堅物軍人の良縁〜さっさと子作りを終えて離婚したいのに、毎晩記憶がトぶほど愛されるので困っています〜

鈴木 桜

本文


「私は、一日も早くあなたと離婚したいです」


 新婚初夜のベッドの上。こんな突拍子もない私のセリフにすら、目の前の男は表情を変えることがなかった。

 刈り上げた黒い髪に、切れ長の目には黒い瞳。美しく整っているが、それよりも冬のような厳しさを感じさせる容貌の男だ。


「理由を聞いても?」


 ベッドの上で正座をして向かい合う新婚夫婦。客観的に見れば滑稽な様子だが、この場にそれを指摘する人物がいるはずもない。


「……私は、自由恋愛をしたいんです」


 そのセリフに、ようやく男の眉がピクリと動いた。ほんのわずかに、一瞬だけ。


「自由恋愛、か」

「はい」

「そのためには、子どもを産んでもらう必要があるが。それはいいんだな」

「覚悟は、できてます」


 私は膝の上で握りしめていた両手に、さらに力を込めた。今夜の私は、肌触りの良い絹のネグリジェを着せてもらっている。寝間着とはいえ、こんな上等な服は初めてだ。


「……そうか。分かった」


 目の前の男が身を乗り出したので、ベッドがギシリと音を立てる。


「なら、お互いに義務を果たすとしよう」


 肩を押されて、コロンと仰向けに転がされた。この男とは30センチ以上も身長差があるので、こうして押し倒されるとかなりの圧迫感がある。


「俺も君が一人目の妻だ。その……俺も、……初めて、だから……」


 ナイトランプの仄かな明りに照らされて、男の頬が僅かに赤くなっているのが見えた。


「それは、はい。わかってます」


 思わず、私も照れくさくなった。


「それじゃあ」

「はい」


 男が、枕元のランプを消した。



* * *



「初めてって言ってたのに! 絶対に嘘よ!」


 翌日、私が目覚めたのは昼過ぎのことだった。あの男は、とっくに出勤していた。


「奥様、お声が大きゅうこざいます」


 壮年の家政婦ハウスキーパーのカミラに叱られて、しゅんと小さくなった。

 彼女はあの男の乳母でもあったらしい。この屋敷には、彼女以外に10人以上のハウスメイドがいて、庭師まで含めれば30人以上の使用人を抱えているという。つまり、お金持ちだ。


「絶対に起こしてはならないとの旦那様の言いつけでしたので、お声をおかけしませんでしたが……。まさかお昼過ぎまでお眠りになるとは」


 嫌味だ。嫁いできて二日目にして、さっそく使用人の実権を握る家政婦ハウスキーパーに嫌われてしまったらしい。


「だって……」


 唇を尖らせた私に、カミラはため息を吐いた。


は、無事に済んだようですね。では、今夜のためにも、入浴をいたしましょう」


 とは、つまり、子作りそういうことだ。


「朝食は?」

「まずは入浴。その後、遅めのをご準備いたします」

「……はい」

「お子様を儲けるためには、お食事は重要です。明日からは、朝食をお召し上がりいただけますね?」

「……はい」


 カミラに促されて、浴室へ。そこでは何人ものメイドが待っていて。まるでお姫様のように、丁寧に隅々までキレイに磨き上げられたのだった。

 その際、身体中に刻まれたキスマークを見たメイドたちが生ぬるく微笑むので、居たたまれなくなったことは言うまでもない。



 私の名はロジーナ。普通の家庭に生まれた、普通の女だ。唯一の取り柄は、翡翠の瞳。まるで宝石のようだと、よく褒められる。ただし、髪は地味な茶髪で顔立ちも十人並みなので、総合すればごくごく平凡な容姿だ。


 さて。

 平民出身の私が、どうしてこんなに立派な家に嫁いできたのかというと。

 『婚姻統制法』のためだ。

 複雑な説明は省くが、とにかく人類の滅亡を防ぐために、国が選んだ相手と結婚して子を成すことが国民の義務となっているのだ。


 そして、私の夫になったのがクラウス・アーレント陸軍大尉。

 巷では堅物軍人として有名な彼は、結婚式でも披露宴でも堅い表情のままだった。


(強制的に結婚させられたんだもの、しょうがないわ。……でも、それはお互い様よ!)



