第31話 告白するから
「ねぇ、もうあの人、コーチに……言ったと思う?」
「どうでしょう。あの場には風吹さんもいましたし、何より暦コーチはご飯を作っていました。夜乃先輩は琴美ちゃんと違ってシチュエーションを重視する性格ですし、言ってるとは考えにくいと思います」
新学期初日。
普通なら新しいクラスメイトは誰?
新しく友達作れるかな?
なんて風に不安と期待で緊張したりする特別な日だけど、あたしの頭の中は強化合宿から帰って来た夜乃先輩のことで一杯になってた。
夜乃先輩と言えばコーチが初めて陸上部にスカウトした生徒で、去年は中等部で唯一全国大会に出場した選手だ。
因みにあたしの去年の結果は県大会止まり。
初等部の頃にスポーツを何もしてなかった人種としては、なかなかの結果だとは自分では思っているけど、夜乃先輩はあたしを上回る存在だ。
どうして先輩のことが気になるかと言えば、コーチが姪っ子たちの面倒を見るために休んでいた間に、あたしと帆莉にとって大きな事件が起こったからだ。
それは先輩が強化合宿から帰って来た日のこと。
◇
「あっ、西野ちゃん、東条ちゃん、ただいまぁ~」
夕食を食べ終え、談話室で帆莉と2人で駄弁っていると、この2週間、聞かずにいられた甲高い声が、ドアが開くのとほとんど同時に聞こえてきた。
「夜乃先輩……そう言えば今日帰ってくる予定でしたね。強化合宿お疲れ様です」
帆莉は先輩のことを認識すると、座ったままだけど身体の向きを先輩に向けると軽く頭を下げる。
初等部の頃は全然気にしなかったけど、中等部になると明確な上下関係が出来て、年下は年上に礼儀正しく接することを求められるようになる。
あたしとしては、コーチの一番弟子みたいなポジションにいるこの人のことが好きになれなかった。
「……お疲れ様です」
「うん、お疲れぇ~。ちょっと聞きたいんだけど、コーチはどこかわかる? せっかく帰って来たのに出迎えてもくれないんだよねぇ」
渋々挨拶するあたしのことなんて眼中にないと言わんばかりに、先輩は部屋の中を見渡してコーチの姿を探した。
「聞いてませんか? 暦コーチは新学期まで休まれていますよ」
「あ、ちょっと帆莉っ」
どうしてそういうことサラっと教えるの!
「私が教えなくてもすぐにわかることでしょ、琴美ちゃん」
「東条ちゃんはやっぱりいい子だねぇ。それに比べて……」
先輩がジト目であたしのことを見ている視線を感じる。けど、あたしは「ふん」っとそっぽを向いて顔を合わせなかった。
あたしは特に親しくもない人と慣れ合うつもりはない。
それに……この人は色々とライバルだと思ってるから、親しくしたくない。
「って、どうしてコーチそんなに休んでるのっ! 今までそんなことなかったのに! もしかして病気っ!」
コーチが休んでいることの重大性に気付いたのか、慌てた様子で先輩は談話室に入って来て、話をしてくれる東条に詰め寄る。
「あ、いえ、病気とかではなく……暦コーチのご家族に不幸がありまして、その関係でしばらく休むことになってるんです」
「不幸? それって……亡くなったの?」
「はい。お兄さん夫婦が交通事故で……」
「…………そっかぁ、なら仕方ないねぇ」
コーチが休んでいる理由に納得したのか、先輩は空いている席に腰を下した。
「新学期、新学期かぁー。長いなぁ」
うわ言のように呟きながら、先輩は椅子を傾けるようにしている。バランスを崩せば倒れてしまう危ない座り方だ。
「2週間も合宿に参加させられて、更に6日も会えないなんて、想定してなかったなぁ~」
「そう言えば最初は嫌がってましたね。合宿に参加するの」
