫沼は静かに横たわっていた。



「どう? 何か聞こえる?」瑠衣がきょろきょろと辺りを見回す。

「うーん、どうでしょう」礼もあちこちに意識を向けるが、時折風が雑草を揺らす音以外には何もない。

「何にもなさそうだねー」空は水面を見つめている。

「ハズレかー」

「まあそんなものじゃない? 噂ってさ」

「そうですね。じゃあそろそろ帰りましょうか。あまり遅くなってもいけませんし」

「ちぇー」瑠衣が口を尖らせた。「なんかもっとこう、ドッカーンとすごい「――――」すればいいのに」

「え?」三人が顔を見合わせた。の音が瑠衣の言葉に被さった。勿論、空と礼は何も言っていない。

「――――」やかんで湯を沸かした時のような、しゅうしゅうという音。あるいは――? テレビで蛇がそんな鳴き声を持つと言っていたのが脳裏を過ぎる。

 音はもう一つ増えていた。ざわざわという音。振り返れば、姫沼の水面に無数の波紋が浮かんでいた。

 水が、揺れていた。

 誰も声を上げられなかった。以外は。

 水音がこちらに向かってくる。

 水底から何かが這い出ようとしていた。

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