1−11

 というわけで、総力戦の前夜に降って湧いた滑り込み指令で、不思議の国の温泉カエルを求める旅に出ることになったメンバー達、だったが。

「どないせえっちゅうんや!」

 学園長の無茶振りに、翔雄は一時、卓を叩いて荒れまくった。通信スピーカーから返答はない。言うべきことを言うと、さっさと先方から切れてしまったのだ。

「アホちゃうんか! なんでカエル取り返すんにわざわざ人間様が出向かんとアカンのや!?」

「しょ、ショウちゃん、なんか、訛ってる――」

「訛って何が悪いねん! 俺は滝多緒生まれの滝多緒育ちや! バリバリの関西やで!」

「いや、でも、キャラの統一性っちゅうもんが」

「全国区の諜報機関の長として、やはり守るべき線というものが」

「有力旅館の跡取りとしては、それなりの優雅な物腰ってものがだね」

「うるさいなっ」

 真知と杏と蓮にまで諭される形になって、翔雄が吠えた。パンパン、と勉がその肩を叩き、あやすように静かな声で語りかける。

「うん、もうええがな。充分や。お前の気遣いはみんなよう分かってんねん」

「? 何を……」

「わしらが口に出来へん学園長あての批判、わざわざ大声で代わりにやってくれてんねんやろ?」

「そっ……」

 んなわけじゃない、と返しかけたのを呑み込んで、翔雄は不機嫌そうに押し黙った。勉はなおも、よしよし、と頷きながら、

「議長がそうやってこまめにガス抜きしてくれるから、わしらは落ち着いて次のタスクにかかれるんや。おおきに。もうええねん。んで、どうするんや? 緊急のミッション、早ければ早いほどええんやろ?」

 おお、さすがはベン、と背後の評議会メンバーがどよめいた。キレ気味の議長をうまく丸め込んだように見えて、でも確かに翔雄も、無意識にそういうリーダーらしい判断をしていたのかもしれない、と思わせるところが、ベンのベンたる由縁だろう。

 少しだけしかめ面をしてから、いつもの平静な声で、翔雄は場を仕切り直した。

「仕方ないな……じゃあ、とりあえずは情報だ。どこまで期待できるかわからないけど、さっきの大浴場でのカエル、SNSとかで行方の手がかりが見つかれば――」

「ああ、それはもう見つけてある」

「何だとっ!?」

 しれっと即答する声に、翔雄が目を剥いた。蓮が「ほら」というように手で示しているディスプレイには、とんでもない内容の記事が載っかっていた。

「……『科学部長の日々是日記帳』、だあ?」

 聖泉内部生専用サイトにあった、科学部のブログらしい。何と例のカエル達を部室で現在公開しているというのだ。まごうかたなき大ガエルの写真に、「来てね〜」とかなんとか、ポップなフォントの呼び込みのセリフが踊っている。

「なんで一介の文化部なんかがこんな証拠物件の世話を」

「引き取り手がなかっただけなんじゃありませんか? 執行委員会とやらも忙しいでしょうしし、あらかた押し付け合いに負けて強引に預けられたのでは」

 杏がもっともな推理を披露する。

「にしては、この科学部長のこのノリは」

「まあええがな。とにかく、ここの部室行って取り返してきたらミッションコンプリートや。楽勝やないか」

 気楽に言ってくれる勉の顔をまじっと見てから、翔雄はなおも腑に落ちないでいる。

「なんだか、そこだけ妙に話が出来すぎてる気が……」

「そこは行ってみてじかに判断するしかないさ」

 蓮までドライに割り切ってみせ、短く補足した。

「何にしろ、それほど難度の高い潜入じゃなさそうだけどね」

「そやそや。ささっと終わらせたらええねん」

 勉の煽りで、いくぶん楽観的な空気が広がってきた感じがして、翔雄も少し構えを解いた。期待を込めてメンバーを見回し、尋ねる。

「じゃあ、潜入メンバーの選出だけど、二人ぐらいがちょうどいいと思う。これから夜半にかけて手の開いてる者は?」

 手を挙げたのは真知一人だけだった。

「んー、もう一人誰かほしいんだけど。この際推薦でもいい」

 ほぼ全員が、翔雄にまっすぐ指先を向けた。

「……おい」


 結局、翔雄が折れるまで何分もかからなかった。――その後しばらく、なんだかすごく重要な候補者を見逃しているような気がして気がして仕方なかったのだが。

「それにしても、女湯でカエル騒ぎを起こす作戦なんて」

 実際に聖泉の建物深く侵入した今は、妙に思考が空っぽな気分だ。さっきからどうでもいいことばかり考えてしまう。というか、今になって今回の作戦がいかにバカバカしいミッションばかりで成っているかが見えてきた気分だった。

