第6話 ハイコープス

 青白くも張りのある肌。生きているかのような艶のある頭髪、くすんでいない瞳。

 白い骨とも、腐り果てた肉とも、乾ききった肌とも異なる、まるで生きた人間であるかのような顔が、こちらをジッと眺めていた。

 防腐死体を元とするアンデッドなら、生み出されて間もなくはこんな姿である。しかし、それはいつまでも維持できるものではなく、特に熱砂の舞うこの地域では、あっという間にミイラへと変わり果ててしまうはず。

 にも関わらず、フードの奥に見えるイアルの肌は、干物とかけ離れていると言っていい。

 これで思い当たる名前がなければ、俺の顎は地面まで落ちていただろう。


「やっぱり知ってるんだね。この体、ウンおばさんがやってた研究のこと」


 人間のような小娘の顔が、こちらを試すように目を細め、してやったりと言わんばかりの笑みを浮かべる。

 腹立たしいが否定もできない。自分にとって、切り離すことの出来ない過去なのだから。


「ウン・モーソレム……まさかあの夢想家が生き延びてたとはな」


 耳孔にこびりついた堂々たる女の声が、空っぽの頭に反響し、ため息が出た。


『約束しようじゃないか諸君! この手でかの災厄たる病を退け、諸君らは再び肉体を手にすることを! 動く死体ではなく、無菌室の外でも生きられる、新たな人間としての肉体をだ!』


 ガラス越しに聞かされた四角い男の演説は、言葉通りの夢物語へと成り果てたはず。とはいえ、俺は彼女の語る夢に浸ったあの時間を、悪いものだったとは思わない。

 否、俺だけではないだろう。セントラルガードという立場に置かれた、にとって、一縷の希望となっていたのだから。

 だが、あるいはと、俺は小柄な娘を見る。


「お前が平然としてるってことは……アンデッドのハイコープス化は、成功したのか?」


「まだ完全じゃない。だけど、ウンさんは希望を見出した。それを世界へ繋ぐために、私はここに居る」


 小さく揺れたフードに、俺はゆっくり溜息をついた。知らず知らずのうち、力の入っていた肩をゆっくり落とす。

 他力本願な自分自身に呆れもするが、夢は未だに夢のままらしい。


「希望を世界へ、ねぇ。あの女が好みそうな言い回しだ」


 机に置いたヴィダ酒を、瓶のまま軽く煽る。液状ながら骨の隙間より流れ出ることのないそれは、しかしこの骨身を酔わせるにはあまりに力不足で、俺はまた溜息を零しながら、黒い眼孔をイアルへ向けた。


「それで? その希望とやらの為に、地平線彼方の幻まで俺に案内しろと?」


 コクン、と。今度はフードが縦に揺れる。


「ウンおばさんが言ってた。頼れるとしたら、素宮さんしか居ないって。だから、お願い」


「残念だが、そりゃ徒労だな。冗談でもなんでもなく、今の俺は掃き溜めの労働者だ。明日を食いつなぐだけで手一杯の骨に、何が出来る?」


「でも! あなたはネクロポリスからここまで、生きて辿り着いたんでしょう!?」


「運が良かっただけだ。分厚い壁の内に戻れなくなったのも、夜闇で獣に襲われなかったのも、果てしない距離に力尽きなかったのもな」


 前のめりになっていたイアルに、誇張のない事実を突きつける。

 苦しそうにぐっと絞られる唇。この時勢には珍しい、羨ましくすら思える程の瑞々しい表情に、俺は少しだけ声色を和らげた。


「小さいナリして大したモンだぜ、お前は。だが、悪いことは言わん。諦めて来た道を戻れ。帰り分の食い物くらいなら、俺がなんとかしてやる」


 俯いたイアルは、果たしてどこからやって来たのか。たとえ近くの町村までの食料だとしても、屋根の下で眠るのが精一杯みたいな俺には、決して楽な事じゃない。

 だが、手を出すと決めたのは俺自身だ。それが押し切られるような格好であろうと、選んだ以上は筋を通す。古い知り合いの希望というのも付け足せば、これ以上傷を増やさないよう帰してやるくらいはしてやっても、バチは当たらないだろう。

