第14話 センスオブジャスティス

 車のエンジン音で目が覚めた。

 久方ぶりの遠征と短い睡眠時間に、俺の骨身は自分が思っている以上に疲労していたらしい。


 ――骨身でも体力まで鈍るか。情けない話だ。


 イアルが水を飲みに行くと出て行ったことは覚えているが、その後で自然と意識を手放してしまったのだろう。カーテンの向こうに見える夜空はまだまだ黒く、大した時間は経っていないようだが。


「……こんな夜中に車だと?」


 嫌な予感が背骨を駆けあがる。

 慌てて隣のベッドに髑髏を向ければ、そこには跳ね除けられたシーツが残るだけだった。


「ッ! まさかアイツ!」


 弾かれたようにベッドから立ち上がり、金属製の扉を蹴り開けるようにして外へ転がり出れば、ちょうど奇妙な車列が地形の向こうへ消えていくのが見えた。

 確証があった訳ではない。ただ、いくら小さな口であろうとも、水を飲むのに俺が寝て起きるほどの時間を要するとは考えにくい上、こういう嫌な予感という奴は、どういう訳かよく当たる。

 躊躇っている時間などない。俺はすぐさま、ネオンが光るダイナーへ飛び込んだ。

 派手な音を立てて扉を開いたせいだろう。店中からの視線が突き刺さる。だが、有象無象の目を気にしていられる余裕はなく、俺はカウンターの向こうで硬直しているドラゴンフルーツ頭にズカズカと歩み寄った。


「ちょ、ちょっとちょっと何よォ? 荒っぽいわねぇ」


「お前、ガスマスクのチビを見てないか!?」


 低く落とした声に炎が宿るのは、目を離した自分の失態だから、と言うのが大きい。そのせいもあってか、図体のでかい骸骨はまるで怯えたように半身をくねらせた。


「え、ええ。イアルちゃんのことなら、さっきまでここに座っていたけど、何かお金持ちそうなミイラと一緒に出ていったわよ?」


「なら、そいつは何処へ行った! 何を話してた!」


「そんなに捲し立てないでよォ。アタシはちょっと離れてたから、何の話をしてたかはわからないけど……あぁその前にあの子、クライオナントカって文明遺構について、アタシに知らないかって聞いてきたわ」


 クライオ、という単語から思い当たることはない。だが、イアルが何を求めて夜な夜なうろついたのかは察しが付いた。

 俺の想像が正しければ、今までもこうして、ハイコープスに関して必要となる何らかの情報を集めていたのだろう。それも、今までは運よくトラブルに見舞われることもなく、だ。


「何か知ってると答えたか?」


「いいえ、アタシはそういうの専門じゃないもの。少なくとも、この近くじゃ噂も聞いたことないし」


 ギリっと奥歯が鳴る。せめてこのオネエ骸骨が発信源ならと思ったが、幸運の女神様は俺のことが嫌いらしい。


「なら、その金持ちミイラに上手いこと乗せられたってとこか。クソッ、甘っちょろい世間知らずはこれだから――」


「おいアンタ。さっきのチビの知り合いかァ?」


 背後からかけられた声に、拳を握ったままゆらりと振り返る。

 そこに居たのは2体組みのアンデッド。片方はイアルと同じように、頭全体をガスマスクとフードで覆っていて種族の分からない細身な奴で、もう一方はペール缶のような兜を被った、肥満体に見えるゾンビである。


「困ってるなら、俺たちが手を貸してやってもいいぞ」


「手を貸す? どういうことだ」


 自信ありげに腕を組む肥満ゾンビを睨めば、細身のガスマスクは最初の軽薄そうな声かけから一変。神妙そうな口調で顎を撫でた。


「その様子だと、知り合いを誘拐だか拉致だかされたんだろ。町の外じゃ珍しくもねぇ話だがよォ」


「前にも似たようなことがあった。俺たち、誘拐された奴の行先知ってる」


 何故知っているのかという説明はない。ただ、これは裏があると言うよりも、単純にペール缶が口下手なだけに思える。

 尤も、疑念を払拭できるほどの説得力はなく、俺は拳を解かないまま顎を鳴らした。


「だとして、お前らに何の得がある。俺が金を持ってるように見えるか?」


「なぁに、ちょっとした正義心って奴さ。アンタの慌てようからすりゃ、チビちゃんは相当大事な連れなんだろ? それにまぁ、俺たちにとっても、ああいう連中を掃除するにはいい機会なのさ」