「小学生のイタズラ以下じゃないか」

 カエルを使う大浴場でのオペレーションということは承知していたものの、間の抜けたことに、それがただ「女性客を脅かすだけ」の中身だったとは考えもしなかった。それはそれで翔雄の手抜かりと言われても仕方ないだけに、作戦のアホさ加減を責め立てる舌鋒は、ムダに鋭かった。

「そりゃ、女の子の中にはカエルぐらい平気で捕まえる子もいるだろうさ。発想からして甘すぎる」

「それ以上に機関銃を浴室でぶっ放す女子高生ってのはどうかと思うけど」

「見間違いだろ。担当の……あれ、その担当って誰だっけ?」

「え、くのいちの一人……だったはずだけど」

「んん、中等部の誰かだったか? まあいい。経験不足で誤認したんだろうな。せいぜい掃除用の高圧放水器だと思う。機関銃みたいな形してるし」

「違うって力説してたけどね。あの子……えーと、うん、あの子は」

 一時会合の主役だったにもかかわらず、すでに仮名の断片も憶えてもらっていない〝彼女〟である。

「まあ逃げて正解だった。どうせ水で粉砕される程度の作戦だったんだ」

「でもさあ、あそこの執行委員会だったっけ? が、カエルとかイモリなんかを最近とみに恐れていたって言う情報は事実らしいのね。両生類は学院付近から一掃するよう、一時はお触れが出たとかなんとか」

「デマだって。だいたいこの季節にそういう指示を出す理由なんてないし」

「そのはずなんやけどね……」

 翔雄はすでに作戦の底の浅さを見切ったつもりでいた。せいぜいが女湯の騒ぎを尾ひれ付きで拡大し、ネットあたりで名誉毀損の限りを尽くそうという腹だろう。到底成功しそうにないが。

 考えれば考えるほど翔雄はやけっぱちな気分になってしまう。だいたいが「或摩の黄昏」作戦そのものからして、壮大なジョークそのものにしか見えないのだ。というか、蟷螂の斧?

「……それにしても、大した設備やん。ほんまにここも学校なん?」

 話を切り替えるように、真知が再びおのぼりさんを始めた。それもまた情けない話題だが、作戦の無意味さを嘆くよりは建設的に思えた。

「噂は本物かも知れないな。学校建築に名を借りて、香好かずきは将来の或摩第二ホテルを助成金で安く確保したかったんだって言う」

「見かけはホテルそのものやもんね。ほら、あれなんか古伊万里なんとちゃう? 掃除で割ったりしたらどうなるんやろう」

「そりゃ、一生香好でただ働きだろ。観光科の中高一貫校を設立した理由なんて、青田買い以外の何ものでもない」

「ほんまに目の保養やねえ。みんなで一緒してもよかったのに。目立たへんで、こんだけ広かったら」

「油断するな。ここのエージェントは精鋭揃いって噂なんだから。何しろ或摩だ」

「そうなん? にしては、制服だけ今ひとつやね。安ホテルのフロントって感じ」

 真知が自分の紺色ボックスプリーツと同色のネクタイを両手でつまんで首を傾げた。

「そりゃ、お客さん気分じゃダメだからだろ。キラキラの校舎の中、チープな制服で奮励努力してこその観光科じゃないのか?」

「あまり楽しそうな教育方針とは言われへんなあ」

「時に真知」

「何?」

「さっきから楽しい会話の相手をしてくれていることには感謝するけど」

「何よ」

「僕ら、迷ってない?」

「やっぱりそう思う?」

 すぐ脇の部屋には、「226」と表示があるだけ。ホテル業務の実習用なのか、合宿所なのか、本物の客室なのか、それすらも分からない。一度お互いの顔を見、ずっと先まで続く廊下の果てを見、もう一度視線を戻してから、二人はため息をついた。

