第13話 探している場所は

 案内された部屋は、最安値の部屋をという要求に応えてか小さく狭く。トレーラーハウスというよりも、キャンピングトレーラーと呼ぶべき代物だった。

 とはいえ、俺にとってはむしろ比較的居心地のいい窮屈さである。天窓から光の注ぐ車内には、屋根壁に加えてソファ兼寝台が2基置かれ、扉にもそれなりの鍵がかけられるなら、値段に対してそれなりだろう。


「何か追加の注文があれば、カウンターまでお願いね。それじゃ、ごゆっくりぃん」


 身体に巻き付けた太い鎖をジャラリと慣らし、大柄なオネエ骸骨は内股気味な歩き方で去っていく。

 とはいえ、夕食の都合までつけたのだから、これ以上余計な注文などある訳もなし。イアルはちょこちょこと歩いて奥へ踏み入り、薄っぺらなマットレスの上に腰を下ろした。


「はぁー……久しぶりに柔らかいベッドだぁ」


「払った金の分、精々堪能しとけ。こんなのは滅多にない」


 掃き溜めのボロ小屋よりは幾ばくかマシ、という程度の宿だが、それでもガスマスクを脱ぎ捨てた彼女は嬉しそうに頬を緩める。

 ほとんどの場合、アンデッドに体温はない。故に寝具なんていうのは、人間文明の習慣が残っているだけの場合がほとんどで、ことスケルトンという身の欠片すら残っていない種族の俺にとっては、最もどうでもいい類の家具だった。

 しかし、人間を目指すハイコープスの感覚だと、やはり冷たい床や硬い地面というのは不快だったのだろう。継ぎ接ぎだらけのクッションを膝に抱えたイアルは、んふぅと鼻から息を吐く。


「お金に余裕があったら、毎日でもこういう所に泊まれるかな?」


 アンデッドに子どもという概念はない。何せ生き物じゃないのだから。

 ただ、どうにもこいつの無邪気さは、長く忘れていた子どもという存在を想起させ、俺はまた呆れたようにため息をついた。


「観光目当ての旅がしたいなら、今すぐにでも帰らせてもらうが」


「むぅ、意地悪だなぁ。ちょっとくらい他の楽しいことを考えてもいいじゃない」


「好きにしろよ。頭の中でやる分にはな」


 小さく頬を膨らませるイアルを背に、俺はコツコツと頭蓋骨を指で叩く。

 たられば話など、何の足しにもなりはしない。事実、俺たちの財布は、ショットガンの弾を使うことすら躊躇うくらいに軽いのだ。屋根壁寝台付きの宿を毎日など、後ろ暗い仕事にでも首を突っ込まない限り不可能だろう。


「ねぇ素宮さん」


「なんだ」


 あてがわれた寝台上で、俺はゴソゴソと簡単な荷解きをやりつつ、ぶっきらぼうな返事を投げる。

 短い沈黙。何か逡巡しているような雰囲気だったが、特に気にもかけずに居れば。


「……もしかしてだけど、素宮さんは私のこと、嫌い?」


 ショットガンへ伸ばした手が止まる。

 また短い沈黙。ただ、これはイアルのせいではなく、俺の思考が硬直したからだろう。

 ゆっくりと肩越しに振り返れば、継ぎ接ぎクッションをまるで盾のように抱える少女と目が合った。

 途端に、細く見える肩がビクリと跳ねる。


「あ、あのね! 色々迷惑をかけてるのはわかってるんだよ! 私は世間知らずで不器用だし、無理なことも一杯言ったし、結局素宮さんは町に居られなくなっちゃってるし、それに――!」