 * * *



「では、おやすみなさいませ」


 カミラが部屋中の明りを消してから退室していった。就寝前に紅茶で喉を潤してから、今夜も二人はベッドの上に正座で向かい合っている。


「あの、今日も……?」

「もちろん」


 おずおずと尋ねたが、それには食い気味で答えられた。


「早く離婚したいんだろう?」

「それは、そうですけど」


 クラウスが、ズイッと距離を詰めてきた。思わず後退る。


「離婚するだけなら、いつでもできる。俺が君に離婚を申し入れれば、それで済む話だ」


 この国では、男からはいつでも離婚を申し入れることができる。ただし、すぐに次の妻があてがわれる。二人以上の子どもを儲けるか、40歳の誕生日を迎えるまでは、常に妻との子作りに励まなければならないのだ。


「だが、それでは君の望みは叶わない。……君の望みは、自由恋愛だから」


 逆に、女の方からは離婚を申し入れることは許されない。子どもを産まずに離婚となった場合は、女もすぐに別の男に嫁ぐことになる。女は35歳まで、これを繰り返す。

 ただし、一人でも子どもを産んだ後であれば話は別だ。今度は女の方から離婚を申し入れることができる。


「子どもを産んで離婚した場合、女性には自由恋愛の権利が与えられる。君の望みのためには、私と子作りをするしかない」


 子どもを産んだ女性にだけ与えられる特権、それが『自由恋愛』だ。そして、『自由恋愛』の権利を持つ女が交際または結婚を申し込んだ相手の男には、それに応える権利が与えられる。『婚姻統制法』の縛りから抜け出すことが出来るのだ。


「……わかっています」

「では、いいな」

「……はい」


 クラウスが、今夜もナイトランプを消してから、私の肩を押した。昨日と全く同じ仕草に、これが義務だと思い知らされる。


「……あの」

「なんだ?」


 たくましい肩に手を当てて尋ねた私に、クラウスが手を止めて私の顔を覗き込むのが気配で分かった。義務だとしても乱暴にしたり、無理やりしたりするつもりはないらしい。


「私、昨夜のことを、全く憶えてなくて……」


 クラウスが声もなく驚いている。ビクリと身体が揺れて息を飲んだのが伝わってきた。それはそうだろう。まさか記憶をなくしてしまうとは私も思わなかった。


「私、途中から、その……何も分からなくなってしまったんです」


(は、恥ずかしい……!)


 だが、これだけは確認せねばならない。




「……私、ちゃんと出来ていましたか?」




 クラウスは何も答えなかった。ただただ、気まずい沈黙だけが落ちる。


「はぁ」


 ややあって、クラウスがため息を吐いた。それはそれは、深い溜め息だった。


「あの……」


 ダメだったのだろうかと不安になって、思わずクラウスの肩を掴む手に力を込めた。


「ロジーナ」


 クラウスが私の両手を握って、そのまま彼の首の後ろに導かれた。そうすると私が彼の首に抱きつくような格好になり、二人の距離が一気に近づく。


「大丈夫だ」

「それじゃあ……」

「ああ。ちゃんと、上手に出来ていた」

「よかったです」

「……そうだな」


 口づけを交わすと、すぐに頭がぼんやりし始めた。昨夜と同じだ。

 ボーッとする意識の向こうで、クラウスが微笑んでいるらしいことだけは分かった。

 だが、憶えていたのはそれだけだった。




 気がついたときには、衣服はキレイに整えられてベッドで眠っていた。しかめっ面のカミラが私の顔を覗き込んでいて、ようやく朝だと気がつく。


「おはようございます、奥様」

「おはようございます」

「……昨夜も、よくお励みだったようですね」


 カミラがチラッと私の胸元を見てから、気まずそうに視線を逸らした。首を傾げならが自分の胸元を見下ろすと、そこには無数の真っ赤な花が咲いていた。


(こんなに……!)


 よく見れば、ネグリジェの裾から覗く足も同じ有様で。布で隠れている部分などは、確認するまでもないだろう。


「……本日も、入浴が先でございますね」

「はいぃ」


 カミラの提案を、受け入れる以外の選択肢はなかった。



 * * *



 そんな生活が、すでに3ヶ月続いている。

 クラウスは、毎晩私を抱いた。月のもので寝込んでいるときには、隣で眠って背や腹を撫でてくれた。クラウスの仕事は忙しそうだが、休みの日には一日中ベッドで過ごすこともあった。


 かといって、それだけ、というわけでもなく。


 きれいなドレスや宝飾品で着飾って、オペラを観に行ったこともある。有名なレストランでディナーも楽しんだことも。彼の友人の別荘に誘われて、ティーパーティーを楽しんだり、彼が狩ってきた鴨を食べさせてもらったり。

