第7話 お嫁に行けない?

 市民様はいい所に住んでらっしゃる。すきま風ビュンビュンの愛すべきボロ小屋とは大違いだ。

 尾白の家に上がったことなどない。否、掃き溜めの住民が、立場の異なる市街の建物に入る機会など、特別な仕事でもない限り有り得ないだろう。

 俺はそういう、明らかに注文の多そうな仕事を避けてきた。多少払いが良くとも、余計なトラブルを引き込みかねないリスクは見逃せない。

 しかし、今日の状況はまた別である。


「討伐隊の出立はいつだ?」


 新築のように小綺麗な家には、まるで似合わない無骨極まるガンロッカーから、ポンプアクション式のショットガンを引っ張り出す。

 曰く、ホームディフェンス用の飾りとのことだが、その割に妙なカスタムがされていて手入れも行き届いているように見えた。

 とはいえ、武器など今は瑣末な問題だが。


「役所が言うには明朝5時。それと町のゲートだけど、今晩閉門したら安全が確認されるまで開けないってサ」


「余分な時間はねぇか。最後まで手間かけさせやがる」


 ため息だったのか、あるいは自嘲の笑みだったのか。俺自身にもわからない。

 ただ、ポーチのついたベルトにショットシェルを詰め、アタックナイフをホルダーに叩き込み、ショットガンと小型の盾を背負ってリビングへ戻れば、腕を組んだ骨女に、ない鼻をフンと鳴らされた。


「自分の責任は棚上げかい?」


「だとしたら、この場に居ねぇよ。足は」


 手巻きたばこを咥えた白骨に眼孔を向ければ、彼女は何も言わずに大股で歩き出す。

 向かった先は勝手口を出てすぐ。簡単なカーポートの下だった。


「あんま使ってないボロだけど」


 箱型に膨れた銀のカバーを、尾白は大きく引っ張る。その下から現れたのは、パイプフレームが剥き出しの、所謂四輪バギーATVだ。

 この町には似合いの装備だが、廃材置き場に積み上がっていない自家用車など見るのはいつ振りだろう。


「これがボロね。掃き溜めの連中に渡せば、誰でも泣いて喜びそうだが」


「忘れた? これでもアタシは市民様ヨ?」


 立場を鼻にかけることをしない尾白だからこそ、笑える冗談という奴だった。否、そうでなければ、掃き溜めにおいて人気のある雇い主などになれはしない。

 当然、こうして俺の面倒に手を貸してくれることも。


「借りはその内返す」


 鍵を貸してくれと、黄ばんだ手を差し出せば、しかし彼女は煙を吹くのみ。

 それどころか、カラカラと小さく肩を揺すって笑った。


「冗談。1人でなんて行かせらんないでしょ、乗って」


 白い人差し指でくるりと回ったイグニッションキー。それ越しにちらと一瞥を寄越した尾白は、流れるようにATVへ乗り込んでいく。

 こうされてしまえば、俺に危険がどうのこうのと口にする権利などない。彼女へ続いて助手席へ滑り込んだ。


「このお節介め」


「ちっとは惚れたか?」


「お互いアンデッドじゃなけりゃ、考えたかもな」


「アッハ! だとすりゃ骨身が憎いけど、そう言われて悪い気はしないネ!」


 ケンケンケンとエンジンが鳴く。あまり使っていないという割に、バッテリーを枯らしたりセルモーターを焼いたりすることもなく、鋼の車体は低い鼓動に揺れた。



 ■



 砂漠に生える貴重な木。

 その枝には、楕円球形で赤く手のひら大に満たない程の果実が鈴なりで、四方八方へ広がる細い葉っぱが傾く太陽を隠し、地面に影を落としている。

 天然の休憩所とでも言えばいいか。熱波を和らげるその場所に腰を下ろした私は、ガスマスクの割れたレンズ越しに、手にした小さな機械へと意識を集中していた。


「ルターブは有機栄養源として優秀……魂魄結晶食との混合相性もまずまず、と」


 僅かばかりの覗き窓から見える色を観察し、メモへと記す。

 ウンさんはから預かった大切なものの1つ。傍目からすれば、何やら細いハンドルのついた、謎のガラクタにしか見えないだろう。ウンさんは、コーヒーミルのようだ、なんて言っていた。