 しかし、僅かに黙り込んでいたフードは、またユラユラと左右へ揺れた。


「ダメなんだ。私はどうしても、何を捨ててでも、先に進まなきゃいけない。ウンおばさんと、約束したから」


「約束?」


 あの夢想家、どんな契約書にサインさせたんだ、と。

 薄っぺらい疑問に髑髏を傾けた時、ソファの上でゆっくりとぼろ布が持ち上がる。

 影から浮かびでたのは笑顔。ただそれは、何やら酷く儚げで、今にも崩れてしまいそうなほど弱々しいものに見えた。


「私にはもう、帰れるところなんてないんだよ。残ってるのは、あの人に託された希望だけ」


 震える声、震える唇。

 喉なんてありもしないのに、何かがつっかえるような感覚が込み上げてくる。


「ウンは、灰に還ったのか。何故だ」


 アンデッドは何らかの形で死を迎えると、燃えることも無くその場で灰になる。骨であれ腐肉であれ干物であれ、訪れる最後の形は変わらない。

 ただ、アンデッドにとって死とは、俺の知る限り自然には訪れないものだ。

 魂魄を維持するエネルギー、いわゆる食料の枯渇による餓死は起こりうる。また、体を破壊されることによって死ぬこともある。だが、寿命というのは聞いたことがない。

 そして無菌室を出て活動していた以上、ウンも自らをアンデッド化させているはず。そうでなければ、

 では、彼女は何故死んだのか。その理由を知りたいと思うのは当然だろう。


「どうしてって、私も聞いた。そしたらウンさんは、自らをハイコープスの実験台とした代償。アンデッドとしても生物としても不完全となった結果だ、って」


 俺の質問に、イアルは小さく胸を押えて、苦しそうに言葉を吐き出していった。

 その様子から察するに、あの女は自らの命が消える瞬間に至ってもなお、最後まで希望とやらを諦めなかったのだろう。

 最早、どこからも演説に対する喝采など聞こえなかっただろうに。


「……聞かせろ。ウンはお前に何を求めた? あの胸糞悪い都市で、お前は何を成そうとしている?」


「アンデッドをハイコープス化させる方法の確立。その為に必要な物資が、ネクロポリスにはまだ残されているはずなんだ」


「絶対、とは言わないんだな」


「私はウンさんが作った実験体だもの。外の事でさえほとんど知らないのに、絶対なんて言えるはずがない」


 儚げに、また困ったように笑うイアルに対し、俺はフンと小さく鼻を鳴らした。

 大言壮語の女に作られたという割に、なんともしおらしい事だ。

 とはいえ、そんな姿を見せるのは一瞬。くっと喉に力を込めると、くすみの無い目でこちらに向き合った。


「それでも、可能性が残っている限り、私は、何がなんでも行かなきゃいけないんだ」


「……その高尚な目標に、今を蔓延るアンデッド共が揃って唾を吐いてもか」


 既に人間は滅びて久しく、アンデッドのほとんどは人間だったという過去の記憶が存在しない。

 ただ、本能なのか何なのか、人間の真似事をしながら暮らしているというだけだ。

 彼らの多くは、一旦馴染んでしまった骨皮腐肉の体を手放したがらないだろう。人間の多くがアンデッドになるのを恐れたように。

 変化は反発を生む。開発者亡き今、その反発が矛先を向けるのは、間違いなく眼前に座る小さな体だ。

 分かっているのか。俺の問いかけに、しかし彼女は今までと異なる表情。おかしいとでも言いたげな笑みを零した。


「ウンおばさんの口癖。受け入れられるかどうかは問題じゃない。技術が確立さえすれば、後は世界が先を選ぶって」


 俺に言われるまでもなく、そのリスクを分かっていながらなお、イアルは笑ってみせる。


「ネクロポリスへの道のりは遠い。その上、巷で夢幻と噂される通り、既に消滅してしまっている可能性だってある。もし仮に残っていたとしても、あそこは堅牢なドームに覆われた自己完結型都市アーコロジーだ。外部からの侵入は、奇跡でも起きない限り不可能と言っていいだろう」