 ワタワタと早口に捲し立てられる弁明。今更ながら、世間知らずと不器用に関して、自覚はあったのかと思う。

 ただ、俺が黙って聞いていれば、やがてイアルは萎んでいき、最後には鼻の上までクッションに埋まって、うぅと鳴いた。


「……やっぱり、私って面倒くさい、のかな」


 ジジ、と小さく電球が鳴る。あるいは、窓の向こうでOPENと輝くネオン管だったかもしれない。

 面倒くさい。確かにそうだろう。少なくとも、ここに至るまでの経過をこちらの目線で見れば。

 ただ、改めてそう言われると、隙間だらけの腹のあたりで、何か馬鹿馬鹿しい気持ちだけが渦巻いた気がして、俺は前へ向き直ってショットガンのチャンバーを覗き込んだ。


「そりゃ重要なことか? 俺にどう思われたところで、お前のやるべきことは変わらんだろ」


「そうだけど、そうなんだけど……」


 もごもごと声を籠らせるイアルは、果たして何を求めているのか、俺にはわからなかった。

 俺は己の感情に従って決断を下し、この場に居る。後悔が全くないと言い切れば嘘になるが、自らの意思で請け負った仕事を、気分1つで放りだす程落ちぶれたつもりはない。

 仕事なのだ。契約通りの役目を十全に果たせばそれでいいはず。俺にも彼女にも、他はない。


「余計なことに気を回すな。無駄に疲れるだけだぞ」


「……うん」


 釈然としない返事。だが、それきりイアルは何も言わず、俺がショットガンの簡易整備をしている後ろで、いつしかシーツを被って丸くなっていた。



 ■



 カチンカチンという、何かの道具を触る音が聞こえなくなって、部屋の中が暗くなり、暫く。


 ――せっかく柔らかいベッド、だけど。


 静かに目を瞑っていただけで、少しも眠れていなかった私は、もぞもぞとシーツの中で身体を回し、小さく反対側のベッドを覗きこむ。

 こちらに背を向けた格好の素宮さんは、ピクリとも動かない。

 流石に疲れているだろう。毎日不寝番をして、陽のある時にほんの僅かな仮眠をとるという、無茶苦茶な生活を続けていたのだから。

 ぶっきらぼうで、つっけんどんな骸骨。けれど、どこかでずっと私のことを心配してくれている優しいアンデッド。感謝はしてもしきれないけれど、それに甘えっぱなしではいけない。


