0−16
同時刻。「やまもみじ」旧館。その北端の一室。
明かりを点けず、ふすまを開けての外灯の光だけで、二人の人物が立ったまま向かい合っている。
峰間大伍と水枯砂鳥だった。
「もう少し落ち着いた会見ができると思っていたんですけれど」
そう言って、腰をかがめて部屋中央の卓にスティック状のメモリーを置く。
「トップ会談なんて、えてしてこういうもんですよ」
入れ替わりに大伍が手を伸ばし、メモリを取る。抱えていたタブレットにメモリを挿すと、立ったままで内容を確認し始めた。いくつもの画面を切り替えながら、しばし真剣な顔でチェックを繰り返していたが、やがて視線を上げると、砂鳥に頷いた。
「確かに、間違いなく。これで取引は無事終了ですな」
「ご満足いただけたようで何よりです。正直、こんな数字の列でこんなにサービスしてもらって申し訳ないぐらい」
大伍が上目遣いにじろりと砂鳥を見た。
「サービス、とおっしゃる?」
「あれをサービスと呼ばずに、何と呼ぶんですか」
はっと呆れたように一息挟んで、砂鳥が腕を組んだ。
「デモンストレーション? それともプレゼンテーション? まったく、作戦ミスを分析シート付きでお知らせいただいた時は、どんなつけ込み方をしてくるのかと思ったのに……今日のあれは、格上の組織に胸を借りての、懇切丁寧なただの体験実習じゃないですか」
ふふっと大伍の低い笑い声が、暗がりに反響した。
「水枯室長もなかなかお人が悪い。その体験実習のほとんどは、千津川からのスペシャルゲストあってのものでしょう?」
「……それが?」
「別に確証があって言ってるわけじゃありませんがね」
立ちっぱなしなのを嫌ったのか、大伍はタブレットを卓上に置くと、座布団の上に大義そうに腰を下ろした。
「あんなタイミングで強硬派とやらが介入してくる。ちょっと不自然でしょう。ですが例えば、我々のごく身近なところに、鹿戸さんとの交渉状況が筒抜けになるようなリーク元があるというのなら分かります。さらに、そのリーク元が、千津川の頭の悪いトップ筋を、ごく短時間で焚きつけるようなことまでしていたとなれば」
砂鳥を見上げた老人の目が、楽しげに大きく見開かれた。
「とてもよくわかる」
「……ふうん」
自分も座布団に座りながら、砂鳥が冷ややかな目で大伍を見返した。大伍は組んだ両手の上に顎を乗せながら、
「まあ、あなたが千津川の諜報態勢の改革に取り組んでいらっしゃるのは、断片的な情報から明らかでしたので、今日のところは乗りましたけどね。孫たちも久々に力を出し切って、いい鍛錬になりましたし」
「――学者肌の起業家とは聞いてたけど、組織謀略の類も年季が入っていらっしゃるのかしら?」
「いえいえ。あなたのような元プロの諜報関係者にはとてもとても。ですが、この業界も競争が激しいのでね。高校スパイクラブの引率教師みたいなことをしてると、どうしても発想がその手のことに染まってきます」
「それはそうでしょうね」
「それに、これからは本気ではかりごとを読み切っていかないと、生き残れないかも知れない」
「はかりごと? 誰のはかりごと?」
「これですよ」
大伍が指さしたのは、先ほど砂鳥から受け取ったばかりのメモリーだ。
「その数字の塊が? そんなもの、ただの観測データじゃないですか。気象庁を経由しても、普通に手に入るものなんでしょう?」
「やつらは全てのデータをリアルタイムで公開しているわけじゃない。公開に適していると勝手に判断したものだけ、間に何日も置いた上で、表に出す」
「それがそんなに問題なんですの?」
「大問題ですな。むろん、その問題の価値を知っている人間にとっては、だが」
「……つまり、敵は気象庁ということですか?」
「敵と言うよりは障害の一つと呼ぶべきでしょうか。我々にできることは、いち早く先を読んで、いちばん上手に立ち回ること、それだけです」
微妙な沈黙が、しばし両者の間に漂った。先に口を開いたのは砂鳥だった。
「なにやら冗談で済まないような業界の事情がおありのようですが……それは私にも関わることなんですの?」
「あなたにも、千津川にもね。気づかないふりを通して、あとで地団駄を踏むという選択も、もちろんあります」
「で、そんな貴重な情報を私に教えることで、滝多緒……いえ、峰間さんにはどんなメリットが?」
「残念ながらこの件は、一人だけが勝ち残って利益を独占する、という性質のものではないのでね。当然、細かい局面では足の引っ張り合いぐらいは起きるが……あなたなら、その程度の悪巧みも全部呑み込んだ上で、大局的に動いてくれると期待している」
「お上手ですこと」
つまらなさそうに言って、小さく肩で息を吐く。
「よろしい。……少し、詳しくお話を伺いましょう」
窓外に流れる道路際の夜景を眺めながら、セシルはひたすら脱力感に浸っていた。
今日一日で、優に一年分ぐらいの喜怒哀楽を経験したような気がする。いい話もそれなりにあったはずなのに、やたらとがっかり感ばかり味わった気がするのはどういうことか。特に最後のアレがひどかった。聞いてみれば大した話ではなかったのだけれども、バカバカしさが半端なくて、なんだか悪いツボに来てしまい、ちょっと立ち直れなくなった。
ほんのいっとき、十億の資産継承者と呼ばれて本物のシンデレラ・ストーリーを体験しかけたにもかかわらず、そんなことも全部すっ飛んでしまった。つくづく、人間ってつまんないことに振り回される存在だと思う。
「疲れたか、昆野」
ミニヴァンの運転席からルームミラー越しに砂鳥が声をかけてよこした。はい、と声を出すのも億劫で、ただがっくりと首を折る。
「何なら明日は休んだらいい。欠席届は私が出しておく」
「いえ、そういうわけには――」
そう返しかけた途端、他の座席から一斉に部下たちの声が上がった。
「あ、私休みます」
「俺も、俺も」
「自分も、ぜひ」
「あかんっ! おどれらぁ、たるんどるで!」
セシルが一喝すると、ひな鳥のようなさえずりがピタリと止む。しまったと思う。これでもう、帰り着くまで部下の手前、ぐったりした様子は見せられない――。
と思ったら、横の芳賀(高一)が、感極まったように抱きついてきた。
「よかった! いつものセシルちゃんで」
「はぁ?」
ちょっと面食らってると、後部シートの野玖珠(中二・女子)が、こちらも頷きながら補足した。
「いやー、部長、今日で人が変わったんじゃないかって、ちょっと心配でえ」
セシルの二つ隣の石目(中三・メガネ男子)も片手でレンズを押さえながら、
「まあそんなはずないってボクは信じてましたけどね、ふっ」
「どないしたん、あんたら? なんか急に、個性が前面に出てきたような」
つい首を傾げるセシル。運転席の砂鳥が当たり前のような口調で、
「それはまあ、モブから固有名詞付きに昇格したら、どんなキャラだって張り切……あ、いや」
なぜだかムダに咳払いして間を取ってから、
「ごほん。それは今日一日、お前がこいつらと向かい合う余裕がなかったからだろう。ちゃんと相手してやれ」
「え、なんか室長、無理にきれいにまとめてません?」
「相・手・し・て・や・れ」
「はあ」
そう言って芳賀を見ると、改めてひしっと抱きついてくる。セシルの次に年長のはずなのに、十歳ぐらい離れた妹を相手にしてる気分になるのは何でだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます