脚が欲しいです


つのか」


 夜が深さを増した頃、起き抜けに身支度を始めた彼の背中に向け、ブランケットに額をうずめたままの体勢で老人がいった。


「はい」めた声で彼は答える。「このまま休んでいきたいところですが、生憎あいにく僕らには門限がありまして」

「絶対服従なんです」と私がいう。


 一瞬、老人は考える素振りを見せたがすぐに放棄し、くさむらさながらに伸びたひげを撫でやる。


「……そうか。夜の山は恐ろしいからな。くれぐれも気を抜かんようにな」


 やんわり忠告すると右手で杖を持ち、〈火〉の呪文をとなえながら地面にき立てた。円状にほとばしった魔力が寝静まる〈火食い虫〉たちを起こしたようで、青白い光が再びともっていく。闇をいろどる青はく、地の果てまで続いているのではないかと思えるほどの規模だった。


「夜明けまでは持つ。わしがしてやれるのはここまでだ」


 豆粒くらいの虫と魔法が織りなす夜景。その美しさをの当たりにした私たちはあらがいようもなく呆然ぼうぜんと見惚れてしまう。ただの光に、心が食べられたみたいだ。


「何からなにまで、ありがとうございます」


 彼はぎこちない動作で身体をひるがえし、深々と頭を下げた。老人が返事代わりに鼻をすする。またしても蹄鉄の音がした。ため息と共に、にじり寄るハネツキを蔓で押し返す。これはあれです、パーソナルスペース違反。二度目はさせませんよ。


「お前さんとの別れが惜しいのだとよ。悪戯いたずらはせんと言うておるわ」


 老人が代弁する。


「はぁ……」


 拒否しづらくなり解放してやる。ハネツキは感情のよくわからない高い声でいた。

 少女である私の目線にまでこうべを垂れ、何かをうながすように角を向けてきたので、蔓を優しく巻いてさすってあげた。


『あなたはいい主人を持ちましたね。これからも傍にいてやりなさい』


 今度は金属を引っいたような不愉快な声でいななき、顔面につばを飛ばされた。うへぇ……意味が分からん。私はおまえが嫌いだよ。


「門出の祝福だってさ。縁起がいいね」

「見てわかりませんか、これ。最悪です。あなたの目は腐ってしまったようですね、可哀想に」


 可哀想なのは私か。いくらなんでも騙し討ちは卑怯だと思うの。

  

「それがそうでもないんだよ。言い伝えによると神様の吐いた唾がユニコーンの額にかかり、角が生えてきたとされている。だからトールストンでは、ユニコーンに唾を吐きかけられると奇蹟きせきが生えてくると信じられていて、滅多にみられない幸運でもあるんだ」


 くだらない蘊蓄うんちくを蔓であしらう。


「奇蹟はキノコじゃないんですよ……」


 雑草や菌種のようには生えてこないから奇蹟なのだ。生えてきたらいいのに、とは思うかも。必死に探し回ったり、最善を尽くしたりせずとも、誰の手にも掴める数と大きさで生え揃っていたらいい。

 それが食べられる奇蹟であれば尚のこと嬉しいが、れた私は首をかしげている。

 平等にほどこされる奇蹟などしっくりこないにも程があった。現実は不平等のかたまりだ。天の気まぐれに付きしたがう雨雲もそうだ。干上がった大地にもたらされた大雨を「恵み」と呼ぶ生き物がいる一方、過酷な環境に順応した生き物にとっては「災い」でしかなかったり。

 猛毒と表裏一体の果実であってしかるべきだろう。だがそうは言っても、現実の物差しでむやみに妄想をくたすのはつまらないよね。

 その時、がくん、と足の力が抜ける。倒れそうになった身体をハネツキが角で支えてくれた。なんだ、いいやつじゃないか。

 よく見ると魔法の足が半透明になり、消えかけていた。あーあ、時間切れ。他人事のように独りごつ。


「いかん! 言い忘れとったが、ハネツキの角には清めの力が……」


 老人の声が飛ぶ。しかし、遅かった。ユニコーンの角の浄化作用により、少女の姿でいるための魔法がけてしまった。完全に元通り。唐突な出来事への混乱に加え、沸々と込み上げる怒り。


