虚しいだけじゃないですか

 

 あり得ないことが起きた。旅帰りの明朝、植え替えをねだるマンドラゴラの叫びと共に目覚め、何気なくとき、私は自分の行動に致命的な違和感をおぼえた。

 おそるおそるつるを擬態のへその下に伸ばす。柔らかく美味しそうな肉付きをした太腿ふとももに触れ、違和感の正体を突き止める――どころか、自明であった。


 あしが生えている。


 脳裏に浮かんだ短文の意味をすぐにはとらえきれず、あるはずのない下半身を何度もなぞる。

 脚だ、いびつだが脚の形状をしている。

 そんな馬鹿な!

 人間をはじめとした霊長種が生まれながらに持つ、二足で大地を蹴るための器官。もやがかった意識は覚醒に達する。全身に衝撃が駆け巡った。

 背筋はあわ立ち、逆巻きの花唇かしんは震え、末端のしびれが止まらない。私の身に一体なにが起きた? これはなんの冗談だ?

 真っ先にフーカの魔法による後遺症を疑ったが、魔力の痕跡は微塵も感じられなかった。

 仮に魔法だとしても、この脚は、フーカに引き取られる以前の私が描いた下手くそな絵に酷似している。それを彼女が知るよしもない。

 いつもは腐植土ベッドからプランターに移る際に利用する手摺てすりに掴まり、荒い息を整える。

 よし、一旦落ち着こう。

 過呼吸で死んでしまっては元も子もない。

 とりあえずマンドラゴラの土をえてやり、試しがてら店の外まで歩いてみる。たどたどしい足取りで、一歩一歩。ときには裸足をぱたぱたとさせながら、張りついた床の冷たさに感激した。

 扉の手前で足を止め、私は身に余る幸福を噛み締める。たっぷり十五秒ほど放心し、倒れるように体重をかけた。開閉におどろく真鍮の瓊音ぬなとが響き、肌寒い外気にさらされる。 

 ……歩けた。歩けてしまった。ほんとうに、うれしくて、それ以外の言葉が出てこないや。砂利を踏むと痛いし、朝日がまぶしいときは反転したらいい。こうやってんだりねたり走ることも思いのままだ。喜びのあまり叫んでやりたい気分だった。

 やったー! 

 なんてね。

 どこまで行けるか試そうとしたり、営業日だから遅くなると迷惑をかけるかもしれないと引き返したり、葛藤しながら往復をするうちに疲れてきて、人通りが少なくふくらみのある路地の中央に座った。

 脚のおかげで身長が伸びたけれども、窮屈そうに立ち並ぶ建物は相変わらず私よりも高く、奇妙な形の雲もうんと高くにあった。いまだに世界は私の身に舞い降りた奇蹟に気づかないようすである。

 店内に戻り、楕円の姿見に脚をうつす。普段よく見ているフーカの歩きかたを真似まねていると、まぶたの奥に生温かいものが拡がった。


「で、朝起きたら脚が生えてたと?」

「はい……」

「涙も流れる」

「はいぃ……」


 涙でさえ、私には流せなかった。涙腺の獲得は願ってもない話だ。滂沱ぼうだあふれる液体を止めるにはどうしたらいいのでしょうか。


にわかに信じがたいわね。ヒカリの泉に願った以外に心当たりは?」


 フーカが翡翠ひすいの瞳をすがめていた。私は嗚咽おえつを漏らしながら否定の意を示す。


「ふーん……でもまぁ、あんたは長生きだし、生きてたらそういうこともあるんじゃない」

「あるわけないでしょうッ!」


 蔓を実験台に叩きつけたはずみで涙が引っ込む。ずっと泣いていると悲しくなるし、途方に暮れていたので助かった。


「こらこら、アイル。落ち着きなさいって。さっきから検査してるけど、呪いや魔法のたぐいではなさそうなのよ。かといって病気や成長ともいえない。他はアルラウネのままで、人間に変わったというわけでもないし……あれよ、棚からりょうりん、身から出たさび、アルラウネにもあしって感じで気楽に構えときなさい」

「全然違うのが混じってたような……」

「細かいことは気にしない。なんにせよ夢に近づけたのはいいことじゃない。明日には性欲と生理が来たりしてね」

「いまいち魅力に欠けるものばかり」

「あたしたちには大事なのよ?」

「そうでしょうけど、フーカさんを見ていると、生きるのは大変そうだなぁって思いますもん」


 たとえば彼女は約二十八日周期で不機嫌になったり、日ごとに平均して一回前後の排便をし、食事の他に適度な運動や異性との交わりなどで英気をやしなう。

 くらべて私が周期的に経験する生理現象といえば、花芽形成かがけいせい落葉らくようくらいなものである。花粉の散布もそうか。よだれも出るね。なかでも落葉はれっきとした排泄行為だが、人間のように苦楽をともなわず、理性の制御下ではないので垂れ流しだ。