 見た目はともかくとして、そこから生み出されるものは当然、粉末状になったコーヒー豆ではなく、なんなら粉ですらない塊だったが。


「これくらい作っておけば……大丈夫、かな」


 実ったルターブと、素宮さんから貰ったソウリウムを全部混ぜて、出来上がったのはブロックが10個程。

 飢えて動けなくなる心配は、これで多少は薄らいだ。


『この先、素宮というスケルトンを頼るといい。少しばかり面倒くさい男だが、彼なら力になってくれるはずだ』


『これでお別れだイアル。精々、長生きしろよ』


 私を憂うような、それでいて期待してもいるような2つの声が、頭の中を反響する。


 ――できるのかな。私だけで、本当に。


 無くなった宝石の代わりに、古びた手帳と拳銃が腰に揺れた。

 きっと可能性は広がったのだと思う。けれど、何を与えられたところで、握る手がこの小さな2つだけであることに変わりはない。無知で弱い自分も。

 そこまで考えて、私は大きく頭を振った。


「違う違う! できるかどうかじゃない! 弱気になるな私!」


 手を動かさないから悪い考えが湧くんだと、役目を終えた機械をガチャガチャと片付け、ブロック食をポーチにしまい込んで、そのまま砂の上に倒れ込む。

 早く寝よう。明日からはまた、頑張って歩いていかなければならないのだから。


「――んっ?」


 気配というほど曖昧なものでは無かったように思う。

 くるりと体を丸めた時、視界の片隅に見えたのは薄らとした影。形も曖昧なのに、何故かこちらを凝視している気がして、私は転がったばかりの体をゆっくり起こした。

 もしかして、という希望がなかったとは言わない。何故期待しているのかは、私にもよくわからないが。

 ただ、その影が薄く月明かりに照らされた時、期待とは似ても似つかぬ姿に、私はガスマスクの中で表情を引き攣らせた。


「え、ええっと……どちら様、ですか?」


 4つの足を持つ鱗の体。熱気を帯びた息を吐く口。覗く牙に赤く反射する目。

 それが何か知らずとも、背筋が冷たくなるには十分な条件だった。



 ■



 黄色い回転灯が辺りを照らす中、止まれ止まれと両の腕を振り回す死体を盛大無視し、黒い車両は閉まりかけたゲートを突っ切って夜闇を駆けた。

 ドスン、と柔らかいサスペンション越しにも激しい衝撃を覚える。一体どれだけ速度を出しているのやら。


「ギリギリだったな。しかし、閉門時間にサイレンなんて鳴らしたか?」


「次開くのがいつになるか分からんからでしょ」


 ハンドルを握る美しいほどの白骨は、そう言ってケタケタ笑う。

 あと数秒遅ければ、真面目に働いていたガードのゾンビだかミイラだかも、1人2人くらい下敷きにしたかもしれない。あるいは、鉄板の張り巡らされたセキュリティゲートを突き破り、遮断桿をへし折っていく羽目になった可能性もあるというのに。


「今更だが、お前仕事は」


「惰性で生きる骨女も、たまには変わった刺激が欲しいもんなのサ。進路は?」


 尾白は最後まで付き合うことを決めたらしい。

 理由はどうあれ、腹を括った女は怖い。性別なんて人間だった頃の癖と大差ない存在となってもそう思う。


「南南西、ルート35だ」


「了解っと」


 名前がついている道とはいえ、形などあってないような物。砂漠となって久しい街の残滓は、ところどころにビルの亡骸や街灯や電柱を生やし、砂に埋もれかかって35と刻まれた看板が覗くのみ。

 人間文明の名残。最早この場所が元々どんな都市だったのか、あるいは工業地帯だったのかを知る者は残っていないだろう。仮に残っていたとしても、余程の物好きが根掘り葉掘り聞き出しでもしない限り、過去を気にしているとは思えない。

 普通のアンデッドにとって、過去など大して価値を持たないものなのだ。歴史を置物として眺められる程に裕福な連中のことは知らないが、少なくとも庶民以下にとってはどうでもいい。


「この方向に進んでるってことは、イアルの目指す先って鉄の森?」


「直接聞いた訳じゃないが、最初の目標地点に定めるなら、そこしかない」


 尾白が知らないということは、ほぼ確定でいいだろう。俺が掃き溜めに流れ着いた時から、世界は大して変わっていないらしい。

 町や集落などを運営するのは、惰性と不変を好むアンデッド。随分長い時間が経ったと思っていたが、案外世界は動いていないのかもしれない。

 そんな結論を自分の中で着けた俺に対し、尾白は面白くなさそうに鼻を鳴らした。


「全部は教えてくれない訳だ」


「今重要な話じゃない。どうしても知りたいなら、アイツを拾って直接――ライト消せ」


 一瞬で空気が張り詰める。

 前照灯の白い光が失われれば、世界を照らすのは月と星の朧げな灯りだけだ。

 それでも、何か動く物を見つけるには十分だったが。


「進行方向正面左手。気付いたか?」


「例のホネバミ?」


「わからん」


 蠢いた何者かとの距離はそれなり。記憶が正しければ、あの辺りにあったのは列車の残骸とナツメヤシの木くらいのもの。

 夜を隠れ過ごすには悪くない感興だろう。逆に言えば、そこを根城にしている何者かに、立ち寄った旅人が嗅ぎつけられる可能性も高い。

 その主、あるいは臭いに釣られてやってきた影が、もしもホネバミだったなら、既に手遅れだろうが。


「遠巻きに確認してくる。いつでも出せるようにしとけよ」


 静かにATVを降りた俺は、背中からショットガンを引っ張って右手に握り、左前腕に小型のバリスティックシールドを括って、空いた指の間にショットシェルを2本つがえる。

 好きになれる緊張感ではない。だが、俺の身体はとうに慣れてしまっていた。


 ――無駄じゃなければいいが。


 擦り切れかけたブーツで足元の砂を確かめるように、けれどできるだけ足早に前へと進む。当然、照明なんかはつけられない。

 人が消えた世の次は、アンデッドが地表を埋めた。しかし、人間の高度な文明を維持するには至らず、数も何十億など程遠い程度の死体達は、食物連鎖の頂点である振りを続けながらも、実際にはその立場を脅かされている。