「ぜったい許さない」


 かたきをへし折る勢いで噛みつく。まわしいケダモノはひんひんいた。加減はしてるけどさ。


「アイル、僕の背中に乗って。まだ距離があると思うから」私の両脇に力がかかり、目線が上昇する。「きみたちの邪魔したかな」

 

 優しい声。保護者気取りの双眸そうぼうに腹が立つ。どこをどう見たら私たちが仲良くじゃれ合っていると解釈できるのか。

 私は首を左右に振り、彼を抱きすくめるように蔓をわせ、移動に手間取るふりをしながら身体を密着させる。擬態といえどもフーカの美貌と肢体だ。多少はたかぶるのではと期待を込めたのだが、欲情されたところでどうにもできないので辞めた。

 久しぶりの背中。衣服越しの温もり。筋肉が少なめで滑らかな肩。叩けばあっけなく砕けてしまうくらいに貧相なのに、なぜか安心している私がいた。

 頼りないのに安心するって、変だな。でも今更か。おかしくなってきてその場でもぞもぞと動く。くすぐったいよ、と彼はいつもの苦笑いで言った。

 いざ森へと踏み出す際に、彼は一度、身体を大きく揺すって私の位置を調整した。互いに首を回して振り返る。そして明かりが伸ばす影に向け、息の合った会釈をする。青白い光に囲まれ、ぽつりと中心だけがだいだいのベースキャンプは、まるで人が去る寂しさを表現したみたいだった。


「では僕たちはこれで。ごちそうさまでした。また、ご縁があれば嬉しいです」


 そう言って、彼は明かりに背を向ける。私も彼にならい、別れの挨拶を使う。


「ヘカーテ! シワのひと!」


 顔にしわがたくさんだから、シワのひと。


「わしの名はタビ! ……アイルや、風の民との別れはこちらがよう伝わる。トーラ!」 


 イメージにぴったりの名前だ。タビっぽい風貌してるもん。最後に名前を知れてよかった。タビに負けない声量で返す。


「トーラ!」


 明かりが遠ざかる。振り向きそうになるからかないで欲しい。うっすらと漂ういぶし肉の香りを堪能しつつ、物思いにふけるべく彼の背にあずけた身体を縮こめる。

 本当に有意義な足踏みだった。

 もしもあの始まりの夜に出逢ったのが、タビであったら。私はどんなアルラウネになっていたのだろうか。

 私のような魔物に警戒心の強い狩人が近づくとしたら、負傷時に偶然といった形が妥当かな。そんな千載一遇ともいえる捕食の機を手放してまで会話をし、タビを生かしただろうか。ハネツキを連れて毎日会いに来てくれただろうか。炎の海に閉じ込められた私を見捨てずに助けただろうか。

 全部なさそうで、ありそうな気もする。

 助けに来たとして、タビの場合は、私を人間の街には連れて行かず森で暮らしてくれたのだろう。

 人食いであることを認められ、絵を描かず人間には憧れず、ゆえに過剰に悩んだり苦しんだりせず、愛することもないが信頼を置き、適切な距離を保ちながら共生できたはずだ。それはそれで充実していたのではないかと思う。

 私が、魔物と人間というテーマで絵を描くとしたら、タビのような人物を主役に選ぶだろうし、真の意味で私が出逢うべき人間だったのではないかとさえ思う。そこまで言うと浮気になっちゃうかな。

 でもそれはね、描きやすいから選ぶというだけであって、出逢えたのがあなたで後悔はしていない。

 魔物なのにあなたをまもってあげて、背負いやすいように身体を千切って、好きになって、絵を描いてさ。人間になりたいなんて馬鹿みたいな夢を持って、仕事もして、ひとを殺した過去に悩んで、生きることが怖くなって、そんなのありえないでしょう……。