 共通項の排泄ひとつを取ってもこれだけの違いがあるというのに、生理や自律神経の好不調、果てに自慰や性交渉が加わるともなると、大変そうだと思わずにはいられない。

 

「なによそれ」とフーカは笑った。「あたしからすると擬態のほうがよっぽど理解しがたいわ」

「呼吸みたいなものですからねえ」

 

 ほどなく検査結果をカルテにまとめ終えた彼女に、ついでの流れであぎとの清掃をしてもらう。硬めの歯ブラシを当てて優しい手つきでみがきながら、「じゃ、アイル。魔法の練習よ。あたしの寝癖を直してみて」といった。


 フーカは寝巻きの上から仕事着のローブを羽織るという、いかにも起床直後を連想させる格好をしており、そのため寝癖がすごいことになっていたのだ。

 自分の身だしなみを整えるよりも私を優先してくれた彼女に感謝しつつ、蔓に力をめた。もちろんそう簡単に上手くはいかず、竜巻きじみた〈風〉で悪化させたり、多量の〈水〉をかけて怒られたりした。

 その都度やり方を教えてもらい、想像のを掴み始めたあたりで疑問に衝突する。


「どうして涙なんでしょうか。あし昨夜きのう願ったので、まだわかるのですが……」

 

 百歩譲って脚まではいい。願ったのだから、大いなる力を秘めた何かしらが聞き届けてくれたと解釈できる。だが涙までは望んでいない、はず。


というやつよ。あんたの努力を見守っている、口下手な神様なりのね」


 それから出来栄えを手鏡で確認したフーカは、また練習しましょう、と言うにとどめた。

 私はひざを抱えるようにして蔓を組み、言葉の意味を考えていた。


「私、べつに神様に褒められるほどの努力はしていませんけどね。強いて言うなら働いたり、お絵描きとかでしょうか」

「ふふ、そういうところが凄いのよ。昔のあんたはどうだった? 人に近づこうとする努力も、食欲を抑える努力も、あんたが意識すらせずに続けているそれは、もはや努力という言葉では足らないわ。自分に誇りを持ちなさい。……ていうか、なによ。ぽかんと口開けちゃって」

「……フーカさんがそこまで褒めるとは思わなかったので。私のことをしつけのなってない魔物と言っていたあなたが」


 フーカとの関わりは長く見積もって一年近くある。それだけの時間があれば、季節と同じように私たちの関係も移ろう。

 当初はライバル視していたり、嫉妬したり、反発したりする時期もあったが、今ではフーカの人となりが好きだったし、憧れを抱く人間のひとりだと思っている。

 彼女も私に対し、何か思うところがあったのかな。こうも直接言語化されると背中がむずがゆさを訴えだして困る。


「あら、意外と根に持つのね。世界最強のアイルさん」

「なっ、なっ……! なんでその恥ずかしい会話を知ってるんですか! 〈盗聴〉ですか、そうですか」

「まさか。昨夜ゆうべあいつがべらべらと喋ってたのよ。あんたは寝てたからおぼえがないのは当然ね」

「うぅ、まったく、かれは無神経でどうしようもないひと」


 深い溜息を吐き出し、右蔓みぎうでの〈狼煙すず〉の刻印をみる。まだ魔法は生きていた。未使用である。では昨日、私たちはどうやって帰ってきたのだろう? 合図もなしにフーカが居場所を探り当てたとは考えにくい。


「ところで、気になることが――」


 帰路についてたずねようとした私の台詞をさえぎるかたちで、研究室の扉付近に鈍い音が炸裂した。

 そちらを見る。どうやらフーカの使い魔である〈箒持ちゴブリン〉が勢い余ってぶつかったようだ。ドアノブを器用に回して入室したゴブリンは、れた禿頭とくとうをさすりながら空中に魔力文字をつづり、役目を果たしたとばかりにほうきいて姿をくらませた。


