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「もう、セシルちゃんが『あんなことやこんなこと』されるかもって聞いた時に、私」

「まだひっぱるんか、そのネタ」

「部長、『あんなことやこんなこと』って何?」

 すかさずマジメな質問を飛ばす目音路(中一・真知に身体検査された男の娘要員)。セシルはちょっとうんざりして、

「だからそれはネットで調べろと室長が」

「調べてもよう分からん。なんか、はっきり書いてへん」

「わあったわあった。帰ってからおねーさんが教えたげる」

 横の野玖珠(中二・精神年齢は高二相当)が中一坊やの丸刈り頭を撫でる。

「ちょい、子供にあんまりなことを教えたら」

「塩梅はわかってまスんで。それに、芳賀先輩に喋らせるよっかマシやと思いまっス」

 言われて視線を落とすと、なおもセシルの膝の上からうるうるした目で芳賀がじっとこちらを見上げている。そっとため息をついて、

「そういえば、お前らあたしとあの親父の関係知ってたんか? いつから?」

「一週間ほど前に……」

「そうか」

「立場が立場やから、セシルちゃんが危険な目に遭うかもって言われて」

「そ、そうか」

 ちらりと運転席に目をやるが、砂鳥はカーナビの操作に気を取られているふりをしている。

「だから、必死になって練習したんです、私達」

 何を、とは聞きにくい。多分即時集結してセシルの周りを固める、という動作練習だけで精一杯だったのだろう。こいつら、まだまだ鍛えんとアカンな、と思う。まあでも……ちょっと泣かせる話ではある。

「でも、こんなんじゃ全然勝てないって思ったらドキドキして」

「いや、もう全部終わったんやから。それでええやんか」

「ほんとにセシルちゃんがあんなことやこんなことされるって想像したら、私」

「まだ言うんか、お前!」

「な、なんだか、怖くて……す、すごく不安って言うか……へ、変な気持ちに……」

「…………」

「何でだろう、こう……色々場面をシミュレートしてると、む、胸が、へ、変に甘くて苦しいっていうか」

「もういいっ! それ以上言うなッ!」

 ふと首を巡らすと、後部シートから野玖珠(中二・はっきり言ってマセ女子)が何ととも言えない顔でセシルに視線を向けている。

「ついに闇堕ちっスか」

「知ってたんか」

「なんとなくそれっぽいなーとは思ってヤしたけど」

「どうでもいいけど、その闇落ちって婉曲表現だよな」

「そうっスね」

 勘弁してくれ、と思う。実害があるわけでなく、部下の妄想の中身がアレなのが困る、というだけではあるが……確かに自分は、部下とまともに向き合っていなかったのかも知れない、と反省するセシルだった。

「芳賀先輩のそれは、一種のパニック症候群では? 一度受診を勧めますが。ふっ」

 セシルと野玖珠の会話をどう受けとめたのか、石目(中三・しょせんは精神的にオクテの優等生男子)がさらりと口を出した。いいことを言ったと自賛してる空気満々だ。

 ちょっとシラけた。

 全然話が分からなくても、話題を転換する必要に駆られたのだろう、栗瀬(中一・"リンちゃん")がやたら元気な声を張り上げた。

「なあなあ部長」

「なんやねん」

「思ったんやけど、やっぱり俺ら、いっぺん、ちゃんと学んだほうがええと思うねん」

「何の話?」

「えーと、その、化け方って言うか、なりきり方?」

 ああ、と思い出す。女装留学の話である。そう言えばそんな話も出た。だが、当座の懸案事項とあまりに落差のある話題で、今は真面目に考える気になれない。

「俺ら、空いた時間とかで色々教えてもろうてたんやけど、全然できてへんなーって自己批判してん。そやから」

「そういうことは、これからうちでもちゃんとやるわな。あいつら、何考えてるんか分からへん。タダやないやろうし、あたしはあんまり感心せえへんけどな」

「でも、なんかあっちはレベルがダンチやって感じするし」

「そうそう。僕ら今日限りでこんなん終わらせるつもりやったけど、あそこまでやるんやったら、この世界もアリやなって、ちょっと今、テンションが」

 疲れたせいだろうか、何か見落としているような気がする。話の中に微妙なズレが。

「ええっと……なんか実例でも見てたん、あんたら? 『あそこまで』って何の話?」

 ひぇっと複数人の一斉に空気を吸い込む音が響き渡った。狭いミニヴァンの中が、一挙に深海のような静寂に包まれる。気のせいか、運転席の砂鳥も固まっているような気がする。一瞬の後、部下たちが束になってセシルへ詰め寄った。

