昼間に子供たちと遊んで、夕暮れに啄木は組織に帰ってきた。部屋に戻って身支度を解いたあと夕食を食べる。夕食は肥前の国の海の幸。嫌な記憶を思い出すこともなく、啄木は海の幸を美味しくいただいた。食べ終えたあとは片付けて、先に入浴の準備をする。外に長くいたゆえに、体を洗いたかった。歯磨きをして、啄木は入浴の準備をする。洗濯をする服を脱いで、啄木は着替えを棚に置く。桶と手拭いを持って、露天風呂へ続く戸を開けた。

 大きな入浴場であり、それなりの仲間が全身を洗ってゆっくりとお湯に使っている。先に啄木は全身と髪を洗った後、髪を手拭いで簡単にまとめて湯に浸かる。


「……ふぅ……」


 隣に人が来た。


「たくぼっくん。おつかれさん」


 顔を向けると、八一がいた。長い髪を結い曲げており、彼は狐の微笑みを浮かべる。表したように手で狐の形を作り出す。


「どうだった? 夏椿さんとの仲直りは上手くいったか?」

「仲直りは問題ない。……けど、とんでもないことを頼まれた」


 とんでもないことと聞き、八一は興味津々だが興味を持つべき内容ではない。まゆみに言われたことを思い出しながら、上がっていく湯気をじっと見つめる。


「看取ってほしいと頼まれたよ」


 予想以上に重い頼みであり、八一は言葉を失う。狐の手が湯の中に沈んで彼は笑みを消す。命を見送る役割としては引き受けても良い。だが、個人として頼まれることは滅多にない。静かに黙って二人は湯船を楽しむ仲間を見つめる。


「……看取ってほしいかぁ」


 八一はポツリといい、頼まれた本人に顔を向けた。


「啄木。お前はそれを引き受けたのか?」

「ああ、どうしてもって感じだったから引き受けた。……なんか、俺がいいらしい」


 最初、彼は迷った。看取ってほしいという願いを叶えるのは彼じゃなくても良いのだ。迷う最中、まゆみはどうしても啄木が良いと言われて仕方なく引き受けた。話を聞いて、八一は顎を触って考える。


「お前がいいって……その夏椿さんはお前に気があるんじゃないのか?」


 啄木は首を横に振る。


「ないない。あの人は俺を見ても、俺と誰かを重ねてた感じだった。……まゆみさんの大切な人に何処か似ていたのかもな」


 そうとしか思えない行動がいくつか心当たりがあり、啄木は心が苦しいのか表情を歪ませる。恋をしている自覚はあるが、叶わぬ恋とわかっていながら焦がれるのは辛い。それでも彼は歪みを消して、屈託なく笑う。


「悔しいけど、俺はあの人の思い人には勝てない。なら、できることをする。俺は俺の好きな人を思って叶えられることをしたい」


 心のうちにある妬みを彼は抑えつけるかのように、拳を握っていた。良くない想いに溺れてしまう。それは啄木と母と良くしてくれた人々を迫害したキリシタンや宣教師と同じになる。仲間を見続けて、八一は穏やかに笑った。


「啄木。お前は私より偉いよ。だから、看取っておけ。それは今のお前だけの特権だ」


 聞けば普通の励ましの言葉。だが、啄木は驚いて彼を見ていた。八一を知る彼にとっては別の意味がふくまれているからだ。


「おい、八一。お前まだ相方の三代治のこと……」

「気にするな」


 手を振って、八一は苦笑した。


「私は仲間を置いていって死なせてしまったが、私達桜花の半妖は生きて限りまた会える。絶対に生まれ変わって会えるんだ。会えない期間、待つと思えば良い」


 湯船に深く浸かり、彼は一瞬だけ笑みを消す。


「……まあ、親友に謝りきれないのは辛いけどな」


 その後は何も言わなかった。啄木は言えないだろう。下手な慰めは相手を傷つける。彼は不器用ではないが、言葉が思い浮かばない。彼らは黙って夜の露天風呂に浸かっていた。






 彼女の寿命はどのくらいなのか。啄木は木の専門ではないため、木霊の半妖に話を聞く。が、答えは個体差と言われてしまった。植物の寿命は多種多様であり、長く生きるものも多いとある。また椿の寿命は長く、いつ死ぬのかわからないと言われた。死期については上司に聞いてもいいが、そこは個人の情報になるためあまり触れることはできない。