 自分の知る事実を羅列する。言葉を尽くした説得より、余程効果的だろうから。

 青い目を覗きこんだ。全く揺れもしない、深い青の奥を。


「それでもお前は、諦めないつもりか」


「うん。奇跡が起きない限りことでも、って言う理由にはならないから」


 強がりかもしれない。空元気かもしれない。それでも、決して退こうとしない。


「……大層な石頭があったもんだ。ウンに育てられたとは思えん」


 俺は深い深い溜息をつき、スツールを蹴っ飛ばして立ち上がった。鎧戸から差し込む光を見る限り、そろそろ潮時だろう。


「む、無理なこと言ってるのはわかってるんだ! けど、本当に頼れる相手はあなたしか――」


 縋るような視線に背を向け、ガタつく戸棚の奥へ腕を突っ込めば、革で作られたライダースジャケットの硬い感触がひっかかる。

 二度と開かない、否、触る事すらないだろうと思っていたそれを、俺はフードの頭へ投げて寄越した。


「……これ、手帳?」


「俺が書いた日誌だ。誰にでも見せたいもんじゃないが、少なくとも第4セントラルまでの道のりは辿れるだろう。尤も、同じ道が今でも使えるとは限らんが」


 いつ灰に還るとも知れないあの日々を駆けた証明。それを今日まで捨てられていない辺り、俺も十分未練がましいのだろう。

 だが、それにも価値はあった。あくまで結果論でしかないものの、手放すタイミングとしてみれば、これほど有意義な形もないはず。


「それから、こいつも持っとけ」


 今度は投げるような真似をせず、黒い塊をしっかり握って静かに手渡す。


「銃……どうして?」


「俺がセントラルガードだった名残だ。護身用としても気休め程度だが、手ぶらよりはマシだろう。必要なら、食い物も洗いざらい持っていって構わん」


 彼女はまじまじと、あるいは呆然とした様子で、手の大きさに似合わない大型の拳銃を眺めていたように思う。

 きっと触れたことはおろか、見た事すらほとんどないのだろう。持たせるだけ無駄な代物かも知れないが、今の俺が餞別に渡せる物などこれが精いっぱいなのだ。

 片手に銃、片手に手帳を持ったまま固まったイアルの横を通り抜け、俺は軋む玄関扉の前に立つ。


「一緒に来ては、くれないの?」


 背中に投げかけられた言葉。それはどれだけ甘美な響きを湛えていただろう。

 だが、それを吸う決断は重く、生活を捨てる勇気も、何も持たず長旅に身を投じる度胸も、砂場で遊び続けた長い時間が錆つかせてしまった。

 それでもせめて、託すことは悪いことじゃないと信じて。


「――これでお別れだイアル。精々、長生きしろよ」


 振り返ることなく、俺は居心地の悪い我が家を後にする。戸締りなんぞ、今はもうどうだっていい。

 何も見えていなくとも、小さな足音が後を追ってこない事だけは、ハッキリと分かったから。



 ■



 翌日の夕刻。

 やかましいのが消えて静かになれば、掃き溜めの日常は変わらない。

 今度の仕事は、言葉通りのドブさらい。雨期が来る前に、溝やら排水桝に溜まった砂を掻き出す肉体労働である。別に珍しくもない、毎年の恒例行事みたいなものだ。

 しかし、その終わり際。ちょうど平スコップやら金属のバケツやらと言った仕事道具を適当に洗っていた時に。


「あ、居た! 素宮ァ!」


 通りの向こうからこだましたのは、耳孔がキィンとなりそうな甲高い声。これには薄汚れ疲れた雰囲気の死体共も、何事かと泥のような歩みを止める。

 名を呼ばれた方からすれば、堪ったものでは無いのだが。


「はぁ……もうアンジェライムの収穫は終わっただろうに、市民様が掃き溜めに忘れ物でもしたのか?」


 真っ白な骨に薔薇の刻印は、薄汚れた野郎ばかりの中では酷く浮く。それどころか、中にはこんな所でお目にかかれたと言わんばかりに、色目を向ける骨皮腐肉の姿さえある。

 だが、尾白にとってそんな連中は視界に映らないらしく、大股でこちらへ向かってくるや、子を叱る親のように腰へと手を当てて俺を見下ろした。


「何を白けた口調で言ってんのサ! あんた、結局イアルのことはどうなったんだよ!」


「あのちっこい冒険家なら、もう町には居ねぇよ。今頃、次の町を目指して砂漠を歩いてる頃だろう」


 報告の義務はないだろ、と言いかけてやめた。何せお節介な女骸骨のことである。簡単にでも伝えておかないと、余計に話が拗れて長引きかねないのだ。

 とはいえ、今回に関して引け目に感じることは無い。松土を頼ったことは伝えないにせよ、やれることはやったのだから。

 しかし、尾白は何が気に入らないのか、暗い眼孔から発する圧を一層強くした。


「やっぱり放り出したんだね」


「違う。アイツにはアイツの目的があるから、町を出ていったんだ。他人がとやかく言えることじゃない」


 俺が面倒から逃げ回っていた間、イアルに良くしてやってくれたことについては、尾白に感謝せねばならないとは思っている。

 だが、アイツは自分で決めた道を歩き始めた。そうなれば、俺たちは誰もが例外無く部外者だ。

 俺を睨んだ所で現実は変わらないぞと視線で訴えれば、尾白は何を考えたのか僅かな間を置いて、ブンブンと白い頭を振った。


「それにしたって、こんな状況で見送る馬鹿があるか!」


「いちいち怒鳴るなよ。大体なんだ、こんな状況って――」


 ボソリ、と音を立てて目の前に落とされたのは、灰色の紙束。

 識字率の高くない掃き溜めにおいて、着火剤以上の価値は無いと思われているそれは、いわゆる新聞だった。

 その一面には、市井に対するメッセージがでかでかと刻まれており、瞼のない俺には否応無しで言葉の意味を刻み込んでくる。

 また、ありもしない喉が鳴った気がした。


「こんな町の傍に、だと……!?」

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