 よろめきかけた彼の揺れで意識が明瞭になる。蔓にぶら下げた荷物が落ちそうになっていたので、引き寄せるついでに縛りつけた。

 それから彼に巻きつけた蔓をきゅっと結ぶ。敏感な部位に熱が溶けだす。魔力を発さない純粋な温度。ほどよい振動が合わさり、まさしく命のりかごのようだと思った。この乗り心地の悪さが好き。


「いいなぁ、こういうの」と私はいった。


 彼が魔法を使えたら、こんなふうにおぶられることはなかった。フーカが私によくそうするように浮かせたりして、あっけなく簡単に移動してしまうだろうから。彼が不自由だからこそ得られた幸せ。

 彼にとってはただのかせに過ぎず、たまったものではないと、見慣れた苦い笑みでぼやくのだろうね。


「うん。――」


 短く頷いて、その後はなんて言ったんだっけな。思い出せないのは、私が眠ってしまったせいだ。




 

 私は夢を見ていた。眠りが浅いのか最近よく見る。しかも悪夢ばかりにうなされているので眠るのが億劫になっていたけれど、今回は少し違った。

 夢の中で私は、風に舞い上がるひとひらの花びら、あるいはワタフラシが飛ばす一本の綿毛だった。

 風に身を任せ、野山を越え、次なる大地に根ざすべく、海面のあおと空の群青のあいだを不規則に彷徨さまよう。

 潮風は嗅いだことがないので、無臭だった。その無臭の風で薄らいだ雲の先をぼんやりと眺めていた。


 追い抜きざまに速度を落とした渡り鳥がこうたずねる。「どうしてこんなにも危険な航海を?」


「さぁ」と私は答える。 


 地続きのみちではなく海原を選んだ理由など、どうでもよかった。ただの真っ白なひとひらでは、ものを考える余力がなかったのだ。

 水平線にかすかに大地らしき凹凸がみえる。

 背後で霹靂へきれきがこだまする。

 嵐が近づいている。

 ひとりでは進むこともままならないほど弱くはかない存在だが、私に恐怖はなかった。

 彼が、私を運ぶ風だったからだ。彼は迫る嵐に負けじと風速を上げる。私の身体がより高く舞う。空に向かい何かを語りかける。風になった彼は喋らない。それでもごうごうと雲を揺すって笑う。

 私は今、彼に抱きしめられて飛んでいる。そう思うだけで無敵になれた。根拠もなくあの大陸に辿り着けると思い、薄い身体を伸ばそうとする。

 前へ、前へと。

 ほんのわずかでも速く。

 気流に揉まれながら、懸命に進もうとする。

 前へ、前へ……。


 結末を知りたかったのに、夢はそこで途切れる。



* 



 アイル。着いたよ。日光のような暖かみを含んだ声を浴び、私はまぶたを開ける。

 息をむ。

 そこは、淡い緑の光りが視界の隅々にまでちた場所だった。夜だというのに木々や地面が蓄光塗料みたいに光っている。辺りに浮かぶ光の球体をみて、〈発光樹〉の胞子の仕業だとすぐに気づいた。

 へドリスの森にも居たが、これほどの数は初めてだ。胞子に触れると光が散っていく。不気味さを通り越して美しい。

 光る菌糸が夜に手招いては旅人の命をかどわかす。そんな脅し文句で語られるくらいには禍々しいあやしさを放つ樹木種だが、意外なことに胞子の吸引による実害は皆無である。注意力を散漫にしないための自戒をねた教訓なんだろうね。


「本当にきれいですね」

「だろう。ぜひともきみに見せたかったんだ」

「ありがとうございます。でもどうやってここまで?」


 山間やまあいの樹林地でありながら〈火食い虫〉たちの青白い光はどこにも見当たらなかった。夜明けには程遠い。つまり生息域の外側にいる。樹木の緑光も目印にはなるが、〈地図〉も移動補助の魔法もなしで人間が歩けるのだろうか。


