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 橋本にすれば、一刻も早くここから逃げ出すのが最優先事項であり、本棟の中を抜けていくという案も、その方が安全な確率が少しも高いという俺の意見に渋々従ったのだが。それに加えてカインのデータを手に入れるという「寄り道」は、正気の沙汰ではないと思っただろう。


「そ、そんなことより、早くここを出ましょうよ! 私もデータや研究成果が消えてしまうのは惜しいですが、それより命の方が大事ですから……!」


 橋本は懇願するような目付きで俺にそう訴えてきたが、俺の方にも「寄り道」する理由はちゃんとあった。


「あんた、俺がカインを服用することで、SEXtasyの中毒症状を緩和し、凶暴性のコントロールも出来るって言ってたよな? 俺はすでに、凶暴性を発揮出来るだけのSEXtasyを投与されている。ならば、俺が今の兵士みたいに『破裂』しちまわないようにするためには、中毒性を緩和するカインを『手元に置いておく』ことが必須なんだよ。日野さんのデータさえあれば、ここを出た後もなんとかなる。だから、これから先も俺が『生き延びていく』ためには、そのデータを持っていくしかない」



 さっきまでは、「ここで死んでも悔いはない」という悟りに近い境地にあったはずだが。目の前で破裂した兵士を見て、「あんな風にだけはなりたくない」という思いが、どうやら「この先も生き延びる」ことに繋がったらしい。我ながら現金なものだな、とも思いつつ。俺の意思が強固なものだと感じ取ったのか、橋本は諦めたように「はあ……」とため息をついた。


「わかりました、わかりましたよ……ここで片山さんに逆らっても仕方ないですからね。データは幸い、ここから近い研究室に保管してあります。でもそれを持ちだしたら、今度こそ真っすぐに出口を目指してくださいね?」


 兵士がどこにどう分散しているかわからない以上、「真っすぐに出口を目指す」ことが出来るとは言えなかったが。俺の方も、それを橋本に説明しても無駄だろうなと思い、「ああ、わかった」と言葉を返した。こうして俺は、再び橋本の指示に従いながら、カインのデータのある研究室を目指したのだが……この時建物の中では、これまでになかった「異変」が起こり始めていた。



 まず、行く先に見えていたドアの中から、いきなり2人の兵士が「ぐあああっ!」と飛び出して来て。俺は咄嗟に身構えたが、兵士は2人とも、自分の胸や腹を押さえて苦しみもがいていた。これは……と警戒して飛びのこうかと思う前に、その2人の上半身が、「ずばあああああっ!!」と豪快に弾け飛んだ。


 そこからはまさに、凄まじい「人体破裂」の連鎖が始まった。行く先々で、兵士の悲鳴と「ずばああっ!」「ぐばあああっ!!」という破裂音が鳴り響き。辺り一面が、血糊と肉片にまみれた修羅場と化していった。おかげで兵士たちに襲われる「身の危険」は薄れたが、俺の中の「自分もこうなるのでは」という恐怖心は増していく一方だった。


 床一面も、壁と天井も真っ赤に染まり、そこら中から「ポタ……ポタ……」と血が滴り落ち。床にへばりついた肉片と、腰から下しかない遺体を避けるようにしながら進んで、俺たちはデータのある研究室に到着した。橋本は、破壊され尽くした研究員の死骸と、上半身を失くした人体が「ぐでん」と横たわるデスクに恐る恐る近寄り、泣きそうになりながらデータを記録したディスクを抜き出すと、速足で部屋を出て行った。


 ここまで来れば、橋本の言った通り、後は出口に向かって一直線だ。俺は尚も慎重に周囲を伺いながら、駐車場への出口を目指した。駐車場に出るドアを開けると、そこも一面鮮血に覆われ、肉片が散らばっており。破裂する前に暴れていたのだろう、数台の車はフロントガラスを割られたり車体をボコボコにへこまされたりと、散々な状態になっていた。この有様を見る限り、橋本が乗って来た車でなくとも、動いてくれたらこの際どの車でもいいと思えた。



 が、血にまみれた駐車場に足を踏み出した時。車の陰で、数名の兵士が動いているのが見えた。全員が全員、「内部破裂」するわけではないのか……。中毒症状の進行具合か、橋本の言っていたステロイドの効果の違いか。はたまた兵士たちそれぞれの個性による差異なのか、それはわからなかったが。恐らく大多数の兵士は破裂してしまったものと思われたが、まだ活動出来る兵士が数名残っていることは認識出来た。


 俺は動いている兵士の数を確認し、「いけるかどうか」を考えていた。ぱっと見た限り5名の兵士が確認出来たが、やはり奴らは「集団」ではない。駐車場のあちらこちらに散らばっている。だが、俺と橋本を見れば、襲い掛かって来るのは間違いない。……いや、最初に見た破裂した奴みたいに、俺を見て警戒心を抱く可能性もあるかも? だとしたら、5名をいっぺんに相手にするのは難しいが、1人か2人ずつくらいなら、「いける」かもしれない。橋本の銃は当てにできないから、俺が奴らを排除するしかない。


 俺はとりあえず、一番近くにいる奴を「最初の排除対象」に定め、橋本の車に向かうことにした。こうなっては、他に動く車があるか確認しているヒマはない。橋本の車が無事なことを、願うだけだ。



「私の車は、少し奥にあります……一番遠くに見える兵士の、やや手前あたりですね。そこまで無事にたどり着けるよう、祈りましょう……」


 橋本が珍しくしおらしいことを言い始めたが、まあこういう時に「祈りたくなる」気持ちはわからないでもない。ここまで自分がしてきたことを考えれば、祈りが届かなくとも文句は言えないがな。もちろん、俺も含めてだが。



 さあ、行くか……! 俺は「最初の排除対象」と定めた兵士に注意を払いつつ、他の兵士も視野の隅に入れて、車の並ぶ列の中に進もうとした。するとそこで、背後にいた橋本が「うわあっ?!」と素っ頓狂な声をあげ、俺の横に並ぶように駆け寄って来た。一体何がと思って、橋本が逃げて来た方を見てみると。


 たったいま俺たちが出て来た本棟のドアから、数名の兵士が「ふらり」と姿を見せた。……そうか、建物の中にも「破裂しなかった奴」が残ってたんだ。果たしてどれくらい残っているのか、駐車場と同じくらいの人数はいるのか……? どちらにせよ俺たちは、駐車場にいる兵士と建物から出て来ようとしている兵士との、「挟み撃ち」の格好になってしまったことは間違いなかった。



 

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