幕間の魔物語

「ソーディニジョルム殿、リドンをお貸しくださいませんか?」


 孫娘に付けていた盗聴のための呪符が焼かれると、ポンの側にあった受信のための呪符から声が聞こえることはなくなった。最後に聞こえたエルフの女王の声を、魔法使いが聞き逃さなかった。


「生きていたのか」

 ――それは証拠隠滅が失敗していたことを示していた。

 

 さらに言えば、孫娘の監視がうまく機能していないことも。

 ヒトにすべてを知られてはいけなかった。

 王を裏切り、ヒトを裏切り、すべてを捨て去れず、権力にしがみ付いた。

 嘘に嘘を重ね、もう退くことはできない。なにもできやしない孫娘の一人、出来損ないの一人が死ぬだけだ。すべてを焼き去ろう、葬り去ろう。偶然起き出した龍によって、なにもかもが焼かれた、それだけのことだった。


「龍か」


 魔王は、椅子に腰かけていた。

 ここは大亀裂の向こう側、最前線を見張る砦の最上階。

 魔王は多くの時間をここに詰め、ヒトの世界を眺めていた。


「ええ、龍です。とびきり凶暴な、アナタがたの兵士を」

「いいだろう。一体、強力なのを貸してやる。着いて来い」

「ありがとうございます」


 

 ところで――

 と魔王は振り返ることもなく、後ろのポンへと声をかけた。


「例の探し物は、その後どうなっているのだ? もうだいぶ時間が経っていることに気付かぬほど、老いたわけでもあるまい?」

「そのことですか……今、最後の鍵を探しているところですよ」

「目星がついているのか……ならば、喜ばしいことだ」


 ハハハと高らかに魔王は嗤う。

 背中越しに向けられている殺意が依然ポンを突き刺し続けながらも、表情は周囲にまとった冷たさとは裏腹に笑みを湛えている。魔王は、この女の事は重々承知しているつもりでいた。

 女は自然に嘘をつくものだと知っている。


 だが、彼は、その女のずるがしこさをまだ計り切れていない。

 そして、女は、魔王のどこまでも冷徹な『情熱』をまだ知らない。

 二人は、どこまでも腹の内を明かさずに、ヒトの世界ではあまりにも長い時間がながれてしまった。本当に何が起こっているのかは、ガブリエットすら知らない世界の秘密だ。


「この石は、何か関係あるのか?」


 彼は、掌で橙の魔石を転がした。


「いいえ、まだそれは持っておいてください」

「ならば、そうしようか。これはとてもいい贈り物だった。簡単に石造りの城をくみ上げ、地中から宝石やら鉱石やらを掘り出すことも可能だ」

「お気に入りいただけて良かったです」


 彼女は満面の笑みでもって、それに答えた。

 魔王の城を出、彼は魔法を使う。二人は、瞬時に大亀裂の淵へと飛んだ。

 魔王に寄れば、龍たちはこの亀裂から下に降り、地下世界で休んでいるのだという。


「わかりました。それで、どうするのです?」

「亀裂に向かって、こう叫べばいい――呪文は……」


 その魔術師は、知っていた。

 その小さな瞬間を。

 呪文を小さく呟くとき、多くの呪文の中から一つ――多大な知識の中から短い一節を思い出すときの隙を。だから、私たちはある程度絞り、策を練って戦わねばならないことを。

 このように、無策に背中を敵に見せてはいけないのだと。

 二人だけで、ここに来たのも最大の失敗であった。


「魔王様、さようなら」

「!」


 彼が振り向くよりも早く背中に呪符が叩き込まれた。

 帛書がズブリズブリと飲み込まれていく。


「裏切ったな、ポン……」


 苦しそうに魔王は、呟く。


「裏切った?」


 ポンは苦々しく、吐き捨てた。


「いいえ、違いますよ、魔王様。わたしたちはずっと敵同士だったではないですか。こんなにも長い時間がそれを忘れさせましたか? ここであなたは終わり、あなたは今から私の言うとおりに動く龍となるのです」


 彼の体は、次第に変わって行った。

 ポンへの呪詛も、ただの叫び声と変わる。

 手は巨大な両翼へ。首は長くなり、口は割れ巨大な牙が生えた。

 表皮は分厚いウロコに覆われ、黒くぬらぬらと光っている。

 口から吐く息が熱く燃え、当たりの空気をじりじりと焦がした。


「美しい魔王様、わたしの城の南の『エルフの森』と『鉄道開発に関わるやつら』を焼いてくださいませぬか」

「GRRRRRRRRRRRRR!」


 それは大きな叫び声を放ち、吹き飛ばされるほどの風を巻き起こす。同時に目に追えないほどの速さで、暗い空へと消えた。

 龍は、森や彼らを焼くのだろう。


「我が天下は、まだ――」


 魔王の領土の空は暗い。

 どこまでも暗く、濁っている。

 小さな星が空で瞬くのが微かに見えた。

 女王ポンが目指す先は、どこにあるのだろうか。


 

 

           ◇


 

 ポンは魔法を用いて空を飛び、自らの城へと帰ってきた。

 と同時に、彼女の部屋のドアが開いた。


「おかあさん――あ、すみません、大統領」

「ポミ、いいのよ」


 思い出すのは、出来の悪い孫娘のことだ。

 これの娘だから、しょうがないのかもしれないが。


「あれ? どこかへ行かれていたのですか?」

「ちょっと所用でね。何か問題でも起きた?」

「いいえ、西方の大陸へ向かっていた……なんでしたっけ、大統領特務部隊が頼まれ物の痕跡を見つけたかもしれないという報告がありました。ところで、何なんです、急に紙を持って行ってくれと言われただけですが、これって……」

「あなたにもまだ秘密。成果が出たら全員に報告してあげる。今はまだそれに関わっているものだけの秘密」

「わかったよ、おかあさん」


 しぶしぶ頷いて、トボトボと部屋を出て行った。

 悲しそうな背中に心が疼くが、それでも何も言うことができない、何も。

 ポンもまた寂しく、一つ息を吐いた。



 

 部屋から太陽を見上げる。

 魔王との交渉の後、彼女はこの世のすべてを探した。

 半分になった世界を、端から端まで。それでも魔王の探し物は見当たらなかった。


「やっと届く」


 空への翼を得るには、風の魔石が必要だった。

 石は、おそらくこちらの世界の天にある。

 そう考える理由は一つ。

 世界に魔法使いがいることである。

 紫の太陽が魔族に力を与えるのなら、我らの太陽が我らに何百分の一かの力を与えるのも不思議ではないと思う。


「あれをわたしの物にする」


 自分だけの太陽に、そして二つの世界を――これがポンの望みだった。




 

 そのためには、誰の邪魔もさせない。

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