 鉄筋の瀟洒な建物を日の字だか目の字だかの形につなげている或摩聖泉学院は、広大な山の斜面を部分的に伐採して建築しているため、全体が段々構造になっている。形式上は地上三階・地下一階なのだが、低地の屋上は高地の地階より低く、地下部分も時々二階かそれ以上になったりして、まっすぐ歩いていても自分のフロアが何階か分からなくなる。

 さらに、中高一貫校だから中等部区域・高等部区域・共通区域の別があり、スポーツ・文化関連の充実した施設あり、温泉絡みの色々な施設ありで、部屋数もただごとではない。加えて時間はすでに夜。基幹通路は煌々と照明が灯っているものの、場所によっては非常灯だけの廊下もあり、窓の外の景色を頼ろうにも寂しげな灯籠のみでは却って混乱する。

「ホテルのくせに、こんなわかりにくい建物でええんか?」

「ホテルじゃない。今のところは」

 エントランスで案内表示をちゃんと探していればよかった、と思う。正面から堂々と入ったまではよかったが、怪しまれないように自然体を意識しすぎて、生徒の流れもろくに観察してなかった。気がつけば誰もいない通路をぐねぐねと歩き続けている。もう十分以上、人声すら聞かない。

 困った。そもそもここはスクールエリアなのか?

「とりあえず、下へ下へ向かっていったら玄関に戻ると思うけど。階段どんどん降りて」

「変な位置に大深度地下施設なんかあったらどうすんだ? 見てはならないものを見てしまったあげく……」

「それはそれでええんとちゃう? エージェントとして」

「捕まって拷問されてあれやこれやの目に遭うのが?」

「志が低いなあ。そこから大脱出してこそ主人公やんか」

「そうやって007を気取った九九・九パーセントのエージェントが消えてったんだよ。真知、お前想像力がないのか? とっ捕まったスパイが会うのはマッドサイエンティストかパンクの拷問官と決まってるんだ。ここはそういう方面でもキワモノ揃いって評判なんだぞ。お前の電撃ハリセンなんて、鼻で笑われるに決まってる。下手すりゃ、麻酔無しで性転換とか、たちの悪い暗黒小説を地でいく尋問に遭うぞ。マジで何されるかわからない。お前、滝多緒からの体験者第一号になりたいか?」

 何か恐怖心の最奥に触れる部分でもあったのか、淡い照明の中で、妙に顔色を薄くした真知が、悪寒を感じたようにぶるっと身震いした。

「…………うちが間違ってた。はよ逃げよ。ほら、早く!」

「早くったって、どっちの方向に——」

 チンと音がして、すぐ横でエレベーターが止まった。知らず、エレベーターホールに足を踏み入れていたらしい。

 とっさの判断だった。翔雄はホール脇の観葉植物の陰へと身を流し、出遅れた真知はたまたまの通行人の素振りをした。カタカタというドアの稼働音と共に現れたのは、青年と呼んでいいぐらいの男子高校生だった。端末を耳に当て、忙しそうにどこかへ何かの指示を飛ばしつつ大股に歩み出てきて、はたと立ち止まる。

「——だからその件は今特急で裁可を受けてるはずだから、先にマリーに上げて……おや? 君、そこの君?」

「は、はいぃ?」

 真知が振り返った。努めてさりげなさを装っていても、声が引きつっている。シュロの葉の隙間から様子を窺っていた翔雄も、緊張に息を詰める。背の高い、ロン毛のハリウッド俳優みたいな男だ。雰囲気だけでこの学校の上層に位置する存在であることが分かる。

(やばいのに出くわしたか——)

「……いや、こっちの話。じゃあそういう段取りで。……うん、少し遅れる。頼む」

 端末を内ポケットに収めると、手慣れた動きで男が真知に近寄り、顎をつまんだ。自分の顔に向けてぐいと引き上げ、右にねじり、左にねじり、ちょっと眉根を寄せる。それだけで濃厚なフェロモンが漂ってきそうなキザな所作だ。真知は固まったまま、されるに任せていた。

「君、何組?」

「え、あのっ、でぃ、D組——」

 真知と翔雄の学年章は高等部一年生のものだ。青年は恐らく三年生だろう。とりあえずこの場はしのげるはず、だったが——。

 青年がふっと余裕の笑みを浮かべ、真知の肩に手を置いた。

「嘘だろう?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る