「〈森の精エルフ〉が僕を導いてくれたのさ」

「エルフは人間嫌いな精霊ですけど」私は適当な木を蔓で指す。「ちなみに、そこの倒木の上で私たちを監視してるお姫様みたいな恰好のエルフは、なんていってるかわかります?」

「ええっ、おかえりなさい……とかかな」

 

 彼の動揺に、ふふ、と笑いがれる。


「嘘ですよ。ここにエルフはいません。森の魔物を舐めないでください」

「まいったなぁ、いないのか」

「はい。種明かしは今度でも許します。あなたの気持ちは嬉しいですから」


 森の精霊は悪戯好きだ。気まぐれに人間を奥地へいざなったり、導いたりということはあるのかもしれないと思った。

 自然の意図がどうであれ、彼には私がついている。善意なら楽しめばいいし、悪意ならぶっ飛ばすのみだ。

 光を降らす木々の隙間を、彼は歩き続ける。

 水の音がする。

 彼は水溜まりを踏む。跳ねた水しぶきが根先つまさきを濡らす。更に奥を目指す。

 淡い緑が途絶え、突如、紅葉こうようの時季をむかえたかのような鮮やかな緋色に変わる。


「ここがね、一番きれいで、見せたかったんだ」


 私はまた、息をむ。水底をちろちろと舐めるせせらぎ。緋色の水をかここけむした岩場。

 発光樹の胞子がほのかに闇を照らし、その光りのカーテンに包まれたあかの泉はまさしく。


「ヒカリの泉」


 それ以上言葉にならなかった。卒倒してしまうくらい美しくて、目の前の光景を言葉で表すことなど到底不可能だ。

 波打ち際で私を降ろした彼は、その場にしゃがみ込むと緋色の水をすくってみせた。

 蔓をひたす。魔力なき水。なのにあかい。ただのにごりとは決定的に違う、なにかが宿っている。


「この泉はね、何百、何千年も昔から存在する。水は永遠に腐らない。竜の鮮血によって染められ、悠久の呪いをかけられたとされている」


 これだけ美しいのならば、呪われてもいい。夜に限られた美しさだとしても、それでも。

 せりあがる感情が喉元でつかえる。相応しい言葉があったはずだ。ある種のおぞましさを内包し、なおかつ、それを超越する美の結晶。

 たとえば、高純度のガラス玉でかした鏡面反射の炎。ちた桟橋さんばしさらう紺碧の海。

 ……思い出した。

 神秘だ。

 いだ泉にこぼれた私の言葉を、彼が拾った。


「神秘の力を得た泉は、夜な夜な月光を水面にあつめ、解き放った光で月の欠けた部分をおぎなう。そうして満月を完成させた後、夜空に星を降らせるという伝説があるんだ。運よく流れ星を目にした生き物の願いを叶えるともね」


 そう言うと、彼はバックパックの中身をまさぐり、〈光〉の魔道具を取り出す。散歩の際に使っていたのでわかる。〈懐中光灯〉だったかな。初めてみたときに、小さな月、といって彼に笑われたやつ。


「へぇ……なにしてるんですか?」


 私は、水面に当てる光の角度を試行錯誤している彼にたずねる。熱のこもった眼差しを向けられる。


「願いが叶うかどうかはわからないけど、光を反射したときの水面が宝石みたいに綺麗な場所でさ。アイルに見せてあげたくて、せっかくここまで来たのにくもりなんだよね」と残念そうにうつむき、鼻をこする。「だからこうして、人工的に光らせてやろうかと」


 そっか、くもりだったな。今夜の雲はどこまでもいじわるだ。ふと懐中光灯の側面ににじみかけの文字を発見する。白のインクで「月」と書いてあった。月光のつもりらしい。


「神秘が台無しですよ、それ」私の口からため息とも笑い声ともつかない息が抜ける。「……綺麗はきれいですけど」


 いつわりの小さな月だから、かなうとしたら、すぐに忘れてしまう程度の小さな小さな願いに違いない。

 やや感傷におぼれかけていると、彼が大きく息を吸った。彼は私と同じことを考えている。なんとなく伝わる。


「もし伝説が本当だとしたら、アイルは何を願うのか教えてくれないか。永遠の命でもいいし、傷つかない身体でもいいし、無限の食料でもいい。未来での大成を確約したり、逆に過去の一切合切を消してやり直すのも面白い。地位でも権力でも才能でも美貌でも注目でも称賛でもいい。人間食べ放題とか、きみには似合いそうだ」


