0−7

 ふと見ると、少し離れた位置で、翔雄が両手に石くれを手にしたまま背中を向け、無言で身を震わせていた。いっぺんにむかっ腹が立って、セシルは翔雄につかつかと近寄り、肩をつかんで怒鳴り上げた。

「あんたっ、ええかげんにしいや! 話が進まへんやないか! どういう部下の教育してんねんっ! っちゅうか、後ろ向いて笑ってるんちゃうわっ!」

「ああ、申し訳ない」

 などと言いながら石を放り捨てて、翔雄は目の端を手の甲で拭いている。

「二人とも悪気はない……と思うんだけど。君の考えが安もの残酷ネタすぎるからだろう」

「失礼やな、あんた!」

「だいたい、そんなリスクだらけの稼ぎ方、するわけないじゃないか」

「あんたらやったらやりかねへんって言いたいんや! わざわざケンカ売ったってるんやないかっ、分かれや!」

「我々の目的は『やまもみじ』の獲得」

 いきなり翔雄が核心に触れたので、セシルは絶句した。思わずまじまじと相手の目元を凝視してしまう。

「それも、評判ガタ落ちで倒産必至の旅館でなく、今のままの、客足が良くて、将来も有望なままの『やまもみじ』を。千津川の作戦では、鹿戸さんの犯罪を暴いてから買い叩くんだったろう? 一見確実そうだけれども、すべて別名義で一からやり直すなんて、改装費用もバカにならないし、時間もかかるし、何よりも客が残るのかって問題だ。正直、そのあたりがちょっと雑すぎるんじゃないか」

 不意打ちのような論理的言辞の襲来である。簡単には切り替えられない。

「いや、でも……だからって、犯罪もみ消してやるってこと? そこまで甘い顔して――」

「映像の回収はボランティアやありませんよ。それなりの請求はします。彼が破産しない程度に」

 涼し気な声の中に猛毒のトゲを忍ばせる杏である。セシルは思わず息を呑んだ。能天気な口調で蓮が説明をリレーする。

「鹿戸の預金口座は差し押さえみたいなもんだろ。あと、持ってる資産もあるだけちょうだいするって話。もちろん、『やまもみじ』社長としての利権はまるごと譲ってもらうんだって」

 つまりは金になるもの全部だ。

 評価すべきなのか、批判すべきなのか。にしても、まるで暴力団並みのえげつなさである。

 相変わらず平静なトーンのままで翔雄が補足した。

「千津川とはその利権を分け合うことで合意が出来ている。少なくとも、君らが予定の作戦を遂行したよりも、ずっと旨味のある数字になるはず」

「……そんな意地汚いやり方で、うちの上のモン丸めこんだんかいな」

 つい悪態の一つもつきたくなる。途端に、またまた片手ワイパーで蓮が反論した。

「おいおい、意地汚ないってのはないぜ。あんたたちみたいに警察利用して後から旅館乗っ取るよりは、よっぽど――」

「あたしらは筋を通しただけや! 何をするにもカネ、カネ、カネのあんたらと違うねん!」

 言い合いになっていると、バスから小走りで真知が降りてくるのが見えた。前の時と違って、何か難しい顔をしたまま、まっすぐ翔雄の元に向かう。

「筋を通したってのは何? 公務員挟んだからって、あんたたちの行動が立派になるわけ?」

「ムカつくやっちゃなあ。んなら警察無視した滝多緒の方が立派やとか言うつもりかいな!」

「あの、ちょっと論点がずれてますよ。二人とも冷静に」

 真知の持ってきたタブレットを見て、翔雄の眉が微妙に動いた。指先をあごに当て、深刻に何かを考え込んでいる様子だ。

「問題なのは、合理的に解決を図っている私達のビジネスに、昆野さんが負け犬の遠吠えを浴びせているということでは?」

「あんたもたいがいやなっ。負け犬とは何やねん。あたしの言うことのどこが間違ってるねん」

「だってそうでしょう。どこをどう通っても、最終的にはマネーが全てなんですから、最初から最短距離で鹿戸氏を説得できた私達こそが――」

「エキサイティングな討論に水を差して申し訳ないが、君達」

 横から翔雄の声が投げかけられて、口論が中断した。全員が視線を振り向ける。心なしか、翔雄の目はどんよりしているように見える。

「ちょっとマズイことになった。鹿戸さんがゴネだした」

「は?」

 杏のドヤ顔がいっぺんに固まった。

「え? え? ど、どういうこと……ですか? つまり彼は、我々の保護を受けない、と?」

「詳細は不明なんだけど、簡単に言えばそういうことかな」

「いや、ちょっと待ってくださいよ。私達にさんざん後始末させといて、あげくがクーリングオフですか?」

「事件もみ消してやったら、それ以上のサービスはいらねえってか」

「でも、そもそもまだもみ消しの作業には入ってないんですが。それは分かってるんですよね?」

「まさかと思うが、諦めて自分から自首する……なんてオチか?」

「それだけはないはず……と思うんですけど」

 杏と蓮が複雑そうな表情でセシルを振り返った。一瞬きょとんとしたセシルは、そこでようやく、

「え? ああ、そう? そうなんか。へえ、あのおっさんがね」

 なんだか半分だけしか頭に入ってこないけれども、今までの議論が突然ひっくり返ったということは、なんとなく分かった。

「ようやく腹くくったんか。くくったんやな。そやろ。やっぱりこうするのがいちばんやんか。はは。ははははは。見てみい、結局あたしらの作戦が間違いないねん。あんたら、ムダ折り損の骨儲けやったな。あれ? 骨儲け?」