 わからないまま、啄木は任務の時以外は彼女の元へ通い続ける。

 春、夏、秋、冬。

 季節が何度か巡り、子供たちも大きくなってまゆみの元にはあまり来なくなった。

 真夜中、蛍が飛ぶ季節の中。啄木は椿の樹を触る。幹が段々と黒くなっていき枝と葉も目で見てわかるほど、元気がなくなってきた。


「……まゆみさん。いますか?」


 啄木の声に応えて彼女は現れない。

 ここ最近、彼女の姿を見せる日が少なくなってきた。死んだ気配はない。もう顕現する力がなくなりつつあるのだろう。

 啄木は息をついて、町を見た。町を一通り見てきたが、特に感じるものはない。生きているのはわかるが、わかるだけである。だが、彼処に人が生きていた証が残るのを思うと感慨深い。彼女は早くあの世に行きたがっている。人として会いたいから、好きな人に会いたい。ここで一思いに手を下す手段もあるが、彼はまゆみの願いに背きたくはない。

 町を見続けていると、背後から声が聞こえた。


《啄木くん》


 彼は振り返る。透明ではあるが、彼女の輪郭と姿は捉えられる。啄木はほっとして微笑む。


「……よかった。まゆみさん。まだ顕現できたのですね」


 彼の様子にまゆみは複雑そうに微笑む。


《もう顕現は出来なくなりそうだけどね。でも、こうしてきてくれて良かった。私も啄木くんに会いたかったから》


 彼女の台詞に啄木は僅かな期待が生まれるがすぐに消す。まゆみは彼の隣に来て、髪にしている白椿の髪止めを外す。髪が解かされて、彼女は目を強くつぶる。白い透明な椿がはっきりと姿を表し、彼は驚愕して木霊を見た。


「……っまゆみさん! あまり力を使うと、貴女の命が……!」

《いいの》


 彼女は椿の髪飾りを現物化させ、啄木に差し出す。先程よりも彼女の姿が薄くなっていた。


《これ、あげるね》


 啄木は言葉を失う。自身の顕現する際の力を、彼女自身の生きる為の力を髪飾りの顕現させる為に使った。死に急ぐ彼女に啄木は言おうとしたが、すぐに口を閉じる。彼女の願いを叶えると決めた以上、彼は理由だけを聞くとこにした。


「なんで、俺に渡すのですか」

《今の私に残せるものはこれしか考えられなかった。だから、私の我が儘に付き合ってくれるお礼。……ごめんね》


 髪飾りを見つめて、彼は唇を噛み締めながら手にした。大きな手の中に髪留めがあり、啄木はまゆみを見る。しかし、彼女の姿はなかった。力を使い果たして、顕現する力がなくなったのだろう。

 啄木は樹を触る。まだ生きている気配はあった。安心するものの、もうまゆみに姿を表す力はない。彼は拳を握り、樹を見つめる。


「……貴女の我が儘に付き合ってあげますよ。まゆみさん」


 返事はないものの、木々の枝が揺れた気がした。





 植物の死の定義は多くあるが、中でも枯死が代表的であろう。だが、植物はものによっては生命力に溢れている。

 数年後、ある夏の真夜中。町の人々が寝静まった頃。

 彼はある丘の樹を見た。枝に葉がなく、幹の大半が黒くなっている。枝にも生命がなさそうだ。いや、全体において生命力という力が感じられない。ここ最近は雨も降っておらず、この木は深くまで根を張ってないのだ。僅かに生きようとする植物としての本能を、この木は自らの意思で捨てた。

 木霊を宿した木は死を選んだ。ある青年に看取られて死んでいった。

 彼は自らの着物に飾ってある白椿の飾りを触る。


「……約束通り、看取りましたよ。まゆみさん」


 啄木は腰に携えた刀を手にして、幹に一閃入れる。

 樹がゆっくりと倒れた。倒れた木に近寄って手にしている風呂敷を広げる。火打ち石と枯れ葉がある。地面において、火打ち石を打ちならして、枯葉に火をつける。その一枚の葉を手にして、枯れた椿の木の麓に置く。

 周囲は夏椿以外の木はなく、燃え広がることはない。一枚の枯葉に宿った火によって木はゆっくりと燃えていく。黒くなった幹を呑み込み、枝を呑み込んで、死んだ夏椿の樹を焼いていく。もうこの切り株自体に新たな花を咲かせる力はない。術をよういて、切り株を塵に変えた。

 塵は宙にバラバラとなって消えていく。樹が燃えたあとは、分解して森に還そう。そう考えて目を細めて燃えている樹を見ていると。


《ありがとう》


 声が聞こえた気がし、彼は燃える樹を見る。

 ただ燃えているだけの樹。ゆっくりと灰を散らして、空へと昇る。その一言の幻聴を聞いてから、また声を聞くことはなかった。

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