1−10
さくら達が総合科学室を一時退出したのと同時刻、場所も同じ或摩聖泉学院。
「或摩オータム」関係者や一部の熱心なクラブ員以外は早々に下校しているはずの構内を、学生が二名ほど、所在なげにふらつき回っている。翔雄と真知である。
「しっかしほんとにお金持ちやなあ。このカーペット、ヒールやったら捻挫しそう」
「すきま風もまるでない……素晴らしい」
「ねーねー、上に並んでるオーナメントランプって、やっぱ国外特注品?」
「夏場は全館冷房なんだろうなー。許せないなー」
二人とも聖泉の水色ブレザーを着て、偽造生徒手帳までしっかり携帯している。真知はメイクを今風の遊び人女子高生っぽくがらりと変え、翔雄はもっさりとオタク系の気の弱いタイプを演出していた。本格的な侵入工作——のはずだが、どう見てもおのぼりさんなのは、まあスケール違いの金満学校を目の当たりにした以上は無理もないだろうか。
「……なあ、そろそろ真面目に仕事した方がええんとちゃう?」
「真面目に仕事する気になるのか、真知は?」
「それって真面目に言うてるの?」
「僕はいつだって真面目のつもりだけどね」
「つまり真面目に、真面目なサボタージュを提案してるわけやね」
すでに日はとっぷり暮れている。アールヌーヴォー風で縦に長々しい窓の外側はすっかり闇の中だ。ガラスに映り込んでいる自分の姿を見て、翔雄は、いけないな、と思った。
(どうにでもなれって顔してる。敵地のただ中でするような顔じゃない)
二人が潜り込んだ理由は、言葉にすると単純明快だった。いわく、〝温泉ガエルを奪回せよ〟。つい一時間前、学園長直々に発せられた緊急指令である。
或摩温泉駅前から北へ二キロ近く、温泉街の外れの外れに確保していたレストハウスへ翔雄達が再集結したのは、例の地震騒ぎから半刻ほど過ぎてからであった。
よもや作戦開始前に全体会議の必要などあるまい、と踏んでいたこともあって、緊急集会の形を作るまでには結構ゴタゴタがあった。
まず最初に起きたのは、副議長・堀緒勉としばらくご無沙汰していたメンバー達が、軒並み〝ベンチャーム〟の餌食になったこと。恐ろしいことに、かのスキルは無制限での広域同時発動が可能なのであった。
当初の予定では、勉は最初から終わりまで別行動になっていたので、翔雄達も少しうかつだったのだが、気がついた時はもうレストハウス中が大混乱だった。三分程度の魅了状態でも、十人近くが微妙にズレた時間差で次々に発症すると、結構な騒ぎになる。蓮いわく、「このまま新手の宗教団体になるのかと思った」と述懐せしめたほどの盛り上がりぶりで、シリアスな状況報告をやり取りする空気を作り直すのに、これまた時間がかかった。
次に起きたのが、点呼人数と見かけの人数との食い違いによるプチパニック。作業を受け持ったのが、経験の浅い中等部メンバーだったもんだから、「まさか或摩のエージェントが潜入!?」などと早合点してしまい、ムダに緊張感が煽られた。さすがに高等部の何人かがデジャヴを感じて(つまり、同様の騒ぎは過去にも頻発していて)、そこからようやく〝彼女〟を見出すことが出来、収拾がついたというわけだが――色んな意味で始める前から徒労感の大きい集会ではあった。
正直、その時点で会合を開くほどのトラブルが露見したわけではない。とは言え、翔雄の胸中は、レストハウス入りする前からひどく切迫した思いでいっぱいだった。
――カエルが光ってた? 温泉の中で?
合流前に聞いた、とある作戦の経過報告である(誰から聞いたのかは忘れた)。道中、何となくここまての流れを整理していると、急にその件が気になりだして、今さらのように胸がざわついてたまらなくなった。改めて考えれば、その件だけでも尋常な話ではない。そして、そんな不思議な報告と直下型地震が重なったというのがまた、何だかひどく気になった。
開始前からいろいろと進行にほころびが出ている感じがする明日からのオペは、もちろん大きな懸念材料だけれども、そういう話は今回に始まったことではない。それより、もしや他のメンバーからも何か怪異現象の報告が転がり出たりするのでは、という疑念が頭を離れず、つまりは慎重を期す意味で――。
いや違う。
そうではなかった。翔雄はもうはっきりとその頃には、好奇心の塊になっていたのだ。
(地震の直前に地層の前駆崩壊が起きて、発光の元となる物質が温泉水中に? もしそうなら、そんな可能性がある物質ってなんだろう? でもカエルの皮膚粘液ってそもそもどういう組成なんだ? ううむこれは……調べたい、心ゆくまでっ、どこまでもっ。もうこうなったら指揮権なんて衛倉に丸投げして――)
という、いささかよこしまな思索で、それはもう全身が悶えそうになっていたのである。
私情を何とか抑え込みつつ、澄まし顔で緊急会合をスタートさせる。表向き、「予想外に或摩の警戒態勢が厳しい」ことに注意を喚起するという件をトップにし、それぞれのチームの作戦内容にはやはり立ち入らないまま、改めて危機管理を総点検するよう全員に求める。言外には、いかにムリなオペレーションが並んでいるかを非難する空気まで演出して。
