0−9

「鹿戸さんは、実は千津川のご出身なんですってね。親戚の中でも、あまりいいポジションの生まれではなかったそうですが」

「あん!? なんだ君は、ケンカ売ってるのか!?」

 反発する鹿戸に構わず、翔雄は一方的に喋り続けた。

「まああの土地は仕事には事欠かないし、そのままでも食っていくには困らなかったんでしょう。普通に高校を出て、身内つながりで就職して、結婚もした。ところが」

「なんで俺の過去がこんなところで出てくるんだ!?」

「――ところがある時に鹿戸さんは博打に出たんですよね。千津川の権力筋が仕切る、ちょっとやばい仕事に志願して、いいところまでのし上がろうと考えた」

 のんびりと昔話をしているような翔雄の手が、妙な形を描いているのにセシルは気づいた。暗がりの中ではっきりしないが、何かのハンドサインであるのは間違いなかった。

「でも、いざ現場に飛んでから、あなたは後悔した。上からの指示は、ある旅館をあくどい方法で乗っ取ってしまえというもの。なのに、そこはよりにもよって学生時代の恩師の実家で、そこの息子さんはあなたの親友で、旅館の人たちもあまりにも真っ当な人たちばかりだった」

 セシルがふと気がつくと、杏の姿がない。ついさっきまで翔雄の傍らに控え、ヘッドセット越しに小声で評議会メンバーとさかんにやりとりしていたようだったのに。そう言えば、警護でうろついていた滝多緒の面々も、バスの周囲にもどこにも姿が見えない。

「あなたはさんざん迷った末に、千津川を裏切る決心をした。千津川の指示通り、銀行からの融資金で旅館を安値で買い叩いたように見せかけて、新しい会社を立ち上げ、元々の人たちを雇い直して故郷とのやり取りは一切なくした」

 そこで翔雄は言葉を切った。いくらか居心地悪そうにしていた鹿戸が、翔雄から目をそらしながら、ぼやくように言った。

「それで? 人の過去ほじくり出して、何が分かった?」

「いえ、集まった情報は全部千津川からのものなんで。この後は感情論が先行して、あんまり真相の究明には役立たなかったんですよ」

「だろうな」

「そりゃみなさん、怒り心頭ですよね。鹿戸さんは当時新婚間もなくて、子供ももうすぐ産まれるという話だったんですよね? まさか、地元とのそんな絆も全部断ち切って、敵対するなんてね」

「…………」

「だから、千津川の自称良識人たちは考えた。あれは単に欲に目がくらんだのだ、と。地域の末端にいた男が、突然一国一城の主になるチャンスが見えたんだから、旅館側もそこにうまく取り入って、いろいろ吹き込んで鹿戸さんを寝返らせたのだろうってね。わかりやすい説明ですよね」

「君は何が言いたいんだっ!」

「あなたは」

 翔雄がゆっくりと鹿戸に背を向け、バスの方向へ二、三歩動いた。

「まず味方を増やすべきだったんです」

「……なんだと?」

「まったく、敵だけ増やして、カネだけで強引にケリをつけようとしたから、今頃になって」

 翔雄が片手を目の高さに差し上げた。手首のスナップを利かせて、頭上に何かを放り上げる。

「こんなややこしいことになる!」

 黒い虚空に、突然新星のような光が輝いた。

 それは告知だったのか、承認だったのか、はたまた挑発だったのか。

 数秒で音もなくそれは消え、代わりに、バスの方角から誰かの「来るでっ。総員、構え!」という押し殺した叫びが聞こえてきた。

 直後、駐車場の入口付近から尋常じゃない量のエンジン音が轟き出す。

 二輪車の群れだ。十台近くはいるだろうか。たまたま地元のゾクがツーリングの帰りに寄った、などという話ではないのは明らかだ。ライトも点けずに暗闇の中を整然と突っ込んでくるオートバイの一個小隊など、チンピラ風情ではありえない。

「アレ! ねえ、ちょっと、アレっ!」

 軽い恐慌状態に陥ったセシルは、ただ音の方角を指さしてムダに声を張り上げることしか出来ない。

「アレが、カチコミなん!?」

「分かりきったことを言うな!」

 翔雄が背後からセシルの肩の辺りを抱くようにして、バスの方へ引きずっていこうとする。暗がりでよく見えないが、どうやら協議に居並んでいた面々は、揃ってバスか白いヴァンの中へ退避しようとしているようだ。無言でひた走るいくつもの足音。そして土埃。つかの間、セシルは感じるものすべてがすごく非現実的なものであるように感じられた。

 一団がバスのドアにたどり着くのと、オートバイの群れがバスに取り付くのはほぼ同時だった。順番待ちをしているセシルに、一台が突っ込んでくる。とりあえず人質でも取ろうとしているのか、片手を伸ばしてかっさらう態勢だ。

