回想電車

柚木 潤

回想電車

 その時の私はいわゆる反抗期だった。

 ママとの口喧嘩はいつもの事で、家ではイライラをママやお兄ちゃんによくぶつけていた。

 ママと七つ離れたお兄ちゃんとの三人暮らし。

 パパは私が三歳の時に病気で亡くなったのだ。

 もちろん中二の私には、パパの記憶は何もないのだ。

 そう、あの不思議な体験をするまでは・・・



 私は怒りに任せて、初めて夜遅くに家を飛び出した。

 ママはいつもわかってくれない。

 ママとの口喧嘩は日常茶飯事。

 いつもは優しいお兄ちゃんだが、そういう時はいつもママの味方になるし、私をわかってくれない。


 私は気付くとコートを掴み、冬空の下を走っていた。

 出てきたはいいがどこに行こう。

 自宅マンションから最寄り駅までは数分だったので、とりあえず駅に向かったのだ。

 流石に誰もいない公園は怖かったので、通学で行き慣れた場所をフラつこうと思ったのだ。


 だが私の予想と違い、夜十時を過ぎると殆どのお店が閉まっていて、駅前のスーパーくらいしかやっていなかったのだ。

 こんな時間に中学生が駅の周りをフラフラしていたら、誰かが警察に連絡するかもしれない。

 それに今夜はかなり冷え込んでいたのだ。


 私はコートのポケットの中に手を入れるとある物に気づいた。

 お金も携帯も持たないで出てきてしまったが、通学用の定期が入っていたのだ。

 確か、千円くらいはチャージしてあったはず・・・

 私は自販機に定期を当てると、ピッと音が鳴り温かいお茶を買う事ができた。

 そして改札を抜けて、朝と同じようにホームに向かったのだ。


 どこに行くあてもなかったが、とりあえずいつも乗っている電車の中なら明るく暖かいし、変に思われる事もないだろうと思ったのだ。

 だが、夜10時を過ぎるホームの顔は、私が知っている場所ではなかった。

 もともと下りの終着駅であるこの駅から、この時間に上りに向かう電車の中の人はまばらで、何だかいつもと違う電車に乗る気分だった。

 私はなるべく人が少ない車両に入り腰掛けたのだ。


 私は今日のママとの喧嘩を思い出してみたが、やっぱり頭にくるのだ。

 何かにつけて、パパはどうだったとか、パパならそんな態度怒っていたとか、今はいないパパを出しては文句を言う。

 私には何の記憶もないのだ。

 そんな話をされても全く響かない。


 昔から、パパの話を聞いたりビデオを見たりはしていた。

 小さい頃は、知らないパパの話や映像を見るのが楽しかった。

 ただ、いつしかそこに映るパパや小さな自分を見ても、知らない男の人と知らない子供としか思えなくなっていたのだ。

 そんなの、仕方ないじゃない・・・

 お兄ちゃんにはちゃんとした記憶として残っているから、私の気持ちなんてわかってくれない。

 パパの話を聞いても同じ気持ちになれない私は孤独だった。


 私の乗り込んだ電車は、色々考えているうちにいつの間にか発車していた。

 そして電車の揺れが心地よく、私はウトウトし始めていた。

 ・・・私は小さな頃の夢を見ていた。

 保育園にいる私・・・

 いつもママは仕事が終わらず、私を迎えにくるのが一番最後になっていた。

 でも他のお友達がみんな帰った後は、先生二人と一緒に遊んでもらい、特別な気分でけっこう嬉しかったのだ。

 だがそこには、いつもギリギリの迎えになってしまい、先生に謝っているママがいたのだ。


 そうだ、私はママの自転車の後ろに乗るのが好きだった。

 家まで帰る道のりはお兄ちゃんがいないから、ママを独り占めできたのだ。

 保育園であった楽しかった事、悲しかった事、色々話しながら帰ったのだ。

 ママは楽しそうにちゃんと聞いてくれた。

 いつもは私が話してばかりだったけど、一回だけ自転車に乗りながら、ママからある事を聞かれたのを思い出した。

 ママが、いつもお迎えが最後で寂しくない?って聞いてきたのだ。

 私は遅くまでいると先生を独り占めできたし、本当に寂しくはなかった。

 私は大丈夫だよって答えたのだ。

 ・・・あの時はわからなかったけど、ママは泣いていたんだ。

 パパが亡くなったばかりだったけど、私達の為に遅くまで働いていたのだ。


 私は急に目が覚めたのだ。

 不思議と保育園の時のおぼろげだった記憶が頭の中に浮かんできたのだ。

 周りを見ると電車には乗客はまばらで、音楽を聴きながらスマホに目を落としている人や、寝ている人、小説を読んでいる人・・・

 電車の中は静かで、電車の動く音のみが響いていた。

 駅に止まったので、どこまで寝ていたのだろうと駅名を見ると、まだ三駅しか進んでいなかった。

 各駅停車だから、終点まではまだまだかかりそうだ。

 私はため息をつくと、また優しい揺れが睡魔を連れてきた。


 私は黒いヒラヒラの服を着て走り回っていた。

 普段と違う可愛い服が嬉しくて踊っていた。

 でも、周りを見るとみんな黒い服を着ているのだ。

 見慣れない場所にいる私はホールのようなところを覗くと、パパの写真を見つけたのだ。

 今ならそれがお葬式だって事がわかるのだ。

 その時の私はちょこちょこと動き回って、目が離せない存在であった。

 そんな私をお兄ちゃんや親戚のお姉ちゃん達が、見守ってくれていたのだ。

 ママは忙しそうに叔父さん達と話し合っていた。

 多分、泣いている時間も無く、考えなければいけない事が多かったのだろう。

 そんな中、私はおばあちゃんと何度も何度も眠っているようなパパの顔を見に行ったのだ。

 その時の幼い私は、呼んでも目を開けてくれないパパを見て、眠いのかなと不思議に思っていただけだった。


 そしてまた急に目が覚めたのだ。

 今のは私の記憶?