 彼は驚くほどに良い夫で。私も良き妻になろうと、夫人として身につけるべき教養をカミラに習うようになった。


 昼間も大切に扱われて、私達はまるで仲の良い夫婦だった。


 まるで、というと語弊がある。

 実際に仲は良いのだと思う。昼も夜も、彼の側にいると幸せだと思えた。


 ──それでも、私は離婚を望み続けた。


「離婚したいなら、今夜も」


 それが、クラウスの口癖で。私がそれに頷くものだから、彼は毎晩のように私を抱くのだ。


(私が離婚したくないって言ったら、もう抱いてくれなくなる……)


 それが分かっているから、私は今日も離婚したいと彼に言う。


 毎回、記憶はない。それでも、私の身体は彼に触れられただけで勝手に熱を持ち始める。気持ちがいいと、本能が知っているのだ。


(記憶をなくしてしまうほど、愛されてるんだわ……)


 しかし、問題は他にもあった。


 こんな生活を3ヶ月も続けているのに、子どもを授からないのだ。




「奥様。……本日は医師の診察がございます」


 朝食が終わると、カミラが難しい顔で言った。クラウスは既に出勤している。


「そう。わかったわ」

「お断りしますか?」

「どうやって?」

「……申し訳ありません。詮無いことを申し上げました」


 『婚姻統制法』には、妻の健康管理についても厳しい決まりがある。結婚して3ヶ月経っても子を孕まない場合、医師の診察を受けなければならないのだ。妊娠ができない身体であることが分かれば離婚、相性が悪いようだと分かれば離婚、そもそも妻が医師の診察を受けることは不名誉なので離婚。

 医師の診察とは、つまり離婚を意味する。


(仕方がないわ。だって、子どもができないんだもの)


 正直に言えば、離婚も自由恋愛も、もはやどうでも良くなっていた。


(このままクラウス様と一緒にいたいなんて、そんなのワガママよね)


「クラウス様は、知っているの?」

「いいえ。ご存知ありません。……私の口からはとても」


 カミラが唇を噛んでいる。その目には、涙さえ滲んでいるようにも見える。

 とても厳しいが、優しい人なのだ。私のことを、主人の妻として認めてくれている。それが、嬉しかった。


「それでいいわ。……結果は、私からお話します」


 どう転んでも、離婚するしかない。

 カミラに辛い役を負わせることはない。これは、自分で言うべきことだ。



「……」


 診察を終えた医師は、なんとも珍妙な表情を浮かべていた。手元の書類と私の顔とを交互に見比べて、ふにゃりと唇を歪めている。


「あの、結果は?」


 仕方が無いので私の方から尋ねれば、医師はついに吹き出した。


「ぷっ、はは、はははははっ!」


 メガネに白髪の医師は、たっぷりたくわえた口髭を撫でながら声を立てて笑い出したのだ。


「先生?」


 カミラが眉間にシワを寄せて拳を握りしめている。今にも殴りかかってしまいそうだ。一家の一大事を、こんな風に笑われているのだから仕方がない。


「奥様。あなた、もしかして……」

「はい?」

「記憶がないのでは?」

「え?」


 一気に頬が真っ赤に染まったのが分かる。あまりにも気持ちが良くて記憶をなくしてしまうなど、カミラにだって話していないのに。


「ふふふ。旦那さまとベッドに入る前、何かを飲まれますか?」

「あ、はい。紅茶を一杯」

「必ず?」


 思わず頬に手を当てて思い浮かべてみる。ベッドに入る前には、必ず紅茶を飲んでいたということで間違いない。


「ええ」

「その紅茶は、旦那様が淹れてくださいますね?」

「はい。……どうしてお分かりに?」


 医師が懐を探る。取り出して見せてくれたのは、瓶に入った桃色の粉だった。


「これは?」

「愛の妙薬です」

「は?」


 私とカミラ、二人分の素っ頓狂な声が重なる。


「愛の、妙薬?」

「といっても、惚れ薬や催淫剤とは違いますぞ」


 医師はなおも楽しそうに笑いながら説明する。


「これを飲むと、その後の数時間の記憶が消えてしまうのです」

「記憶を消す? それが、愛の妙薬ですか?」

「愛の形も、時代とともに変わってきました。今は『婚姻統制法』というの中で愛を育む。そういう時代です」

「はあ」


(よく分からない)