「他に方法はないはず。素直に力、借りとけ」


 久しく聞かない言葉だと思った。市民様が暮らす町中であればともかく、掃き溜め同様、暗黙の了解以上の法が存在しないであろう場所にあってはなおさらに。

 加えて、ペール缶ゾンビの言い分は尤もであり、チラとカウンターの向こうへ視線を送れば、ドラゴンフルーツ頭も小さく肩を竦めてみせた。


「……わかった。案内してくれ」


 決まりだ、とガスマスク頭は手を打つや、落ち着いた足取りで店の出口へ向かい歩き出す。

 悩まなかった訳じゃない。だが、俺に立ち止まっていられるほどの余裕はなく、オネエ骸骨に見送られながら、間もなく彼らの後を追って店を出た。

 2体のアンデッドは、連れ去られたであろう場所を知っているというだけあって、迷うことなく南へ足を向ける。


「連れて行った奴の見当はついてるのか?」


「大体だがな。さっきも言ったが、前にも死体を攫っていく事件が何度かあってよ」


 振り返らないまま、籠った声がそう答える。


「その目的は?」


「さァな。俺たちにとっちゃどうでもいいが、気になるなら直接聞いてみりゃいいんじゃねぇの?」


 うんうん、とペール缶頭がついでのように頷く。要するに彼らは、相手が何を企んでいるかという部分について興味がないらしい。

 直接の被害者が身内に居なければ、こういう反応なのも分からなくはないが。


「まぁ、それもそうか。で、アイツが連れて行かれた場所ってのはどこなんだ?」


「あー……そりゃ口じゃ説明しにくい、っていうか。まぁその、あんまり目印になるような場所じゃなくてよォ。ともかくこっちなんだ」


 肩越しにチラとこちらを覗いたガスマスクは、片方の手をポケットから抜いて、自分たちの進んでいる方向に大雑把な丸を描く。

 俺は存在しない肺から、ふぅと大きく息を吐いた。否、ため息然り、これも人間だった頃の癖を忘れられないだけの、単なるフリなのだろうが。


「なるほどな」


 スリングが静かに肩を滑り落ちる。白い手の中にグリップが収まってカチリと鳴った。

 彼らの耳にも届いたのだろう。トレーラー溜まりの外縁近く。ちょうど俺とイアルの借りていた部屋のすぐ傍で、2人はこちらをゆっくりと振り返る。

 まさかガスマスクの眉間へ、黒い筒が向けられているとは思わなかっただろうが。


「人を馬鹿にするのも大概にしろよ昆虫面。お前はどこへ向かってる?」


「ちょ、ちょいちょいちょい何だよ急に! 俺たちゃ善意で――」


「世間知らずのチビならそれで騙せたかも知れんが、俺は違う。ガスマスクの中身を小麦粉みたくされたいか」


 ガスマスクが片手を前に出しつつ後ずさった分、ショットガンを構えたまま前へ詰める。隣のデブも同時に後退する辺り、律儀なのか間抜けなのか。

 命中精度の微妙なサボットスラッグでも、この距離なら外さない。大型獣を狩る前提の火力なら、言葉通り木っ端微塵にできるだろう。

 トリガにしっかりと指骨をかけつつ更に前へ踏み込めば、ガスマスクはおののくように声を張り上げた。


「待て待てって! なんなんだよアンタ! 俺たちが騙そうとしてるとでも言うのか!? 何の証拠があって!?」


「俺を無知だと思うなよ。少なくとも、お前が向かってる先は車が向かった方向とは真逆だ。それと、奇襲する気があるなら、もう少し上手くやるんだな」


 俺が見据えた先。片方だけ後ろに回された手がピタリと止まる。

 腰の後ろに隠してる得物は、果たしてガンマン気取りか、あるいは通り魔モドキか。どちらにせよ、酒場のチンピラ程度の動きが見えないほど、俺の目は朽ちていない。


