第2章・3

 わたしがキャンプ地に戻ると、喜んだ多くの顔に出くわした。

 わたしの周りを、ドワーフが囲う。

 その顔は、綻んで紅くなっていた。それがまた嬉しかった。

 彼らの顔の向こうで、ホヅディルさんとユールもまた小さく微笑んでいた。


「まあ、少しは見直したかな」とユールは微笑みながら強く肩を叩く。

「なんです、それ」

「先輩なりのあてつけ」


 ふふっと噴き出す。それにつられて彼女も。

 ホヅディルさんもまた「まあ、よくやったな」と呟いた。


「何か言っていたようだが、衛兵のほとんどは学がないからな――エルフ語以外分かったか怪しいな」


 彼は、太いその人差し指で自分の頭を指した。


「だが、その分体力はある。弓の技術に抜きんでていて、本部で頭やまじないを使う連中とはまた違う。国としてもっとも統制された場所だ」

「じゃあ、わたしの言葉は無駄だと?」

「いや、エルフに喧嘩を売ったってことだけは通じたさ」

「それって、ヤバいんじゃ……」


 今になって、自分のしたことが大変なことだったと気が付いてしまった。下手をすれば、ドワーフたちよりも酷いくらいに弓矢を向けられそう。そして、わたしの死骸の上に、矢の山ができるのだろう。


「魔法使いは、そう簡単にたないさ」

 とホヅディルさん。


 そう言うことではないのだが。


「ともかく、そろそろ交渉の時期だと思っていたところだ。ドワーフたちは線路の工事に専念してもらおう。ここからの作業は、ユール――お前に任すぞ」

「えー、オレも行きたい」

「俺とポドが中に入ったら誰が全員の面倒を見るんだよ、土を盛っただけじゃ線路にはなりゃあしねえんだ」


 しぶしぶといったように「はあい」と彼女は言った。

 頭をぼりぼりと書いて、ふてくされたように座り込む。


「てなわけで、俺は森に行ってくるから、あとは頼んだ」


 おう、と野太い声の返事が返ってきた。

 明日、やっと道の半分だ。

 そして、この仕事一番の山場である。



       ◇


 

 翌朝は、朝早くから作業が始まった。

 ホヅディルさんによるこれからの作業の指南という意味合いもあった。

 真っ直ぐ伸びた土の道の上に、適度な間隔を開けて木の棒を置き、さらに鉄の棒を垂直に置いていく。木の支えによって適切な距離と並行が保たれた鉄の道こそが、汽車のための線路となる。

 彼の話では、簡単そうに説明を終える。


 鋼の棒は、沼までの二〇〇久里分、十分に用意されていて、小屋の横に積まれていた。それに必要な堅い木の棒も。一連の作業を山のドワーフたちに説明したところで、もっとも年老いたドワーフが呟いた。


「石は、敷かないのか?」

「石?」


 ホヅディルさんを含め、工房の職員全員が首を傾げた。

 だが、ドワーフたちは、全員それが当然という顔をしている。


「たぶんこの線路自体の作りは、ヘイロンのヤツがうちの鉱山の車を参考に考えたものだろうが、いまいち作りが完全ではない。とはいえ、ワシらもそれに気づいたのは最近のことだからの」

「これの元がドワーフの山にはあるってことか」


 ホヅディルの言葉に老ドワーフは頷いた。


「ただ、オレたちの手で動かす手動の車だがね」


 フフンと言いながら、老ドワーフは皺だらけの顔に湛えた白い髭を触る。


「その車はな、鉱山の石を大量に積んでかなりの速さで山の中を駆けずりまわる。そうなったとき、重くて速い車が立てる音は、とんでもない。近くで聞いていれば頭が割れるかと思うくらいだし、ゴリゴリと腹の中まで響いてくる。それが石を敷くことで、音が軽減されるのさ、不思議なことにな」


「あれは、偶然の産物じゃねえか」

 と一人のドワーフ。

「偶然の?」とホヅディルさん。「何かあったのか」


「いや、あれは俺らもたまたま発見したんだよ。何の金属も取れないクズ石の捨て場で、車の音が小さくなることをな」


また別のドワーフが、大声で言った。


「つまり、捨てていた石で違う効果が出たってことか」


 ホヅディルさんは、口元をニヤケさせる。

 ドワーフたちの偶然の発見が、あまりに興味深いというように。


「じゃあ、それをやろう。是非、やろう。だが、ちょうどいい石がすぐに用意はない……石の準備やら運搬を頼めるか?」

「ああ」と老ドワーフ。「分かった」

「それじゃあ、俺とポドは、森へと行ってくる。ユール、あとは頼んだ」


 彼女は、ドンと胸を叩いた。

 自信満々に、一ミリも自分の上司を心配する様子もなく、笑顔で声を張り上げる。


「おうっ!」



 