「そんなのイヤに決まってるよぉ。別に将来陸上選手になりたいわけでもないのに、強化なんかされても意味ないし。私じゃなくてもっと意欲ある子を参加させてあげた方が日本の陸上界にとって有益でしょ」
そう、この人は将来陸上選手になるつもりがないのに、全国大会で入賞するほどのタイムを出した。
その理由をあたしはよく知っている。だって、先輩とあたしの目的は同じだから。
「日本の陸上界のことを思えば、このまま先輩が陸上選手になった方がいいと思いますよ」
「あぁー、それはないない。陸上なんてコーチに褒めてもらうためにやってるだけなんだよねぇ」
そう、この人もあたしも結果を出してコーチに褒められたい。その一心で走ってる。
将来陸上選手になりたいなんて思ったことは一度もない。
あたしはまだそのレベルには達してないけど。
「それが原動力で全国レベルって凄いですね」
「だって、凄いことした方が褒めてくれるからぁ」
確かに。
あたしの県大会出場が決まった時より、先輩の全国大会出場が決まった時の方が、コーチの喜びようは凄かった。
普段はあたしたちとの接触の仕方に気を付けているコーチが、競技場内で他の人の目を気にせずにゴールしたばかりの先輩を抱き上げるくらい、興奮してた。
あの瞬間だけは、先輩はコーチにとって誰よりも特別な存在だったんだと思う。
「羨ましいです。私には先輩みたいなことはできませんから」
「そうかな? 私的には東条ちゃんの方が羨ましいんだけどぉ」
「え? 私先輩みたいに足速くないですよ。持久力もないですし、力も無ければ、高くも飛べません」
「いやいや選手としてじゃなくて、マネージャーっていう抜け穴に気付いたこと。ちゃっかり一番近くで長くいるのって、東条ちゃんだから」
「あ、それはあたしも同意見」
あたしや先輩は選手としてコーチの側にいる権利を得たわけだけど、帆莉は違う。コーチをサポートする立場だ。
それは先輩の言う通り、誰よりも近くで長くいることのできる特別なポジションだ。
「選手としてスカウトされたから、つい選手として陸上部に入ったけど、マネージャーって手段もあったんだよねぇ」
「あたしたちは毎日汗流してくたくたになってるのに、帆莉はずるい」
「えっと、二人とも待ってください。マネージャーじゃ結果を出して、頭を撫でてもらうことも抱き上げてもらうこともできませんよ。私はどちらかと言えば、そういうコミュニケーションの方がいいと思いますけど。私には才能が無いから裏方に徹しているだけで」
あたしたちに睨まれた帆莉は両手を前に出して「落ち着いてください」とジェスチャーしてくる。
「でも、苦労せずに側にいられるよねぇ」
「それは……否定しませんけど……」
「やり方が卑怯! 姑息! 泥棒猫!」
「琴美ちゃん、その言い方は聞き捨てなりませんよ」
「だってズルいじゃん! あたしが走らされてる間、ずっと隣でイチャイチャイチャイチャ」
気が散って走るのに集中できないから。
あたしは結果を求められてるから、努力しないといけないのに、帆莉は――。
「そうは言いますけど、何も期待されてない立場はそれはそれで辛いんですよ。知らないと思いますけど、話す内容なんて八割、みなさんのことです。二人が思っているような会話なんてほとんどないんですからね」
「でもぉ、少しはあるわけだよねぇ?」
「残り二割はなんなわけ?」
「…………(ぷい)」
あたしたちが揃って圧力をかけると、帆莉は逃げるように顔を逸らした。
「あ、言えないようなこと話してるんだ!」
友達だと思ってたのに、やっぱりずっと出し抜かれてたんだ!