「目的は俺の足止めか。いくらで雇われてるのか知らんが、正義の味方を装うには金が臭すぎる」


 更に1歩前へ。銃口がガスマスクの眉間スレスレに迫る。

 死体は汗など流さない。それでも、言い当てられて硬直したガスマスク越しの声は、今までの堂々としたものから一変。上辺だけの笑いでさえ、震えているのがよくわかった。


「は、ハハ、面白れぇ推理だねェ兄さん。だが、そんなの全部想像じゃねぇか。確かに武器は持ってるが、こりゃちょっとばかし座りが悪いだけで、別に抜こうとなんざ――ぶべっ!?」


 振り抜いたショットガンのストックが、ガスマスクの顎あたりから鈍い音を響かせる。頭を揺さぶる衝撃に、細身の死体はその場へ転がり、続けて腰から外れた皮袋から、小さな金属が甲高い音を立てて地面へと散らばっていく。

 その光景を見下ろした俺は、自然に薄く顎が浮いた。


「革袋2つ分か。随分払いのいい雇い主らしいな」


「兄貴!? て、てンめぇ、よくも!」


 銃口が逸れたからか、勇ましくもペール缶ゾンビは背中から大きなモンキーレンチを引き抜き、俺に向けて振り上げた。

 退くこと半身。目の前で砂礫が柱となって立ち上がる。その上、手応えがないと分かるや、そのまま地面と工具の間に火花を散らしつつ、力任せに振り回し連続で叩きつけてきた。


「ハッ、まるで扇風機だな。丸い図体してる割によく動くもんだ」


「オゥオゥオゥ! 今更謝っても加減はしないぞ! ヒョロっヒョロの骨風情が、喧嘩を挑む相手を間違えたなァ!」


「よく言う。元々殺る気マンマンだっただろうが」


 後ずさりながら大振りな攻撃を躱し続ける。するとゾンビは当たらないことに焦れてきて、踏み込みが一層大きく、振りもなお激しさを増していく。

 10歩、いやもっとか。髑髏を叩く砂粒がいい加減に鬱陶しくなってきた頃、背中が冷たい壁にぶつかった。


 ――トレーラーまで来たか。


「オォォォォォウッ!」


 考える間もなく、大上段からの勢いと体重を乗せた一撃が降ってくる。今まで以上に大振りではあったが、背中がつっかえる中で軽く躱すことは流石に出来ず、俺は跳び前転の形で大きく横へ逃げた。

 金属で覆われたトレーラーから、出来の悪いシンバルを叩いたような音が響き渡る。なにか電気配線でも通っていたのだろう。ひしゃげて剥がれた鉄板の内から、青白いスパークが2度3度と弾けた。

 微かな閃光を背に、ペール缶ゾンビは大きく息を吐きつつこちらへと向き直る。


「どうした。もう疲れたのか?」


「こんの黄ばんだドブネズミめ、チョロチョロ逃げ回りやがってぇ……ぶっつぶぅす!」


 単純なヤツなのだろう。軽い挑発に、モンキーレンチを握る手を小刻みに震わせ、喉の奥からは犬のような唸り声が溢れ出る。

 ぶちかまし上等。工具を振るっても無駄とでも考えたのか。ペール缶ゾンビは腰を低く落とし、太い足で砂へ踏み込むぶちかましの体勢をとり。


「ぶっつぶしたのは、誰かしら」


 暗がりから響いた独特な声に、砂漠の夜の空気は、一瞬で凍りついた。

 肉を持たないスケルトンに、表情なんてものはない。だが、黒を湛える眼孔には時として、感情の炎が宿っているのでは、と感じる時がある。


「まさか、アタシのお店に、こんな傷……」


 白い骨に影が落としたソレの迫力は、まさしく魔物と言っていいだろう。ジャラリと鳴る太い鎖の音に、今の今まで威勢よく突っ込んできていたペール缶ゾンビは、あろうことかモンキーレンチを取り落とすほどにすくみ上がった。