 自分で口走った日本語の意味に首を傾げていると、翔雄が苛立たしくそれにおっかぶせる。

「悪い、今それどころじゃない。実はもう一つ問題が発生してる」

「は?」

「千津川の強硬派がカチコミに来るらしい」

 急に沈黙が訪れた。翔雄、真知、それから杏、蓮と、四人がいわくありげな目線を交わし合う。セシルはぼんやりそれを眺め、さらに目の端で部下たちがやたらと落ち着かなげに顔を見合わせているのを感じ――

 十秒ほど経過して、ようやく天から超鈍足で理解の光が降りてきたのだった。

「はあああああァァァァっ!? 何それ!?」

「つまり、どういうことでしょう、単に力で決着をつける、と?」

「いや、多分滝多緒のやり方じゃ生ぬるいってんで、鹿戸さんを拉致って強引に権利譲渡の判をつかせようとか、そういうつもりなんでは?」

 セシルの叫びには一切取り合わず、翔雄と杏が冷静に現状分析を披露した。

「いや、あたしら、何も聞いてへん! ホンマに! ねえ、聞いてる?」

「それってつまり、こっちの動向がダダ漏れって話なんじゃねえの? 何でそんな甘い話に?」

「そら観光局のおっちゃんらってうちらより素人さんやん。その程度は仕方ないんちゃう?」

 蓮と真知もセシルそっちのけで、意見交換に余念がない。

「あの、これって何かの間違いやから! 言っとくけど、あたしら監禁とか脅迫とかしても、何も出て来ぉへんから! だから、その、ええと、あたしら、これで帰ります――」

「何言うてんのっ」

 踵を返そうとしたセシルの首根っこを背後から引っ張り戻して、真知がどやしつけた。ひいいっとセシルが手足をバタバタさせるが、部下たちも縮み上がって助太刀するどころではない。

「何勘違いしてるんか知らんけどっ。うちらの交渉相手はあくまで対外情報室。あんたら自身が敵対宣言セえへん限り、あくまでお客さんやから! 逃げんでもええの」

「……あ、そうなん?」

「君らの上司からも保護の要請が来てるみたいだしね」

「は?」

 翔雄が眼で指した方向を見て、セシルは思わず両手で口元を覆った。バスの乗降口の傍らに、コート姿の人物が、淡い照明の元で峰間学園長と並び立っていた。遅れて、部下たちが歓声を上げて走り出す。

「し、室長……! なんで」

 千津川の学生たちに囲まれながら、ショートカットのたおやかな人影が近づいてくる。凛とした佇まいの中年女性――対外情報室室長、水枯砂鳥みなかれさとりである。夕闇が迫る薄暗がりの中で、濃いめのルージュがふわりと笑んだ。

「諜報機関同士の当日取引なんて予想外のことになったから、ね。こういう時は出てこないと」

 温かい声音で答えながら、すぐに強い口調でセシル以外の年少メンバーへ呼びかける。

「あんたたちはバスの中に入ってなさい。これから面倒な話し合いになるから」

「いや、話し合いじゃなくて、カチコミみたいなんですが……」

「まずは話し合いだ。三者会談になる」

 少し離れたところから、やんわりと翔雄が訂正する。あたかもその言葉が前触れだったかのごとく、いいかげん闇に沈み始めた駐車場へ、ライトを灯した白いヴァンが滑り込んできた。

「え、誰?」

 セシルが問いかけるも、室長も翔雄も難しい顔でヴァンを見つめるばかりだ。ドアを開けて現れたのは、三、四人の男女だった。降りてまっすぐ翔雄たちの方に歩み寄ってくる。一人、見るからにふてぶてしい表情なのが、鹿戸康平。

 つい衝動にとらわれて、セシルが叫んだ。

「ちょ、ちょっと、なんで、あのおっさんがここに――」

「だから話し合い」

 最低限の返事だけして、翔雄はちょっと疲れたように空を見上げた。その姿の向こう側、バスの周囲には、すでに滝多緒の生徒が数人、緊張した面持ちで歩哨のように周囲を見張っている。全員連絡用のヘッドセットを付け、それぞれ手に何らかの獲物――多分、スリングショットとか投げナイフ――を持っているようだ。

 どうやら、強硬派の介入に備えつつ、鹿戸と滝多緒と千津川とで直接対面で協議を始めるという流れのようである。薄闇の中で、翔雄が独り言のように言った。

「まあ、話し合いの形に終わってくれればいいけど」


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