「ほぉーのぉーりぃー」
こみ上げてくるこの感情、どうしてくれようか。
「っ! こ、琴美ちゃん、その手、その手は何ですか! ウネウネしてて怖いですよ」
「うっさい! あんなことやこんなことして、お嫁にいけない身体にしてやるっ!」
「ちょ、何考えて……先輩、夜乃先輩助けてください!」
残念。先輩だってあたしと同じ気持ちだろうから、寧ろこっちに加勢するに――。
「私は東条ちゃんが抜け駆けしようが、大して気にならないけどねぇ」
思っていなかった発言に、あたしは思わず振り返った。
なに? その余裕な態度。
先輩はあたしと帆莉に向けて、ニヤッと笑みを浮かべた。
「二人ってコーチに告白したことある?」
「それは……」
「そんなのあるわけないじゃん」
そんな勇気無いし、できてたら苦労しない。
帆莉は言い淀んだけど、あたしはハッキリと首を横に振った。
「だよねぇ。でも、私は告白したんだよねぇ、中学一年生の頃に」
「「なっ」」
初めて聞いた話に、あたしと帆莉は揃って驚いた。
当たり前だ。中学生で大人に告白なんて、同級生に告白するより遥かに難易度が高い。そもそも相手にされるわけがない、ロリコンでもない限り。
「それで返事はっ」
「当然ダメだったよ」
そんなこと聞かなくてもわかりきってることだ。
なのに、どうして先輩はそんな余裕な顔ができるの?
振られたんでしょ?
「でも、コーチはこう言ったの『高等部に上がっても気持ちが変わってなかったら、もう一度言ってくれ』って」
「「っっっ!」」
そ、それって――。
「さすがに中学生を相手にするのは世間体が悪いから、高校生になるのを待つって意味だよねぇ」
「こ、高校生だって変わらないじゃん! 未成年でっ」
「そ、そうです。それに仮にも教え子とコーチであって――」
「でも、教師と生徒じゃないからさぁ。教員ならその辺厳しいだろうけど、コーチはあくまで寮監」
だから高校生になった先輩とは付き合えるって?
そんなの……そんなの絶対に――。
「ダメに決まってるじゃん!」
「そうです! 今の時代、大人と未成年の恋愛なんて無謀です」
あたしたちが言っていることは、正直言ってブーメランでしかない。
でも、抜け駆けしようとしている先輩を前に、悠長なことを言ってはいられない。
「知らないんのぉ? 恋愛自体は問題ないんだよねぇ。ダメなのはエッチなことであって」
「だ、だとしても――」
「私は三年間待った。あと数日で高等部にあがる。そしたらまたコーチに告白するから」
「「っっっ!」」
もう決めたことと決意に満ちた顔を見れば、あたしたちが何を言っても無駄だって嫌でもわかる。
まるで勝利宣言されたような気になって、あたしたちは顔を下げた。
高等部に上がっても気持ちが変わってなかったら、もう一度言ってくれ――ってその気が無ければ、そんなこと言ったり……ううん、待って、そうじゃなくない?
だってコーチはずっと――。
「すぅー……はぁー……」
あたしは頭の中を整理するために、深呼吸した。
そして頭に酸素を十分に送って一つの結論を出す。
うん。やっぱりそれ、先輩の勘違い。
「悪いけど、先輩の思い通りにはならないから」
「……どうしてそう言い切れるのぉ? 西野ちゃん」
「だってコーチ、学生の頃からずっと好きな人がいたんだから」
「あっ」
あたしの言葉を聞いて、帆莉も思い出したのか、顔を上げる。
「えっ? なに、その情報? 私聞いてないんだけど」
先輩は面白いくらいきょとんとした表情になった。
「あたしたちも先輩が合宿に行ってる間に知ったことだから、先輩が知らないのも無理ないんじゃない?」
先輩の言葉に惑わされたけど、あたしたちは先日、コーチが特別に想っている人がいることを知ったばかりだ。
コーチが先輩にそう言ったのは「傷つけないようにしないと」とか「子供の一時の気の迷いだ」とか、そういう考えがあったからに決まってる。
「ちょっと待って、なにそれ? 人の告白を保留にさせといて実は好きな人がいた? それってつまりそういうこと? 元々相手にされてなかった……」
先輩は情報を整理して落ち着くためか、一人でボソボソと呟く。そしてたぶん、あたしと同じ結論に至ったはずだ。
「……二人とも、その話詳しく聞かせてくれるよね?」
先輩の雰囲気がガラリと変わった。
今までの少し見下していた態度から、さっさと話せと圧をかけるような感じに。
あたしと帆莉は互いに顔を見合わせて、小さく頷いた。
人のプライベートを話すのは良くないことだけど、先輩の決断を考え直させるには、情報を共有するしかない。
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