 弱いモノは食われる。それも安定的な数が居るのなら、長い年月の内に捕食者が現れるのは、自然の摂理として当然のことだろう。灰となった亡骸が、栄養になるとも思えないが。


「た、たす、助け――」


 風に乗って聞こえた悲鳴に、俺はグッと身体に力を込めた。


 ――イアル! 間違いねぇ!


 声が出るならまだ灰に還ってはいない。ショットガンを正面に構え、歩みを一層早くする。

 目の前には、月に照らされたナツメヤシの木。そこから僅かに窪んだ砂地へ銃口を向けた。


「あははははは!? だ、だめ、ダメだって! 私を嗅いだって何にもならないからぁ!?」


 そこにあったのは何か、ペットボトル大の生物に、ぐりぐりと押されながら地面を笑って転げまわる、ハイコープスの姿。

 壊れたガスマスクは頭から外れて落ち、青白い素肌が月明かりに覗いている。ので、まぁ彼女であることに間違いはない。それも、両腕をバタバタさせて何やら抵抗している辺り、襲われているというのも正解は正解だろう。

 ただ腑に落ちない。何故このド阿呆は、警戒情報が発令された砂漠のど真ん中で、呑気にと遊んでいるのだろう。


「はぁっ……はぁっ……あ、えっ!? そ、素宮、さん!? よ、よかった! 助けてぇ!」


「何から、誰を」


「わ、私のことだよ!? この子、ずっと離れてくれなくて――ひゃぁん!? ちょっと、服の中に潜ろうとしないでってばぁ!」


 妙に艶やかな声を出す元ガスマスクチビに、俺は何だか傍観するのも失礼な気がして、そっとその場で踵を返す。

 一応にも、アレはレディなのだから。


「――すまん、邪魔したな」


「邪魔してないからぁ! 意地悪言わないで助けてよぉ!」


 また縋るようなイアルの声に、深くため息が出た。

 スナマリはアルマジロのような見た目をした、小柄で臆病な草食動物であり、少なくともアンデッドに害をなすような存在では無い。

 故に、放っておいた所でなんの問題もないだろうが、さりとて、そのまま置いて帰れるような状況とも言えないため、俺は仕方なく、パタパタと暴れる手足を捕まえて、嗅ぎ回る獣からひっぺがした。


「うぅ……全身嗅ぎまわられた。もうお嫁にいけないぃ」


 ようやく解放されたイアルは、砂の上に足を抱えて座り込む。

 その様子はあからさまに凹んでいたが、俺から言わせれば、死体が何を色気づいた事を言ってるのかと笑ってしまう程度だ。

 子どもを産み出せる訳でなく、生命の常識から外れたような存在に、嫁がどうとか言われても困る。


「スナマリにとって、ナツメヤシは重要な食糧だからな。それだけ果汁に汚れてれば、追ってくるのも当然だろう。むしろ、齧られなくて良かったと思え」


「それにしたって――! 見てたんなら、もうちょっと早く助けてくれたって良かったと思うんだけど……」


 ジトリと、青い半眼がこちらを睨む。ついでに頬も軽く膨らんでおり、イアルとしては俺の対応が随分不服だったらしい。

 とはいえ、そんな契約を結んだ覚えは無いため、俺はヒラヒラと手を振るだけだが。


「図々しいな。ゴムボールと戯れてるだけと知ってたら、そもそも迎えになんて来てない」


「どういうこと?」


「見送りのタイミングが最悪だったってだけだ。詳しい説明なら後でしてやるから、余計なモンとかち合う前に戻るぞ」


 このチビも運がいいのか何なのか。宿もなく足もなく旅をしながら、今日も多少獣臭くなっただけで怪我をしない。

 それに救われたと思っているのは、俺の方かもしれないが。

 ショットガンを背中に担ぎなおして歩き出す。ただ、2、3歩進んだところで足音が続かず、俺は訝し気に振り向いた。


「おい何してる? ここは危険――」


 なんだぞ、と。繋がるはずだった言葉は音にもならないまま虚空へ消えていく。

 砂丘のてっぺんで月明かりを遮って見えたのは、元人間であるアンデッドの数倍はあろうかという巨大な影。武器を背負いなおしていたことは、ある意味で正解だったかもしれない。


「余計なものって、アレのこと、だったり?」


「……ああ、説明の手間が省けたようで何よりだ」


 イアルがゆっくりと後ずさってくれば、合わせて筒状の身体がぐるりとうねるように動く。

 そのミミズが如き姿に目があるかどうかは分からないが、ソレはまるでこちらを睥睨するように首をもたげていた。

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