 ――私だって、今は雇い主なんだから。


 ガスマスクを静かに被り、そっとベッドから抜け出して、つま先で触れるように立ちあがる。

 私の身体は小さく、スケルトン程ではないだろうけれど相応に軽い。だから床は軋みの1つも響かせることはなく、ほっと胸を撫でおろし。


「どうした、眠れないか?」


 ビクリと肩が跳ねた。

 彼は背を向けたまま、こちらを見ようともしない。


「す、少し喉が渇いたから、カウンターで貰ってくるだけ。1人で平気だよ」


 咄嗟に転がり出た嘘に、声がひっくり返らなくてよかったとホッとする。いや、喉が渇いていることに関しては、あながち嘘でもないのだが。

 そんな私に、素宮さんはそうかとだけ短く言うと、また物言わぬ骨に戻る。

 信頼してくれているのか、見透かされて諦められているのかはわからない。けれど、やっぱり少しだけ申し訳なく思えて、私は逃げるように部屋を出た。

 メタルのドアを閉めれて小さく息を吐けば、目の前にはギラギラ輝くネオンとマーキー。こんな夜更けでも、ダイナー窓には動く影がいくつか見えた。

 大丈夫。道端にあるお店なら、自分だけで何度も入った事がある。

 素宮さんに驚かされた胸を落ちつけながら、私は他と異なり開放的な入口を潜って店内へ入った。

 すると間もなく、カウンターの向こうから大柄な骸骨の視線が飛んでくる。


「あらぁ? 誰かと思えば可愛いお嬢ちゃんじゃないの。こんな夜中にどうかした?」


「こ、こんばんは」


 またスツールによじ登れば、本骨曰く彼女は水を入れたグラスを置いてくれる。私がスケルトンでないことは、どうやらお見通しらしい。


「あのコワーイ骸骨さんに隠れて、秘密のお酒タイム? それとも何か困り事とか?」


「少し、聞きたいことがあって。お姉さん、えーと……」


「アタシのことなら、エコウと呼んで頂戴」


 ヴィダ酒の瓶を手に、エコウは腰を少し捻って見せる。それは決めポーズ的な何かなのか、彼女はどこか楽しそうにすら見えた。


「あ、私はイアルって言います。それで、エコウさんは、この辺りのことって、よく知ってる?」


「それなりかしら。お店は結構あちこちを転々とするし、お客さんから周りのお話も聞くしねェ」


「なら、大昔に作られた建物で、って聞いたことは?」


 拳に小さく力が籠る。いつも、誰に問いかける時でもそうだ。

 もし知っていると言ってくれれば、もし些細な情報でもあれば。

 しかし、エコウはう゛ぅ゛んと、いつもより濁った声で唸りながら首を捻った。


「文明遺構ならそこかしこにあるし、採掘業者の連中が難しい話をしてるのなら、ちょっとは聞いたことはあるんだけど……そのクライオ? っていうのは聞き覚えないわ」


「そっか……教えてくれてありがと」


「力になれなくてごめんねぇ」


 そう言ってシュンと大きな体を縮こまらせたのも束の間。奥のテーブルからお呼びがかかれば、内股気味な歩き方で駆けていく。

 エコウが申し訳なさそうにする必要なんてない。クライオセイフが簡単に見つかるなら、わざわざ遠くのネクロポリスなんて目指す必要は無いのだから。

 けれど、世界は私の考えるよりも、あるいはウンおばさんが知っていることよりも、きっと凄く広い。だから、もしかしたら、なんて可能性を考えてしまうのだ。

 もし見つけられれば、誰か知っているアンデッドが居たならば、素宮さんにこれ以上無理を言う必要なんてない。余計な迷惑をかけなくて済む。嫌われなくて、済むから。


「文明遺構をお探しかな?」


 突然、隣からかけられた声に、私はハッと顔を上げた。

 そこに居たのは、白い髭を顎と口元に生やしたミイラの男性。乾いているにしては珍しく、青白い肌をしていて、仕立ての良さそうなシルクハットを被り、柔和そうな笑みを浮かべていた。


「えっと、あなたは?」


「何、ただの古物好きですよ。面白そうな話が聞こえたものでついつい声をかけてしまいまして。あぁこちら、お近づきにどうぞ」


 そう言って差し出してきたのは、飴色の液体が揺れるグラス。隣に置かれた瓶を見れば、カラメルヴィダと書かれたいかにも高そうなラベルが目に付いた。

 どうやらお酒らしい。今まで口にした事の無い飲料には緊張感が湧き上がったものの、どうぞと勧められれば断るのもはばかられ、私はグラスを両手で握った。


「あ、ありがとうございます」


 おそるおそる、舐めるように口へ含む。すると、甘いと辛いが混ざったような独特の味と、よくわからない爽やかな香りが鼻からスっと抜けていった。

 美味しい、かもしれない。

 続けてもう1口と含めば、紳士然としたミイラさんは頬を緩め、自らも軽くグラスを呷ってから、して、と切り出した。


「私の聞き間違いでなければ、先ほどはクライオセイフ、と仰いましたか?」


「うん。何か知ってる?」


「知っている、という程ではありませんが、偶然にも聞き覚えが。懇意にしている業者が最近掘り出した建造物に、そのように書かれた銘板があったと伺った所でして」


「ホントっ!?」


 思わず身を乗り出した。自然と声も大きくなったからか、店内からいくつもの視線が突き刺さる。

 だが、そんなことはどうだっていい。

 目の前に、可能性が来た。

 頭の中が熱い。きっと興奮っていうのは、こんな感じなんだろう。

 一方、青白いミイラの男性は、私を見てホッホッホと笑った。


「これはお元気なことだ。未だ発掘途上ではありますが、気になられるようでしたら、私から業者の方へご紹介しましょうか?」


「是非! 是非お願い、します!」


「では、少しばかり着いてきてください。ここの駐車場で待ち合わせているのです」


 シルクハットを被り直した彼は、ステッキを片手に立ち上がると、クレジットをカウンター上にそっと置いて踵を返す。

 この出会いが、アタリかハズレかなんてわからない。けれど、少なくとも可能性を確かめられる機会がやってきた。

 黒い燕尾服を着たミイラの背中は揺らぐこともなく頼もしい。綺麗に包帯の巻かれた手が開いた扉を一緒に潜り外に出れば、本当に丁度良くクレーターの中へ2台の車と2台のバイクが降りて来て、店の外れに停まった。