「え、何言ってるんスか、部長」

「そら、俺らも教えられるまで、全然判らんかったんやけど」

「むう、部長は当然判ってるものと。判ってる上での、あえてのあの振る舞いとっ」

「って言うか、判ってなかったの!? 最後まで!?」

 今日はこれで何回目なのか、意識はあるのだが、なぜか頭が働かない。無理やり思考を回すようにして、話の整理に努める。

「うーんと、要するに、あんた達は、すごいレベルの女装エージェントを見た、と?」

「「「そうです!」」」

「男の娘だった?」

「「「もちろん!」」」

「評議会の中に?」

「当然ですっ、ていうか、セシルちゃん、帰る前とか戦闘中とか、今日二回も抱き合ってたじゃないですかあ!」

 どうしてだろう。すぐ目の前に正解があるのに、頭が、精神が、全身全霊が、受け入れをフルパワーで拒否しているような気がする。おかしい。ちょっと……体調まで悪いような……目が……なん、か、ぐるぐるっと……

「あーっっ、部長が倒れた〜〜〜っっっ!」

 メンバーたちの悲鳴を聞きながら、芳賀の膝の上で、セシルはゆっくり意識の底に沈んでいった。





 一方、こちらは滝多緒学園諜報戦略評議会の移動司令車両――と言う名の、改造中古大型バス。

 そろそろ中国道から一般道に降りようかという、終点手前の路上で、作戦総括を兼ねての評議会ミーティングが執り行われていた。

 通路の中央部前寄りの位置で、珍しく長広舌を振るっているのは、峰間大吾学園長である。

「というわけで、オペレーション『生駒の鹿狩り』は、引き続いての作業はあるが、おおむね成功のめどはついた。これで大阪方面からの温泉客の二パーセントは裏六甲へと誘導することができるはずだ。みな、ご苦労だった」

 おざなりな拍手を送りながら、翔雄は心の虚しさに耐えていた。だいたいが、元々の作戦の根幹が間違っていたのだ。わざわざ県をまたいで出張し、ちょっと最近人気があると言うだけの温泉旅館一件を潰すような真似をして、なんでお客が奈良から裏六甲へと向かうと言えるのか。一応、AIシミュレーションの結果とは言っているが、怪しいものだ。

 そう、滝多緒の作戦は、実のところ、千津川とほとんど同じものだった。せいぜいが利権を巡っての先手争いにしかならないはずだったのだ。

 ところが、予備調査の段階で、狙うべき鹿戸康平にとんでもない犯罪の気配を察知してから、いっぺんに話がひっくり返った。改めてシミュレーターに盗撮の件を新規因子ファクターとして再計算すると、背筋が凍るような託宣が打ち出されてきたのである。いわく、「全日本的、かつ長期的に、大衆浴場へのマイナスイメージが壊滅的なものになる恐れあり」。

 考えてみれば当然のことだ。あなたの行きつけの浴場で、経営者が計画的に盗撮を繰り返しているかも知れない、そしてそれは少々の警戒心ではまず防げない、などと聞いて、平常心のまま浴場通いのできる女性など、どれほどいるものか。本気では疑いを持たないとしても、なんとなく客も経営側も色々と自粛モードに入ってしまうかも知れず、温泉業などが長期低迷する可能性は大いにある。

 こんなネガティブなニュースを表に出すわけにはいかない。絶対に。

 かくて、滝多緒のオペレーションは、盗撮事件を完璧に隠匿することが再優先事項となり、「やまもみじ」の経営権奪取云々は、実のところ、できればいいな、という程度のことだったのである。

 結果的に、どうやら収支は赤字にならないで済みそうだが、奈良県くんだりまで出向いて、いったい何をやっているんだと思う。むろん、翔雄たちの活躍あればこそ、この業界の未曾有のスキャンダルが防げたわけで、その意味では全国の観光諜報組織から表彰されてもいいぐらいなのだが、数日間の行動を振り返ってみると、単に貧乏くじを引いただけ、という気がしてならない。

 翔雄がつくづくうんざりするのは、この手のムダ骨が今に始まったことではないということだ。中一で評議会に引っ張り込まれてから、不毛としか言いようのないバカ騒ぎを、彼はずっと目の前で見てきた。ここ半年に至っては議長の役回りで。

 ああ、ゴミ溜めの如き世界。ゴミそのものの我が人生。

 責任者、出てこい。

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