金も銀も、鉄も同じで

遠藤世作

金も銀も、鉄も同じで

 その木こりの男は若かったが、人生に絶望していた。腕を折ったのだ。大事な仕事道具である腕を。


 今までに木こりの職が上手くいっていたわけではない。むしろそうであったのなら、まだ救いがあった。けれど、実際の彼はこの仕事に嫌というほど向いていなかったのだ。細い腕に細い足──生まれつき筋肉がつきづらい体質らしく、斧を持つにも一苦労。それでも彼の両親は「代々木こりの家なのだから、お前もそのうち慣れるはずだ」と木を切らせ続けた。


 彼には、上と下に一人ずつ兄弟がいた。


 兄には木こりの才能があった。丸太のように太い腕と、その腕よりもさらに大きな脚を持ち、それらを駆使して豪快に木を切り倒す様は、見る者を惚れ惚れさせるほどだった。


 弟は男と同じく、体格に恵まれてはいなかった。だが、彼には商才があった。家族が切った木を街のどこへ運べば売れるのか的確に指示し、それらを売りつける弁舌も持ち合わせていた。


 やがて兄は一人前の木こりとなり家を出て行った。弟は途中で両親と反発し家出、今では立派な店を持ち、街で商売をやっている。


 男はそんな兄と弟を羨ましく思っていた。兄のような体躯があったのなら。弟のような才覚があったのなら。だけれど、男は何をしても人並み以下だった。長く続けているから木の切り方は覚えているが、それを満足に実行できる力がない。そうして苦労して切った木材を売るにしても、口下手なのが災いし鳴かず飛ばずで、その日その日を凌ぐのに精一杯だった。


 何もかもが上手くいかない男に、兄弟達は優しく接した。「いつか力がつくさ」「兄さんも売り方がそのうち分かるよ」と。しかしその優しさは、さらに彼の心を抉った。


 いっそのこと兄弟達が冷たく突き放してくれたのなら、「兄も弟も、無力な俺を貶めるくらいの人間的なけがれがあるのだ」と、彼は幾許いくばくか心が軽くなったかもしれない。だが兄弟の完璧さが、男の逃げ道を奪ってしまった。


 男が腕を折ったのも、その眩い輝きを追い求めてしまった結果だった。ある日、いつもの様に木を切っていたとき、不相応にも兄の真似をしてしまったのだ。


 「俺にも出来るはずなんだ!」


 心の底から叫び声を上げながら。

 

 彼は過剰なほどに斧を振り上げ、がむしゃらに、豪快に振り下ろした。たったの2、3回で、腕が、脚が、身体が悲鳴を上げる。どうしてだ。兄はもっと力を込めて、何百回も木を切るのに。俺だって、俺だって、俺だって──。




 ブルブルと震える手から、斧が滑り落ちた。惨めな木こりは尚も震えている両手を見つめ、そこへ一滴の雫をこぼすと、慟哭どうこくのまま利き腕を、大木に叩きつけた。彼の意思と真逆の貧弱な腕は、その時いとも容易く折れてしまったのだった。


 家に帰るとまず母親に驚かれ、その後甲斐甲斐しく治療をされた。男は包帯を巻かれながら、もしここで母を突き飛ばして、どこか遠くの街へ出かけたならばと考えた。だが、その考えはすぐに諦めがついてしまった。街に出たところで、自分には全てにおいて才能が無いのだ。それにそもそも、弟のように家を飛び出ていく度胸がない。


 彼が家を出て行こうと思ったのは一度や二度ではないのだが、その度に二人だけ残される両親の、次第に寂しく老いていく姿が頭にチラついて、どうしてもこの家を捨ててしまうことができないのであった。


 ベッドに寝転がり、男はこれからどうすべきか考えた。腕を折った今、自分は木こりを続けるべきなのかどうか。このまま同じことを繰り返し、出るはずのない才能の芽を待つべきか。それとも今までの全てを捨てて、新たな職を探すべきか。


 しかしそのどちらも、彼には陳腐な考えに思えてきてしまった。自分が出来ることなどたかが知れている。もはや自分に、生きる価値を見出せないのだ。

 

 けれど生きる気力が無くとも、死ぬ勇気もない。彼は自分に絶望した。こんな状況になっても煮え切らない自分に。


 それでも考え続けて、気がつくと日が暮れていた。両親は寝静まり、真夜中の森を満月が照らしている。男はふと、父が教えてくれた森の伝説を思い出した。この森のどこかに女神が住む泉があって、その泉に落とした物を正直に答えれば、女神からより良いものが与えられるという。


 そのおとぎ話を信じていたわけではなかったが、男には何でも良いから考えを変えるきっかけが欲しかった。真夜中の森を散歩する──それだけのことすらも、これまでにやろうとした覚えがない。自分は自分の考えに縛られすぎているのだと、男は自らの鎖を断ち切るため、静かに外へと出かけた。


 夜の森となると静かなイメージがあるかも知れないが、実際は夜行性の動物達が蠢き、鳴き声の大合唱が起こっているのだから、静寂とは程遠かった。それでも男にとって煩わしい日常から逃れるためにきたこの空間は、昼の森よりよっぽど静かであった。


 ぱきり、と木の枝を踏み折りながら適当に歩いていると、茂みの奥が薄ぼんやりと明るいことに気がついた。はて何だろうかと、吸い寄せられるようにその場所へと進む。


 そこには自然な円形の、清らかな泉があった。明るかったのは泉の水面に、丸い月の明かりが見事に反射していたからだった。


 なんと幻想的な風景だろうか──男は思わず息を呑んだ。その完璧な美しさに、嫉妬も覚えながら。


 「俺も、あのように輝きたい」


 彼は魅入られたように泉に入っていく。手にできるはずがない満月を求めて。あと一歩、あと半歩。もう少しであの輝きに届くはずだと。




 じゃぼんっ、と彼の身体が沈んだ。水面の月に届く前に。


 男は水面を見上げながら、下へ下へと沈んでいった。自分の息が泡となって、上へ上へと浮かんでいく。


 段々と水が肺を満たして、ついに口から何も出なくなった。だけれど、苦しいと感じることはなかった。


 代わりに、見上げた視線の先にある月明かりが気になった。どうしても自分はあの光に届かなかったのだと、彼は涙を流した。けれど水の中だから、涙は周りと一緒になって、どこにも存在出来なかった。




 朦朧とする意識の中で、彼は美しい女性を見た。彼女は自分に、二つの未来を見せた。


 一つは身体が強くなった自分が、兄よりも早く木を切り倒す光景だった。


 もう一つは、弟よりも大きな店を持って大金持ちになった自分の姿だった。


 それが夢か現かは、彼には判断できなかった。たがどちらの未来もあれほど切望していた物なのに、なんだか虚しくなるばかりな気がして、彼は目と口をゆっくり閉じて、深い眠りについたのだった。

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金も銀も、鉄も同じで 遠藤世作 @yuttari-nottari-mattari

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