「脚のこと、クエレに使い魔でしらせてやったら、お祝いのデートに行こうだって」

「よかったじゃないですか。ジェイドさんが嫉妬しちゃいそうです。あのひと、フーカさんのこと大好きですから」

「ちがうちがう、あんたを誘ってんのよ」

「ええっ、私ですかッ?」


 あやうく椅子から転げ落ちそうになった。


「しかもあいつけっこう気合入ってるわ。アイルを初めての王宮街に連れて行きたい、ってさ。あんた、あたしやジェイドと何度も行ってるのにね」

「きらきらの街!」

「せっかく見栄みえ張ってくれてるんだから、ちゃんと初めてで嬉しいですって言うのよ? わかった?」

「はーい。俗にいう、点数稼ぎ、ってやつですね!」

「ひと言多いのはクエレ似ね……。ま、いいわ。より高得点を目指すために、今回はメイクをしてあげる。あんたの素材はいいんだから、宝の持ち腐れは嫌でしょう」

「さりげなく自慢してません?」

「気のせいよ」とフーカは惚けたふうに微笑み、指を鳴らしてローブを胸当てエプロンに着替えた。「まずは腹ごしらえ! 朝ご飯なにがいい?」

「お肉!」

 

 はいはい、と半ば呆れたトーンで返される。そして研究室から出て行こうとする彼女のたすき掛けを、私は引き留めるつもりで控えめに絡め取った。

 結び目がするするとほどけていき、フーカが振り返る。「どうしたの? もしかしてまた悪ふざけ?」


 私は、紐を掴んだ状態で首を横に振った。話すべき内容の出だしがさだまらず、無意味な吃音きつおんくういた。

 緊張をほぐすため、一度、周囲に意識を散らす。私のトリミングサロンでもあるこの部屋はフーカの第二の職場であり、実験器具と山積みのレポート、難解な専門書、雑多で収納に困るものなどによる圧迫感がすさまじい。書類は分野ごとに付箋ふせんの色分けがなされているが、さがし物の魔法で解決させる場面をよく目にする。

 扉の脇には順に人間の背丈をゆうに超える観葉植物、青臭い香りを放つ保冷庫、沈殿物がへばりついたフラスコだらけの棚、彼の手癖が垣間見えるガラクタ扱いの襖絵ふすまえ。その絵は肥料入りの土嚢どのう置き場と化している。どこにもないからね、ふすま

 おかげで肩の力が抜ける。勇気を味方につけた私は、すっくと席を立った。


「夢のことなんですが、やっぱり、人間になるのは辞めました」

「脚を手に入れたのに?」

「はい」

「ほかに叶えたい夢ができたの?」

「ええっと……答えるのは難しいかも、です」


 脚を手に入れることが新しい夢だったのだが、叶ってしまったので、どう説明したらいいのかわからない。


「じゃあ、なんで夢を変えたのかいてもいい?」


 私はすこし、考える。

 ずっと疑問に思っていたことがある。ヒトに擬態したアルラウネ。ヒトに近づいたアルラウネ。ヒトになったアルラウネ。私はいつ、アルラウネではなくなるのだろう?


「……人間になったアルラウネを、フーカさんは愛せますか?」 


 彼と同じ生き物になれば、私は愛されると勘違いしていた。今までは遠すぎて見えなかったのだ。


「異性として、で間違いないわよね」

 

 私は沈黙をつらぬいた。頷くまでもなかった。ここにきて初めて、フーカは魔法で私の首輪を外した。

 ペットと主人ではなく、対等な立場でのぞむつもりだという意思表示であろう。

 曖昧な言葉でにごさずに向き合おうとする、彼女の誠実さが嬉しかった。そして彼女は、私の好意が無駄であると悟らせたくない一心で、もっともらしい理由を練って正反対の答えをげようとしている。なぜなら誠実であり、優しいからこそ、それゆえに嘘をこのむ。

 魔力の動揺は雄弁であった。あの天才がみだした、それだけで十分だ。だから私は、自分でも驚くほど冷静に助け船を出そうと思った。


「あなたは優しいので、嘘でも愛せると言うでしょうね。……いいえ、ひょっとすると本当に愛せるのかもしれません。あくまで人間の皮のほうを。しかし、どこまで姿をいつわろうとも私は魔物。脚が生えても、指ができても、赤い血がかよったとしても、アルラウネであるという一点だけは揺るがない。ならば、アルラウネである私自身が真に愛されなければ、むなしいだけじゃないですか」

 

 やっと言葉にできた。人間である私が愛されることと、アルラウネである私が愛されることは全く異なる意味を持つ。

 人間になった私が愛されたとして。彼は「人間になった私」のみを愛し、アルラウネを拒絶したことには変わりない。昔はそれでもよかった。許せなくなったのはいつだろう。昨日の、願いを意識したときだろうか。

 私はゆっくりと視線を下げる。床に落ちていた薬草の切れ端をひろい、ひらひらと泳がせる。

 私が私である限り、私は私から逃げられない。影は呪いのように付いてまわる。彼の記憶のなかにも私はいる。手遅れなのだ。正しくだましきるためには、出逢いからやり直す必要があった。