 着の身着のままのわたしが森へと行けるわけもなく、一度ヘイロン商会へと戻った。

 魔法使いの正装であるローブに着替えなければいけない。すでに派遣されていた魔法使いの交渉の一団は、引き返してきていた。もちろん結果は失敗に終わって。わたしは、交渉の次の使者としてエルフの国へと向かうことになった。

 エルフに喧嘩を売ってしまったことは、すでにクゼの城中の周知の事実だ。

 おばあちゃんすら、自分の責任は自分で取れという反応らしい。


 仕事って、大変なんだな。


 落ちこぼれと持て余されていた時代が、もう懐かしい。

 感傷に浸りながら、ユールに借りている作業着を彼女が占有する更衣室で脱ぐ。いつの間にかみんなに慣れてしまっていたことにも気づく。作業着のほうがしっくり来ている自分にも。

 久しぶりに自分の正装、ローブに袖を通す。


「ん?」


 シャツの袖に腕が引っかかる。

 肉体労働のやり過ぎで、腕が太くなったらしい。太ったのではないけど……

 でもなあ、女の子としてはどうなのか――いや、そんなことを言っているとユールに後ろから蹴られるな。

 しかし、気になって二の腕を揉んでいると、ドアが開く音がした。


「ポド~」

 とユールの声がする。いつの間にか、彼女の態度は少しだけ柔らかくなった。

 さくっと着替えて、出ていく。


「何かありました?」

「ああ、そういえば頼みがあったの忘れてて」

「?」


 彼女がズボンのポケットから、ハンカチに包まれた小さな荷物を取り出した。薄手の作業着のポケットはそもそもそこまでの厚みがないのだが、明らかに無理やり入れられた形跡しかない。


「これ、会えたら渡して置いて」

「え? 誰に?」


 わたしの問いに、はっという顔をしたが、何故かすぐに笑った。


「まあ、会えば分かると思うわ」

「え? ちょっと」


 静止も聞かずに、彼女はすぐに出て行ってしまった。

 どういうことだろうか。手のひらに収まる程度の大きさにしては、不思議なほどにずっしりとした重さがある。中身が気になったけれど、嫌な予感もしたので止めておいた。


「分かるって言ってたけど……さすがにエルフにじゃないもんなあ」


 それを自分の懐へと入れて、わたしは森へと向かう。



 

 都から直線で真南よりも少し西へとそれた位置に、エルフの都・レトリアス=エンディエルシスがあると言われている。国の代表として、おばあちゃんは行ったことがあるのだが、他に魔法使いやリヒロが中に入ったという話はない。おばあちゃんも、都の様子については誰にも言ったことがないし。

 エルフの都、美しさと清廉さを湛える都――そこに憧れがないわけではない。

 興味はある、ただ腹に一物を抱えた状態では足取りはやはり重くて。

 森の端に立ったところで、その一歩を踏み出すのは容易ではない。


「ん?」


 ホヅディルさんは、顎髭を擦りながら首をひねる。


「どうかしました?」

「いや、エルフの気配がないと思ってな。リヒロも魔法使いも、ここまで近づくと警戒されるものだし、事の次第によってはエルフの使者が来る場合があるんだが」

「昨日の件が、やっぱり良くなかったんですかね?」


 森は相変わらずひっそりと静まり返っていた。

 冷たい風が、足元から忍び寄ってくる。


「良くないという中でもとびっきりに最悪だろうな」

「え? どういう風に、最悪なんです?」

「姿を見せず、完全に気配を消している。これは獲物に対する行動そのものだ。数人で追い詰めて、大物を狩る――そんなときほど恐ろしいことはないぞ」

「……」


 ゴクリ、生唾を飲み込む。

 一切気配のない深い森に入る行為は、まったくそこの見えない穴の中に落ちるような恐ろしさがある。大いなる覚悟がなければ、足がすくむ。


「とはいえ、そうなるとも限らないけどな」


 ひょうひょうと、ホヅディルさんは先に森へと入って行く。

 薄暗い森の入り口に、一人取り残されるのも怖いので彼の後を着いて行く。周りの木々がザワザワと動いた気がした。

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