 まくし立てるような饒舌に、私は半眼で睨み返す。


「私を何だと思ってるんですか。人間食べ放題が魅力的なのは認めますが……」

「やっぱり」と彼が笑う。


 失礼極まりない彼をみながら、


あしが欲しいです」


 といった。

 人間になりたいとか、私はもう願わない。漠然とした夢は捨てた。魔物に生まれた私は魔物のまま、ひとに寄り添う道があるのではないかと思うことができたから。

 でも――。


「一度でいいから」両蔓りょうてを胸に抱いて声をしぼり出す。「あなたの隣を歩いてみたい」


 望みが叶うならどんな不格好な脚でもよかった。明日折れてしまうようなぼろぼろな脚でもよかった。

 魔法で生やした偽物の脚ではなく、私自身で、私自身を支えられる脚が欲しかった。

 しかし私は、私の願いが決して叶わないことを知っている。アルラウネの私が、彼の隣を歩く脚を得ることは永遠に生きるよりも難しいことだ。


「翼じゃなくていいのかい」

「翼じゃあ、あなたの隣は歩けませんよ」


 私は、私だけの脚であなたの隣に立ち、あなたと同じ目線で世界を知り、並んで歩きながらあなたの「僕」を聴きたい。


「そうか、脚か」とつぶやいた彼は、今度は笑わなかった。「きっと叶うよ」

 

 緋色の水を見つめ、きっと叶う、きっと叶う、と繰り返す。


「嘘つきは嫌いです」


 嬉しかったのに、気恥ずかしさが勝ってそう言ってしまった。し目がちの姿勢でいると、紙の破れる音が聴こえる。

 ジェイドの魔力の匂い。もしやと思う。私が声を出すより先に、彼はそれを泉に投げ入れた。インクに掛かった魔法が切れ、ふやけ、沈んでいく文字の群れ。水没をまぬがれた濡紙が岸に漂着する。


「僕の願いは、アイルほど純粋な願いとは言えない。僕はね、神秘の力で彼女を生き返らせたかったんだ。……やめたよ。願いは死者に向けるものじゃないし、それにすがるようなものでもだめだ。アイルのおかげでそう思えた。きみの願いが叶うように、僕も願いたい」


 視線が交わる。唇にこわばりをおぼえる。

 生者の都合で死者の眠りを安易にさまたげてはならないという、彼の意見には共感できずにいた。神秘で生き返るなら、そうすればいいじゃないか。魔法で生き返るなら、そうすればいいじゃないか。

 彼の決別の言葉には迷いがなく、押し殺したであろう感情を想うと胸が張り裂けそうになり、私の浅慮を口にするのははばかられた。

 口元を震わせてわずかにくずおれた息を吐いた彼は、私の擬態の下腹部に倒れ込む。


おぼえているかな。アイルと初めて会ったとき。僕はこうしてきみに願った。できればもう少し、きみと話がしたかった、と。あれこそが純粋で美しい願いだ。僕の願いはその時から続いている」

「えぇ」

「アイルにえてよかった」

「えぇ……」


 彼の首を抱き、あぎとを背中に乗せる。夜の青みが増す。雲が晴れ、月光が差している。私たちにまとわりつく胞子がはじけ、自然の祝福を与えてくれた。

 非常にまれな現象であるのに、彼のひとみは私によってふさがれている。私も今は彼だけを感じていたい。光りがわずらわしくて目をつむる。色との繋がりがたれる。

 水の音も、虫の声も、彼の体温もだんだんと分からなくなる。それでも祝福は続いているのだろう。奇蹟は人の目を盗んで起きる。



 もう一度言う。

 奇蹟は人の目を盗んで起きる。


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