 自分で言っておいてあれだけど、悲しくなるね。恋愛の目的が種の存続である以上、その見込みがない他の生物に恋をする確率はゼロに等しい。

 すると次なる疑問が浮かぶ。

 なぜ私は、彼を愛しているのだろう。やはり私だけが異常な個体か? アルラウネ全体がそうなのか? アルラウネにとって人間は種の存続とは無関係。……いや、ある。人間は主食だ。人間がいなければ生きられない。捕食と愛。めすの擬態。ばらばらだった点と点が見事に繋がっていく。

 思えば、私は人間のめすに為りすます〈擬人花アルラウネ〉。女にける魔物。その擬態が姿だけだとどうして言い切れる? 心をも真似まねるのではないか?


 ということは、はじめから人間を愛するようにプログラムされていたとして、どこに矛盾が生じよう。


 目をみはる。これは天啓だと思った。愛への後ろめたさなどとうに消え失せた。人を愛する、この間違いは正しかった! 私の心は正しかったのだ! 

 居ても立ってもいられない気持ちになる。はやく彼に会いたい。一刻もはやく。


「アイルも大人になったのね」とフーカが言った。

脱皮だっぴしたんです」

「一皮むけたって言いたいの?」

「たぶん」

  

 心がおどっている。あしなみだと正しさを手に入れた私の精神は、文字通り、最強と呼ぶに相応ふさわしい状態であった。


「あとね、あんたの魔力はやかましくて、思考がだだれだから教えといてあげる。まず、あんたの考えは間違いじゃない。アルラウネは進化の過程で人間のめすに擬態する能力を手に入れた。より効率的に人間のおすをおびき寄せるために、心まで女になり、やがては人間に恋をする。アルラウネの知性が十分である場合、そういったケースもありると提唱されていたの。残念ながら今までそれほど知性にけた個体は現れなかった。あんた以外には。だからあんた自身が、現在進行形で証明しているともいえる」


 何やら含みを持たせた言いかたに、私はかついだあぎとひねる。「他に何かあるのですか?」


「あたしが間違いじゃない、と言ったのは、正解でもないからよ。おもに恋愛のくだりね」

「というと」

「この世の万物が合理ではないの。心というものは、あんたが思い込んでるほど厳密で大層なものじゃないわ。たとえば、あたしが適当に動かした小指に興奮して、求愛行動を始める魔物がいたりするのよ。人間も似たようなもので、弱っていればれやすく、倒錯的な恋に落ちやすい。その対象がアルラウネになることはあるでしょうね」


 そこで区切り、彼女はやや口角を上げた。


「あんたにしてもそう。恋心がプログラムの産物なのだとしたら、クエレだけを好きになるっておかしな話でしょう。選ばれるだけの魅力ある? あいつに」

「ないですね、確かに」


 私は数えきれないほどの男性を殺めた。そのなかで彼だけを好きになったのが、アルラウネの本能によるとは言いがたい。


「ね、非合理でしょ。アイルがあいつを好きになったのは、遺伝子のせいじゃない。あんたが決めたの」

「私が決めた」

「そう。本能のせいだから仕方ないと決めつけるよりも、ちゃんと悩んで、そうやって伝えた言葉のほうが、ずっと綺麗に届くのよ」

「……あなたは、いい人間です。かれが言っていた通りの」

「ひどい女よ。結局、答えはあいつ次第なんだもの。それなのに期待を持たせるようなことを言って、平気でいられるひどい女」


 平気でいられると自嘲するわりにはつらそうで、見ていて胸が痛くなる。

 

「でもゼロじゃないって、私は、誰かに言われたかったのですから」


 誰かとは、人間だ。彼と同じ人間である誰かに背中を押されたかった。彼女は口元を押さえ、「ごめんね」とすすり泣いた。なんだか小さく感じられる恩人を抱きしめ、いい匂いのする頭を撫でた。


「いいんです。もともと、実らないのは知っています。かないそうにない夢ばかりを、私は見てきました」


 私のことをいちいち気に病む必要はないのだ。いきなり生えたこれみたいに、ぽんと音を立てて実るかもしれないし。


「……魔女が予言する。うつくしい人間ハクチョウになれなくても、みにくい魔物アヒルの子で良かったと、必ず、思えるときが来る。あんたは人間なんか、目指さなくてもいいの。本当に、ほんとうよ」


 感極まったのか、よく分からないことを言いだす。おまじないかな。


「葉っぱ食べます?」

「いらない」



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