盗み知る罪、刻まれ知る罰

ながやん

僕は密かに好きだった

 旧校舎の西棟、四階の視聴覚室しちょうかくしつ

 そこは僕にとって、放課後のささやかな楽しみだった。

 日当たりがよくて、適度に暗くて静かで。余った机を積み上げ押し込めた教室の一角で、僕はいつも中庭を見下ろしている。


為末タメスエ、私の親友の友達から伝言でさ。その、あんたのことが好きなんだってー……か」


 LINEラインで既読になった文字の為末というのは、僕だ。

 僕の名は為末まこと。

 学校では背景・オブ・背景、モブに徹して自分を殺してる。

 自分の容姿や評価には興味がないし、自分自身に関心がないんだ。

 それでも、この場所に一人でいる時は、退屈も忘れられるし凄く興奮する。人の不幸はみつの味、なんて言葉を実感する程度にはね。


「僕はそういうの、ノーセンキューなんだよねえ」


 滴る蜜は甘露、甘美、そして痺れるような刺激に満ちてる。

 その旨味に舌鼓を打つ人間は、自分から蜜を搾られたくはない。あくまで僕は、自分だけの特等席で口を開けて舌を出す。

 人から僕に向けられる気持ち、それは好意ではない。

 男も女も、自分と大きく違う僕に好奇心を投げてくるだけだ。


「はは、親友の友人て誰よ。それ、他人じゃんねえ? まじでうっざ」


 心底鬱陶うっとうしい。

 そりゃ、僕を見た目で評価したら、学園生活のインテリアに最適な美術品だろうさ。卒業アルバムの背景に僕がいたら、誰だってラッキーくらいには想うだろう。まして、そういう僕と並んでニッコリなんて、嬉しいのかもしれない。

 僕にはそれが、酷く迷惑だった。

 そんな訳で、僕は今日も携帯をいじりながらショーを待つ。

 そう、モラトリアムな青春をぶつけ合う最高の喜劇エンタメをね。


「めんどくさ……てき、とう、に、ことわって、と。……ん? あれは」


 最高に億劫おっくうだという気持ちを表現したくて、スマホのタッチパネルを一文字一文字押してゆく。親指を滑らせれば、ものの数秒で完成する定型句ていけいくに念じてみたのも、そこまでだった。

 眼下の光景が、一瞬で色付いた。

 一流のエンターティナーの登場だとわかった。

 中庭の真ん中にある、大きな大きな染井吉野そめいよしのの木。その花びらが風に舞う中で、一組の男女が現れた。ここは今の時期、片思いを持ち寄る学生たちで賑わう。なんてチープな呼び名が現存する、このご時世でもまれなパワースポットなのだった。

 中庭の桜の木の下で告白して、両思いになると永遠に結ばれる。

 今どきちょっと見ない、平成を通り越して昭和な匂いがするジンクスだ。

 こんな眉唾ものの迷信が、後生大事に受け継がれてきたこと自体が驚きである。


「嘘だろ、おい……まじかよ」


 僕は言葉を失った。

 なくしたと思ったから、わざわざ一人なのに声に出して言い聞かせた。

 嘘であれという願望は、祈りにも近かった。

 何故なぜなら……この学校で唯一、僕が好意を寄せてる人の姿があったからだ。

 耳をすませば、春風がかすかに二人の声を拾って届ける。

 小さくか細いのに、耳を塞いでも聴こえそうな程に明瞭な言葉だった。


「すまん、西脇ニシワキ。その……迷惑だったか?」

「ううん、大丈夫だよ? 平気なの、山岸君ヤマギシくん。でも、ちょっとびっくりしたかなぁ」


 西脇華凛ニシワキカリンと、山岸一也ヤマギシカズヤ

 この学校で知らぬ者がいないレベルの、美男美女だ。僕と同じ高校二年生とは思えない、常識離れした容姿の持ち主である。勿論もちろん容姿端麗ようしたんれいな上に文武両道ぶんぶりょうどうで人格者、その上に双方天然ボケ気味な学園のアイドルである。