「あれですか?」


「ええ。行きましょう」


 大股に歩くミイラ。その手が2度、3度とステッキで砂を突いたところで、車から数体のアンデッドが揃って降りてくる。

 種族に統一感がないのは掃き溜めと変わらない。ただ、その身なりには大きな差があり、町で見た者で例えるなら、労働者というよりも市民のような雰囲気だった。

 その中から代表者なのか、バイクに乗っていた1体だけが前へ歩み出てくる。


「お待たせしましたバンハルドさん。それと……そちらは御連れ合い様ですかね?」


「うむ。丁重に扱うように」


 焼けたような声のアンデッドは、ツナギや手袋で身体が見えず、顔も自分と似たようなガスマスクを被っていて種族が分からない。


 ――バンハルドさん、って言うんだ。私、自己紹介すらしないで。


 ピシリと背筋を伸ばして立つミイラの紳士を見上げていれば、急展開に興奮していた自分が少し恥ずかしくなった。

 こういう時こそ平常で居なければ。希望が見えたからって足元が疎かになっては、上手くいくものもいかなくなるだろう。平常心平常心と繰り返して、ゆっくりと気持ちを落ち着ける。


「もちろんでございます。それではどうぞ、詳しいお話は車内にて」


 前を見れば、業者だと言われていた種族不明のガスマスクが、並ぶ車の扉を開けていた。

 しかし、少しだけ冷静さが戻ってきていたからだろうか。1歩踏み出そうとした所で、はたと自分の泊まっていた部屋が目に留まった。


「あっ、ちょっと待ってください。私、一緒に行動してる方が居て、先に声、を――」


 身体がふわりと浮かんだような感覚。目のピントが水の中を見ているようにボヤけ、目を擦ろうとして自分の手がガスマスクに当たる。


「あれ……なん、だろ……?」


 疲れた夜のように、瞼が重たくなってくる。起きていないといけないのに、勝手に意識が遠のいて。

 霞む視界で最後に見えたのは、シルクハットを押さえるミイラの真顔だったように思う。



 ■



「これで間違いありませんでしたかね」


 ガスマスクを被ったアンデッドは、作業用手袋を擦り合わせながらバンハルドを見上げて、へへへと笑う。

 自信の腕で受け止めた小さな体。彼女と呼ぶべきであろうアンデッドの、壊れたガスマスクのレンズをそっと覗き込み、彼は小さく息を呑んだ。


「……情報に違わぬ上物だ。これならば、もお喜びになるだろう。報酬は期待しておくがよい」


「そいつぁありがてぇや」


「それから、君たち兄弟はここに残るように。連れというのが気になる。追加の報酬については、明後日いつもの場所で渡そう」


「追いかけるようならどうします?」


「私に面倒をかけぬなら、君の好きにして結構」


「へへ、ではそのように。お前ら、バンハルドさんに粗相のねぇようにな」


「丁重に丁重にだぞ。いいな?」


 情報提供者であるアンデッドが、小さな体を車の後部座席へ横たえたのを確認し、バンハルドも続いて助手席へと乗り込む。

 ただ、金銭に浮かれるアンデッド連中と異なり、彼は自らの手に残った感触に、ふぅーと大きく息を吐いていた。


 ――またとない機会であることは間違いなく、考え得る最良の成果であることは疑いようもない。だが、この娘は一体……。


 ピックアップトラックのエンジンが唸りを上げれば、合わせて車列も動き出す。

 そこでバンハルドは、鼻から大きく息を吐き棄てて、思考を中断した。

 彼女が何者かなど、自らの使命には何の関係もないのだと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る