第2章・4

 森の中を歩いて行く。

 持っていた方位指針も、森に入ってすぐグチャグチャに狂った。

 木々の間からの木漏れ日が、まるで裏路地の街灯のようにポツリポツリと幅広い等間隔で地面に落ちている。何か等間隔に転がる目印のように、わたしたちをまるで誘い込んでいるかのように均一な幅にある。


「あの、これ」

「まあ、そうだろうな。でも、外れるわけにもいかない」


 磁石もなく、そして当てもなく歩く。

 迷ってそのまま遭難するよりは、捕まった方がマシというのだろう。

 歩いていると、急に森の木々が開けた。木々は円のように綺麗にその場所を避けるように生えているが、そのくせやけに薄暗い。まるで何かが天を覆っているかのように――

 そう思っていると、急に空が落ちてきた。

 実際には、それは緑色の布だった。


「うおっ」

「わぷ」


 二人で驚いていると、シュンという風切り音。

 弓矢の音だと気付いた時には遅かった。


「ホヅディルさん、布から出られません!!」

「まあ、罠だしな」


 わたしたちは被せられた布を、地面に弓矢で打ちつけられ完全に逃げ場を失った。

 無音の中、見事な連携だった。


「あまり騒ぐな。されるままにいるしかねえ」

「大丈夫ですよね? そのまま殺されたりはしませんよね?」

「たぶん、大丈夫だとは思うが――」


 そのあと、ぼそりと「俺は」というのが聞こえたような気がしたが、たぶん気のせいなのだと思うことにした。

 いや、ホント気のせいだ。

 足音がし、さらに剣を引き抜く音もする。


「殺さないで」


 とっさに叫んだが、そのエルフは被せられた布を切り裂いただけだった。


「殺しはしない。そのまま黙って捕まってくれるのなら」


 女のエルフが、指で上を指した。

 声が高いからそう判断したのだが、そうでもなければ分からなかったと思う。

 何故ならわたしたちの周りの木の上にいて、我々に弓矢を向ける全員が美しい顔をした者たちだったからで、無表情な顔すべてが中性的でどちらなのか判断が難しかった。

 いや、実際そんなことを考えている場合ではないのだけれど。

 そうしていないといけないほどの恐怖が全身を駆け巡る。

 鋭い矢じりの先から、恐ろしいほどの殺意がわたしには注がれている。


「うら若き魔法使い、変な動きを見せるなよ」

「は、はい……何もしません」

「昨日は魔法で衛兵たちの矢を破ったと聞いている。だから、君には注意するようにと言ってあるし、変な動きがあれば矢が飛ぶか――あるいは、私が切り伏せる」

「なにも、しませんから」


 泣きそうになりながら、手を空に差しだす。


「わかった。だが、拘束させてもらう」

「はい……」


 宙に捧げた手が、彼女の手によって後ろ手に縛られる。

 さらには目隠しとさるぐつわをはめられて、無様な捕虜がそこに完成した。これからは罪人としての生活が待っているのだろうか。でも、魔法使いの捕虜となれば国際問題になる案件で、いや――お母さんとか助けてくれないだろうな。落ちこぼれだし……などと考えてしまう。


「では、そちらのあなたも」

「ああ、でも、目隠しとかは嫌なんだが……」

「これですか? 魔法使い用の措置であって、アナタにはそんなことしません。すでに王より言付ことづかっておりますので」

「うふううっ!!」


 ずるいと叫ぼうとしたが、当り前だが声にはならない。

 変な叫び声が出ただけだった。


「打つな!」


 どうやら、危なかったらしい。

 とはいえ、女の子にこれで、あのおじさんに何もしないのはずるい。


「あなたも、無暗に叫ばないでください。勘違いしたエルフの的になりたいのですか?」


 耳元で低い声で告げられた。

 何が起きたかは分からなかったが、本当に危なかったみたいだった。


「う、う」


 必死に首を縦に振る。

 怖い。

 怖い。

 怖い。

 怖い。


「では、ホヅディル殿、行きましょうか。馬車を用意しております」

「ああ、すまんな」


 まったくの暗闇の中を、誰かに肩を抱かれて歩かされた。

 馬車の荷台だと思われるが、そこに座らされチャカポコチャカポコと車が走る。しかし、どうもエルフたちの態度が気になった。ホヅディルという名前を知っていることも、魔法使いに厳しい態度も――裏でリヒロとエルフは繋がっている?

 考えはぐるぐると巡り、黒く汚れていく。

 わたしだけ、口封じに殺されるのだろう。

 残酷に切り刻まれて、鳥の餌になるのだ。

 もっと違う生き方があったなあ。

 多くを望まず、閑職に身を置くことがどれだけ素晴らしかったか。

 そう考えていた時に、声がした。


「なあ、彼女の目隠しを外していいか?」

「いけません。それが決まりです」

「大丈夫だって。それに彼女は魔法使いのはぐれ物だ。やつらの世界から突っぱねられた子だし、実際すでに書かれている札でもなければ魔法は使えない」

「ですが……」

「俺が保証する。だから、な」

「ええ。アナタがそこまで言うのなら」


 渋々と言った女エルフの声のあと、ホヅディルが後ろに回り込む気配がした。


「目隠しだけは取っていいとさ。取ったらゆっくりと目を開けるんだ」

「う」


 できれば、猿轡の方がいいけど。

 顎まで唾でぐちゃぐちゃになっていそうだし、今はたぶん酷い顔をしている。

 あんまり見られる顔ではないとはいえ、さすがにそれは恥ずかしい。

 頭の後ろの固いコブが解かれ、目蓋に温かい光が当たる。

 ゆっくりと目蓋を開く。

 そこには、美しい世界が広がっていた。

 色とりどりの花に囲まれた美しい湖。森の中で、ここだけが木々から解放されている。

 湖の水は、青く澄み、奥にある滝からここに流れ込んでいる。滝と言っても、穏やかな水のカーテンが流れ落ちているような、静かな物だが。


「ほら、あそこだ」


 それは本当にカーテンだった。

 流れ落ちる水が、中にあるものを隠している。

 滝の脇から不自然に欠けた、灰色の岩肌が見えた。

 そう、そもそも不自然なのだ!

 岩肌に刻まれたそれが、エルフの都への入り口なのだから。エルフたちの手によって掘られた、山のように大きな門――美しい透かし彫りの細工さえある――が、わたしたちを出迎えた。


「うぅ……」


 声は出せない。いや、声が出せなくて良かった。

 太陽の光が、意匠を映し出すさまには息を飲むしかない。

 この場所を表現する言葉は、魔法使いにも、昔の言葉にもない。


「それはそうだよな、誰でもここに住んでみたくなるものだ」


 ホヅディルさんはため息をつくように言った。

 それが誰を思っての言葉なのかは、分からなかった。

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