「妻は『自由恋愛』の権利を手にするためには子を産む必要があります。ですから、子を成すために夫と性行為に励む。妻の方には愛がないことがほとんどです」

「それは夫も同じでは?」

「それが違うんですよ。男とは単純な生き物でね。一度抱いてしまえば、不思議なほどに愛情が湧いてくる。そういう男が、実に多い」


 妻の方に愛はなくても夫の方にだけ愛が芽生えることがある、ということだ。


「子作りは義務なので辞められない。妻も早く子どもを産んで離婚したいとなれば、男のとれる手段は多くはありません。そこで、寝所での記憶を消してしまえ、ということです」

「記憶を消したら、妻にも愛が芽生えるのですか?」

「ええ。……事実、奥様がそうでしょう?」


 これには、驚いて声も出なかった。


「寝所ですることをしなければ子はできません。子ができなければ、妻の方からは離婚を申し出ることもできない。ですから、という事実を隠すために、夫は『愛の妙薬』を妻に飲ませるのです」

「しなかった……?」


 思わず、息を呑んだ。


「でも私、気持ちよくて記憶をなくしているとばかり……」

「ははは」


 医師が笑った。次いで、書類にサインを記す。そこには『異常なし』の文字。



「奥様は、正真正銘、処女のままですよ」



 * * *



 その夜も、就寝前にクラウスが紅茶を淹れてくれた。

 思い返せば、初夜の翌日、つまり『記憶がないがうまくやれたか』と尋ねた日から、クラウスは就寝前に紅茶を淹れるようになった。あの日から、『愛の妙薬』を飲まされ続けていたことになる。


「クラウス様、お話があります」


 紅茶を淹れるクラウスの背に声をかけると、その背がビクリと震えた。


「なんだ」

「こちらへ」

「……先に、お茶にしよう」

「いいえ。お話が先です」


 ピシャリと言えば、クラウスが肩を縮こまらせた。カミラの真似をしてみただけだが、効果てきめんだったようだ。

 とぼとぼと音がしそうな様子で、クラウスがベッドに歩み寄る。


「座って下さい」

「はい」


 新婚の頃のように、二人して正座で向かい合う。


「なぜ、『愛の妙薬』を使ったのか、教えてください」


 その問いに、クラウスは顔面蒼白になった。問い詰めるまでもない。彼は間違いなく『愛の妙薬』を使って、故意に私の記憶を消していたのだ。


「答えて下さい」


 理由は、おそらく単純だ。しかし、何の確信もなしに、それを信じられるほど私は夢見がちではない。


(ちゃんと、クラウス様の口から聞きたい)


 クラウスが、私に背を向けた。そのままベッドから下りてしまったので、今度は私の方が顔を青くした。


(やっぱり、なにか事情があって……)