学園とは会合の最初から回線をつないでいて、峰間の老人も音声オンリーで参加する形になっていた。予定外の緊急会合に不機嫌そうではあったものの、そこまでは特にコメントもなく、翔雄の皮肉っぽい弁舌にも無言だった。
が、ことのついで、という感じで、翔雄が「ガマ・ストライク」作戦での椿事に触れ、似たような異常現象は他になかったかを全員に報告させようと言葉を切った途端、老人が割り込んだ。
『ちょっと待て。発光現象、と言ったか? 青白く?』
「はい」
『担当の工作員はこの場にいるか? 直接報告を受けたい』
「今日或摩入りしているメンバーは全員ここにいますから、当然……あれ? 誰だったっけ? おい、聖泉学院のエリア仕切ってたのって」
「それはうち」
真知が手を上げた。
「で、担当誰だった?」
「え、その作戦だけはショウちゃんとこが持ってたんやろ? さっきもちらっと話したやん。担当の子にも確認とって。もう忘れたん?」
「いや、だから……おい、担当者?」
埒が明かなくて全員に呼びかける。――返事は聞こえなかった。
「真知、そいつの名前」
「ええ? しゃあないなあ。えっとね…………えっと」
「おい」
「いや、そのっ、憶えてたんやてっ。確かにおったんやし」
「うん、いたのは憶えてるけど。おおい、誰か、その担当知ってるやつ、いる?」
全員戸惑ったようにお互いを見交わすばかりだ。露骨にため息をついて、音声回線の向こうから学園長が言った。
『もういい! くのいち九十九号っ』
「はいっ」
驚いたことに、卓のまん真ん中から声が上がって、小柄な中等部の少女が突然その場に出現した――ように一同の目には映った。
『いるな、九十九号』
「はい、います。最初っから、同じ席で、ずっといます!」
ちょっと目が三角になっている。その頃になって、ようやく一同が、ああいつものこの子だったんだな、と頷き合う。安心したように、ちょっと後ろめたそうに。
真知が老人に問いかけた。
「えーと、九十九号って名前……やったっけ?」
『いや、仮名みたいなもんだ。この娘の名前と顔はわしも憶えとらん。だが、存在自体は憶えている。だから、必要があったら適当な数字をつけて呼びかけていいってことで、この子とは話がついておる』
「はあ……」
『九十九号でも一号でも十三号でもいい。いると信じて呼びかけてやれ。そうすれば、必ず姿を見せてくれる。よろしいな、議長?』
「あ、はい」
いささかばつの悪い思いで当人を見ると、なんだか上機嫌だ。学園のいちばん偉い人に声をかけてもらって、この場の全員に認知してもらったのが、ひたすらに嬉しいらしい。なんとも不憫な……と思いかけて、これまで何度となくこの子に同じ感想を抱き続けてきたこともうっすらと思い出し、不憫さにいっそう拍車がかかるのを感じる。
九十九号(仮名)の報告は、簡にして要を得た内容で、情報共有はすみやかに達成できた。一区切りついたところで、老人が口を開いた。
『……結果として、カエルの回収は一匹もできなかったというわけだな?』
すかさず翔雄が抗弁する。
「それは、一人だけの実行部隊だったのだし、計画段階で無理があったんじゃないかと」
『あいや、そこは問題にするつもりはない。可能であれば回収、という認識でこちらも指令を出したつもりだ』
いささか引き気味の老人の口調に、ん? と翔雄は動きを止めた。ジジィにしてはずいぶん物分りがいい。
『だから、この結果は立案者の責任ということで結構だ。だが……油断したな。まさか今日のこの日にそんな結果が出ようとは……』
「その、今日のこの日というのは、或摩に直下型地震が起きたような日、という意味も入ってますか?」
ついつい翔雄が尋ねかけた。老人は答えない。会話が途切れたままの静寂の向こうに、思いがけず祖父の無防備な困り顔を見たような気がして、ふと、翔雄は報告すべき重大事がもう一つあることに気づいた。
「学園長。実はその地震の直前の話なんですが」
『……何だ?』
「
再び通信が沈黙する。うなり声一つ聞こえてこないが、漠然と翔雄は、今この瞬間、老人が相当に衝撃を受けた顔で固まっているんではないだろうか、という気がしていた。
「甲山博士って誰?」「さあ?」というささやき声が、背後のヒラメンバーの間で上がっているのを尻目に、翔雄は祖父の言葉を待った。翔雄としても、何が何だか全く五里霧中のままなのだが――ともかくもこれで事態が動く、という気がする。
『奴は……どんな様子だった?』
「特にどうということは。カエルの発光現象を、ええと……異格体反応とかなんとか言ってたような。あと、地震の発生を数秒前に感知していたように見えたんですけど」
『…………』
「ああ、それから、なぜか片目に眼帯つけてましたね。海賊みたいな」
『! ……そういうことかっ』
「はい?」
翔雄の反問には答えず、結構な間が空いてから、ようやく学園長は声を出した。すでにその口調は、いつもの落ち着きと冷厳さを取り戻しているように、翔雄には聞こえた。
『諸君に緊急指令を言い渡す。これは最重要かつ最優先のミッションである――』
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