 だから僕は、この学校で一番に目撃することになりそうだ。

 世紀のビックカップル誕生か、それとも……とろけるように甘い過去最高純度の蜜のしたたりか。


「……これは、なのか?」


 僕はを自覚した。

 今まで気にしてこなかったけど、罪を犯してきたんだ。

 だから、

 この世で一人だけ、たった一人だけ特別だと思ってた人への……その想いを今、目の前で奪われようとしていた。

 この季節を問わず、入学してからずっと春夏秋冬この場所に息をひそめてきた。

 恋する男女の悲喜こもごもを見下ろすのは、最高だったからだ。

 泣く者、怒る者、そして抱き合う者に手をつなぐ者。

 その全てを僕は睥睨へいげいして、一喜一憂いっきいちゆうしていたんだ。

 けど、今日は傍観者ぼうかんしゃでいられる自信がない。

 その証拠に、二人の声から目を背けたくなっていた。


「い、いや、待て……きっ、きき、きっと振られるさ。そうに決まってる!」


 僕は気付けば、身を乗り出して目を見開いていた。

 そして、風が止む。

 舞い散る桜色の花びらが、落ちることより漂うことを選び始めた。

 そんな密度の空気に、不思議と二人の声が鮮明だ。

 それ自体が音楽のように響いてくる。


「俺、さ。西脇、お前のこと」

「う、うんっ」

「お前はお前で、本当は……ほら、D組の為末っているじゃん? そいつが」

「それは……あ、あっ、あのね、山岸君」

「あ、悪ぃ! こんな言い方、卑怯だよな」


 きっと大人になれば、視線を逃して苦笑することができたのかも。

 大人なら、見てられないと鼻で笑うこともできたんだと思う。

 でも、僕は二人の一挙手一投足に息が詰まった。

 吸うのも吐くのも、忘れてるように感じたんだ。


 西脇華凛は、次期生徒会長と言われる才媛才女さいえんさいじょだ。新年度が始まったばかりなのに、もう今年の生徒会長が指名する程、眩しい存在なのだ。

 僕は勿論、全校生徒が知っている。

 可憐かれんという言葉を、国語教師よりリアルにはっきり教えてくれる存在だ。僕だって、彼女が完璧な美であることは理解している。

 西脇華凛は、同性にとっても学園のマドンナだ。

 男女の別なく、彼女は生まれ持ったものよりもを見てくれる。いまだ育めてないつぼみたまごにも、寛大で親身で、しかも愛嬌たっぷりに一生懸命なのだ。


 山岸一也に関しては、言えることは少ない。

 お似合いのカップルになる程度には、有名な男子だ。

 外見も中身も、申し分ない。

 そして、僕にとってはそういうことはどうでもよかった。

 今はもう、前にもまして目が離せない存在になってしまったからだ。


「あのさ、西脇。俺……俺っ、お前のことが好きだ! 付き合ってくれ!」

「えっ、ええ……いや、ここに呼び出されたから、それは、そのぉ……わかってたけど」

「俺もわかった! 自分の気持ちに! あとは、お前の気持ちが知りたい! わかりたいんだ!」


 僕はもう、見てられなかった。

 いつもみたいに、三流メロドラマに酔ってるような男女をニヤニヤ見下ろす、そういう悪い趣味にひたっていられない。

 だって、そうだろう?

 今この瞬間、

 しかも、相手が無自覚に壊してしまうのだ。

 好きな人を想うからこそ、その人本人に砕かれてもいいだろう。

 けど、僕だけがその喪失を、一瞬で永遠に奪われる痛みを刻まれるなんて、つらい。


「あ、あのね……山岸君」

「お、おうっ! さあこい、西脇! 俺も男だ、お前の素直な気持ちを認める、守る!」

「うん……じゃ、じゃあね、えっと……私は――ずっと、ずっと前から本当は――」


 僕の恋は終わった。

 誰にも知られず、僕だけがその痛みに黙るしかなかった。

 最後は、見ていられなくて、耳さえも両手で抑えて小さく丸まった。

 でも、空気の震えが少女のうなずきを伝えてきたんだ。

 目を背けて耳をふさいだ僕は、わかってしまった。

 小さなYESイェス首肯しゅこうすら、風の止んだ日差しの中で僕に突き刺さる。

 桜の花びらが重力を忘れる、そんな一時の出来事だった。


 これは、数多あまたの少年少女を見下ろして、見下みくだしてきた罰だ。


 非科学的な都市伝説に頼るしかない、そんな同年代をわらっていた僕の罪。


 だから、サヨナラ。


 サヨウナラ、山岸一也。


 


 声に出せない言葉は確実に残酷に、そして揺るがなく……震えるくちびるで空気に小さな嗚咽おえつを拡散させていった。

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