「悪かった」


 クラウスは背を向けたまま、チェストの引き出しから何かを取り出したようだ。振り返ると、その手には小さな宝石箱が握られていた。


「君を愛してしまったから。……離婚なんか、したくなかったんだ」


 そのまま、ベッドの脇に跪いたクラウスが宝石箱を開いた。そこには、大粒のダイヤモンドが嵌め込まれた指輪。

 それを私に捧げるようにして、クラウスは言葉を続ける。




「ロジーナ嬢。どうか、私と結婚して下さい」




 恋愛小説に出てくる場面と同じだ。まだ全ての人が『自由恋愛』を許されていた時代。こうして男が女に求婚プロポーズしていたという。


 思わず涙があふれた。それを見たクラウスが、慌ててベッドに上がってくる。遠慮がちにバスローブの袖で涙を拭かれて、私は思わずその身体に抱きついた。


「嬉しい……!」


 それを聞いたクラウスが、私の肩を掴んで身体を引き離した。黒い瞳が、私の顔を覗き込む。


「本当に?」

「はい」

「だが、君は自由恋愛をしたいと……」

「それは、もういいの」

「好いた男がいるのでは?」

「ううん。……私が愛しているのは、クラウス様よ」


 私もクラウスの瞳をまっすぐに見つめた。私の思いが、ちゃんと伝わるように。


「自由恋愛をしたいと言ったのは、ただの子どもの憧れで。好いた人と添い遂げたかっただけだもの。物語みたいに」

「それじゃあ……」

「毎晩でも抱いてもらいたくて、嘘を言ってたのよ」


 今度は、クラウスの頬が赤くなった。青くなったり赤くなったり、忙しい人だ。堅物軍人とは思えない様子に、思わずこみ上げそうになる笑いを懸命に堪える。


「どうして……」

「だって、記憶をなくすほど私を愛してくれたでしょ?」


 クラウスがグッと喉を鳴らした。


「それは……」

「それに、昼間も優しくて。私のことを、本当に大切にしてくれたから。私、愛されてるんじゃないかって勘違いを……きゃっ!」


 不意に、クラウスが私の身体を抱きしめた。ぎゅうっと音が鳴ってしまうのではと思うほどの熱い抱擁に、胸が温かくなる。


「勘違いなんかじゃない。俺は、初夜の晩から君に夢中だ」

「どうして?」

「何をしても気持ちよさそうにするから……。しかも、そのまま寝てしまっただろう? その顔が、あまりにも可愛くて……」

「そんな……」


 今度は、私が顔を赤くする番だった。


「次の日も、すぐに眠ってしまっただろう? 薬なんか必要ない程だったな」

「ごめんなさい」

「責めてるんじゃない。本当に、かわいいと思ったんだ」

「……恥ずかしい」

「初夜の晩も、そうやって恥じらっていた」


 クラウスが、私の頬を撫でながらまなじりに触れた。


「涙に濡れた翡翠の瞳で、俺を見ていたんだ」


 今はクラウスの黒い瞳が私を見つめている。


「この人となら、心から愛し合えると思った」


 身体を離したクラウスが、私の左手をとる。


「昼間だって、君は完璧な奥さんだ」

「そう思ってもらいたくて、頑張ったの」

「そうだな。君が頑張ってくれることが、とても嬉しいよ。……カミラの指導は厳しいだろう?」

「でも、優しいわ」

「そうか」

「うん」


 宝石箱から取り出した指輪を、そっと薬指にはめられる。

 ナイトランプに照らされて、大きなダイヤモンドが煌めいた。


「愛してるよ、ロジーナ」

「私も」


 どちらからともなく、唇が重なった。




「大丈夫か?」

「……だい、じょうぶ、です」


 クラウスがコップを差し出してくれるので、ありがたく受け取った。喉はカラカラだし、身体がズシンと重い。ただ、それが愛された証だと思えば嫌な気はしなかった。


「……今夜のことは、忘れないでくれよ」


 隣に座ったクラウスが、私の顔を覗き込んだ。


「忘れられないよ……」

「そうか」


 クラウスが嬉しそうに微笑むので、私も笑った。


「それじゃあ、おやすみなさい」


 サイドテーブルにコップを置いて、クラウスに就寝の挨拶をする。あとはよく眠って、元気に食事をとる。そういう生活を続けていればいずれ子を授かるだろうと、フワついた頭で考えていた。


「……」


 ところが、クラウスからの返事がない。


「どうしたの?」


 ──ポン。


 肩を押されて、私の身体は再びシーツの波に沈んだ。その上にクラウスがのしかかってきたので、眠るためにそうしたわけではないことは明らかだ。


「え?」

「……先に謝っておく」

「え? え?」

「3ヶ月も我慢したんだ。とても一回では終われない」

「そんな……!」

「いいだろう?」


 普段は表情を動かさないクラウスが、切なそうに眉を顰めて言うものだから。


「……うん」


 頷いたのが、私の間違いだった。


「かわいい」


 再び唇を塞がれる。それが、私の最後の記憶になった──。



 * * *



「信じられない!」


 翌日は休暇だった。そのため、昼になっても誰も寝室には来なかった。……それで正解だった。こんな情けない姿は、恥ずかしくて誰にも見せられない。


「だから、先に謝っただろう?」

「謝ればなんでも許されるわけじゃないのよ!」


 私は、ベッドから起き上がれなくなっていた。全身の筋肉という筋肉が悲鳴を上げているし、腰はガクガクだ。キスをしすぎて唇も腫れ上がっている。


「ごめん」

「もう!」


 謝りながら私を抱き起こしてくれたクラウスにもたれかかって、紅茶を口に含む。ぬるめに淹れられたそれに、ようやく人心地ついた。


「今日は、なんでも言うことを聞くよ」

「……本当に?」

「ああ」

「それじゃあ、……」


 言いかけてやめた私の顔を、クラウスが覗き込む。何でも言えとばかりに微笑むので、私の顔がだらしなく緩む。


「愛してるって言って。何度でも」


 私のお願いに、クラウスの顔に喜びが広がったのが分かった。


(私、愛されてるんだわ)


「愛してるよ、ロジーナ」





 それからも、私とクラウスは幸せに暮らした。

 もちろん、子どもが産まれてからも離婚などしていない。


 ただ一つ。

 毎晩のように記憶がトぶまで愛してくれるので、それだけは困ったものだった──。

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