「え、ええええ、エコウ姉さん!? ひえ、待って、わざとじゃな――べぶらぁ!?」


 見えたか、と問われれば、風が駆け抜けたように思えた、と答えよう。

 明らかに重たそうなゾンビは、俺の真横を叫び声だけ残し、文字の通り飛んで行った。

 残っているのは、拳を振り抜いた姿勢そのままに、ゴリリと氷を噛み砕くような音を響かせ、歯の見える口から砂煙を吐く、大柄な骨のただ1体のみ。


「ぬふぅぅん……貴様はこの店の禁を破った。店舗敷地内における損害一切は、この山吹恵弘やまぶきしげひろが裁量によって断じねばならぬゥ」


 オネエ口調から一転。霊柩車2号店の店主は、低く轟く重々しい声を発しつつ、地面で藻掻くペール缶ゾンビへゆっくりと近づいていく。


「ち、違うんですエコウ姉さん……わざとじゃ……」


「スゥ――」


 頭元へ骸骨に立たれたゾンビは、大きく凹んだペール缶からか細い声を出した。それは同情を誘うには、十分な雰囲気をかもしていたようにも思う。

 少なくとも、一呼吸で冷静さを取り戻せるよう相手なら、だが。


天、罰、覿、面てんばつてきめん! 明日の朝日、無事拝めると思うなァ!」


「あ、あ、ああああああ!! お、お助けぇぇぇぇぇぇぇ!? プげぶぁ!?」


 ドォンと音を立て震える地面。スレッジハンマーで岩を叩いても、あんな音は出ない気がする。

 残されたのは痙攣するゾンビの姿。灰に還っていないのが奇跡と思えるくらい、ペール缶兜は歪んでいたが、自業自得なので道場はすまい。


 ――蚊帳の外だったな。まぁ、手間が省けてよかったと思うべきか。


 そう思って軽く肩の力を抜いた途端。店の影からヴォンと弾けるようなエンジン音が響いた。

 見ればヘッドライトに黄色く光を灯したオートバイが1台。いつの間に立ち上がったのか、ガスマスク野郎はそれに跨り、威嚇するようにスロットルを煽っていた。


「へ、へへへ……この野郎、俺の仕事を台無しにしやがって……ここで轢き殺してやるぜぇ!」


 リアタイヤを左右に滑らせながら、弾かれるように加速するオートバイ。それは言葉の通り、俺を真正面から轢いてゆかん、黄ばんだ骨身をいっそう黄色く照らし出す。

 その光の中心へと、俺はゆっくり照星を定めた。


「随分前に死んでるさ」


 肩を揺らす衝撃。薄く広がった火炎。

 割れるような音がして、俺を照らしていたスポットライトは消え、影のようになったオートバイの車体が、バランスを崩して横向きに宙を舞う。

 運が良ければ、言葉の通りに俺を巻き込むことが出来たかもしれない。ただ、幸運の女神は珍しく俺へと微笑んだようで、車体は破砕音を立てながら明後日の方向へ飛んでいき、投げ出されたガスマスク野郎だけが俺の前へと転がってきた。


「ぐへぁ……っ!」


 こちらもペール缶と同じく、灰に還ってもおかしくなかっただろう。その割に、このガスマスクは意識すら失うこともなく、呻き声を上げている。


「どうやら運がいいのは、俺もお前も同じらしいな。さて」


 尤も、その幸運の割合については、博打ならイカサマを疑われるレベルで、こちらへ偏っている気がしたが。

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