「え? いや、ちょっと、あたしは千津川の昆野でっ」

 ステップの下で思わず身を縮めた瞬間、間近まで迫っていたバイクが水しぶきに包まれた。真っ直ぐに伸びた細い水流が一条、バスの上からドライバーのヘルメットに叩きつけられている。

 ほうほうの体で離脱したバイクを見送っていると、上から翔雄がセシルを引っ張り上げた。ステップを上がり、車内の光景を見て唖然とする。天井がサンルーフになっていて、座席の一部が天井付近まで持ち上がり、機銃座のようになった照準席で施設清掃用の放水銃が唸りを上げている。ホースがくねくねと踊っていて、今現在も天板越しに銃口がバイクを狙い撃っているようだ。

「こんなバスの中に、水溜めてたんか……」

「さっき池から少々拝借した。あまり持たない」

 点呼の報告を受けながら、翔雄がざっと車内を見回し、いかにもリーダーらしい身のこなしで燦然と命令を発した。

「みんな乗ったな? よし、出せ!」

「ダメだ」

 峰間大伍が即座に声を上げた。出鼻をくじかれて、翔雄ががくっと座席の背に手をつく。老人は断固とした態度で、全身から拒否の波動を発している。運転席に座っているのは、何がなんでもバスは出させないという意思表示か。

「何やってるんだ、あんた!?」

「それはこっちのセリフだ。このバスであいつらを蹴散らすつもりか? ぶつかったらこっちがケガするだろうが」

「いや、ぶつけなくても軽く威嚇する程度に」

「無理だ。逆にやつら、乗り込んでくるぞ。でなくても、進路妨害でいろいろ投げてくるに決まってる。ボディがへこんだらどうするんだ」

 ふとセシルが外の様子を窺うと、逃げ遅れた誰かが駐車場の向こうの方で必死に走り回っているのが見えた。

「へこんだら直せばいいじゃないか!」

「バカ言うな。大型車の鈑金修理はクソ高いんだぞ。今年はもうそんな予算はない」

「学園長が末端の戦術にいちいち介入しないでくれ!」

「だがこのバスは学園の所有物だ。貴重な財産をむざむざ傷物にする行動には、拒否権を発動する」

「あのっ、だ、誰か、捕まりかけてるんやけど、ほっといてええの?」

 セシルが横から声をかけると、二人は同時に「「あぁ!?」」と吠え返し、それからようやく外の状況を確認した。千津川や滝多緒の他のメンバーも、窓外に目を振り向ける。

「あれは鹿戸だね」

 あれはシジュウカラだね、などと野外観察をしているような口調で、水枯室長が断定した。

「そうだね」

「盗撮のおじさんですね」

「鹿戸さんだよ」

 口々に事実を承認する生徒たち。たまらなくなって、セシルは翔雄の背中をばちんとぶっ叩いた。

「いや、のんきに見物してる場合やないやろ!? どうすんねん、アレ!?」

「あれはいいんだ。予定通り」

「何やて?」

 セシルがさらに言い募ろうとしたら、バスの後部から真知の声が響いた。

「ショウちゃん、もう水ないで! もってあと一分」

 バスの周囲では、依然二、三台の二輪車が円を描くように走り回っている。何とか放水で牽制できているが、そのうち火炎瓶でも投げてくるんじゃないかと、セシルは気が気ではない。他の過半数の二輪はあらかた鹿戸の捕獲に集まっているようで、状況自体は一時的にわかりやすい形になってはいた。

 翔雄が腕組み姿で、大伍をじろりと睨めつけた。老人は今は不敵に口角を上げていて、内心どこか面白がっているような節まである。

「つまりは、あの手でいけ、と、そういう学園長の思し召しで?」

「何を言う。わしは細かい戦術なんぞいちいち指示したりはせんよ」

 大伍はもはや含み笑いを隠そうともしていない。

「しかしまあ、連中もぎりぎりで間に合わせてくれたようだし、楽で手っ取り早い道があるんなら、それを選ぶべきではないのかね?」

 はあーっと肺の底から長々とため息をつく翔雄。

「救急車って、呼んだら色々と面倒なんだけどな」

 聞いてはならない言葉を聞いたような気がして、セシルは瞠目した。何の話? 何が始まるの? 何をするつもりなん、こいつら?

「議長、鹿戸が捕まったようです」

 こちらも空模様を報告するような声で、杏が言った。どうやらそれで覚悟を決めたようだ。すっと翔雄が表情を消した。ヘッドセットのマイクを指で抑えながら、乾いた声で言う。

蛎崎かきさき先輩、出番です」

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