 おかしい・・・だって小さな私を見ているのだ。

 夢と現実が混ざっているみたい・・・

 でも、確かにあれはパパのお葬式だった。

 

 電車の中から次に止まった駅名を見ると、まだ半分も来ていなかった。

 各駅停車で終点までは多分、一時間以上かかるはず。

 折り返し帰ると夜中になってしまうかな。

 少しだけ・・・心配しているママとお兄ちゃんの顔が浮かんだ。

 

 私は電車の揺れに身を任せていると、また夢の中に入って行ったのだ。

 小さな私は病院にいた。

 少し痩せたパジャマ姿のパパの膝の上にいたのだ。

 そうだ、日曜日はみんなでパパの入院している病院に行っていたんだ。

 比較的元気な時のパパは下まで降りてきて、お昼を食べている私たちと一緒だった。

 本当は病院食以外は食べちゃダメだったのに、私達が食べている物をつまみ食いしていたのだ。

 私はたまごサンドが大好きでよく食べていたのだ。

 その後はいつも私を膝の上に座らせて、臭いと言いながらも頭の臭いを嗅いで抱きしめてくれていたのだ。

 具合が悪くなり、点滴をして車椅子に座っているパパを見た時、私は何だか怖くなりママの後ろに隠れたのだ。

 それを見たパパが少し悲しそうな顔をしたのを覚えている。


 私はまたハッとして目が覚めたのだ。

 また夢・・・でも目を閉じれば、夢の中の情景がはっきりと浮かんでくるのだ。

 車内はさっきと同じように静かであったが、周りの人たちはいつの間にか変わっていた。

 音楽を聞いていたお兄さんはいなくなり、サラリーマンが少し増えたようだ。

 駅名を見ると、あと少しで終点であった。

 よくわからない夢を見ているせいか、頭が重かった。

  

 そして私はウトウトするたびに、まるで自分の知らない過去の記憶がよみがえるようだった。

 ただそれは本当かどうかは私に知る術はないのだ。

 ただの私が作り出した夢なのか、現実だったのか・・・


 そしてまたいつの間にか夢の中に入り、私はまだ生まれて半年もしない赤ちゃんであった。

 ママの抱っこ紐に入って幸せだった時期だ。

 横にはパパと小さなお兄ちゃんも一緒で、何処かに出掛けるたびに初めて見る世界にワクワクしていたのだ。

 そして私を見るパパ、ママ、お兄ちゃんはいつも笑っていたのだ。

 そこには幸せな家族の姿があったのだ。

 

 また急に目が覚めたのだ。

 周りを見ると、乗客がみんな電車から降りて行ったのだ。

 終点に着いたようなのだが、なぜかそこは見慣れた自宅の最寄り駅だったのだ。

 確かに折り返しで、戻ってくる事はあるのだが、時間がおかしいのだ。

 駅の時計を見ると、まだ10時半なのだ。

 ポケットに入っていたお茶もまだ少し温かみがあった。

 各駅停車だと、終点まで行って元の駅に戻るには2時間はかかるはず。

 私はこの状況が理解出来なかった。

 ・・・でも、何だか重かった頭も、そして心もすっきりしていたのだ。

 私が見ていたのは何だったのだろう。

 立ち上がって改札に向かった。


 わかっている事は、私の帰るところはあの家しかないこと。

 きっとママもお兄ちゃんも心配しているはず。

 電車の中で見た夢が現実じゃないとしても、私の中に残っていた記憶のかけらが、何も思い出せない私のために、見せてくれたものかもしれない。

 そう思いながらエスカレーターを上がり改札を出ると、見慣れた二人の顔があったのだ。


「何でここにいるの?」


 私はぶっきらぼうに言ったのだ。


「お兄ちゃんがすぐ走って追いかけたのよ。

 改札に入って行くところを見たから、ここで待ってようって。

 早く戻ってきて良かったわ。」


 ママは怒る事なく、優しく声をかけてくれたのだ。

 今まで気付かなかったが、何だかママは昔と違い小さく感じる。

 それに白髪が目立って見えたのだ。


「お腹すいたでしょ。

 コンビニでたまごサンド買ってあげる。」


「何でたまごサンド?」


「え?コンビニだと小さい頃は好きでよく食べてたじゃない?

 あ、覚えてないのよね。

 ごめん、ごめん。

 ママの悪い癖ね。」


「入院しているパパに会いに行くといつもたべてたんでしょう?

 それで、パパは抱っこするといつも私の頭が臭いって言いながら、匂い嗅いでた。」


 ママはとても驚いた表情をしたのだ。


「あれ?

 そうだったけど、そんな話したかしら?」


「・・・それだけ覚えてたの。」

 

 私はそう言ってコンビニに向かったのだ。


 私はママの苦労もパパの優しさもわかっていたのだ。

 きっと心の引き出しに入っていたのだと思う。

 だから必要があれば、中から取り出す事は出来るはず。

 ただ、大事にしまってあっただけ。


 ふと、コンビニの鏡に写るパパそっくりな自分の顔を見た時、パパがそう言っているように思えた。

 そして私は、少しだけ大人になったのかもしれない。


 こうやって、私の最初で最後の家出はあっという間に終わったのだった。

 外は冷たい風が吹いていたが、私の心はポケットの中の少しだけ温かみが残るお茶のように、落ち着いていたのだった。 

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